第10話
「ふう……」
たまかは曲がり角の前で一度足を止め、隠れて小さく深呼吸を挟んだ。ドクドクと大きく鳴る鼓動。気を引き締めて、前を見据える。目の前の角を曲がれば、『グリーン』の新拠点とする建物が見えて来るはずだ。
(流石に緊張しますね……)
たまかはその顔を強張らせていた。何一つ証拠は出ていないが、様々な情報を突き合わせれば『グリーン』が水面の死に関わっていた可能性は濃厚だ。そして『レッド』の行動が林檎に全て把握されていたことについても、桜達から報告を受けた。彼女は『グリーン』にその情報が渡っていると告げ、さらに手を引くように忠告していたらしい。『グリーン』を嗅ぎ回っている『レッド』は心証がよくないだろう、『グリーン』もたまかを敵視している可能性が高い。政治的な利益があれば躊躇いなく主要な人物の殺害を実行し、そしてそのためならば数多の罪のない人々を消す事すら厭わない残酷な者達の可能性がある、『グリーン』。そのアジトへ、たまかは今から一人で乗り込まなければならない。ごくりと唾を呑み込む。
(それでも……水面さんの死の真実を突き止めるんです)
水面の顔を思い起こし、そして姫月、水波、数多の少女達の顔を次々に脳裏に描いた。恐怖が薄れていき、決意が漲っていく。たまかはその目を鋭くし、きゅっと拳を握った。
姫月と接触した後、たまかは『グリーン』へ正式に長同士の会談を申し込んでいた。予想通り、『グリーン』は『レッド』の要請を断らずに受け入れた。『グリーン』の新しいアジトの場所は、『レッド』に掛かればすぐに特定出来た。しをりとの一対一での対話は、例え『グリーン』が水面を殺した犯人でなかったのだとしても、必ず何らかの手掛かりを得られるはずだ。そして怪しい動きの多いAIを作った彼女達に、ついにメスを入れる時が来た。
たまかは純白の靴を前へと踏み出した。角を曲がり、差し込む陽の光に目を細める。曲がった先には小道が続いていて、両端には建物が疎らに建っていた。そして、その道を奥へと歩いて行く遠い人影を見つけた。
(……ん?)
周りの建物は空き家とわかるものが多く、人けのないこの小道を使いそうなのはアジトのある『グリーン』のメンバーくらいだろうと思われた。しかしその人物は『グリーン』の深緑色の布に包まれておらず、そもそもその背中は男性のものだった。男児は他の国へ連れて行かれる都合上、この国にいる男性はそのほとんどが組織のトップなどの権力者だ。財力が豊かなことを示すかのように、その後ろ姿もふくよかなものだった。たまかは足早に小さくなる背広を、じっと目で追い掛けた。
(『グリーン』の者ではありませんね。……ですがこんなところまで来たということは……)
その視線は一つの建物へと向けられた。前の拠点同様、寂れた小ぢんまりとした雑居ビル。あれが『グリーン』の新しいアジトである。
(『グリーン』に何か用事があったのでしょうか……?)
たまかはあの背広に見覚えがあった。『レッド』の者達程の類まれなる記憶力はないため曖昧ではあるが、『レッド』と協力関係にある組織をまとめた書類、そこに添付された写真のどれかに写っていたものと同じだった。つまりあの人物は『レッド』と協力関係にあるどこかの組織の上層部の人間である可能性が高い。
「……」
『グリーン』と繋がりがあるなど聞いていないし、そもそも『グリーン』は他の組織と協力関係にはなかったはずだ。何かデジタル関連の依頼や、AIを導入するためにでも訪れたのだろうか。その後ろ姿が突き当たりを曲がって見えなくなるまで、たまかは探るような瞳を向けたままだった。やがて人影は消え、小道には誰もいなくなった。静かな荒れた通りを、たまかはゆっくりと歩き始めた。そして『グリーン』のアジトの前までやってきて、足を止める。見上げた顔は、中にいるであろうリーダーの顔を見据えるように険しいものだった。
(一つでも多く……情報を掴みましょう)
たまかは顔を前へと戻すと、自動ドアを潜った。そしてインターホンへと近寄ると、物怖じすることなく人差し指を伸ばしたのだった。
「嬉しいです」
向かい合って席についた後、しをりの第一声は微笑みを伴ったものだった。耳に心地いい、柔らかな声。
「『レッド』様から声を掛けて頂けるなんて、蹂躙されている私達にとってはまさに地獄に垂らされた蜘蛛の糸……」
いつまでも聞いていたくなるような声。しをりはたまかへと熱い視線を向けた。
「一方的な横暴を許してはなりません。『レッド』様が力になって下さるのなら、私達もとても心強いです」
安堵の滲んだ友好的な笑みが浮かぶ。どうやら彼女は、『レッド』が『グリーン』と協力関係を結ぶために訪れたと思っているようだった。その微笑みを前にしても、たまかは厳めしい顔を崩さなかった。
「私は……『グリーン』につくためにここを訪れたわけではありません」
彼女の反応が怖くもあったが、たまかはそれをおくびにも出さずにはっきりとそう告げた。
「あら……そうなのですか?」
しをりは目を丸くしていた。『レッド』が『グリーン』につくことを決めたと本気で信じていたかのように。そしてその視線は、友好的なものから警戒が滲んだものへと変わっていった。
「では……どのような用件でこちらへ?」
訝しむような声色。しをりの顔からは、笑みが消えていた。
「いくつかお聞きしたいことがあるのです。『ブルー』や水面さんの死に関連したことを……」
「……。機械が壊された件についてでしょうか?」
「そうですね、その辺りについてです。それから、AIについても……」
