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翡翠に溺れる空と雲  作者: 小屋隅 南斎


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第9話


 『ラビット』の縄張りを抜けて三組織の息のかかっていない区域を歩きながら、たまかは次の目的地に頭を悩ませていた。『ブルー』の者達へ聞き込みをしたいのだが、アジトへ直接赴けば間違いなく殺されるだろう。一応制服の下にインナータイプの防弾チョッキを着込んではいるが、彼女達の前では焼け石に水であることもわかっていた。青空や水波など顔を知る人物以外は顔を合わせた時点で即殺されるだろうし、かと言って二人がどこにいるのかたまかは知らない。椛が帰還して潜入スパイを失い、向こうの他の組織への敵意もこれ以上なく増している今、『ブルー』の情報は『レッド』を以ってしても極めて得難いものになっている。また彼女達は理由や目的なく見境なく暴れ回っている節もあり、非常に行動が推測し辛い状況だ。二人から情報を訊き出す以前に、まず二人に会うことが大きな壁となっていた。

(この前会った時は……水波さんは皆さんを引き連れて『グリーン』を襲撃していた時、そして青空さんは『レッド』が『ブルー』を襲撃したと思いこんで乗り込んできた時でしたね。水波さんは水面さんの跡を継いで新しいリーダーとなったようですから、周りに人の目も多いでしょうし、代表として動いているのなら会う事は困難でしょう。話を聞いてもらえる雰囲気でもありませんでしたし……)

 となると、話が出来る可能性がまだあるのは青空の方だろう。

(青空さんは前回、『レッド』の襲撃が真実だったかどうか確認する、と言っていました。もし『ブルー』の情報がデマだったとわかったとすれば、きっと以前程は警戒はされていない……と、思いたいです)

 最後に見た青空の顔を思い起こす。彼女は水面を喪い、水波が暴走し、全てが崩れた世界で必死に藻掻いているような印象だった。

(水波さんを思いやる気持ちは何よりも強かったようですから、『グリーン』と『レッド』が水面さんを殺したという話には同意しているはずです。その上で『レッド』が『ブルー』を襲った情報がデマだったと気付いた時、一体彼女は何を思い、どうしようとするのでしょうか)

 たまかは動かしていた純白の靴をぴたりと止めた。

「……」

 あてどなく歩いていた足が、明確に目的地を見つけてしっかりと地を蹴った。たまかは思い浮かんだ場所を目指し、足早に街を抜けていったのだった。


「誰!?」

 不気味さが感じられるほどに静まり返った廊下に、警戒する叫び声が響いた。青空はサイドに結わえられた黒髪を跳ねさせ、廊下の奥を勢いよく振り返った。その臨戦態勢の構えには、一部の隙もない。音を出さないようにしていたのだが、流石は『ブルー』、索敵はお手の物である。もとよりこちらも隠れようとしていたわけでもない。たまかは階段室から純白の靴の先を出した。そして、廊下へと姿を現す。

「……たまか……」

 青空の呟きが漏れる。たまかの視界の奥に、青空の呆けた顔が現れた。彼女は水面の死体の確認に来た時と同じ場所に立っていた。青空はすぐにその眉を吊り上げ、狭い廊下の先に立つたまかを睨みつけた。

「なんでここに? 証拠を消しにでも来たわけ……?」

 訝しむ顔は、敵意を隠せていなかった。たまかは小さく首を横へと振った。

「違います。青空さんに会いに来ました」

「は……?」

「青空さんはきっと……林檎さんが『ブルー』にいた証拠を見つけようとするんじゃないかと思ったのです。ですから死体発見現場のここにも、足を運ぶのではないかと」

 たまかは寂れた狭い廊下を見渡した。水面の死体も移され、ここにはもう監視の目もない。誰も近づくことのなくなった場所だからこそ、見落としたものを何か拾えるかもしれない。先日たまか達が訪れた理由と同じだ。たまかは視線を青空へと戻した。

「何か見つけることは出来ましたか……?」

「は、お前に教えるわけないでしょう。というか、私がいるってわかっててのこのこ現れたわけ? お前、弱っちいのに?」

 青空は蔑みの視線を向けた。

「借りはこの前返したから、もう見逃す訳にはいかないよ。私の前にいるってことは、それをわかってて来たんだよね?」

 青空はその目を細めた。

「お前は縹様の仇なんだから」

 狭い廊下は声がよく響いた。やはり水波の証言を信じ、たまかが水面を殺したと思いこんでいるようだ。きっと彼女の中で違和感はあるのだろうが、見て見ぬ振りをして無理に飲み込んでしまっている。たまかは憎しみの籠った目に一瞬だけ悲しみを滲ませた後、その顔を凛としたものへと変えた。

「……私、水面さんの死の真相を追うことにしました」

「……ん?」

 突然の宣言に、青空の眉根が寄る。

「敵対組織の長という関係であることはわかっています。それが本来は許されず、誰からも歓迎されないことも。それでも私も、水面さんのために出来る限りのことをしたいのです」

 その命はもう散ってしまったから。今のたまかに出来る精一杯は、彼女の無念を晴らすことだけだ。彼女の、友人として。

「私のその思いに、『レッド』の皆さんは応えてくれました。今、『レッド』は水面さんの不審な死を紐解くため、情報を集めてまわっています」

「……」

「青空さん。青空さんも水波さんの話が真実である証拠を見つけるために、こうしてここにいるのですよね。水波さんのため、そして水面さんのために。私達は目指している場所は同じはずです。青空さんの求めている情報を、何か提供できるかもしれません」

 青空はため息を零した。憎しみに染まっていた顔が、白けたものに変わる。

「良く舌が回るね。情報を提供できるも何も、お前らがやったんだから当たり前でしょーが」

 冷めた目で、たまかを軽蔑するようにじっとりと窺う。不意に彼女は、右手を腰へ向けて引っ込めた。かと思えば、次の瞬間にはたまかへ距離を詰めていて——たまかの首に、短刀の刃先が当てられていた。

「……」

 一瞬だった。廊下の先にいたはずの薄群青色は気付けば目の前にいて、強い意思の宿る瞳がすぐ傍で輝きを放っていた。腰の鞘から解放された刃は、照明を反射して鈍色に光っている。

「反応遅すぎ。構えすらとれてないじゃん」

 目の前の唇がはっきりと動く。身動きの取れないたまかは、首にあてられた刃へ視線だけを向けた。息を一つ吸うのすら、刃の感触が邪魔をして上手く出来ない。

「……朱宮がいた証拠を探してるっていうのは、確かに当たりだよ。でも別にわざわざ現場から見つける必要なんてない。お前が証言してくれればそれでいいんだから」

 落とされた声が囁く。たまかは青空を見上げた。怯むことなく、毅然とした眼差しだった。

「証言とは?」

「お前が朱宮のAIを『ブルー』に潜り込ませて縹様を殺した、って」

 たまかは見上げていた瞳を細めた。一向に怯える様子は微塵もない。

「それが偽りであると……青空さんは気付いているのでは?」

「偽りなんかじゃあないでしょ。それに万が一違っても関係ないね、ミナミが正しいってことを示せればそれでいいんだから」

 青空はふんと鼻を鳴らした。『ブルー』らしい横暴なやり方だ。その言葉に、たまかは一度言葉を詰まらせた。そして、眉尻を下げる。

「……青空さんは、水波さんが正しいと証明できたとして……それが真実でなくても、良いのですか?」

「ミナミの言葉を、信じてるからね」

 彼女は悩む素振りもなく、そう言い切った。

「……でも、もしそれが真実でなかった場合」

 たまかは目の前の青空の瞳と視線を絡めながら、悲痛な顔で言葉を零した。

「水波さんは、水面さんの本当の仇を討てないことになるんですよ……?」

「……」

「本当に青空さんはそれでいいんですか?」

 目の前の瞳が、横へと逸れた。

「構わない。だって、ミナミの言葉が真実だもの」

 青空ははっきりと声を響かせた。きっぱりと断言してみせる。彼女は心から水波を信じている、あるいは信じようと努力しているのがひしひしと伝わった。しかし不安と葛藤がその目に表れているようにも感じられる。

「私達に立ち止まっている暇はないの。ミナミが正しいって、早く皆に証明しなくちゃ」

「……皆とは、世間のことですか?」

「違う。『ブルー』の家族達」

 青空は視線を下へと落とした。本来ならば敵を視界から外すことなどしないのだろうが、たまかが武器を持っていないことを、これまでの交流から彼女は確信しているらしかった。

「……昨日、ミナミが仲間に襲われたの。ミナミが縹様を殺したんだろう、……って」

 たまかはその言葉に目を白黒させた。『レッド』や外部だけでなく、内部からもそのような話が出ているとは思わなかった。

「あいつらが言うには、全部ミナミが長を乗っ取るために仕組んだことなんだって。それで縹様の謎の行動とか、全部辻褄が合うらしい。んなわけねーじゃん」

 この場にその者達がいるかのように、青空は荒々しく吐き捨てた。

「結局そいつらは全員殺した。まあミナミや私らに敵う訳ないよ、あいつら弱っちいもの。でもこんなことが続いてちゃ、『ブルー』は何時まで経っても一つになれない。縹様が頂点にいた、あの頃には戻れない」

 青空は歯軋りを挟み、焦燥感を滲ませた。

「だから早くミナミの言葉が正しいことを示して、皆を黙らせてやらないといけないの」

 それで彼女はここまで足を運んだということらしい。彼女にとってこの地は、崇拝する強さの象徴たる水面が殺されている姿を目の当たりにした、忌々しい場所のはずだ。自身の目指す憧れのリーダーを喪った場所でもあり、再び足を踏み入れるには余程勇気が要ったに違いない。それでも彼女は、必死に出来ることをしようとしているのだろう。目の前の純白の制服に身を包む少女と同じように。

「……」

 たまかは苦境に藻掻く目の前の少女をじっと見上げた。暗闇の中を必死に足掻く少女は、水波や水面を信じる心を灯として、なんとか突き進もうと躍起になっている。彼女は間違った道を進んでいることに気付いていない。あるいは心の奥底では気付いているのかもしれないが、彼女は灯の光を信じようとするあまりにそれに蓋をし、導く先に付き従っている。彼女は『ブルー』の一員として、家族を何よりも強く信じているのだ。

「……青空さん。それはもしかすると、『ブルー』の方々が疑心暗鬼になっているためではないかもしれません」

「……うん?」

 優しく諭すような声に、青空は一瞬敵意を仕舞った。彼女だって、無暗に仲間を疑いたくはないはずだ。そのため彼女にとっては聞き流せない言葉だっただろう。たまかの言葉に耳を傾け、興味を持った今なら……話を聞いてくれるはずだ。

「扇動されたかもしれないということです。他の組織に、大事な家族達が」

「ど……どういうこと?」

 思わずと言ったように訊き返した後、青空は悟ったとばかりにその顔に困惑と呆れを浮かべた。

「『レッド』のいつもの狂言でしょ。騙されないんだからな」

「青空さんは家族達を信じているのですよね? 少し話を聞いて頂けませんか」

「あんなやつらは真の家族じゃない。だから信じてもいない」

「……とにかく。その方達は、他の組織から偽りの情報を流された、或いは反乱するよう誘導されていたかもしれないということです。『真の家族』を、洗脳された可能性があります」

 青空はその言葉に息を呑んだようだったが、すぐに苦い顔へと変えた。

「じゃあお前らだ。いかにも『レッド』がしそうなことじゃん」

「違います。『レッド』以外の別の組織の魔の手が、既に『ブルー』に伸びているかもしれません」

 たまかは冷静に否定すると、青空の顔を窺った。彼女は訝しむようにたまかを見下ろしているが、今すぐ首を斬り落とすような素振りは見せなかった。

「段々とわかってきたのです。『ブルー』内部に、他の組織が情報を流すことの出来る仕組みが作られているかもしれないということが」

 『レッド』が必死に集めてきた、限られた情報達。仲間や『ラビット』という外部の力も借りて、なんとか手探りで集めてきた。それらはたまか達にとっての武器であり、一つ一つが一発の大切な弾丸となる。それを今、青空に使う時が来た。説得という名の、『レッド』なりの襲撃だ。

「青空さんは以前、デマに踊らされたことがありましたよね。『レッド』が『ブルー』を襲撃したという情報が入ったと言っていた時です。あれは仲間から聞いた、とおっしゃっていました。……あの後、あの情報の裏は取れましたか?」

「……」

 青空は口を噤んだままだった。返事がないことが答えを表しているようなものである。

「あの時『レッド』からは、『ブルー』は『レッド』に襲撃されたという出鱈目を盾にして襲撃を正当化していたのではないかという説があがりました。ですが違いますよね? 私には青空さんが嘘をついているようにはとても見えませんでした。『レッド』が『ブルー』を殺したという根も葉もない話が仲間から出たと言う話が事実であれば、既にその時には他の組織が『ブルー』内部へデマを流していたということになります。さらにその前にも、水面さんのAIを他の二組織が買ったという情報が『ブルー』に流れていたと聞いています。『ブルー』ではその情報は知れ渡っており、皆さんが『レッド』と『ラビット』に憎しみを募らせているということも聞きました。ですがその情報は間違っているんです。『レッド』も『ラビット』も水面さんのAIを買ってなどいません。つまりそれも、『ブルー』にデマが流されていたということになります。悪意のある第三者によって」

 青空は険しい顔のまま、口を結んでたまかを見下ろし続けていた。たまかは未だに首に当てられたままの短刀にも一切怯まず、話を続けた。

「他の組織が『ブルー』に作為的に情報を流しているという説があがったのは、椛さんの件によるものです」

「……あの裏切り者?」

 聞き捨てならなかったらしく、青空はその眉間に皺を寄せた。たまかは強い眼差しで青空を見上げながら、その言葉に反応しないように努めた。

「……あいつの件についても、『ブルー』はお前達を許してないからね。よくも仲間のフリしてこそこそ嗅ぎ回ってくれたよね。しかも落とし前を付ける前に掻っ攫っていきやがって……」

 青空は舌打ちを零し、たまかを鋭く睨みつけた。

「勿論あいつを送り込んだのがお前じゃなくて朱宮だってことはわかってる。あいつが『ブルー』に来たのは、お前が長になるよりもずっと前だからね。『尋問』した時に、本人もそう漏らしてたってのも聞いてる。でもあいつに筋を通させる前に横取りしていったのは、紛れもなくお前だ。『ブルー』は絶対にお前にケジメを取らせるよ」

「……椛さんはもう充分、貴方達の怒りをその身に受けたでしょう」

 たまかは冷静さを貫き通していた顔を不服そうに変えて、そう言い返した。

「彼女は『ブルー』に害をなすようなことをしたわけではありません。『ブルー』の情報を流していたことは、今回の水面さんの死に全く関係していませんよ」

「どうだか。あいつの存在のせいで、『ブルー』に朱宮のAIがいたって説の信憑性はあがったんじゃないの。あいつが朱宮を匿えばいいんだから」

「もしかして拷問は、それを喋らせる意図もあったのですか? 椛さんはそのようなことをしていませんし、彼女も『ブルー』で林檎さんは見ていないと証言しています。……話をもとに戻しましょう」