「……」
彼女は『レッド』が『グリーン』を訝しみ、嗅ぎ回っていることをAIを通して全て知っているはずだ。自分達が怪しまれているということも全部。しかしそれを示唆する言葉にも、しをりは目立った反応をしなかった。
「……ですが、その前に……」
重くなったように感じる空気の中、たまかは慎重に切り出した。
「先程、この建物から他の組織のリーダーが出てくるところを目撃したんです。……あの方は、一体どのような用件で『グリーン』へきていたのですか?」
「……」
たまかが見たのは彼の後ろ姿だけであって、『グリーン』へ接触していたかは定かではない。しかし正直に言えばしらを切られることは明白だったため、たまかはそう嘘を織り交ぜた。『グリーン』が他の組織と繋がりを持っているのだとすれば、水面の死に関わるようなことも前提が崩れる可能性がある。しをりはすぐには答えず口を結んでいたが、目撃された以上逃げ切れないと思ったのか、渋々と口を開いた。
「……あの方は……中規模組織のリーダーだと仰っていました。勿論『レッド』様には遠く及ぶような組織ではありませんが、『グリーン』よりは遥かに人員も規模も大きい組織です。彼は突然やってきて、私達へある要求をしました」
「要求、ですか……?」
「はい。縹のAIが欲しい、と」
「水面さんの……!?」
たまかは思わず身を乗り出した。しをりは彼を思い起こしているのか、迷惑そうな顔をしながら話を続けた。
「彼は縹のAIに、反抗することを禁じ、なんでも言う事をきくようにプログラミングで制御して、それを売って欲しいと言いました。金は弾む、とも」
「なんですって……!」
たまかは膝の上で握った拳を怒りに震わせた。死者の尊厳を踏みにじるどころではない。死者そっくりの姿で死者と同じ思考をする機械を、プログラミングで思いのまま強制的に従わせることが出来るのだとしたら。死者の意に反し、それこそなんでもやらせることが出来てしまう。非人道的であり、水面へのこれ以上ない冒涜だ。
「生前、縹に好き勝手されていた恨みでもあったのかもしれませんね。あるいは何か本人には頼めないような、悲願でもあったのか……」
しをりは淡泊にそう言った後、たまかへと視線を戻してその顔を真面目なものへと変えた。
「……『グリーン』は勿論、その要求を現実にすることが出来ます。蘇生された死者の反抗を許さないようプログラムを書き、従順に従う商品に作りかえることなど簡単です。……ですが当然、その要求は御断りしましたよ」
しをりはたまかに向けて笑みを浮かべた。
「何を命令されるか分かったものではありませんから……。彼が縹のAIを見境ない殺戮に使う可能性もありますし、人道的ではない使い方をするかもしれません。私達は小さな組織ですから大金は非常に魅力的ですが、それでもきちんとお断りいたしました」
自分達は正義側に立っていると主張するかのように、彼女は胸を張って言い切った。
「すると彼はそのまま帰っていきました。それをたまかさんが目撃されたのでしょう」
足早に去る背広を頭の中で思い起こす。まるで何か後ろめたいことがあるかのような足取り……しをりの話と、辻褄は合うような気がした。
「なるほど……。そんな要求、絶対にあってはなりません……」
「そうですね。縹を意のままに操れるとなれば、情勢は大きく変わってしまいますから……」
水面は体術に優れ、無敗を誇っていた。最強である彼女を兵器として使用することが出来てしまえば、どんな弱小組織も一転して頂点を目指すことが出来てしまう。しをりはそれを危惧したようだが、たまかが恐れているのはそこではない。
「ただ……『レッド』様が望むようであれば、それを現実にしてもかまいませんよ?」
「……え?」
「暴虐な『ブルー』を壊滅させるために共に立ち上がって頂けるのならば、縹のAIをカスタマイズして『レッド』に渡すことも厭いません。……『レッド』のために縹のAIを取って置くと、そうお伝えしていましたよね?」
「……」
たまかは眉間に皺を寄せた。
「『レッド』は……水面さんのAIを買うことはしません」
「意思は変わっていないのですね。ですが縹という最強の兵士を提供できるのは『グリーン』だけです。戦力が必要になった時は、いつでもお声を掛けてくださいね」
柔らかな声で歌うように述べ、彼女は微笑みをたまかへと向けた。まるで自慢の商品を紹介する謳い文句のようだが……実際に水面のAIはこの国で間違いなく一番強い兵器であり、そしてそれを提供できるのは世界でも『グリーン』だけだ。彼女達にとって、水面のAIは切り札でもあるのだろう。
「では、本題に入りましょう。いろいろと伺っていきたいのですが……よろしいですか」
しかし水面のAIに興味がないように、たまかはすぐに話題を変えた。残念がる様子もなく、しをりは柔らかく微笑んだまま頷いてみせた。
「はい。私に答えられることでしたら……なんでも」
二人の視線が絡み合う。たまかは真っ直ぐとしをりを見つめ、口を開いた。
「まず……『グリーン』のSNSの投稿、拝見しました。そちらについて話を伺ってもよいですか?」
「縹が私達の機械を壊した件についてですね? 突然私達の所有する建物に乗り込み、大事な機械を壊されたのです。このような乱暴狼藉を、決して許すことは出来ません」
あくまでも『グリーン』は被害者だと主張するようだ。しをりは悲しそうに小さく首を振った。
「どうして水面さんは機械を壊したのだと思いますか? 彼女は『グリーン』の商品を愛用していたのですよね?」
「そうですね、『ブルー』は取引先でした。ただ、『ブルー』は乱暴な者達の集まりですから……憂さ晴らしでもしたかったのでしょう。我々は小さな組織で人員も金も力もございません。『ブルー』が壊したとしても、我慢するしかありませんから……」
「……あの建物をどうして水面さんが知っていたのか、ご存じですか? 大分市街地から離れた場所ですよね?」
「わかりません。私達からすれば突然入られ突然壊されたという状況ですので、詳しいことは何も……」
しをりはさめざめとするように瞳を伏せた。……その様子を見るに、彼女が水面を殺すことを企てていたとは、とても思えない。自分の推測は間違っていたのだろうかと、たまかは不安に苛まれた。
「では……あの機械はどのような用途に使っていたのですか?」
「……」
続けざまの質問にしをりは目を開き、たまかの顔を窺うようにじっと見つめた。
「……お言葉ですが……『レッド』はどうしてそのようなことを探っているのでしょう? 『ブルー』に制裁を加えようとしているのですか?」
「……私は、水面さんの死の真相を暴きたいと考えています」
「それは……何のために? 『レッド』にメリットのあることなのでしょうか?」
しをりは困惑したように尋ねた。たまかは片時も目を逸らさず、しをりの一挙手一投足を観察し続ける。
「組織に利益があるかどうかを考えての行動ではありません。私が個人的に水面さんの死の真相を知りたいのです」
「……」
「ですから、いろいろと情報を集めています。しをりさんにお尋ねしているのも、その一環です」
「縹の死の真相……あの事故を詳しく調べて、一体何になるのでしょうか」
しをりはその顔付きを、僅かに険しくした。
「『ブルー』は虐殺や強盗を繰り返し、数多くの組織を潰しています。彼女達は手の付けられない程に獰猛で、凶暴で……あれが彼女達の本性なのです。私はあの組織がのさばることは力のない組織が虐げられることを意味すると思っています。『ブルー』を潰すために使うという訳でもないのなら……そんな悪行を尽くす組織の長が死んだことを喜びこそすれ、詳しく調べようとするなどとても理解出来ません」
しをりの声は相変わらず耳に心地よい柔らかさがあったが、その端々には強い感情が滲み出ていた。
「『レッド』は『ブルー』が邪魔なのではないのですか? 『ブルー』の最強の長が死んだ今、『ブルー』を潰すまたとない好機でしょう。どうしてこのような意味のないことに労力を費やしているのでしょうか」
しをりは心の底から理解が出来ないのだろう。敵対している『ブルー』を潰すために動かず、そして『グリーン』の手を取らない『レッド』の長の行動が。たまかはしをりの顔を瞳に映したまま、目を細めた。
「水面さんの死が……本当に事故だったのかどうか。証拠はありませんよね」
「……」
「水面さんの死にどこかの組織や誰かの思惑が関わっているとすれば、それは『レッド』として突き止めておかねばなりません。三大組織の一つを壊滅状態に追い遣った者がいるということですから」
「それは……共に手を取り合うために探るのですか?」
「違います。私は『ブルー』や『ラビット』を潰すために動くつもりはありませんから……」
小さく首を横に振るたまかを、しをりは強い眼差しでじっと見つめていた。
「水面さんを死に追い遣った者がいるとすれば、それを白日の下に晒したいと思っています。組織の利益のためでも、他の敵対組織を潰す為でもなく……ただ、私がそうしたいのです」
沈黙が流れた。水面とたまかの関係を知らなければ、納得できる訳がないため閉口するのは当然だ。しをりは暫く何かを考えているようだったが、たまかへ視線を戻して口を開いた。
「先程貴方様は縹の事故死に証拠はないと仰っていましたね」
「はい」
「証拠ならあります。揺るぎないものが。……壊された機械を置いてあった部屋の監視カメラの映像です。投稿にも添付したと思いますが……」
「やはりあの映像は、監視カメラの映像だったのですね」
画質や画角から予想していた通りだ。しをりは頷いてみせた。
「ええ。あそこに写っていた通り……縹は機械を壊した天罰により死んだのです。具体的には壊した際に飛んだ火花により消火設備が作動、噴射されたガスにより窒息死をしたものと思われます。映像を『グリーン』のメンバーが解析してくれた結果ですから、信憑性は高いかと」
「ふむ……」
たまかは考え込むように、視線を下ろした。
「二酸化炭素消火設備が作動する前には警告が鳴ったりはしなかったのですか? 水面さんはあの映像では逃げる素振りは一切ありませんでしたよね?」
「やはりたまかさんも映像をご覧になっていたのですね? ならばわかるでしょう、縹は事故死です。映像という絶対的な証拠があってなお、縹の死を探るのですか?」
「……水面さんの事故死が確定するならそれはそれで良いのです。情報を集めることに、意味があると思っています」
たまかの言葉に、しをりは眉根を寄せた。しかし何も言わず、たまかの問いに答えを返してくれた。
「……縹の思考までは映像からは読めませんから、縹が逃げなかった理由は私にはわかりません」
「警告がきちんとなされなかった可能性はありますか?」
「可能性はあります。まさか機械を人の手で壊されるなんてこちらも想定していませんでしたから……警告音を確認するほど設備点検を丁寧に実施してはいませんでした」