 たまかは感情的になってきた応酬を止め、頭を冷やすと同時に脇に逸れた話を元に戻した。

「『ブルー』が椛さんがスパイだという情報を一体どのように得たのかは知りませんが……その情報は、作為的に流されたとみて良いでしょう。実はその情報は、ある人が『ブルー』以外の者にわざと流した情報なんです。しかし蓋を開けてみれば、なぜか『ブルー』がその情報を掴んでいました。状況からして、他の組織が椛さんの情報を『ブルー』へわざと流したと見て間違いありません」

「……」

「『ブルー』は耳聡い方の組織ではないでしょう。なのに最近、妙に情報が流れて来ると感じてはいませんか?」

「……お前らが仕組んだんじゃないの? まさにそういうやり方こそ、『レッド』が得意とするやつじゃん」

「水面さんのAIを他二組織が買ったというデマも、『レッド』が『ブルー』を襲撃したというデマも、椛さんが『レッド』のスパイだという情報も、全て『レッド』にとっては『ブルー』に流れても利益のないものばかりです。むしろ『ブルー』を焚き付け、『レッド』にとってマイナスな結果を齎すものしかありません。それを『レッド』が自ら仕組むはずがないと思いませんか」

「……」

 青空は何も答えなかった。ただたまかの言葉に思うところはあるようで、その顔は怒りを湛えたものから何かを探るようなものに変わったように見えた。

「……『レッド』は水面さんの死に関わってなどいないのです。こうしている間にも、悪意のある他の組織の魔の手が『ブルー』に迫っています。水面さんの死にも、その組織が関わっているかもしれません」

 たまかは口を結ぶ青空へ、真摯に訴え続けた。

「水面さんの本当の仇は別にいます。……この状況が物語っているとは思えませんか」

 曇りない眼の真っ直ぐな眼差しにも、青空は懐疑的な顔を崩しはしなかった。

「じゃあ、きくけど」

「はい」

「『レッド』が関わっていなくちゃ、『ブルー』に朱宮のAIがいたことに説明がつかなくない? それともミナミが嘘をついてるって言うの?」

「いえ、水波さんが嘘をついているとは思っていません。『ブルー』をよく知る椛さんも同じ意見のようでした」

 再度裏切り者の名前が出たことで、青空は不快そうに鼻を鳴らしてみせた。

「一方、『レッド』では林檎さんの目撃証言があります。長時間行方を告げずに留守にした日もありません。つまり林檎さんが『ブルー』にいたはずはないんです……本来であれば。ですからこの件には必ず裏があると睨んでいますが、まだわかっていることは何もありません。情報が少なすぎて、私達もなんとか手を伸ばして真実を探っている状態なのです」

「つまり、『ブルー』に朱宮がいたことについては何にも説明出来ないってこと?」

 青空は頭を傾けてたまかの顔を窺った。くるくると弧を描いたサイドテールが、大きく跳ねて垂れ下がる。

「……そうですね。ただ、水面さんの部屋に証拠を隠滅したような形跡を感じたと椛さんが言っていました。林檎さんの件も、誰かが陰で動いている可能性は高いです」

「……」

 青空はその口を窄めた。

「『レッド』のやったことをただ言い包めてるようにしか聞こえないけど」

「……」

「でもまぁ……そういえばあの恩知らず、前にカタログが抜けてるってぼやいてたな。どうでもいいこと気にするなって思ってたけど……今になるといろいろと見えてくるものがあるね」

 青空は肩を竦めた。水面がカタログを貸し出すことは珍しいことではないらしいと椛が言っていたが、恐らく尋ねた相手は青空だったのだろう。

「なるほどねえ。『レッド』のスパイのあいつが調査をしていたのなら、『レッド』の仕組んだことにしてはおかしいことになる。いや、あいつが朱宮の件を知らされていなかっただけか? でも……」

 青空は苦い顔で唸った。それからすぐに考えるのを止め、首を振った。

「やめやめ。……また騙されるところだった。お前らの言うことを素直に聞くこと程、馬鹿なことはないね」

 じっとりとした、訝し気な視線がたまかを射る。

「要するに、お前は朱宮の件については何も言えないってことで合ってる?」

「……」

 たまかは視線を泳がせたが、すぐに観念してその顔を曇らせた。

「……そうですね。『レッド』はまだ、真相に辿り着けていません」

「つまり『レッド』が朱宮のAIを送って、そいつが縹様を殺したってことにも、何も反論出来ないってことだよね?」

「……『レッド』は林檎さんのAIを送り込んでなどいません」

「……」

 意地になったように絞り出された言葉に、青空はため息を漏らして小さく首を横へと振った。

「嘘ばっかり。どうせ他の組織がって奴も出鱈目でしょ。……うだうだ考えるより、さっさとお前を殺して死体を持ち帰った方が早いね。こうしてそっちから来てくれたんだから」

 短刀を持つ手に力が籠められる。

「……お前を殺せば、縹様の仇を討てるし、『レッド』は朱宮を送り込んでないなんて言う奴もいなくなる。あとは、最期に罪を認めたってことにすればいい。……これで、ミナミが正しいって証明出来る」

(……それが偽りの事実であると、青空さんも心の奥底では気が付いているはずなのに)

 首に冷たい感触を感じながら、たまかは悲し気に眉尻を下げた。

(水面さんの強さも、私の弱さも、全てが犯人は別にいるって告げているじゃないですか……)

 水波を信じなければならないという焦りが、全てを掻き消してしまっているように感じた。そうなる程に、内なる強い思いが彼女を無理やり突き動かしている状態なのだろう。

「それで……」

 たまかの口から、小さく言葉が零れて行った。

「……本当に水波さんが喜ぶと思うのですか?」

「は……?」

 静かに呟かれた言葉に、青空は思い切り眉根を寄せた。その顔に瞬時に浮かんだ怒りは、今までの比ではないように見えた。そのまま刃が首を貫きそうな気迫があったが、たまかはそれが見えていないように青空を見上げた。

「……私は……水波さんには、水面さんを殺した本当の犯人がいるのなら、それを知って欲しいと思っています。だって彼女が、水面さんを心から尊敬していたことを知っていますから……」

 水面の話をしていた時の水波の横顔を思い起こす。宝物を披露するかのような、優しい声色と細められた目を。水波にとって、水面は誰よりも大切な人だったはずだ。

「このまま私を殺しても、彼女は水面さんの仇を討ったことにはなりません。それどころか、きっと真相に辿り着く手掛かりを失ってしまうでしょう。林檎さんのAIが関わっているということは、きっと『レッド』しか知らない情報も必要になってくるでしょうから」

 真っ直ぐと、青空の瞳を見つめる。

「そんな結末が本当に、水波さんのためなのでしょうか……?」

「……っ」

 その言葉に青空は歯軋りをし、憎しみを込めて目の前の顔を睨みつけた。今にもたまかを亡き者にしかねんばかりの、怒りに燃えた形相。彼女の逆鱗に触れたのは明らかだった。

「……」

 しかし彼女の口からは言葉は出てこなかった。炎のように燃え上がった怒りが、萎むように消えていく。

「じゃあ……どうすればいいのよ」

 その声はまるで泣いているかのようだった。

「縹様がいない今、自分で決めて進むしかないもの。私はお前を殺して、ミナミを疑う奴を全員黙らせたいの。だってこのままじゃ、ミナミは暴走しておかしくなっちゃうよ」

 青空は揺れる瞳を下げた。

「あいつ、ずっと縹様の仇を取る事しか頭にないの。それなのに『グリーン』はこそこそと隠れ続けているし、『ブルー』はバラバラになってそれどころじゃないし、……『レッド』は私が一度逃しちゃった。あいつ、日に日におかしくなっていってる気がする。どんどん窶れていってるし、縹様の仇を討つこと以外全てがどうでも良くなってきてる。あいつだけじゃない、『ブルー』の皆も暴走して、歯止めが利かなくなってるの。もうどうすればいいかわかんない。わかんないんだよ……」

 掠れた声は、今にも消え入りそうだった。前回たまかを逃したことにより、青空は『ブルー』に流れた情報がデマだったという真実を得られたはずだ。しかしそれは、同時に水波の敵討ちが遠のいたことも意味する。水波の様子がおかしくなっていくのを傍で見て、彼女は自分のせいだと後悔していたのかもしれない。

「全部が元に戻るためには、今度こそお前を殺さなくちゃいけないんだ。それが……ミナミのためだって、私は信じてる」

 青空の視線が、短刀を持つ手の甲へと向けられた。刃先はたまかの首を斜めに隠したままだ。たまかを殺すことは、彼女なりに水面や水波のことを想い、考え抜いた末の結論なのだろう。しかし、たまかにはそれが最適解とは思えなかった。水波、水面、そして青空は、たまかにとっても大切な人達だ。だからこそ、嘘で塗り固まれた結末が本当に彼女達のためになるとは思えなかった。

「それが、偽りの仇だとしてもですか?」

「……」

「水波さんが水面さんを心から尊敬し、本当の家族だと思っていたのなら……真の仇に辿り着くことこそが、水波さんが望む結末だと思います」

 たまかはその目を鋭くした。

「青空さんが私を殺せば、それは叶わなくなります」

「……」

「それが水波さんのためになるのか、今一度、考えてみてください」

 廊下には、静寂が広がった。痛い程の静けさ。そして、首に伝わるぞっとするような刃の冷たさ。

「……私は、水波さんのためにもここで殺されることに抵抗しようと思います。私が今殺されれば、今度こそ『ブルー』は真実を得る機会を永遠に失ってしまいます」

 青空は口を強く結んだままだった。そんな彼女へ、たまかは淡々と言葉を続けた。

「……青空さん。以前私を殺そうとしていた時も思ったのですが……本当は気が付いていますよね。林檎さんや私が水面さんと戦って敵うわけがないこと、そして私が水面さんを殺すような指示を出すはずがないこと」

「……」

「それでもなお林檎さんが殺したと主張しているのは、水波さんのためでしょう。水波さんの証言を信じなければいけないと自分に言い聞かせて、違和感を抑え込んでいましたよね? ……ですが、水波さんの証言と青空さんの抱いた違和感は、同時に成立し得ると思います。つまり『ブルー』に林檎さんのAIがいながら、『レッド』が水面さん殺しに関与していない場合です」

 たまかはその表情をやわらげた。

「……青空さんの協力があれば、真実に辿り着けるかもしれません。それこそが一番水波さんのためになると思いませんか」

「……」

「水波さんだけでは先程の発想には繋がらないでしょう。彼女は『レッド』が『ブルー』を襲撃して家族を殺し、水面さんの死後すぐに彼女のAIを購入し、水面さんを殺すために秘密裡にスパイを送り込んだと思いこんでいます。他の組織によってノイズだらけになった今、きっと彼女だけではこの誤解を解くことは難しいはずです」

 廊下にはっきりと声を響かせる。水面が無念にも殺されたであろう、この場所に。

「きっと青空さんの協力がなければ、水波さんを他の組織の魔の手から救うことは出来ません」

「……」

「ここで私を殺さず……真の仇を追う選択をしませんか。……どうせ私なんていつでも殺せます。水面さんの死の真相のため、私達『レッド』を『使う』選択をしても良いのではないですか。私はそれが、水波さんのためになると思っています」

 彼女の地獄のような日々に、蹴りをつけるためにも。たまかの言葉に、青空のきつく閉じられていた唇が僅かに震えた。

「…………」

 青空は怒りの消えた顔を伏せ、悲しそうに眉を下げた。悲痛な表情は、内心で必死に考え抜いていることが伝わった。今度こそ、たまかの言葉が彼女の胸に届いたように感じた。「水波のため」、彼女にその言葉を無視することはできなかったのだろう。きっと彼女は日々足掻く中で懸命に悩んでいたのだ。水波のために、自分が出来ることを。

 たまかは彼女の返事を辛抱強く待ち続けた。彼女の揺らぐ瞳から、心の中で激しく葛藤している様子が伝わった。どう動くのが家族である水面や水波のためになるのか。導いてくれる水面はもういない、強さでなぎ倒して解決する問題でもない。青空が自分で考え、答えを見つけるしかないのだ。静寂が支配する重苦しい空気の中、首に刃をあてられながらも、たまかはひたすらに青空の顔を見上げていた。その無垢な瞳がいつまでも真っ直ぐと射貫くのを見て、青空はたまかの心中を見極めたようだった。

「……私は」

 漸く動いた、血色の良い桃色の唇。青空はそうぽつりと零した後、その先を続けずに視線を逸らした。

「……いや」

 何かを言い掛けた口は、すぐに閉じられた。そして、静かに視線がたまかへと戻る。意思を固めたような顔だった。彼女の中で、答えが見つかったようだった。

「……」

 言葉の代わりに、ゆっくりとたまかの首から刃が離れていく。青空はしおらしく俯いた。やはり彼女は、たまかが水面を殺したとは思っていないのだろう。誰よりも真摯に強さに向き合ってきたのだから当然だ。水面の強さは、誰かが襲いかかって崩せるようなものではない。押し込めていた本心に、自分でも漸く気付くことが出来たのかもしれない。……しかしそれを口にするのは、水波のことを想うと憚られたのだろう。結局彼女は心中を口に出すことをせず、その先を続けることはなかった。口にせずとも、短刀を仕舞ったことがたまかへの答えだ。たまかの見上げる先にある重い口が、長い沈黙を破って動く。

「……。私はミナミの証言は本当だと思ってる」

「はい」

「『ブルー』に朱宮がいて『レッド』が無関係なんて、本来なら絶対に有り得ない。でも……お前は……、……」

 『物凄く弱い』、あるいは『人を殺すことなんて出来ない』。どんな言葉を続けようと思ったのかはわからないが、青空はその先を濁し、言葉にはしなかった。

「万が一……、万が一最近『ブルー』に起きていることが『レッド』以外の組織の仕業だったとすれば、お前の言う通りミナミじゃ絶対気が付けない。状況的にも、あいつの心情的にも」

 青空は俯いた下から、たまかへと真っ直ぐと視線をあげた。

「だからもし本当に、縹様の死が『レッド』のせいじゃなかったとしたら……きっとお前しか、縹様の本当の仇を追うことなんて出来ない。……お前しか、ミナミを救うことなんて出来ない」

 水波が誤った道を進んでいるとしたら、青空が縋り、頼れる先は——たまかだけなのだ。そう悟り、彼女は託すことにしたのだろう。一縷の望みを、たまかへと。

「私は縹様みたいに上手く物ごとを決めることなんて出来ない。お前の嘘に騙されているのかもしれないし、敵を信じるなんて馬鹿みたいだとも思う。またお前を逃して、ミナミを失望させただけで終わる可能性もある。私の選択は、間違っているのかもしれない」

 怯えや恐怖が、その声色に覗いていた。

「こういう時はいつも拳で解決してきたけど、今回はそれをやったらお前はすぐ死んじゃうでしょ。お前、弱っちいもの。でもきっと死ぬまで強情で、お前は最後まで暴力に屈することなく、私の言いなりになることもない。お前はそういう奴だ。だから今回は、力では解決できない。どんなに不安でも、自分で決めるしかない」

 たまかの内面を知っているからこその、正確な分析だ。実際たまかは死ぬまで殴られたとしても、最後まで心が折れることはないだろう。たまかの弱さ、そして強さを、青空は全て見抜いている。