それについてはこの時代はどの組織もそんなものである。法も機能していない今、咎めることは出来ない。むしろ設備点検を実施していただけでも褒められたものだ。水面のいる部屋が一面白い煙で覆われる映像が頭の中で蘇る。
「あの消火設備は……本当に二酸化炭素ガスを使っているのですか?」
「たまかさんも映像を見たのでしょう? 映像の通りです」
「二酸化炭素ボンベは、どちらに保管しているのでしょう?」
「地下に置いてありますが……奥の部屋に置いてあるため、関係者しか立ち入れません」
(林檎さんの推測通りですね……)
林檎の顔を思い起こしながら、たまかは質問攻めにしていた口を閉じた。水面が事故死だったという林檎の仮説としをりのこれまでの回答に齟齬はない。監視カメラの映像が事実だとすれば、全て辻褄が合うことになる。しかし、たまかは質問を止めない。
「では、別の話になりますが……AIは、『グリーン』の意図に反した行動をする可能性はありますか?」
たまかの問いに、すぐに答えは返ってこなかった。短い沈黙を無かったことにするように、しをりは毅然と口を開く。
「ありません。我々の技術は完璧ですから。ただ、AIは模した死者の思考をします。ですからその死者のしたい振舞いが私達の意図とは異なる可能性はあります」
「死者を完璧に模しているのなら、生前と違い、しつこく周りに襲撃の勧誘をしているAIがいた場合……その襲撃を誘導しているのは、『グリーン』ということになりますか?」
「それはそのAIにどうしても襲撃したくなるようなきっかけがあったのではないでしょうか。例えば襲撃先の人と仲違いをし、恨むような出来事があったとか……」
「……」
「……」
冷たい静けさが満ちた。しをりの真面目な顔は、全てを見透かしているのか何も知らないのか読み取ることは出来なかった。
「その場合、『グリーン』は何も関わっておりません。AIがそう判断したというだけですから。例えその死者が生前に同じ行動を取っていなかったとしても、未知の状況に出くわせば今までにない判断をすることに何もおかしいところはありません」
鳩が『ラビット』の少女達を扇動したのが『グリーン』の指示だったという証拠は何もない。あるいは本当に、たまかに怒った鳩が恨みを晴らそうとしただけなのかもしれない。たまかは視線を泳がせた。
「……各組織で、行方不明となった方や突然死体となって発見された方が多くいます。その中で、最後に目撃されたのが『グリーン』だった方々がいることがわかりました。何かご存じないでしょうか」
「『グリーン』は他の組織と取引以外での繋がりはありません。ですがたまに、デジタルやネット関連の依頼を持ち込む方々がいらっしゃいます。そういう方々だったか……あるいはAIについて何か用事があって訪れた方だったのでは? それでしたら帰り道に抗争に巻き込まれていたとしても、我々は気付くことが出来ません……」
心当たりはないということらしい。困ったように眉を下げるしをりに、たまかは居心地の悪さを感じた。まるで無実の人を嗅ぎ回り、質問攻めにしているような……そんな罪悪感が顔を出し始める。しかしそれを振り切るように、たまかは次の疑問を突き付けた。
「……では、水面さんが生前、『グリーン』を訪れていたりはしませんでしたか?」
頭を過ったのは、虹の証言だった。しかししをりは、首を横に振ってみせた。
「いいえ。一度も来てなどおりませんよ……『グリーン』のエントランスに設置していた監視カメラがその証拠になります。ご覧になりますか?」
「……」
「前の拠点と同じものを使用しているのです……ですから一ヶ月以内でしたら、映像が残っていると思います」
しをりは包み込むような穏やかな声で言いながら、椅子から腰を浮かした。
「何か……誤解があるようです。たまかさんの多くの疑問は、まるで私達を疑っているかのよう……」
しをりは立ち上がると、たまかへ微笑みを向けた。
「少々お待ちを。証拠を見て頂くのが、きっと一番の近道ですから」
そう言い残し、しをりは部屋を出て行ってしまった。一人残された小ぢんまりとした部屋は、息が詰まる程の静けさに満ちていた。本人がいなくなったにも拘らず、たまかは微動だに出来ないまま体を強張らせていた。
「……」
全てを計画した上で欺いているのか、それともたまかの推測が間違っているのか。しをりの振舞いを見ても、不安が深まるばかりで何も掴めない。
「お待たせしました」
扉の音とともに柔らかな声が響き、たまかは顔をあげた。あまり待たずして戻って来たしをりは、その手にノートパソコンを抱えていた。席に座り操作をすると、たまかへと画面を向ける。そこには開かれたフォルダのウィンドウ、そして無数の映像ファイルが並んでいた。
「ここ一ヶ月の監視カメラの映像アーカイブです。連続で、約二千倍速で再生しますね」
再生が始まった。上から見下ろすような画角で、『グリーン』のエントランスが写っている。超高速の映像にも拘らず、人はほとんど写らなかった。組織員は引きこもりがちな上に今は危険な情勢のため、建物を出ることがほとんどなかったのだろう。『グリーン』は他の組織との繋がりもないため、来客も珍しい。たまに人影が写っても、そのほとんどが深緑色の制服を着ていた。
「……」
水面の紺色に染めた頭、そして『ブルー』の薄群青色の制服が僅かでも写ればかなり目立つはずだが、流れ続ける定点カメラの映像には一向に写らなかった。結局二十分ほど食い入るように見つめた画面には、見慣れた青は最後まで写ることはなかった。映像は純白の制服に身を包んだ小柄な姿を写したところで止まり、暗転した。
「……これで証明出来たかと思います。縹が『グリーン』を訪れたと誰かが言っているのであれば、その方はたまかさんに嘘をついていらっしゃいますよ」
しをりはそう言うと、再生の終わった画面を自身に向けて戻した。
「……」
「他にご質問はございませんか?」
悠然とした微笑みの浮かぶ顔を、たまかはじっと見つめた。躊躇いを捨て、尋ねる。
「『グリーン』は死者を模したAIを、どのように作っているのですか?」
「私達は死者を最先端技術で生き返らせただけです。後は死者の方々が生前の知識や思考に基づいて行動します」
「『ブルー』は『グリーン』から攻撃を受けたと主張しているようです。それは事実ですか?」
「紛うことなき出任せです。私達に抗争の経験はなく、『ブルー』のような強大な組織を相手取るような力はありません。私達に非があると、そう『ブルー』は印象操作をしたいのでしょう」
「『グリーン』は他組織のAIを密かに作成することはありますか? 過去に製作した死者のAIを、その組織に隠れてもう一台作ることは可能ですか?」
「絶対に有り得ません。そのようなことをすれば信用に関わるのは火を見るよりも明らかですから、商売をする上での最低限のマナーです。私達は他の組織に隠れて他の組織の方のAIを作ることはありません」
先程よりも核心に迫った質問の数々にも、しをりは全く動じずに毅然として答えて行った。
「『グリーン』は他の組織と協力関係にないはずなのに、頻繁に大金が動いていますよね? 用途は何なのでしょうか?」
「……どこでそれを?」
しをりの眉が、ぴくりと動く。そして、しをりは小さく首を振ってみせた。
「……詳細なログまではとっていませんが、AIの大体の思考は機能改善を目的として私達のもとに送られてきます。ですので薄々感じておりましたが……『レッド』は本当に我々を監視し、探っているのですね。資金の動きまで把握されているとは……」
白んだ目が向けられる。
「それはAIの新規顧客との取引によるものだと思われます。AIを作るのにも、金は必要ですから。不正な点は一切ありません」
しをりはその眉を僅かに下げた。
「貴方様は誰も傷つかない世界がお望みなのではないのですか? こうして疑いを広げて火種を撒くのは、不適切な行動に見えますよ」
「……」
流石に『グリーン』を怪しみ過ぎて、不快にさせてしまったか。たまかはそう思ったが、しをりはさして気にした様子はなく、ため息を漏らしてから冷静な声を響かせた。
「分かっていますよ。……『レッド』は縹殺害を、『レッド』の手柄にしたいのですよね?」
「……え?」
全く予想していなかった言葉に、たまかは口を半開きにした。
「『レッド』の利益のためではない、たまかさんがただしたいから……そう仰っていましたけれど、貴方様がたが思惑もなく動くとは思っておりません。縹の死を、『レッド』が殺したということにすり替えたいのでしょう?」
たまかは全く思い至らなかったが、確かに水面を殺したのが実は『レッド』だったとすれば、『レッド』の権威は揺るがぬものになるのかもしれない。三大組織の一つを潰したと広まれば、『レッド』への畏怖もさらに増すだろう。それを狙ってたまかは水面の死を探り、さらには隙を見て真実をすり替えようとしているのだと、しをりはそう考えていたようだ。
「ですが我々は縹の死に関与しておりません。監視カメラの映像も公開してしまいましたし……実はあの消火設備を陰で作動させていたのが『レッド』だったと、そう公表してもよいですが。……それは『レッド』が『グリーン』を助け、『ブルー』を潰す為に動いてくださると約束していただいてからです」
そんなに旨い話はないとでも言うかのように、彼女はじっとりと目を細めた。たまかは怪訝な声で尋ねる。
「もし『レッド』がそれを狙っていて、そのためなら見返りも惜しむことなく用意すると言ったら……『グリーン』は水面さんを殺した犯人だと名乗り出るのですか?」
「いいえ、先程も申しましたが縹は事故死です。なので、私達には事故の証拠を捏造するくらいしか出来はしませんね……提示出来るような縹を殺した事実は、何もありません」
例え裏で取引をするとしても、あくまでも水面は事故死ということを一貫して主張するようだ。しをりは何かを考えるように、視線を逸らした。
「ですが、そうですね。万が一、縹が事故死でなかったのだとすれば……私達より、『ブルー』の新しい長を疑うべきではないでしょうか」
「え?」
「私達は縹に機械を壊された、力を持たない被害者です……私達より、あちらの方が余程怪しいと思いますが」
たまかは困惑を浮かべ、頭の中で浮かべていた様々な思考を霧散させてしまった。
「な、なぜ水波さんを疑うのでしょう……?」
「縹を殺して得のある者だからです。彼女は『ブルー』のリーダーを乗っ取り、そして言いがかりをつけて私達を潰そうとしています。恐らく私達の最先端技術が、『レッド』や『ラビット』の力になってしまうことを危惧していたのでしょう。また縹に近い者ですから、彼女なら縹の行動もある程度誘導出来たでしょう。事故を仕組むことも可能だったかもしれません。それに彼女は……」
しをりはそこで言葉を止め、その先を口にはしなかった。
「……とにかく、彼女は怪しいということはお伝えしておきます。このまま野放しにすれば、いずれ『レッド』も隠されていた鋭い牙によって、噛み付かれてしまうかもしれませんよ……」