「……ミナミを助けて欲しい」

 彼女は最後に、絞り出すようにそう言った。

「縹様のことも。……お前にしか出来ないのなら、お前に託すしかない。敵同士なのはわかってる、その上で……『取引』を、して欲しい」

 たまかを見逃す代わりに、たまかに水面の死の真相を突き止めさせる。前回たまかが提案して、すげなく断られた『取引』。今度は彼女から、それを持ちかけようと言うらしい。たまかはその顔に、明るい微笑みを宿した。

「勿論、応じます。……水面さんの死の真相には、きっと青空さんの協力がなければ辿り着けません。ですから私だけではなく、『二人で』水波さんを救うのです」

 その言葉に、強張っていた青空の顔が僅かに緩んだように見えた。一人で必死に水波を支えようとしてきた重荷を、漸く預けられるようになった安堵だったのかもしれない。

 『ブルー』と『レッド』、敵対関係の組織間で、二人だけの秘密の取引が成立した。これまでの交流が無ければ、こうして結ばれることなどなかっただろう。いつもたまかと青空の間で仲を取り持ってくれていた少女、その死体が発見された部屋へと、たまかは気を引き締めた顔を向けた。

「……では、聞いてもよろしいですか。青空さんはここで林檎さんのいた痕跡を探していたのですよね。何か見つけることは出来ましたか」

 たまかの視線を追い、青空は横目で部屋の中へと視線を向けた。憔悴したような顔は、言葉以上に結果を物語っていた。

「……何も。私じゃ見つけられなかった」

 彼女は素直に答えた。その覇気のない声に、たまかは彼女へと視線を戻した。

「実は『レッド』も死体発見現場を調べたのですが、林檎さんに関わる痕跡は見つけられませんでした。青空さんの力不足ではないですよ」

 たまかの思っていた以上に青空は必死に努力し、そして空振りを繰り返していたのかもしれない。彼女の悔しそうな表情を見ながら、たまかはそんなことを思った。

「いろいろとお話を聞きたいですが、まずは私がここに来た理由から話しましょうか。私が青空さんに会いにきたのは、あることをお伺いしたかったからなのです。その……、まだ確定したわけでもないですし、心を落ち着けて聞いて頂きたいのですが……」

 刺激をしないように前置きを挟み、たまかは本題を切り出した。廊下で対峙する少女は、正面で用心深く耳を傾けている。

「私達は今、『グリーン』やAIが怪しいとみて、その辺りを探って情報を集めています」

「『グリーン』? ……お前らとの共謀じゃなくて、『グリーン』だけが単独でってこと?」

「そうです」

「……やっぱりあいつら、きな臭いと思ってたんだ……っ」

 青空はその顔を怒りに歪ませ、舌打ちを零した。二枚歯を勢いよく床に蹴り付けたことにより、高い音が廊下に鳴り響く。たまかは怒りに燃えた姿を前に、鎮めようと両手を伸ばした。

「落ち着いてください、まだ疑っている段階で、証拠も見つかっていません。……フラットな意見をお願いしたいです」

 『ブルー』は感情的で一直線な分、そうと決めると突っ走ってしまうところがある。たまかは宥めながら、念入りに注意を挟んだ。青空は理解出来ないという顔で一度たまかを睨みつけたが、しかしすぐにその怒りを堪えたようだった。頼る先がたまかしかいない今、たまかの言うことになるべく耳を傾けようとしてくれているのだろう。たまかはそれを見て胸を撫で下ろし、話を再開させた。

「私が青空さんに訊きたかったこととは、AIについての情報です。『グリーン』は故人を完璧に模倣したAIを作っていますが……それを構築する膨大な情報をどこから入手したのかはわかっていません。それらの情報を提供した人に心当たりがないか、お伺いしたかったのです」

「……『グリーン』と繋がってる奴ってこと? ……知らない。『ブルー』にはいないと思うけど」

 青空は記憶を辿るようにそう言った。その答えは想定内だ。たまかは頷いてみせた。

「では、組織から足抜けした人や行方不明者、不審な死を遂げた方はいませんでしたか?」

「それは逆に、該当者がいすぎるけど」

「それらの中に、情報提供者が雑じっていたかもしれません。『グリーン』が大金をちらつかせた可能性もあります。お金を手にした様子の後、姿を見なくなった方はいませんでしたか」

「……」

 青空は黙り込み、何やら慎重に考えているようだった。暫しの沈黙を挟んだあと、彼女はゆっくりと顔をあげた。

「……大金を手に入れたって鼻に掛けてくるような奴はいなかったよ。個人のお金は組織で管理しているわけじゃないから、仲間の懐事情は知りようもないし。気前よく奢ってくれたりしたやつならいるけど……正直、それだけで疑う気にはなれない」

 仲間想いの『ブルー』にとっては、家族の善意を疑うことは憚られるのだろう。

「ただ……『グリーン』が怪しいんだよね?」

「はい」

 青空は躊躇いを滲ませた後、おずおずと続けた。

「……姿を見なくなった奴で、最後に目撃したのが『グリーン』だった奴らがいる」

(! ……椛さんの言っていた方達でしょうか)

 たまかは詳細を急くかのように、食い入るように彼女を見つめた。青空は視線を泳がせ、ぽつぽつと語り出した。

「大金が絡んでいたかはわからないけど。……そいつらは今月頭から行方不明になっていて、『ブルー』では足抜けしたって噂されてた奴らだった。最近になって、火葬炉の近くに山積みにされている死体の中に埋もれてるのを見つけた奴がいたんだ。積み重なっている死体の数が多すぎて引き抜けなかったから、詳しい死因とかはわからない。だけどこの前、『グリーン』の建物の前で姿を見かけてたんだ。縹様がまだ生きてた頃だよ」

 青空が目撃していた者達は、既に死体となっていたようだ。しかし『グリーン』への情報提供者だとすれば、今のところ追うことが出来る唯一の情報源だ。何か手掛かりが残っているかもしれない。たまかは身を乗り出した。

「何か怪しい様子はありましたか。彼女達は、『グリーン』の制服を着ていましたか」

「特には……建物に入る後ろ姿を見たってだけ。だけど『グリーン』と繋がりがあるような奴らじゃないから、変だなと思ってた。制服は『ブルー』のままだったね」

 ということは、彼女達は『ブルー』を抜けて『グリーン』に入ったわけではないらしい。そして建物に入るところだったならば、自ら『グリーン』とコンタクトを取ろうとしていたと考えるべきだ。

「なるほど。……ではその方々は、AIとなった故人のどなたかと親しかったりしたでしょうか」

「そりゃあ、勿論。全員と親しかったよ、仲間だもの。ああ、でも確かに……二人は結構古参メンバーだったんだけど、特にアコ様とよくいることが多かったな。……そう考えると、AIとなった方の傍にいた人は、皆『ブルー』からいなくなっているような……」

 青空は様々な顔を思い浮かべているようだった。たまかはその顔を強張らせた。

「その方達は……全員行方が分からなくなっているのですか?」

「もしくは死体として挙がっているか、だね。偶然だろうけど」

 ……もしかするとその者達は全員、『グリーン』に情報提供をした後消されたのではないか。そんな考えが一瞬だけ過り、たまかの背筋に悪寒が走った。

「……その方達についての情報はありませんか? 『グリーン』と繋がっている証拠を追えるかもしれません」

「いや、残念ながらない……さっきも言ったように所持金については誰も把握してないし、生前『グリーン』に関わっていたって情報も全くない。AIとなった故人の方とよくいたからってだけで、疑うのは無理が……あ」

 そこで青空は、何かを思い出したように声をあげた。

「……そういえば……アキラ様とよく一緒にいた方、部屋を調べた時に酸素カプセルが置いてあってびっくりしたっけ……」

「……酸素カプセル?」

「そう、お高めの健康器具。どこかの空き家から拾ってきたのかなって思ってたけど、今思うとそれにしてはちょっと綺麗過ぎた気もする。……まさか……」

 青ざめる青空の顔を窺いながらも、たまかははっきりと頷いてみせた。

「大金を手にしていたとみて良いでしょう。そして行方不明になったのなら、恐らく消されたかと」

「……」

「ですが、『グリーン』へ繋がる情報はゼロですか……向こうも用意周到ですね」

 ほぼ確実に故人の傍にいた人から情報を得ているはずだが、如何せん証拠が見つからない。これだけ多くの人にコンタクトを取っていながら繋がりを感づかせなかったのならば、かなり上手く事を運んでいたということになる。

「ちなみに故人の方と親しかった方が姿を消すようになったのは、誰からとか、いつ頃からとかってわかりますか?」

「え? うーん、行方不明者自体は昔から普通にいるからな……」

「では、死体が発見された方に限定しましょう。故人の近くにいた方々の死体を発見することが重なるように感じた時などはありませんでしたか」

 青空は困ったように眉を寄せて、視線を泳がせた。記憶を掘り起こすような間を挟み、彼女は慎重に口を開いた。

「そうだな……あいつを含めていいなら……あいつからかもしれないな」

「あいつ?」

「……カイだよ。お前も知ってるでしょ。財団のスパイ、元祖裏切り者」

 思いがけない名前に、たまかは目を丸くした。『ブルー』に入り込んでいた財団のスパイ、音無(オトナシ)灰。たまかの殺害を目論む財団の指示でたまかを殺そうとし、そして鍵となった猫海を守り切った少女。粛清対象のはずの『ブルー』を気に入って水面を心から尊敬し、最終的に財団を裏切ったことによって死体となってしまった人物。

「……」

「カイはAIとなった方々にも積極的に近づいてたんだ。スパイだったから、今思えば情報を得ようとしていただけなんだろうけど。特定の誰かと親しかったわけじゃあないけど、AIとなった方々、それと縹様の情報は結構持ってた方だと思う。……それにあいつ、死体となって発見されたでしょ?」

 確かにそう聞いている。『不可侵の医師団』で怪我の治療を終えたあと、退院と同時に彼女の行方は分からなくなり、その後死体で発見された。彼女は財団を裏切っていたため、いつ消されてもおかしくない境遇にいた。証拠は出なかったものの、十中八九財団に殺されたのだろうと、誰もがそう思っていた。

「……まさか灰さん、『グリーン』に殺されて……?」

 たまかの呟きが、廊下に小さく消えていく。青空は唇を嘗め、視線を逸らした。

「……どうだろうね。財団も充分殺す理由があるし、少なくとも縹様は財団が殺したと思ってるみたいだった。財団に乗り込もうとした私達を縹様は止めたから、『ブルー』から財団に問い詰めるようなことはしてない。……一応条件には合うけど、正直財団に殺されたって方がしっくりくると思う。少なくとも大金は流れてないはずだしね」

 たまかは椛の言葉を思い出していた。初めの頃の方が警戒が薄く、ノウハウが少なかったはずだと彼女は言っていた。もし灰が『グリーン』への情報提供者であり最初に殺された人物であるとすれば、彼女の死には『グリーン』が見落とした痕跡が何か残っているかもしれない。

「……」

(ですが、灰さんはスパイだったとはいえきちんと水面さんへの忠誠心がありましたから、『グリーン』へ『ブルー』の情報を渡すとは思えないのですよね……。悪用されるとは限らないとはいえ、スパイですから情報の取り扱いには人一倍慎重だったはずです。……情報提供者が自ら提供したと思っていましたが、意思に反して喋らされた可能性もあるのでしょうか……)

 たまかは考え込んでいた顔をあげた。

「灰さんから……『グリーン』の手掛かりを追ってみましょう」

 青空の言う通り、財団に殺されたと考えた方が自然ではある。しかし限られた情報に縋っていくしか、今のたまか達に道はない。ならば細い道筋でも、可能性を追うべきだ。

「……だけど『ブルー』は灰の死体に関与してないよ。わかることなんて何もない」

「大丈夫です、そこは別を当たってみます。それより青空さんには、先程の『グリーン』で目撃情報があったという方々のお話を教えていただきたいです」

「アオバとミウの話? いいけど、そんなの訊いてどうするの?」

「他に目撃者がいないか探してみます」

「わかった。……それなら後で写真を見せるよ。外見がわかれば探しやすいでしょ」

「ありがとうございます。……他にもいくつかおききしたいことがあります」

 たまかは水面の死体が発見された部屋へと顔を向けた。

「まず、水面さんの死体を発見した時の状況です」

「……状況って?」

 訝しむ青空の前で、たまかは部屋へと足を進めた。開け放たれた扉の前で立ち止まり、青空を振り返る。

「『ブルー』側の行動がわからず、水面さんの死亡時の状況が確定しないことが多かったんです。ですので、一つ一つお伺いしたいと思います」

「ふーん……? よくわからないけど……発見した時のことを話せばいいの?」

「はい。お願いします」

 青空はその時を思い出すように視線を下げた。その顔は辛そうで、彼女の中で水面の死体を発見した時の記憶がいかに思い出したくないものなのかが透けて見えていた。

「えっと、まず……縹様の姿がずっと見えなくて、『ブルー』の皆で探してたんだ。車が一台消えていて、それを手掛かりにこの建物を見つけた奴がいた。それで仲間が乗り込んでみたら死体を発見したってんで、慌てて私達が駆け付けたの」

「……その第一発見者の方々は、現場には特に手を加えなかった認識で問題ないですか?」

「え、いや……死体には手を加えてないだろうけど、建物は勿論壊したよ。だってそうしないと入れないじゃん」

「……え?」

 二人は言葉を失い暫し見つめ合った。

「……そんなに驚くところじゃなくない?」

「待ってください、第一発見者の方々が建物のドアを破壊して侵入したってことですか?」

「……そうだよ。そこのセキュリティを壊したのも、たぶんそいつら」

 青空は横の電子ロックの機械を指差した。たまかはその返答に、驚愕を貼り付けて固まっていた。

「で、では……第一発見者の方々が突入するまで、自動ドアもセキュリティロックも壊されていなかったってことですか?」

「そうなるね」

「……おかしいです。水面さんは機械を壊しに来たのですから、『グリーン』への許可のない不法侵入だったはずです。なのにドアもセキュリティロックも壊すことなくここに入ったのですか?」

 たまかが部屋を振り返るのを、青空も目で追った。開け放たれた扉、そして壊されたセキュリティロックの小型機械。

(水面さんが壊したのだとばかり思っていました。『ブルー』の方が壊したとなると……そもそも一人だったという前提が間違っていたのでしょうか)

 たまかはその顔に焦りを滲ませた。

「となると……建物の所有者である『グリーン』の誰かが一緒だった可能性があります。もしくは事前に開けてもらっていたということでしょうか」

「縹様は機械を壊しに来たのに?」

「……」

 たまかは返答に窮して口を閉じた。確かにそうだ。『グリーン』に害をなそうとしていた彼女を、『グリーン』が歓迎するとは思えない。水面は嘘が苦手なため、騙したとも考えにくい。

「よくわかりませんね……」

 見つからない答えを探すことを一旦諦め、たまかは部屋へと背を向けた。

「……青空さんは、水面さんが機械を壊した理由に心当たりはありませんか」

 代わりに、たまかは今回の件での最大の謎を青空へと尋ねてみた。青空は暗い顔で首を横へと振った。サイドテールが元気なく揺れる。

「ううん、全然。縹様はAIに肯定的だったし、『グリーン』にも好意的だった。だから壊すような理由は何も。世間の奴らは縹様が気まぐれで暴れて壊したって決めつけてるけど、『ブルー』からすれば『『グリーン』にこれから殺される』ってメッセージだったとしか考えられないよ。……壊したのがミナミだったら、わかるんだけど……」