暗い笑みは、まるで何かを知っているようだった。たまかは思わず戸惑いをその表情に滲ませた。何も言葉を返すことが出来ないまま、水波の顔を脳裏に描く。
「……誰かの思惑が絡んでいたのか、あるいはただの天罰だったのか、詳しいことはわかりません」
しをりは黙ったままのたまかに代わり、話を続けた。
「ですが縹が死んだこと自体は、喜ばしいことでしたよね。縹がいなくなって、貴方様の目指す世界にも一歩近づけたのではありませんか。誰も傷つかない世界にとっては、彼女が一番大きな障害でしたでしょうから」
しをりはそう言って、たまかの顔を窺った。穏やかな微笑みと柔らかな心地よい声に包まれてなお、たまかの顔は強張ったままだった。
「『ブルー』は縹が死んでもなお、数多の者達を手あたり次第に殺し、金と武器を巻き上げております。私達のような無害な者達にまで虐殺を……これは一方的な蹂躙です」
その声は硬い。彼女はたまかへと真剣な顔を向けた。
「『レッド』が本当に手を差し伸べるべき相手に気が付き、そして最先端技術を有用に使用してくださることを心よりお待ちしております。貴方様方がこの国から暴力を退け、そして頂点に立つその日を、私達はどこよりも未来を生きる技術と共に心から望んでいるのです」
その言葉に嘘偽りはないと訴えるかのように、彼女は真っ直ぐとたまかへと言葉を投げた。
「貴方様がたが正しい選択をすれば、この唯一無二の技術はいつでも答えます。覚えておいてください、貴方様の傍にはとてつもない力が眠っていることを」
***
『グリーン』の建物を後にし、たまかは知らず重い足取りで小道を進んでいた。しをりと対峙した、重い空気の会議室。彼女の真剣な顔。柔らかな声、友好的な言葉の数々。ぶつけた疑問に対する、迷いのない淀みない答え達。たまかの頭に纏わりつき、離れない。
(嘘をついているようには、見えませんでした……)
何が真実なのか。少ない情報を掻き集めて見えてきた真実が、また曇り始めた気がする。たまかは顔を暗くした。
行きは緊張でいっぱいいっぱいだった曲がり角。たまかは日に背を向けてそこを曲がり、『グリーン』のアジトから完全に姿を消した。そして影に潜み、制服のポケットへ手を突っ込んだ。仕込んでいた小型のボイスレコーダーの録音を止める。同時に、『レッド』が盗聴するのに使用していた小型デバイスをオフにした。ふぅと小さく息をつくと、たまかは『レッド』へ戻るために歩みを再開させた。
(ん?)
そこで、奥からこちらへ向かってくる深緑色を視界に入れた。彼女も丁度顔をあげたところだったようで、純白の制服に気付いて「うげっ」という声が聞こえてきそうなほど顔を顰めた。彼女の顔は、たまかの知っているものだった。
「……やよゐさん」
思わず彼女の名前を呟く。やよゐは突然踵を返すわけにもいかなかったようで、渋々といったように近づいてきてたまかの前で足を止めた。
「……どうも。『グリーン』に用事でしょうか……?」
どこか気まずそうにやよゐが口を開く。
「もしかして、縹のAIを買いに……?」
「いえ、しをりさんと会談をしてきました。少々お尋ねしたいことがありまして……」
「ああ、そういえば会談って今日でしたっけ。では、お帰りになるところだったのですね」
やよゐは納得したように頷いた。たまかは彼女の手から下がったコンビニ袋へと視線を下ろした。
「やよゐさんは、なぜここに?」
「これから配信があるので、その前に腹ごしらえをしようと思ってご飯を買ってきたんです。『ブルー』に見つかったら大変ですから、最近は配信や動画の撮影も全部アジトでやっているもので……」
買い物を終え、『グリーン』のアジトに帰るところだったらしい。彼女の声は営業の時のようにハキハキしたものではなく、心なしか小さくしどろもどろだった。そして、バツが悪いかのように始終目が泳いでいる。
「……では、あたいはこれで……」
そそくさと立ち去ろうとするやよゐへ、たまかは思わず声を張った。
「待ってください」
やよゐはぎくりと体を強張らせ、渋い顔をした。
「なんでしょう? さっきも言ったように、この後配信があるのですが……」
「あの……やよゐさんにもいくつかお伺いしたいことがあるのですが、いいですか?」
「へ?」
たまかの申し出にぽかんとした後、やよゐはその顔に困惑を貼り付けた。
「情報ならボスにきけばよいかと……」
「しをりさんにもお尋ねしてきました。ですが、やよゐさんしか知らないことがあるかもしれません」
せっかくこうして会えたのだ、可能ならば情報は少しでも多い方がいい。しをりと話しても大きな手掛かりは得られず、却って本当に『グリーン』が水面を殺したのかよくわからなくなってしまった。やよゐに話をきければ、何か糸口が見つかるかもしれない。
「いやあ、時間を無駄にさせてしまうかと……ボスが知らないことは、あたいだって知りませんから」
彼女は袋を下げていない方の人差し指で、頬をポリポリと掻いた。そして、躊躇いを滲ませながらもたまかの顔を窺う。
「それより……たまかさんは、あたいの顔をもう見たくないと思っていましたが……」
「……え?」
気まずそうに逸らされた視線を、たまかは呆けたように見つめた。そんなたまかの様子に、言いにくそうにしながらもやよゐはぽつぽつと続けた。
「縹のAI……売りに行ったでしょう。……あれは、たまかさんはよく思わなかったのではないかと……」
「……」
「当然ですよね。誰かが傷つくことを嫌う人に、死んだばかりの人をまるで商品のように売りつけるだなんて……自分でも人の心がないって思いますもん」
(あれ……?)
自嘲するような暗い笑みを零すやよゐに、たまかは今までの前提が崩れていく音を聞いた気がした。
「たまかさんはそのことをずっと怒っていると思っていました。だから、なるべく顔を合わせないようにしていて……いや、謝罪をすべきかとも考えたのですが、組織としては縹のAIを『レッド』に提供するべきで、だからそれを謝るのは営業としては間違っていて……」
彼女は口をもごもごと動かし、眉尻を下げた。彼女なりに真剣に悩んでいたようだ。
「その……酷いことを言ってしまったことは自覚しています。たまかさんに対しても、縹に対しても。それでもあたいは、『グリーン』の営業担当として縹のAIを売らなければなりません。それが『グリーン』、そして『レッド』のためになるのならば」
心からの真摯な言葉に聞こえた。彼女は死んだ水面を商品として政治利用することに、良心の呵責を感じていたらしい。たまかは僅かに身を乗り出した。
「あれは……やよゐさんの意思ではなかったのですね?」
死んだばかりの水面のAIを作り、それを出しにして『グリーン』につくよう迫っていた彼女。『レッド』が水面の掴んでいる情報とその強さをいかに欲しているかを逆手に取り、水面のAIの商品としての価値を最大限に利用した脅しに近い取引の持ち掛けだった。それが悪い事だと思っていたのならば、あれを計画したのが彼女なわけがない。共にゲームを楽しみ、そしてたまかのために医療のデジタル化の提案までしてくれた彼女が本来の姿であるのならば、たまかに感性が近いはずなのだから。
「まあ……実行に移すことを決めたのはあたいですから、あたいの意思ではなかったと言うのも違いますけど。後ろめたさは、そりゃあ当然ありましたよ……」
彼女は苦い顔で口を尖らせた。たまかは焦ったように、より彼女へと顔を近づけた。
「では、どなたに言われてあんなことを?」
「勿論ボスです。たまかさんにとっては人の心がないように見えたかもしれませんが、『グリーン』や『レッド』の組織としての未来を考えれば縹のAIは間違いなく有用なものでしたから……。『ブルー』の情報を全て握っていて、無敗を誇る最強の兵士。他の組織を壊滅させるならば、あれほど『レッド』の助けになってくれるものはありません。そしてそれを『グリーン』が提供出来れば、『レッド』は『グリーン』を目に掛けてくれるようになるでしょう。双方にとって最も求めていたもの、それが縹のAIだったのです。ですからボスの言う事も何もおかしくはありません。ただ……それをたまかさんが良しとするとは、思っていませんでしたけど……」
組織の利益だけを考えるなら、『レッド』が水面のAIを買えば全てが上手く運んでいたはずだった。求めているものを全て備えている水面がいれば、『ブルー』も『ラビット』も今頃壊滅させられていたかもしれない。『レッド』の長がたまかでなければ、やよゐが来た時点で『レッド』は即座に購入を決めていただろう。しかしたまかは組織の利益よりも死者の尊厳を重視する人間で、そしてやよゐも言葉を交わしてきてそれを感じ取っていた。そしてやよゐも、それを後ろめたい事だと認識していた。そんなやよゐが進んでたまかへ水面を売りつけるわけがない。ならば死んだ水面を政治的商品に仕立て上げることを選択したのはやよゐではない、彼女の言う通りしをりなのだろう。しをりは組織の利益のためならば、道徳や倫理観に頓着しないタイプなのかもしれない。
(やよゐさんと接する限り、彼女は平和を愛する方のように感じていました。それなのに度々乖離のある振舞いがあって疑問に思っていましたが……あの違和感は間違いではなかったのですね)
たまかとゲームをして笑い合っていたのが本当の姿なのだとしたら、たまかの力になろうと提案をし、そして人の傷つかない世界に共感してくれた言葉こそが本音。つまり狡猾に思って警戒していた彼女の行動は彼女主体ではなく、全て他の者から指示されて実行した可能性が高い。
「……もしかして最初にAIを売り込みに来た時に、『レッド』だけ他の二組織より意図的に遅らせたのも、やよゐさんが仕組んだことではないのですか?」
「え? ……そうですね、それは全部ボスの指示ですが……」
突然話が飛躍したことに目を丸くした後、やよゐは不思議そうな顔ながらも頷いてみせた。たまかは自身が思い違いをしていたことに、漸く気が付いた。
(狡猾で計算高いと思っていた彼女の行動は、全てしをりさんの指示だった……)
先程まで対峙していた、穏やかな微笑みが蘇る。
(つまり、しをりさんは……)