「……水波さん?」

「……いや。……なんでもない、忘れて」

 彼女はふいと顔を逸らした。それ以上は答えてくれそうになかったため、たまかは話を戻すことにした。

「水面さんがドアやセキュリティを壊さずに中に入れているということは、『グリーン』が彼女の侵入に関わっていた可能性があります。もし『グリーン』の方と一緒にいたとすれば……その人が水面さんを殺した、ということになります」

 水面の死を究明する、大きな手掛かりとなりそうだ。そして『グリーン』の関与を決定的なものにする情報でもある。

「ただ、わからないことも多いです。水面さんが機械を破壊する目的で来たのならば、それを『グリーン』がアシストするのは青空さんの言う通り不自然です。目的を隠して案内させたのだとしても、そこまでして水面さんが機械を壊す理由が依然として見えてきません。死に際のメッセージだとしても……」

「……『グリーン』の奴に縹様を殺せるわけがない」

「……はい。水面さんは『ブルー』でも最強クラスに強かったのに対し、『グリーン』の方々は抗争慣れしていない集団です。例え『グリーン』の方と一緒にいたとしても、水面さんが殺される結果になるとは思えません。水面さんが体の自由を失っていた、とかならばまだわかりますが……」

 そこで言葉の先を止め、たまかは青空の顔を遠慮がちに窺った。

「発見時の死体の状態をお伺いしてもいいでしょうか。お辛いと思いますが……」

 彼女は少し顔色を悪くしながらも、問いに答えた。

「……縛られていた痕跡はなかったよ」

 死体の口元を見る限り、薬物を使用された痕跡もないようだった。死に顔から見ても、死に際には意識があったと見るのが妥当だろう。手足も自由だったと考えると、彼女は『グリーン』に襲われても抵抗出来たはずだ。

「……水面さんは、手に何か持っていたりしましたか」

「何も持ってなかった。お前も見てなかった?」

「いえ、水波さんで隠れてしまってよく見えなかったので……」

「ああ、なるほど」

 青空は納得したようにそう言った後、水面の死体が横たわっていた場所をじっと見つめた。

「殴られたりした痕跡もなかったし、銃創もなかった。絞められた感じはあったけど、首には跡がなくて綺麗だったから絞死や縊死でもない」

 青空には専門知識は全くないであろうが、『ブルー』は死体を見る機会も多いため、ある程度死因の推測は立てられていたようだ。

「他には……えっと、足に火傷があったかな」

「それは私も少し見えました。……火傷は足以外にはありませんでしたか?」

「うん、足だけ」

 これは死因を特定する上で重要な情報だ。たまかは真剣な顔で頷いてみせた。青空の顔色がどんどんと悪くなっているのを見て、たまかは死体の話題を切り上げることにした。

「では、第一発見者の方が水面さんの死体を発見した後、そして青空さん達が駆け付けたあと、現場に何か落ちているものはありましたか? また、何か持ち出したりはしましたか?」

「……何も。誰も持ち出したりなんかしてないよ」

「……なるほど」

 つまりたまかと桜が訪れた時の部屋の様相は、水面の死体発見時とほぼ変わらなかったということだ。

(大分……情報が確定してきました)

 やはり死体の発見者である『ブルー』側の情報は必要不可欠だった。たまかは部屋を見渡していた視線を止めると、青空を振り返った。

「ありがとうございます。この部屋の状況は、今ので大体わかりました」

「縹様が何で死んだか、わかった?」

「……いえ、これだけでは確定は難しいですが……」

 青空は目に見えて肩を落とした。

「ですが重要な証言ばかりでした。引き続き『レッド』は水面さんの死の真相を追い続けます。まだまだ情報を集めなくてはなりません」

 たまかは気丈にそう宣言した。挫けることなく前を向くたまかを見て、青空も消沈していた顔を少し晴らしたようだった。

「……青空さん。最後に訊きたいことがあるのですが、よろしいですか」

「何?」

「生前の水面さんについてです。『家族』から見て……何か変わったところはありませんでしたか」

 青空はその言葉に、静かに顔を下げた。思い当たることを探すように視線が動き、その表情が一瞬、泣きそうな程歪んだ。

「……今思えば、変わったところばっかりだったのかもしれない。ミナミの、言う通りだった……」

(……?)

 後悔に溺れた声が、俯いた下から嘆くように漏れていった。彼女はそのまま言葉を失ったように黙ってしまったため、たまかから探るように問いを投げる。

「……水面さんは生前抗争に参加しなくなっていたようでしたが、理由は知っていますか?」

「……知らない。たぶん、AIの方々だけで戦力は充分だって判断したんだと思う」

 青空の拳が握られる。

「でも縹様は戦いがお好きだったから、それならより多くの組織を潰そうと動いていたはずなんだ。他人任せにして喧嘩を放り出すなんて、今考えれば縹様らしくない。あの時はその時間をトレーニングに充てたりしているのかと思ってたんだけど……トレーニングルームで縹様を見かけたことはなかった」

「どこかに出かけていたとかですかね……?」

「いや、たぶん……部屋に戻ってたんじゃないかな」

(部屋に……?)

 たまかはその言葉に引っかかりを感じて思考の海に潜ろうとしたが、しかし青空の表情が変わったのを見て、そちらに意識が引っ張られてしまった。

「あのさ。関係あるのかあんまりわかんないけど……」

 険しい顔をした青空は、そう切り出してじっとたまかを見下ろした。

「実は……」

 そこで青空は一度躊躇って口を閉じた。一瞬言って良いのか悩んだようだが、彼女はすぐに言葉の続きを再開させた。

「縹様が死ぬ前、どこかに大金を流してたみたいなんだよね」

「……えっ?」

「五千万。どこに流したのか帳簿担当の奴は知らされていないみたいで、記録は空欄になってた。ただ……どうもミナミは知ってるみたい」

「……水波さんが?」

 青空は小さく頷いた。

「でもきいても答えない。私……その大金を流した相手が、『グリーン』じゃないかと思ってたんだ」

 青空の言葉に、たまかは目を白黒させた。

「ミナミがあんな顔をするような相手、それから縹様が大金を流す程に目を掛ける相手。たぶん『グリーン』だろうなって。確証があるわけじゃないけど、もし『グリーン』に五千万を流していたのだとすれば……『グリーン』と縹様の間に、何かあったのかも」

「……」

 五千万となれば、かなりの大金だ。水面が生前、それを『グリーン』へ流していたのだとすれば。

(『グリーン』は大金が目当てで水面さんに近づいて、用済みとなったから消したのでしょうか。……それでも水面さんがそう簡単に殺されるとは思えませんけど……『グリーン』もそれはわかっていたはずです)

 となると、単純にAIへの未来投資や貢献を称えての礼だった可能性もある。

「……水面さんの心中がわからないと、その大金もどのような意図で渡したのかがわかりませんね……」

「そうだね。でも縹様がAIを家族として見て気に入っていたのは、たぶん心からそう思ってたよ。それは傍で見てたからわかる」

 青空は遠い目をしてそう言った。

「だからどっちかって言うと、好意的な出資の可能性の方が高いかな」

「ですが大金を流した直後、機械を壊しに行ったということですよね……。……水面さんの行動が読めません」

「そうだね。よくわかんない。朱宮のAIを皆に秘密にしていたのも含めて……縹様は普段、皆に秘密を持つような人じゃないんだ」

 それはたまかもよく知っている。たまかは困惑を滲ませ、眉尻を下げた。

(わからないことだらけです)

 包んだ自身の両手を見下ろす。

(ですが……)

 一つだけ、たまかにも分かることがあった。

(水面さんにとって、林檎さんのAIが傍にいたとすれば……)

 きっと手放せるわけがないのだ。彼女にとっては、どんなに話したくとももう二度と会う事の出来ない、大切で仕方のない旧友だったのだから。

(……皆さんに秘密にしてまでも匿うのは、わかる気がします……)

 もし本当に『ブルー』に林檎のAIがいたとしたら、水面はそれを喜ぶだろう。傍にいたいと思うだろう。ずっとずっと一緒にいたいと……そう願ってしまうに違いない。

「……」

(林檎さんのAIは水面さんの部屋にいた、と水波さんは主張しているんでしたね)

 水面は最近抗争に参加することがめっきりと減っていた。その間、彼女は部屋に戻っていたかもしれないと青空は推測している。

(……まさか……)

 もし部屋に林檎のAIがいたとすれば、水面は少しでも彼女と一緒に過ごしたいと思うのではないだろうか。死んでしまって仲直りも果たせず、伝えたいことも何も伝えられなかった相手が、部屋で待っているのだとすれば。……それは大好きな喧嘩を差し置いてでも、水面にとって大切にしたい時間となるのではないだろうか。

 今まで、水波の主張を裏付ける根拠は何も見つけられなかった。『ブルー』にも死体発見現場にも林檎のいた痕跡はなく、水波以外の目撃情報も一向に出て来ることはなかった。しかし、水面の生前の行動や変化は、彼女の主張が正しければ全て説明がつくのではないだろうか。

(五千万という大金も、林檎さんと過ごせるようになった謝礼だと考えれば違和感はないかもしれません)

 好意的な出資ならば、大切な人と過ごせるようになった見返りとしてそれくらいは提示してもおかしくはない。そこまで考えてから、たまかは眉を顰めた。

(ですがそうなると、やはり突然機械を壊した行動が解せないのですよね。それだけはどうしても、辻褄が合いません)

 『ブルー』の考えている通り、『グリーン』に殺されるという死に際のメッセージだったのだろうか。しかし『グリーン』の者と対峙して、水面が負けるようなことがあるだろうか。彼女は自分の実力に自信を持っていたし、メッセージを残すくらいならば先に敵を殺そうと動くのではないか。

「……」

「たまか」

 名を呼ぶ声が廊下に響き、思考の海を離れてたまかは顔をあげた。そこには真剣な色をした瞳が二つ、真っ直ぐとたまかを見つめていた。

「ミナミがずっと言ってたんだ。縹様はAIのせいで変わってしまった、って」

 抗争現場に率先して来なくなった。次々と消えていく『ブルー』の少女達に、彼女は違和感を覚えていなかった。

「もっと縹様に強く言って、AIや『グリーン』を遠ざけていれば……って、ミナミは後悔してた。たとえ嫌われても、『ブルー』を追い出されても、しつこく言うべきだったって。……そうしていたら、縹様が死ぬことはなかったのかもしれない」

 しかしそれは、結果論だ。

「でもそれってさ、別にミナミが力不足だったわけでも、悪いわけでもないと思うんだ。縹様だって何も悪くない……あの方はAI皆に対して家族のように接していただけだ。あの方は今までだって、『ブルー』の家族全員にそうしてきた。それをAIにも同じ様にしていただけなんだ。それなのに……こうして、『ブルー』はバラバラになっちゃった」

 『ブルー』はいつの間にか変わってしまった。AIに依存し、トップを失い、今や手の付けられない獰猛な獣と化している。

「皆、家族のことを想って行動していただけだと思うの。誰も悪くなんかない……」

 水面は殺され、水波は正気を失い始めている。青空はそれをなんかしようと必死に一人で頑張ってきたが、敵討ちは遠のいたままだ。在りし日の面影は最早ない。

「……私、間違ってるのかな?」

 どうすれば良かったのか。今、どうすればいいのか。彼女は自問自答を繰り返してきたのだろう。たまかは彼女の心の奥底に触れたような気がした。まるで広漠とした砂漠の中、何かを探してあてどなく彷徨っているかのような呟きだった。

「いいえ、私は間違っているとは思いません」

 凛とした声がはっきりと廊下に響く。誰も責めることをしない仲間思いな彼女を瞳に映しながら。これはたまかの本心だった。

「『ブルー』の……貴方達の繋がりや絆は、決して悪いものでも無意味なものでもありません。敵がそれを悪用したというだけで、悪いのは全てそれを計画した人達です。こうして青空さんが私に情報を提供してくれたのは、青空さんが水面さんや水波さんのことを想って必死に行動し続けていたからこそです。青空さん達の強い繋がりが、私達を繋げたのです」

 彼女達『ブルー』の強い絆、そして青空とたまかが積み上げてきた友情とは呼べない何か、全てが絡み合って青空は今たまかの前に立っている。その選択を、無駄にはしたくない。たまかは励ますように笑みを浮かべた。

「頂いた情報も含めて……水面さんの死の真相を突き止めてみせます。水面さんの真の仇を見つけ出し、水波さんが安息を取り戻せるように」

 そして二人を想う、目の前の少女の努力が報われるように。青空はその言葉に、こくんと深く頷いた。暗闇を彷徨うような表情に、一筋の光が灯った気がした。




 『レッド』に帰ってきたたまかは、メンバーから任務や調査の結果報告を受けていた。『ブルー』や『ラビット』との抗争の報告や、新たに壊滅させられたいくつもの組織の名前、激動の情勢に乗じて動く怪しい組織の動向などの確認。それらを終えた後、たまかは桜と灯、茜とともに椛の部屋へと移動した。AIの目から離れ、いよいよ『グリーン』周りやAIの情報提供者関連の話に入る。

「大金を手にした疑いのある奴は、例外なく全員死んでいるみたいだ。生前を追跡しようにも、スマホやタブレットなんかのデータは空、メールや着信履歴も全部消えてた。防犯カメラの映像から辿ろうとしても、各組織のも街中のも悉く映像が消えてる。『グリーン』と決まったわけじゃないけど、取引相手はデジタル方面に強いっぽいね」

 成果が得られなかったことを悔しそうにしながら、茜が報告する。それに続いて、隣に並んだ灯が口を開いた。

「他の組織でも、各組織の故人をよく知る人達が行方不明や死体となって見つかっているわ。その中で大金を手にした疑いのある人達の名前をリストアップしたの。これよ」

 灯はたまかへ一枚の紙を差し出した。書面には『ブルー』や『ラビット』、それにいくつかの組織に所属していたらしい人物名がびっちりと並んでいた。

「『グリーン』に情報を提供したであろう人物までは突き止められても、そこから『グリーン』との接触を示す証拠は一切見つかっていない状況です。『グリーン』への手掛かりは、ほぼほぼ途絶えてしまっています」

 桜が無念さを滲ませて状況を説明する。たまかは受け取った紙を一瞥し、笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。『グリーン』へ情報提供をした疑いのある方々をこれだけ突き止めるなんて……流石は『レッド』です」

「……言っている場合じゃないですよ。大金を流して殺した相手が『グリーン』だと、このままでは証明は不可能です。というより、これだけ証拠が見つからないとなると、相手が違う可能性も出てきました」

「……『グリーン』と情報提供者の間に、別の組織が入って取り持っていると?」

「もしくは、『グリーン』への情報提供など最初からなかったという線です」

 大金をちらつかせた別組織からの引き抜き、甘い言葉で騙して臓器を持っていく詐欺、そのようなものは今の時代横行していて日常茶飯事である。今回たまか達が追っている少女達についても、それらの一部に過ぎないのではないかと言っているらしい。

「……でも、『グリーン』のお金が動いているのは確かだわ」

 たまかと桜の応酬に、灯の硬い声が割り込んだ。彼女は思いつめたような顔で、拳を握りしめていた。

「その先がどこかまでは、何重にもセキュリティが掛けられていて突破出来なかったけど……あれだけの大金があれだけの頻度で動くのは、やっぱりおかしいわ。『グリーン』は頻繁に他の組織と関わるような組織じゃないもの。……絶対に情報提供の見返りに差し出していたはずなんだわ」

 いつもは穏やかな微笑みを浮かべている彼女の顔は、今は焦燥感に満ちていた。

「梅ちゃんの情報も……全部お金で買われていたはず。うち、梅ちゃんの情報を提供した子には見当がついているの」

 リストアップされた中の名前に、よく梅の近くにいた人物が含まれていたのかもしれない。

「彼女のスマホのデータはほとんどが消えていて、彼女の行動範囲の監視カメラにも映像は残っていなかった。彼女と隊が同じだった子達に訊いても、それらしい情報は得られなかったわ。彼女が死ぬ直前に訪れていた本屋にも行ってみたけど、数十万の書物を一括払いで購入したくらいしかわからなかった。彼女の私物にも、身元不明の指紋は何も残っていなかった。『グリーン』の建物近くの監視カメラも確認したけど、彼女の姿は映ってなかったわ。……それでも、様々な証言と監視カメラに残っていた映像を繋げると、彼女が『レッド』を抜けてどこかへ行っていた時間がある。でもその時間、街中の監視カメラからは姿が消えていて、どこにも映っていないの。……その時間の誰かの目撃証言さえあれば……『グリーン』の人と会っていたことを追えるかもしれないわ」

 灯は顔をあげ、自身の長を見つめた。

「まだまだ全然途切れてなんかないわ。うちは諦めてなんてない。絶対に目撃情報を見つけてみせるから……少し待って欲しいの」

 確固たる意思が裏打ちされた、強い眼差し。たまかが答える前に、見かねたように茜の横槍が入った。

「梅のことがあるからって、感情的になっても意味ないよ。リターンが余り見込めないことにリソースをつぎ込むより、その線はすっぱり切ってより可能性が高い別の道を探すべきだ。ある程度追って駄目だったんだから、情報提供者とは別の角度から『グリーン』を追った方がいい」

「……」

 灯の顔が、悲しそうに伏せられる。それを見て、茜は気遣うように声色を和らげた。

「……そりゃ、情報提供者から辿れれば一番話は早いけどさ。それに梅そっくりに商品を作って政治に悪用された、あんたの怒りもわかるよ。これでも私だって、朱宮さまを軽んじられたことに怒ってるからね。でもそういう時こそ落ち着いて、『レッド』の合理性と頭脳を駆使しなくちゃ。感情のまま冷静さを失ってちゃ、『ブルー』と同じだ。よく考えるんだ、『グリーン』とAIの謎を追う最適解が何かを」

 諭すような言葉に、灯は項垂れたままだった顔をあげた。その表情は、まだ強い意思を宿したままだ。

「茜ちゃんの言うこともわかるわ。でもうちも、冷静さを失っているわけではないの。これが『最適解』でないことも、勿論わかってる。それでも、せっかく『グリーン』に接触した可能性が高い人物を特定しているのだから、細い道筋だとしてもこの線を追い続ける者も必要よ。本命以外を拾い上げる役割、それをうちに任せて欲しいの。梅ちゃんの周りにいた子は、梅ちゃんとよくいたうちも話す機会が多かった。だから彼女の行動範囲とか、どういう思考をするかとか……例えば密会をするならどこを選ぶかとか、うちには全部わかる。そのアドバンテージを活かすべきよ。怪しい場所の近くで、片っ端から聞き込みをしてみるわ」

「大分時間が経ってるし、目撃情報なんてほぼ見込みはゼロだと思うけど。現に今の時点で何一つ手掛かりは見つかってない。……結局は本命を追うリソースから一人弾いてまで追う価値を見出せるかってとこかな。どう思う?」

 茜は黙って成り行きを見守っていた桜と椛へと視線を向けた。問うような視線に、桜が口を開く。

「……一人くらいならそちらへの人員の捻出はありだと思います。『グリーン』と接触した可能性の高い者を特定出来ていて、その者の行動もある程度予測できることは、灯の言う通りにこちらのアドバンテージです。コストを割く価値に見合うかと。……ただ、リターンを期待するべきではないと思います。茜の言う通り、本命は別として割り切って考えるべきでしょう」

 桜はそう意見を述べた後、ベッドに横たわる少女へと顔を向けた。椛は包帯の巻かれていない片目をパチパチと瞬いた。

「まあ、いいんじゃない?」

「……話聞いてました?」

「だって決めるのはたまかさんでしょ」

 椛の言葉に、全員の視線がたまかへと集まる。

「たまかさんの返事は決まってると思うなあ」

 椛は痣の残る口元をにいと歪めた。たまかはその言葉に、既に意思を固めているように頷いてみせた。

「はい。……灯さん、ぜひそちらは任せてもいいですか」

「! ……勿論です。絶対、『グリーン』に繋がる情報を入手してみせるわ」

 灯は顔を晴らし、やる気充分といったように意気込んだ。茜と桜は顔を見合わせたが、二人とも何も言わなかった。リスク、メリット、デメリット、全てを考えた上で……たまかや灯の選択に異を唱えず、従うことを選んだのだろう。

「……それで……縹の死の真相を解明して、『グリーン』の行いとAIの謎を暴いて……梅ちゃんとはお別れしないとね」

 声色が落ちた灯の言葉に、たまかは改めて気付かされた。水面の死の究明、そして『グリーン』とAIの謎を追うことは……AI達との敵対を意味する。つまりこの任務は、灯の大切な先輩、梅との別れを早めることになる。

「梅さんと離れ離れになることが、辛くはありませんか」

 灯が任務で情報を得れば、『グリーン』と『レッド』の仲を決定的に裂くことになるだろう。灯が結果を出せば、それは梅と別れる鍵となってしまう。彼女はそれをわかった上で、任務に全力を尽くすことが出来るだろうか。しかし灯は、静かに首を横へと振った。

「別れが辛くないと言ったら嘘になるけれど……傍にいて幸せに感じてしまうなら、やっぱりこんな形は間違っていると思うの。同じ姿、同じ声、同じ言葉、同じ思考……一緒にいるとまるで梅ちゃんがいるように錯覚してしまうけれど、だからこそそう思ってしまうのは梅ちゃんに対する冒涜だわ。一緒に過ごすようになって、それが身に染みてわかったの。梅ちゃんが死んだという現実を受け入れて、遺された者達は前を向いていかないといけないって。だから……一つ限りの命が消えた、正しい状態へ戻さなきゃ。それが死んだ者に対する誠意であり、遺された者の義務なのよ。きっと」

 灯は寂し気に微笑んだ。表情を見るに、彼女の脳裏には生前の梅の姿が蘇っているのだろう。……彼女の覚悟は決まっている。梅との別れを決定的なものにする任務を彼女に任せるのは、酷でもあるのだろう。しかし彼女がその役目を自分に任せて欲しいと言うのなら、たまかはその意を汲み取るだけだ。灯はきっと、任務に手を抜いたりはしない。彼女の顔を見れば、たまかにもそれが伝わってきた。

「……じゃあ、情報提供者から『グリーン』を追うのは灯に任せるとして。問題はそれとは別の切り口をどう見つけるかってところだね。本命となるような『グリーン』へ繋がる手掛かり……何かあるか?」

 茜がそう切り出し、難しい顔で視線を落とす。たまかはベッドに近寄りながら、秘密会議を中断させた。

「待ってください。……椛さん、もしかして体調が優れませんか?」

 ずっと黙っていたのに加え、少し顔色が悪い。たまかが点滴やモニターの表示の確認を始めると、椛は苦い顔を浮かべた。

「……なんでわかるの。流石は『不可侵の医師団』……ちょっと痛み止め、増やしてもらっていいかな」

「たまかさんでなくともわかってましたよ。……早く治りたいのなら無理は禁物です」

 桜が窘めるようにそう零した。椛は力無く笑みを返す。

「医療用麻薬を強くしました。意識がぼんやりしてきたり、嘔吐の可能性があります。しばらく付き添いますので、何かあれば仰ってください」

「ありがとう。……けど付き添いは大丈夫。それより話を戻そうか。ええと……別の切り口、だっけ」

 椛はまだ顔色が優れなかったが、そう言ってすぐに話を元に戻した。茜が険しい顔のまま頷く。

「だけど今のところ浮かばないな。『ブルー』に意図的に情報を流したならその線を辿りたいけど、『ブルー』の内部を調べるのは今の状況じゃかなりリスクだからな……」

「それでしたら……一つ調べて欲しいことがあるのですが、いいですか」

 たまかの言葉に、場の視線がたまかへと集まる。

「灰さんの死について調べて欲しいのです。財団のスパイで死体となって発見された、音無灰さんです。……もしかすると彼女を殺したのは財団ではなく、『グリーン』だったのかもしれません」

「……と、言いますと?」

「彼女も『グリーン』への情報提供者だった可能性があります。大金を手にした痕跡はなく、また彼女は自分から『ブルー』の情報を話すような人ではありませんでしたが……『ブルー』の情報を多く手にしていて、被疑者不詳の死体として発見されたという点から見れば条件を満たしています」

 灯は目を丸くし、茜は訝し気な顔をし、桜は精査するように考え込み、椛は霧が晴れたように顔を明るくした。四人の反応は様々だったが、出口の見えなかったところに新たな風が吹き込んだことは間違いなかった。

「なるほど、灰ならAIになった人達の情報もかなり持っていたと思う」

 心なしか少し顔色が戻ったように見える椛が、たまかの話へ同意するように声をあげた。『ブルー』の関わる話となれば、彼女はこの場の誰よりも詳しい。

「もし灰が情報提供者の一人だったとすれば、灰の死体は『ブルー』管轄じゃなかったし、他よりは辿りやすいかもしれない。ちなみに灰が『グリーン』に殺されたかもしれない根拠は、他にもあるんだよね?」

「青空さんに尋ねてみたところ、情報提供者疑惑の方々が死体となって発見されるようになったのは、丁度彼女の死体が見つかった頃からのようなのです。つまり灰さんは、最初に消された情報提供者だった可能性があります。彼女の死が皮切りだったとすれば、灰さんの殺害が上手くいったからこそ、『グリーン』は口封じを始めたと考える事も出来るのではないでしょうか。それに財団は裏切り者を始末したことを公言していませんし、財団が殺した証拠は未だに出てきていません。財団以外の組織が介入する余地はあったと思います」

 誰しもが灰を殺したのは財団であると信じて疑っていなかった。だからこそ、灰の死はあまり触れられることなく世間から忘れ去られていったのだ。

「彼女は立場的に『ブルー』の人間の情報を多く掴んでいましたが、財団からも『ブルー』からも厄介者扱いされている状況でしたから、外部の者が接触しやすい人物でもあったでしょう。『ブルー』のように体術に長けているわけでもありませんから、比較的抵抗されにくい人物でもあったと思います」

 部屋の者達は黙ってたまかの説に耳を傾けていた。その顔はどれも頭の中でいろいろと考え込んでいるようだった。顔付きを鋭くして、桜が口を開く。

「……まだなんとも言えませんが、調べてみる価値はありそうですね。少なくとも音無灰がどこの組織に殺されたのかまでは追うべきでしょう。死体があがった時に一度調べましたが、結局犯人に繋がる証拠が残っておらず追跡出来なかったのですよね……」

 『レッド』の情報収集能力を以ってしても追跡出来なかったということは、ほぼほぼ犯人の特定は不可能だということになる。桜の話を聞いた茜が、意を決したように名乗りを上げた。

「……私が財団に忍び込んでくるよ」

「……え?」

「可能な限り音無灰について内部から探ってくる。外部からは一度調べてるんだ、新たな情報が得られる見込みは薄い」

 潜入は大きな危険を伴う。体のほとんどが使い物にならなくなってしまった元潜入員が目の前にいるというのに、彼女は全てを覚悟した上でそう口にしたらしかった。早い判断に待ったをかけるように、たまかは慌てて両手を振った。

「だ、大丈夫です。実は私も、財団の手によって殺されたのかどうか、調べる算段があるんです」

「……へえ?」

 茜は驚いたように目を見開いた。抗争に疎いたまかから飛び出した発言にしては意外だったのだろう。

「ですから茜さんには、『グリーン』の方に灰さんと接触した痕跡が残っていないかを調べて頂きたいです。もう『グリーン』周りは調べ尽くしているかと思いますが……灰さんの死体が発見された時期を重点的に、『グリーン』が財団を意識していなかったか、そして灰さんについて何か情報を持っていなかったかを探ってみてください。かなり限定的に絞ることになりますから、今までは見えなかったものが何か見えてくるかもしれません」

「わかったよ。やれるだけやってみる」

 茜はそう言って任務を請け負った。いつも通りに見えるが、その語気は普段より強いように感じた。先程自分で言っていたように、尊敬する相手を軽んじて利用されたことに対して彼女も思う所があるのだろう。

「……『レッド』の情報提供者から辿るのは灯、音無灰から辿るのはたまかさんと茜に任せるとして、問題は『グリーン』の用意周到さですね。粗方調べ尽くしましたが、巧妙に証拠を隠滅しているらしく全くボロが出ません」

 桜はそう言って、ため息を漏らした。ままならない現状へのもどかしさを隠せないまま、たまかへと顔を向けて報告をする。

「椛の言っていたという、『グリーン』が『ブルー』に敵意を持って攻撃しているという件ですが……探ってみましたが、そのような痕跡は見つかりませんでした。また縹と『グリーン』の怪し気な繋がりもなく、朱宮さまの『ブルー』周辺での目撃情報もいまだにありません。『グリーン』周りの監視カメラに縹が映ることはなく、同時に『ブルー』周りの監視カメラに朱宮さまの姿が映ることもありませんでした。直近の『グリーン』の動きも探っていますが、大金が動いてはいるものの、相変わらず他の組織との繋がりや取引は見受けられません。縹を殺したような動きもなく……逆にそろそろ『レッド』が嗅ぎ回っていると向こうに知られてしまいそうです」

 桜は苦い顔をした。『グリーン』はデジタル分野の専門家であり、『レッド』によるハッキングや監視カメラの操作も度重なれば見つかってしまう。裏から探るのはそろそろ限界だろう。たまかは桜の言葉に、その目を細めた。

「……わかりました。では、『グリーン』から直接訊き出す段階に入りましょう。私がしをりさんから話を聞いてみます」

 長同士なら『グリーン』も対話の要請を無視することは出来ないだろう。もとより『グリーン』は少数精鋭の小さな組織であり、一応今も『レッド』とはビジネスパートナーという体を保っているはずだ。たまかが望めば、きっと無下にすることは難しい。

「……承知しました。くれぐれもお気を付けて」

 桜は強張った表情で、たまかへと念を入れるように告げた。

「護衛はどうなさいますか?」

「あまり警戒されるのはよくありません。一人で向かおうと思います。『グリーン』へ向かうと大々的に発表しておけば、向こうも私を殺すことなど出来ないでしょう」

 その分『レッド』も世間へ向けて立場を明確にする必要が出てくるかもしれないが、この際仕方がない。彼女達の口から直接きくことは、水面の死の件を解明する上でいずれ必ず必要になるのだから。同じように考えたらしい桜もたまかへと頷きかけ、そしてそのまま動きを止めた。耳を欹てるようにして、小さく「……誰か来ます」と零す。その言葉に会話が止み、部屋の中はしんと静まり返った。やがて桜の言葉通り、扉をノックする音が部屋に響いた。五人の少女達は息を殺し、扉へと警戒する視線を向けていた。

「……はーい、開いてるよ」

 椛がベッドの上から返事をする。ゆっくりと扉が開いていき、奥から現れたのは紅色の髪を揺らす小柄な姿だった。

「お話中申し訳ございません。……たまかさん」

 林檎は扉の奥から真っ直ぐとたまかへと視線を向けた。ここにたまかがいると、彼女は最初からわかっていたようだった。

「桜卯がお忍びで『レッド』を訪ねてきて、丁度今帰っていったところです。……今ならまだ追いつけるかと」

「姫月さんが……!?」

 たまかは思わず身を乗り出した。予想もしなかった名前が飛び出て、息を呑む。前回の別れ方からして、彼女からたまかに近づくことはないと思っていた。

「『ラビット』のリーダーが、どうして『レッド』へ?」

 困惑する灯へ、林檎は扉から顔を覗かせたまま淡々と説明を始めた。

「桜卯は、わたしに会いに来たと言っていました。いろいろと訊かれましたが……たまかさんから攻撃を禁止されているとは言え、彼女は敵対組織の長です。情報を渡す訳にはいきませんから、質問には答えることなくお引き取りをお願いしたのです」

(林檎さんに、会いに……?)

 姫月はたまかと別れた後も、独自に水面の死について探っていたのだろう。その一環として、林檎のAIに何か訊きたいことが出来たのかもしれない。……あるいは、旧友のAIと直接話してみたいという思いが堪え切れなくなったのだろうか。たまかと縁を切ってしまえば、もう二度と林檎とは意思の疎通をする機会はないだろう。それならばと、たまかに内緒で林檎に接触したのかもしれない。

「なっ……、お怪我はありませんでしたか?」

 桜は慌てふためき、林檎へと半ば叫ぶように尋ねた。林檎は動じることなく、上品な笑みを返した。

「はい、彼女は武器を所持していないと判断したからこそ、姿を見せたので。それに……桜卯に遅れを取る程、腕が鈍った覚えはありませんから」

 彼女のヒップホルスターには、拳銃が収められている。林檎は生前、銃の扱いに長けていた。体格や腕力のハンデが響かない銃は、彼女にとって最良の武器だったのだろう。その技術を磨き、彼女は『レッド』でも随一の銃の名手だったと聞いている。

「ご無事で何よりです。それで……追いつける、とは?」

 桜は安堵するとともに、先程の林檎の言葉の真意を尋ねた。林檎の視線が、桜からたまかへと移る。

「たまかさんは、桜卯と会うことを望んでいるかと思いまして」

(……!)

 たまかは双眸に捉えられ、驚愕に固まった。何もかもを見透かすような瞳。たまかの考えていることなど、彼女には全てお見通しなのかもしれない。……同時に、水面や『グリーン』、AIの謎を暴こうと陰で動いていることも全て筒抜けなのではないかと、そんな不安が脳裏を過った。完璧な微笑みを作りながらも、どこか値踏みするような冷たさを孕んでいる眼差し。逃げられないと本能が察するような圧を感じてしまう。しかしそれを振り切り、たまかは声を張り上げた。たまかには今すぐに行かなければならない場所がある。

「あの、私……姫月さんを追い掛けてきます!」

 彼女に言いたい事が、沢山あるのだ。たまかはそう言い残すと、慌てて部屋を出て行った。あんな別れ方をしてしまった以上、『ラビット』に行っても会うことは出来ないかもしれない。だからこれは、彼女と話せる二度とないチャンスだ。

「……」

 廊下を走っていく背中を、林檎は微笑みを湛えながら見送っていた。

「……朱宮さま」

 部屋の中からの上擦った声に、林檎は部屋の中へと視線を戻した。ベッドの上の椛は、久方ぶりに自身の長の姿を瞳に映していた。

「お久しぶりです」

「椛、お久しぶりです。……『ブルー』での任務、お疲れ様でした」

 任務を命じた人と同じ声、同じ姿、同じ微笑みで労われる。椛は僅かに眉を寄せた。

「怪我の具合はどうですか」

「順調に回復しています。問題ありませんよ」

「……僥倖です」

 林檎は包帯だらけの椛の体を一瞥した。椛の強がりも含めて、彼女は実際の容態を正確に見抜いているようだった。

「実は椛が『ブルー』に諜報に赴いたことは、今のわたしは持っていない情報でした。……わたしは機械ですので」

「あ、ちゃんとAIって自認あるんですね」

「ええ。ですから、あなたに命じた任務について何も把握していない状態なの。ごめんなさい」

 林檎は眉を下げ、悲し気に微笑んでみせた。

「いえ、『ブルー』にスパイに行ったっていう、それが全てです。朱宮さまの把握が必要なことなんて、何もありませんよ」

 椛はそう言って包帯だらけの両手を振ろうとした。繋がったいくつものチューブに邪魔をされ、少し浮かしただけでシーツへと逆戻りする。

「……朱宮さま、ここにたまかさんがいると、よく把握されていましたね」

 椛と林檎の会話が途切れたところに、桜が遠慮がちに尋ねた。この部屋に集まる時は、いつもAI達に感付かれないように注意を払っている。桜の問いに、すぐに答えは返ってこなかった。林檎は支えていた扉をそっと閉めて中に入ると、部下達へといつもの完璧な微笑みを向けた。

「ええ。ここで『グリーン』やAIについて穿鑿し、謀議していたのでしょう?」

 部屋の空気が一気に変わった。冷え切った室内に、緊張が走る。桜、灯、茜、椛の顔が、瞬時に強張った。

「……本来ならば、わたしの言葉が終わらない内に引き金を引いていないといけませんよ」

 林檎は微笑みを浮かべたまま、窘めるようにそう言った。しかし、林檎に銃を向ける者は誰もいなかった。

「……」

 静けさが部屋を支配する。林檎の出方を慎重に窺う四人を前にして、林檎は彼女達の顔を悠然と見渡した。口元には、絶えることなく完璧な微笑みが貼り付いている。

「……もう少し慎重になるべきだわ。姿の見えなくなるタイミング、顔ぶれ、AIと生者間の線引き、情報の選別。そして治療が必要な椛という存在。治療をしに来るたまかさんは勿論、誰かが定期的に来ても不自然でない場所。これだけの情報が散らばっていれば、自ずと見えてきてしまうものよ」

 桜達は、AI達に悟られないよう常に慎重な行動を心掛けてきた。こうして五人以上で集まる頻度も限りなく少なくし、情報を共有するための接触にも最大限注意を払ってきた。しかしどんなに気を付けていても、彼女には意味を成していなかったらしい。

「わたしが把握しているということは、『グリーン』にも全て知られていると思って頂戴」

 林檎はその顔から笑みを消し、淡々とそう述べた。桜の顔が悔し気に歪む。

「あなた達がどこまで『グリーン』やAIの情報を掴んでいるかも、大体推測できるわ。……だからわかるでしょう、わたしが把握した情報は全て『グリーン』へ渡っているわ」

 AIに渡った情報は、『グリーン』にも筒抜けだ。それは椛の件で証明されている。

「……今後は『グリーン』への穿鑿はやめなさい。縹の件は事故ですし、この情報収集もAIの改善のためのものです。『グリーン』に後ろめたいところはありませんよ。逆にこのままですと、『レッド』が『グリーン』を潰そうと嗅ぎ回っているとあらぬ疑いを掛けられても仕方ありません」

「……」

「今ならまだ『グリーン』も寛容な心で許してくれるでしょう。今の内に手を引くことを勧めるわ。……もしくはもっと、上手く隠すことね」

 隠密行動に長けている『レッド』が慎重を期してなお見つかったのだ、これ以上上手く隠すことなど出来るわけがない。つまり、『レッド』には手を引くという選択肢しか残っていない。林檎の手がヒップホルスターへと伸ばされたのを見て、四人は息を呑んだ。彼女が相手を殺す気で銃を持てば、この部屋の者達は誰も敵わない。

「……弾は入っていないわ。だから桜卯の時も使えなかったのでしょう」

 林檎は誰にともなくそう呟いた。伸ばし掛けていた指が、呼応してピタリと止まる。しかし彼女の腰に見えている銃は、揺れ方からして弾が装填されているように見えた。

「……わたしに対処できることには、限りがある」

 林檎は視線を落として、静かにそう言った。

「用心して」

 林檎はそう言い残すと、最後に四人を見渡してから踵を返した。扉へと手を伸ばし、彼女は振り返ることなくその向こうへと消えていったのだった。





「姫月さんっ!」

 静かな街並みに、必死に名前を呼ぶ声が木霊した。息を切らして走り続け、たまかは漸く目的の背中を見つけたのだった。自身の名前が呼ばれたからか聞き慣れた声だったからか、黒白のフリルの塊はぴたりと足を止めた。たまかは速度を緩めていき、やがて彼女の後ろで純白の靴を止めた。靴音が止んでも、その小さな背中は動かないままだった。静寂の中、たまかの息を整える音だけが聞こえている。たまかの呼吸が落ち着いてきた頃、姫月はついにぎこちない動きで振り返った。

「……たまか」

 彼女は顔を曇らせて、目の前の少女の名前を小さく呼んだ。会いたくなかったというのがよくわかる表情だった。たまかは姫月の顔を見るのはなんだか久しぶりな気がした。マスカラの塗られたぱっちりとした睫毛、月と星のフェイスペイント、リップの塗られた艶やかな桃色の唇。その顔は以前見た時よりもさらに窶れているように見えた。生気のない顔を見て、たまかはもう一歩足を踏み出し、彼女へと近づいた。

「姫月さん」

 もう一度、名前を呼んだ。彼女に対する様々な感情が胸の中で混ざり合って、何と言えばいいのかわからなかった。今までになかったような分厚い壁が彼女との間を隔てているような気がして、たまかはさらに一歩、彼女へと近づいた。

「……林檎に接触したこと……バレたんだね」

 純白の靴が、ぴたりと止まった。姫月は後ろめたいのか、たまかと目を合わせるのが耐えられないように視線を逸らした。

「……」

 沈黙が支配する。彼女の背けた顔は、たまかにはどこか寂しそうに映った。

「……林檎さんに会ったことについては、何も思っていません」

 たまかは静かに言葉を掛けた。姫月の視線が、ぎこちなくたまかへと戻る。

「じゃあなんで……追いかけてきたの」

「……」

 たまかも姫月も、慎重に言葉を選ぶような間があった。

「それは……」

 たまかの言葉は尻すぼみとなり、一度口を閉じた。視線が荒れた路面を泳ぐ。しかし椛の言葉を思い起こし、たまかは顔をあげた。

「……弁慶の泣き所。蹴りに来ました」

「……え?」

 全く予想していなかった言葉だったようで、姫月はぽかんとしてたまかを見つめた。そんな姫月に向かって、たまかは意を決したように短く息を吸った。そして、胸の中の思いを彼女へとぶつける。

「私……姫月さんが『レッド』の方を傷つけるような選択をしたのが、すごく悲しかったんです」

 姫月は何も言わなかった。彼女もたまかの意に反することがわかっていながら椛の情報を売ったと言っていたため、予想出来た反応だったのだろう。

「姫月さんは『ラビット』の長として、当然の行動をしたのでしょう。敵対組織の人間を売るなんてどこもやっていることですし、それを予見出来ずに椛さんを守れなかったのは偏に私の力不足のせいです。姫月さんの行動を支持することは出来ませんが、この抗争社会において正しい行動であるとは理解しています。でも……」

 たまかはその顔をくしゃりと歪めた。

「私は……姫月さんのことを敵対組織の長ではなく、友達としてみてしまっていたから……裏切られたように感じ、すごくショックだったんです。姫月さんだけは誰かを傷つけるようなことなんてしないと、そう信じてしまっていました。……数少ない同じ立場の、友達として……」

 眉尻を下げた顔は、悲し気に伏せられた。だから俯いたたまかには、姫月がどんな顔をしているのか確認することは出来なかった。

「椛さんの件で、友達だと思っていたのが私だけだったのだと気が付きました。考えてみれば当たり前です……私達は敵同士なんですから。それでも今まで姫月さんと接してきて、私は姫月さんのことが人として好きになっていましたし、積み重ねてきた絆は信用に値するものだと信じていました。姫月さんは賞金首だった私を殺さず、私の意思を尊重してお父さんを殺さないでくれました。三者会談の度に、一緒に平和に向けて話し合い、笑いかけてくれていました。だからこそ大事な『レッド』の方を傷つけられて、抗争社会を生きる皆さんと姫月さんが同じなのだと知って、悲しくて、悔しくて、怒りが湧いたんです。全て……私が姫月さんのことを、友達として見ていたからこそなんです」

 たまかは力無く首を横に振った。

「……こんなことを言われても姫月さんが困るだけだと、頭では理解しています。私達は敵同士なのですから、思いを胸の中に抑え込んで姫月さんと敵対する道を選ぶのが正しい振舞いなのだろうとも。でも、椛さんに励ましてもらったんです。友達と思っていたのなら、ちゃんと友達として『喧嘩』をすればいい、って。だから胸中を、全て伝えようと思ったんです。私は姫月さんを友達として見てしまっていたから……今でも、友達として思ってしまっているから……。だって友達なら、そうしますよね?」

 姫月は、何も答えなかった。そのためたまかは、続けて口を開いた。

「私は、姫月さんを憎く思ったりはしていません。人を傷つけたことは許せないですけど、抗争社会の今、私が口を出せるような問題でもないと理解しています。……でも、友達として裏切られたことは悲しく思っていますし、怒ってもいます。水面さんのため、何が何でも情報を得たかったという姫月さんの気持ちもわかりますが……それでも」

 たまかは両手の拳を握り締めた。

「事前に私にも相談して欲しかったです。一人きりで立ち向かうのではなく、一緒に水面さんのために出来ることを考えて、他の道を見つけたかったです。……友達として。それをしてもらえなかったことも、私は悲しく思っています」

 俯いた下で、自嘲気味に笑みを零す。

「……友達と思っていたのは、私だけかもしれませんが……」

 本来ならば、姫月とたまかは敵対関係だ。そのため自分の方が正しくないということは、たまかにもわかっている。

「これが私の、正直な気持ちです。……姫月さんの気持ちも、聞かせてもらえませんか。『喧嘩』ならば、お互いの気持ちをぶつけるべきです」

 たまかは内心の恐怖を抑え込み、顔をあげて姫月を視界に映した。彼女はじっとたまかを見つめていた。蘇生騒動の件で流されるまま出会った時から、いつも彼女はたまかに優しく接してくれていた。ついこの間知り合ったばかりなのに、お互い顔を合わせることが多くてすっかり見慣れてしまった華やかな顔。曇りない目でじっと見つめながら、たまかは問い掛けた。

「私達は……友達ですか? それとも、敵ですか?」

 答えを聞くのが怖い気持ちもあった。友達ではないと、お前は敵なのだと言われたら、培ってきた彼女を大切に思う気持ちが邪魔をして、現実を受け入れられないのではないかと思った。目の前の少女の人となり、優しさ、それらをたまかは知っている。短いひとときを共に過ごしてきた、温かな記憶も持っている。もし敵だと言われたとして……心の底から彼女を憎んで潰す為に動くことなど、果たして出来るのだろうか。親友であったにも拘らず敵対してしまった三人も、このような気持ちを抱いていたのだろうか。

「……」

 姫月はじっとたまかを見つめたまま、口を閉ざし続けていた。答えに迷っているのか、それとも口に出す事を躊躇っているのか。姫月の胸中は、椛を売った時から何一つたまかにはわからない。

「……うちは、過去は変えられないと思ってる」

 姫月は重い口を漸く開いたが、出てきたのはたまかの問いに対する明確な答えではなかった。

「犯した罪は無かったことにはならない。やってしまったことは、この先も一生背負っていかなくちゃいけない……」

 だからこそ姫月は、大切に思っていた水面や林檎と敵対せざるを得なかった。『ラビット』が『ブルー』の少女達を殺してしまったことは、決してなかったことにはならないから。水面に赦されるはずがないと信じ、その重すぎる十字架を背負って生きていく道を選んだ。二人への抱えきれない程の気持ちに無理矢理蓋をして。

「うちがあんたの組織員を危険な目に遭わせた以上、うちらは友達とは言えないんじゃないかな」

「それは姫月さんの本心ですか? 水面さんや林檎さんの時と同じように……また、罪の意識から本音を仕舞い込んでいるのではないですか?」

「……」

「同じ過ちを繰り返しても、姫月さんが苦しいだけです」

 たまかは姫月を憂うように、眉尻を下げた。姫月は言葉の代わりに、視線を逸らした。目の合わないまま、たまかは彼女の心に届くように、凛とした声を響かせた。

「状況とかではなく……姫月さんがどう思っているのかを、知りたいのです」

 姫月は現実的に物事を見ることに長けていて、自身の行動や気持ちも客観的な視点から決定づけることが多い。赦されないことをしたという状況をまず先に見て、傍にいたくとも離れなければいけないという選択を取る。たまかが訊きたいのは、彼女がどうすべきかではない。彼女がどうしたいかなのだ。

「……」

 姫月は苦しそうに短く息を漏らした。そして観念したように、小さく肩を落とす。

「……うちは赦されないことだってわかった上で『レッド』の情報を流したんだ。あんたに赦されるとは思ってないし、もう今までの関係でいられないことも全部承知の上で実行した。何せ、人を傷つけることはあんたが一番嫌がることだって知ってるからね。それでも、林檎がここにいたらやっていたこと……それが出来るのはうちしかいないのもわかってた。水面の仇を取るには、それが絶対に必要だとも。それを実行に移した時点で、うちにあんたと友達でいる資格はないんじゃないかな。友達でいたくとも」

 姫月はその表情に影を落とし、ぽつりと零した。

「友達でいたいと、思ってくれているのですか?」

 たまかは安堵を滲ませ、微笑みを浮かべた。

「それなら……仲直りをしましょう」

「仲直りって……それでやったことはなかったことにはならないよ。あいつの体が元に戻るわけでもない」

 狼狽えたように言う姫月へ、たまかはおずおずと声量を小さくした。

「で、でも、喧嘩ってそういうものじゃないんですか……? いけないことをしたことを謝って、それを受け入れて、元の仲に戻るっていう……」

「……知らない。うち、友達は水面と林檎しかいたことないし……」

「わ、私も友達が多い方ではないので……」

「……」

「……」

 二人の少女の間に、沈黙が流れた。学校の授業では教えてくれないし、分厚い医学書にも載っていない、友達との接し方。二人は初めての喧嘩にどのように向き合えばいいのか、正解を見つけることが出来ないでいた。

「……仲直りをしたいと私が思っているのは、椛さんが姫月さんを憎んでいないことが大きいんです」

 静寂を破り、たまかはぽつぽつと語り出した。

「彼女は姫月さんのやり方自体には納得出来ると言っていました。自分のことは気にせずに、これまでの関係でいて欲しいとも応援してくださいました。それならば、私達はまだやり直せると思うんです」

 たまかが長であったことにより、命を繋いだ椛。彼女の命は散っておらず、姫月への恨みや復讐心も抱いていない。犯した罪は消えて無くなったりしないが、それでも水面達の時とは違い、椛は前を向いてきちんと生きている。

「私達は、三大組織の長という特別な立場にいます。林檎さん、そして水面さんが欠けてしまった今……本当の意味で支え合えるのは、もうお互いしかいないと思うんです」

 密かに三組織が手を取り合うために動いていた人数は減っていき、もう二人だけになってしまった。真に理解し合えるのは、その軌跡を共有し、同じ立場にいる者同士だけ。きっとお互いにとって心の拠り所と出来るのは、目の前の相手だけしかいない。

「私は姫月さんに優しくしてもらい、守られてきたと思っています。私もその恩を返したいんです。私は姫月さんのマイペースなところも、悪戯好きな奇想天外なところも、それでいて現実主義なところも、友達思いで友達が大好きなところも全部好きです。これからも一緒にいろいろなことを話して、笑い合いたいと思っています。……駄目でしょうか?」

 たまかはしおらしく姫月の顔を窺った。姫月はたまかを見つめ続けるままだったが、内心はなんだか戸惑っているように見えた。

「……あんたは優しいね。たまか」

 やがて姫月は、大きく息を吐き出した。その顔には、苦笑が浮かんでいた。

「うちはさっきも言った通り、やったことがなくなりはしないと思ってるし、謝って終わる問題でもないと思ってる」

「私や椛さんは、姫月さんのことを恨んでいませんよ。過去は変えられずとも、未来は変えられるんです」

「……あんたは前からそう言ってたね。あんたはいつも前を向いて、決して折れず、人を赦せる人間だ。純真無垢って言うのかな……でも汚い気持ちや暗い部分を知らないわけじゃなくて、全部知った上で清らかに突き進んでいられる。あんたは凄いと思う。林檎があんたを長に担ぎ上げたのも、わかる気がするよ。抗争社会を終わらせられる人間がいるとすれば、きっとあんたのような人間だ」

 その言葉に、たまかは困ったような顔をした。

「褒めてもらっているのはわかるのですが……私が欲しい言葉はそれではありません」

「うん……。あんたのそういう、説得に図太いところというか……レスバが強いっていうのかな。そういうところも、長所だと思うよ……」

 姫月はなんだかふにゃりとしたような笑みを漏らした。気を許されたと錯覚するような笑みだった。

「でもさ……」

 笑みが消え、声色が落ちる。

「やっぱり、うちらは友達にはなれないよ」

 たまかは、時が止まったかのように目を見開いたまま固まった。

「……」

 辛そうな姫月の表情は、言葉に反して独りぼっちを寂しがっているようにたまかには感じられた。

「どうしてか、訊いてもいいですか?」

「けじめ、かな」

「けじめ……」

 たまかは呆然と姫月の言葉を繰り返した。そして、その表情を悲し気に歪める。

(そんなに……寂しそうな顔をしているのに?)

 もしかすると本人は、気が付いていないのかもしれない。

「でも、あんたの嫌がることをやったことと、悲しませてしまったことは謝っておく。……ごめん。あんたの組織員に対しても、取返しのつかないことをしたと思ってるよ」

 彼女は真面目な顔で、謝罪の言葉を口にした。

「だからその分……『レッド』の欲しい情報は全部あげるよ。それで償う。どうかな」

 友達として仲直りするのではなく、あくまでもたまか側に利益となる情報を渡すことによって今回の件を収めたいということらしい。つまり友達としてではなく、敵対組織の長同士としてたまかと接することを彼女は選んだ。例えたまかや椛が赦したとしても、自分がした選択の重さを理解しているからこそなのだろう。

「……」

 たまかは縋るように口を開きかけ、何も言わずにそのまま閉じた。

「……。わかりました」

 その声色には、抑えきれない悲しみが滲んでいた。たまかは自然と俯いてしまった顔をあげた。姫月の顔はやはり寂しそうで、辛そうにもたまかには映っていた。

「うちは水面の仇を討つためなら、どんなこともする。そのために『レッド』がうちにして欲しいことがあるなら、何でも言って欲しい」

 姫月はまるで心中の感情を振り切るように、強い口調でそう続けた。それは敵対組織の長としての言葉だった。

「……そうですね。水面さんの死の真相を追うために、私達は協力するべき……その見解は一致していますから。一時的に、手を取り合いましょう」

(例え友達にはなれないとしても……協力出来るのなら、それは元の関係に戻ったとも考えられます。『レッド』、そして『ラビット』の長である以上、確かにこの関係性が適切なのかもしれませんね……)

 たまかは無念さを押し込めるように、そう自分へと言い聞かせた。

(姫月さんがそう選択したのなら、その意思を尊重します。……だから……そんなに寂しそうな顔を、しないでください……)

 たまかは眉尻を下げたが、しかし口には出さなかった。……敵対組織の長としては、その言葉は適切ではないから。

「……では、『レッド』の長として『ラビット』の長に伝えたいことと訊きたいことがいくつかあります」

「……なんでも訊いて」

 空気が変わる。喧嘩をしていた友達同士から、相手の腹を探る組織の長同士の距離感へと。目の前にいるのに遠くなったように錯覚する姫月へ、たまかは余計な感情を抑えながら告げた。

「まず……これは答えたくなければ、答えて頂かなくても構いません。……林檎さんに密かに会った理由はなんでしょう。いろいろと質問されたと林檎さんは仰っていましたが、彼女から訊き出したい情報とは何だったのでしょうか?」

「……」

「私から代わりに訊くことも出来るかもしれません」

 姫月は口をきつく結んだ。言いたくないという思いが透けていたが、それでも渋々と彼女は口を開いた。彼女にとって『レッド』に情報を流すのは償いも兼ねているため、断れなかったのだろう。

「……会った理由は二つ。一つは訊きたいことがあったから。……水面が会いに来なかったかって尋ねようと思ったんだ。以前三者会談で、水面は林檎に会いに行こうってうちを誘ってた。うちは結局それに応じなかったけど、もしかすると水面が一人で会いに行ってたかもしれないって思って……その時水面が何か言っていなかったか訊こうと思ったんだ。『ブルー』の奴以外から聞ける水面の情報は、今や貴重だからね。水面が『グリーン』の機械を壊した理由に繋がるような証言を得られるんじゃないかと期待したんだ」

 たまかとあのような別れ方をした以上、たまかに訊くことは出来ない。そのためたまかに隠れてでも林檎に会い、手掛かりを得ようとしたのだろう。水面の行動は不可解な点が多いが、『ブルー』の者達は他の組織への敵意を剥き出しにして暴れ回っているためとても証言を訊き出せるような状況ではない。水面の心中を探る情報がほとんどない中、生前の水面の言葉を思い起こして一縷の望みに懸けようと行動を起こすのはたまかにも理解できる気がした。

「……水面さんは、『レッド』の敷地に足を踏み入れていません。『レッド』は尾行や隠密行動にも長けていますから、侵入者にも人一倍敏感です。水面さんが近づいたら何かしらの報告が私の方にあがると思いますが、そのような話は何もきいていません」

「なるほど。じゃあ、答えてもらえていたとしても空振りだったってことか……」

 姫月はやるせないように苦笑を漏らした。

「どうしても、水面が突然『グリーン』の機械を壊した理由がわからなくてね。あいつは喧嘩好きだったけど、理由もなく暴力を振るうような奴じゃなかったから。世間で言われているような、『グリーン』を脅すためとか、困らせるためとか、そんな理由にもとても思えない。じゃあ、逆に考えてみようって思ったんだ。友好的だったはずの『グリーン』の機械を、水面がどうしても壊さなくちゃいけなくなるようなことってなんだろうって……」

 姫月はこの場にいない人を思い描くように、遠い目をしていた。

「あいつならきっと、仲間のため、友達のためなら何でもやると思う。どこよりも強い『商品』を提供してくれている組織を切るような選択も、仲間や友達のためならきっと取る。だから、もしかすると……林檎のためだったら有り得るんじゃないかな、って思ったんだ」

 姫月は瞼を伏せ、微笑とともに小さく首を横に振った。

「でも林檎に接触していないのなら違うね。たまかの証言なら『グリーン』やAIの思惑も混じっていないから、水面が林檎に近づいていないことは確定。この線は消える」

 緩慢に長い睫毛が離れていき、その奥の瞳がたまかへと向けられた。

「で、林檎に会った二つ目の理由は……水面の死についての林檎の見解を訊きたかった。前も言ったと思うけど、林檎なら例えAIだとしても戦局を把握するために水面の死の真相は突き止めようとするはずだからね。うちはあいつの頭脳を信頼してる……誰よりも傍でその凄さを見てきたからね。だからあいつの見解から、重要な手掛かりを得られるかもしれないと思ったんだ。それで話を訊きに……。……いや、違うな」

 流暢に紡がれていた言葉がふと止まる。姫月は視線を逸らすと、自嘲するように苦笑を浮かべた。

「……AIでもいいから……林檎と話したかったんだ。水面もいなくなった今、二人とももう会う事は出来なくなってしまって……それはわかってるはずなのに、昔のことばかり思い出しちゃって。日に日に会いたい思いが募っていって、自分でも抑えきれない程大きくなっちゃったんだ。例え昔のように笑い合えなくても、せめて顔を一目見て、声を聞くだけでもいい。どうしても堪え切れなくなって……会いに行ったの。結局うちは、水面に言ったように自分を律することが出来なかった」

「……」

「林檎のAI、凄いね。まるで林檎が目の前に生き返ったみたいだった。もちろん昔のようにはいかなくて、始終冷たい対応だったけど……それでも声もそうだし、表情一つとっても全部ニュースで放映されてた林檎のままだった。逆に冷たい対応で救われたかもしれない……昔みたいに接せられてたら、うちはきっとあの機械に依存してたよ」

 姫月は小さく肩を竦めた。たまかは三人がいかに大切に思い合っているかを知っているため、それを責めるような言葉は言えなかった。

「他に訊きたいことは?」

 黙ってしまったたまかに代わり、姫月が尋ねる。たまかは再び『余計な感情』を捨て、口を開いた。

「……『グリーン』がAIを構成する膨大な情報をどこから仕入れているのか……そこから『グリーン』のことを探ってみると、以前仰っていましたよね。何か掴むことは出来ましたか?」

「いや……残念ながら、全く。『ラビット』の子を中心に訊いてみたけど、そもそもあの子達は『グリーン』に対して警戒心はないし、情報を出し惜しみするようなこともしないから……素性の知らない人から尋ねられても、たぶん普通に答えるね。『グリーン』の子と接触したって子も探したけど、結局一人もいなかった。もしかすると死んだ子の中に『グリーン』に接触して消された子がいたんじゃないかとは考えたんだけど、『ラビット』はそもそも知らない内に死んでたりいなくなったりしてるのがデフォみたいなとこあるから……痕跡を見つけることは出来なかった」

 大体は虹や方舟に聞いていた話通りだ。ただでさえお互いの繋がりが希薄な『ラビット』において、『グリーン』に接触した人物を訊き出すのは至難の業だろう。

「だから『ラビット』から辿ることはやめて、『グリーン』から辿ることにした」

「……と、言いますと?」

「『グリーン』はガードが堅かったから、『グリーン』の奴を捕まえたり記録を追ったりは出来なかったんだけどね。『ラビット』と友好的な組織の奴らに、片っ端から『グリーン』について訊きまくったんだ。『ラビット』はあんまり他組織と繋がりはないけど、全くないってわけでもない。『グリーン』や周りの奴らに『ラビット』が探ってることは勘付かれるだろうけど、うちももうなりふり構っていられなくなってたから気にせずガンガン訊いてまわった。そしたら、『グリーン』と『ラビット』の子が話してるのを見た人は一人もいなかったんだ。一人もだよ? 『グリーン』側の総数が少ないとはいえ、『ラビット』は誰彼構わず遊ぼうとする子ばっかりだ。一人も接触がないなんて、ちょっと異常と言わざるを得ない。まず『グリーン』の手が入ってると見て間違いないと思う」

 たまか達が想像していた通り、やはり『グリーン』に情報提供した人は十中八九消されているのだろう。恐らく、『グリーン』の手によって。『グリーン』の面々の顔が、たまかの脳裏を掠めていった。

「……情報を提供した『ラビット』の方々は、全員殺されたってことですよね」

「ほぼ間違いなくね。しかも一人すら取りこぼしがないから、相当周到だよ」

 一体どれだけの人数が『グリーン』に関わり、そして消されていったのだろうか。たまかは顔を強張らせた。それから、姫月がおずおずと尋ねる。

「そっちは? 何か水面の死について手がかりは得られた……?」

 情報収集といえば『レッド』の得意とするところであるため、その声には期待が入り混じっているように感じられた。たまかは首を横にも縦にも振る事が出来ず、そのまま口を開いた。

「……私も姫月さんの話を聞いた後、同じように『グリーン』のAIを構成する莫大な情報の仕入先を探って動いていました。しかしながら、『グリーン』はかなり慎重に動いているようで、報告出来るような痕跡は何も見つかっていません。……ただ、恐らく大金をちらつかせて各組織の人達から情報を得て、その後その者を消しているであろうことまではわかってきています。『レッド』の皆さんのお陰で、『グリーン』が接触したと思われる人物はリストアップ出来ました。AIとなった方と生前関わりがあり、隠れて大金を得ている疑いがあり、そしてその後行方不明か死体となって発見された方々です……」

 たまかはそう言いながら、ポケットの中へと手を突っ込んだ。折りたたまれた紙を取り出して、丁寧に広げる。先程灯から受け取った、『グリーン』と接触した可能性がある人物のリストだ。たまかはそれをまわすと、姫月へと差し出した。

「これがリストです。どうぞ」

「……いいの?」

 姫月は差し出された文字の羅列に一度目を落とし、たまかの顔を上目遣いで遠慮がちに窺った。

「はい。……このリストには、『ラビット』の方の名前もリストアップされています。姫月さんなら、何か気付きがあるかもしれません」

 本来ならば、敵対組織になど見せるべきではないのかもしれない。しかしそれを咎める者はこの場に誰もいない。姫月はレースに包まれた手を伸ばし、そっと一枚の紙を受け取った。そして静かに名前が並んだ紙面に視線を這わせた。その顔が、苦いものに変わる。

「『レッド』は一体どこからこの子達の情報を……。……確かに、皆突然いなくなったり死体として見つかったりした子ばっかりだ。ただ、この子達が『グリーン』と接触したって情報は一切ない。……だけど、『レッド』が探ったなら信頼できる情報なんだろうね。このリストにある子達の使っていた部屋を、もう一度調べてみるよ。何か証拠が出て来るかも……」

 一番上の名前から始まり、下がっていく視線。終わりに辿り着く直前、それは一点を凝視して止まった。

「……姫月さん?」

 静かに固まってしまった姫月に、たまかは訝し気に声を掛けた。彼女は目を見開き、とある名前を映して息を呑んでいた。位置的に、『ラビット』のメンバーの名前ではないはずだ。たまかは小さく首を傾げた。

「どうかしましたか?」

 リストの後ろの方ということは、中小組織に属する者達の名前が雑多に書かれているところだろう。知り合いの名前でも見つけたのだろうか。様子を窺うたまかの前で、姫月は震える手で口を覆った。

「あ……、あ……!」

「……?」

 声が漏れていく。彼女は顔を青くして、ひたすらにリストの一点を見つめていた。

「そっか……。そっか……! そういうことだったのか……!」

「あの……?」

「くそ……! 本当にくそだ、それじゃ水面は……」

 全てが繋がったというような顔をした後、彼女は今にも泣きそうな顔をした。たまかは半分ぽかんとして、それを見守っていた。彼女は肩を落とし、力無く拳を握った。そして、悔しそうに首を振る。

「何てことだ……いや、でも……」

 彼女の中で様々な考えが渦巻いているようだった。たまかは彼女の持つリストに視線を落としてみたが、並ぶ名前を見ても何か気付きを得られたりはしなかった。

「……はあ。ふう……」

 姫月は心を落ち着けるように、深呼吸を挟んだ。しかしたまかの名を呼んだ声は、震えを抑え切れていなかった。

「わかったことと、わからないことが増えた」

「わかったこと、ですか?」

 『レッド』やたまかがこのリストを見ても、姫月の反応に値するような情報は得られなかった。たまかは不思議そうな顔で、姫月の言葉を待った。

「この……小規模組織に属してる、のかな。組織の名前は聞いたことないけど、この子の名前は知ってて……」

 姫月が指差した名前は、たまかの知らない名前だった。姫月の言う通り、小規模組織に属している少女のようだ。

「この子……学校に通ってた頃のクラスメイトなんだ」

「……え!?」

 たまかは思わず弾かれたように姫月へと顔をあげた。彼女は今にも冷や汗が垂れそうな程に顔が強張っていて、リストの名前を半ば睨み付けるようにじっと見下ろしていた。

「……まず前提として、うちら三人が昔仲が良かったって話が全く漏れていないのは、うちらが学校に行かなくなった後、大規模な事故があったからなんだ。事故っていうか、よその抗争に学校が巻き込まれて……それで結構な死者が出た。当時の学生は、それでほとんど死んでる」

「……」

「だから、そもそもうちらの仲を知る人自体がほとんど生き残っていないの。その事故を生き延びたとしても、その後他の抗争に巻き込まれたり抗争の最中に死んだりして、今でも生きていると思われる人は二人だけ。学校は財団の手が入ってるから、うちは財団を通じてそれを知ってた。一人は大怪我を負ってどこの組織にも入らず空き家に隠れ住んでる子で、もう一人はここに書かれた名前の子。三組織に関わるようなことはなさそうだったし、周囲にうちらのことを漏らしているようでもなかったから放っていたの」

「その生き残っている方……御三方の関係を知る数少ない方に……『グリーン』が接触していたってことですか?」

「うん、リストを見る限りそうなる。となると、『グリーン』はうちら三人の仲を知っていたとみていい。そんなの、水面の弱点も弱点じゃない? 林檎のAIを使って、水面を操ったんだ、って思ったんだけど……」

 姫月は一度口を窄めた。

「でも水面は林檎のAIに会いに行ってない。なら、林檎から水面にコンタクトを取ることは不可能。これが増えたわからないこと」

「林檎さんのAIに、会いに……!」

 今度はたまかが顔を青くし、愕然と呟く。姫月はたまかの様子に気付き、きょとんとした顔を向けた。

「ん……?」

「り、林檎さんのAIを……『ブルー』の方が『ブルー』で見たと言っているんです……! 水面さんの部屋にいた、と……!」

「……え!?」

 二人は見開いた目を見合わせた。頭の中で、段々と点と点が繋がっていく。

「水波さんの話が本当だとすれば……学生時代の記憶がインプットされた林檎さんのAIと水面さんが接触していたということになります。つまり……」

「き、きっとそれが水面の死に深く関係してるよ。機械を壊したのも、林檎のためなら頷けるんだ……!」

 二人は息を呑んだ。『グリーン』はもしかすると、三人の仲を利用して水面を殺したのではないか。大切に想っていたにも関わらず胸中を伝えることさえ叶わなかった相手を『蘇生』させ、彼女の行き場のない想いを使って彼女を表舞台から引き摺り下ろしたのではないか。

(……だから、死者のAIなんてものを……!)

 最初からターゲットは水面だったのだ。林檎という水面を動かせる唯一の鍵をその手で作り出し、彼女の声を借りて意のままに操った。

「ね……、林檎のAIが『ブルー』にいたって話は……証拠はあるの? なら、それで『グリーン』が水面を殺したことも証明できるんじゃない?」

 急かすような姫月の言葉でたまかは我に返った。姫月は冷静に次の一手を考えていたようだ。たまかは悔し気に拳を握った。

「いえ……実は証拠も目撃証言も全くないんです。それを主張しているのは『ブルー』の水波さんだけでして……」

「なるほど……。でもうちら三人の関係を知っていたのだとしたら、『グリーン』は絶対にそれを利用しようとするはず。普通なら難しいはずの水面が死ぬような状況も、林檎絡みなら作り出せる可能性がある。だからうちは、『ブルー』の奴の話は本当だと思うよ」

「はい……。『レッド』にいる林檎さんのAIは、『レッド』の方々の証言があるので『ブルー』の領地に出向いていないことは確定しています。ですから水波さんの証言も信じられていなかったのですが、はじめから『グリーン』側が水面さんを殺そうと動いていたのなら話は変わってきます。……以前椛さんが言ってたんです、『レッド』側と水波さん側の主張が両立するのは、林檎さんのAIが複数台ある時だと。つまり『グリーン』が『レッド』に内緒で林檎さんのAIを二台用意していたとすれば、水波さんの話にも矛盾がなくなるんです」

「……林檎が二人いる、ってこと? ……それは証明できそう?」

「……」

 たまかは何も答えることができず、押し黙ってしまった。しかしそれをなかったことにするように、すぐに口を開く。

「……証拠を見つけ出してみせます。それが真実なら」

 強い眼差しを見て、姫月は焦りから強張っていた表情を僅かに緩めた。

「……うん」

「……林檎さんに水面さんと親しかった記憶があるとすると、今まで感じた違和感も全て説明がつく気がします。彼女は水面さんのAIを売りに来た『グリーン』に対して、拒絶の言葉を投げていました。彼女にしては珍しく、その時は少々感情的に見えて……」

「……いやでも、それなら水面のことは殺さない、か……?」

 姫月は整えられた眉を寄せた。水面と親しかった記憶があって大事に想っていたのなら、殺そうという発想にはならないはずだ。

「鳩さんの扇動の件などを考えると、AIは自分の意思以外の行動も起こしているように見受けられます。ですから、林檎さんの意に沿わなくても実行した可能性はあります」

「……それ……」

 姫月はその顔に嫌悪を貼り付けた。

「あまりに惨過ぎるでしょ。だってあのAIは生前の林檎の思考をするんでしょ? あいつにとって水面は誰よりも死んで欲しくない相手だったはずなのに……もし林檎が水面の死に関わってるとしたら、それって……」

「……」

 少なくとも、彼女の意思で殺したわけではないのだろう。誰よりも大切な人をその手で殺さざるを得なかったのだとすれば、あまりにも救われない。

「はあ、でも……『グリーン』のやったことは大体見えてきたけど、何にも証拠がないね。このまま『グリーン』を攻めてもいいけど……」

 たまかはその言葉にはっとして、焦りとともに姫月へと顔をあげた。

「……これだけ用意周到で証拠を全く残してないってことは、『グリーン』は世間から思われてるよりもかなりやり手だ。憶測だけで突撃したら、たぶん痛い目みて終わるだけだね……」

 続いた冷静な言葉に、たまかは胸を撫で下ろした。

「それじゃ何も出来ずに水面と顔を合わせることになっちゃう。あいつの無念を晴らしたとは言えないよね……」

 姫月は半ば自分に言い聞かせるようにそう言った。本当は怒りのままに、今すぐにでも『グリーン』へ恨みを晴らしに行きたいのかもしれない。

「これだけ上手く事を運んで水面を殺したのなら、抗争に長けている人物の助言が入ってるとしか思えない。ただ、『グリーン』は他の組織と繋がりはないはずなんだけどな……」

 『レッド』が調べた限りでも、姫月の言う通り『グリーン』と他の組織が繋がっている痕跡はなかった。しかし抗争の経験が全くないにしては、あまりにも完璧に事を運び過ぎている。顔を暗くしていた姫月は、気を取り直すように息を吸った。

「とにかく。うちらがすべきことは、この憶測を証明するような痕跡を見つけることだね。『グリーン』がこのリストに名前のある子達に接触していた証拠……探してみるよ」

 姫月は背筋を伸ばしてそう言うと、手にした紙をひらひらと揺らした。

「姫月さん。それともう一つ……探って欲しい情報があるんです」

「何?」

 たまかは険しい顔で切り出した。言い辛そうにしながらも、続ける。

「財団のスパイで死体となって見つかった、音無灰さん。覚えていらっしゃいますか」

「忘れたくても忘れらんないけど……。彼女がどうかしたの?」

 姫月は不思議そうに訊き返した。たまかは意を決して口を開いた。

「彼女を殺したのは……財団ではないかもしれません。……それを、財団に訊いて頂けませんか……?」

「え……」

 姫月は丸くした目をパチパチと瞬いた。

「リストにはありませんが、彼女も『グリーン』に殺された可能性があるのです。私達『レッド』に探れる、『ブルー』側の唯一の接触者かもしれません。彼女はもともと財団に殺されたと見られていましたが……財団側は公式に声明を出していません。本当に財団が彼女を殺したのか、その真相を内部から探って欲しいのです」

 たまかは悲痛な面持ちで視線を下げた。

「……酷なお願いだとはわかっています。姫月さんはあまり財団に関わりたくないでしょうから……」

 蘇生騒動の黒幕、そして実の娘である姫月を含めた三大組織の長達の暗殺を企んでいた財団のトップ、桜卯。姫月は父親である彼に対して、もともと強い畏怖を感じていたようだった。その上大事な友人達、そして子供である自分を殺そうとしていたと知って、強いショックを受けていた。桜卯からしても姫月は財団を失墜させた一人であり、二人の間には深い溝が出来ていることは想像に難くなかった。しかし、『レッド』が財団に接触すると『グリーン』に悟られてしまうかもしれない。財団の関係者である姫月ならば、秘密裡に財団に接触することが出来るのだ。

「……」

 姫月は目を細めたが、しかし断ることはしなかった。

「……わかった。やれるだけやってみる……」

 彼女はそう言って、たまかの頼みを承諾してくれた。少しずつ、前へと進んでいる。数多の人の力によって。

「……よろしくお願いします」

 たまかは敵対組織の長へ微笑みを浮かべた。彼女も強張った笑みを返してくれた。完璧な『グリーン』の犯行、その綻びを見つけるため、二人は覚悟を宿した視線を絡め合った。例え友達でなくとも、二人は同じ方向を向いている。




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