『レッド』がAIを導入せざるを得ない状況を作り出し、そして『レッド』が最も求めているタイミングで水面のAIを使って脅しをかけたのは、全て彼女の策略だったことになる。ならば彼女が計画したのは、本当にそれだけだったのだろうか。
(……)
たまかはその顔を険しくした。
(彼女は、まるで林檎さんのよう……)
組織の利益のためならば、非人道的なことも厭わない。緻密に計算し、相手が意のままに動くよう裏から操る。それは『レッド』の前リーダーである、林檎のやり方だった。
「あのお……?」
黙り込んで深刻な顔をするたまかに、やよゐはおずおずと声を掛けた。たまかははっとして、目の前の顔を見上げる。彼女は心配するように、たまかの顔を窺っていた。
(……この様子だと、きっとやよゐさんは遅らせた理由を何も知らないのでしょうね)
『レッド』だけ二組織から遅らせてAIを売り込んだ意図に気付いていないように見える時点で、彼女はその計略に関わっていない。それに知っていたのだとすれば、しをりの指示だとは言えずに適当に誤魔化していたはずだ。そうなると、彼女はただボスから言われるがままに行動していただけなのだろう。
(共にゲームをした時に見せてくださった笑顔、そして私の理想の世界に共感してくださった言葉……あれらは本心に見えました。……やよゐさんはきっと、組織の利益よりも道徳や平和を大切にしてくださる人間です)
感性が近いからこそわかる。たまかはその目を細めた。
(もし『グリーン』が水面さんの死に関わっていたとしても……彼女は本当に何も知らないのかもしれません)
たまかはこれまで、『グリーン』は組織ぐるみで不審な動きをしているのだと思ってきた。AIを使って他組織を陰で扇動したことも、情報を抜いて『ブルー』へデマを流したことも、全て。しかしもしやよゐが白なのだとすれば、『グリーン』の全てのメンバーが関わっているというわけではないのかもしれない。
「……」
たまかは険しかった顔に、微笑みを浮かべてみせた。
「やよゐさん、やっぱり……ぜひお時間を頂けませんか。しをりさんと同じ情報でも構いません、貴方の口からお聞きしたいのです」
やよゐは目を丸くしたあと、渋い顔をして視線を逸らした。
「私はやよゐさんを怒っていませんし、責めるつもりもありません。勿論、水面さんを政治的道具にしたことについては許せませんが……それはやよゐさんの望みではなかったとわかっています」
「……」
やよゐの言っていた通り、組織の利益を考えるならばあの行動自体は正しいのだ。たまかにとっては水面を冒涜する行為で許せるものではないが、今の抗争時代倫理観などあってないようなものであり、それを責めることは出来ない。だからこそ、たまかはショックは受けていたものの、やよゐを責める気などなかった。やよゐの思惑ではなかったと知った今では猶更だ。
「少しだけでも構いません。お時間頂けませんか……?」
「……まるでたまかさんの方が営業になったみたいですね」
やよゐは薄く苦笑を浮かべた。飛び込み営業の時の辛さが想起されたのか、逸らし続けていた視線がたまかへと戻された。
「……わかりました。配信の時間までご飯を食べるので、そのついでで良ければ……」
「ありがとうございます!」
たまかは顔を晴らした。それを見て、やよゐは困ったように笑みを浮かべる。
「共にドラゴンを討伐した戦友に頼まれては、断れませんからねえ……」
彼女はたははと頭を掻いた。彼女の中で、たまかとゲームをした時の思い出はかけがえのない大切なものとなっているようだ。やよゐは萌黄色の二つの髪の束を揺らし、アジトの方へと一歩足を踏み出した。
「では、申し訳ないのですがあたいの部屋まで来てもらってもいいですか? お箸をつけてもらわなかったので……話はそこでしましょう」
彼女の肩から零れる若緑色のレース布が、ふわりと舞う。深緑色の背中は、アジトへ向かって歩き出した。その背についていこうとして、たまかは自身の制服のポケットへと密かに視線を落とした。
(ボイスレコーダーも盗聴デバイスも止めちゃいましたが……仕方ありませんね)
今操作をしてバレてしまうようなことがあれば、しをりとの会談中全て録音し盗聴していたことが確定してしまう。『グリーン』側への心証は良くないだろうし、それを尾ひれを付けて変に触れ回られたら確実に『レッド』の立場が悪くなる。たまかはポケットに手を伸ばすことを諦め、そのままやよゐを追い駆けていったのだった。
たまかは後にしたばかりの『グリーン』のアジトへ逆戻りし、やよゐに案内されるがままにある部屋を訪れた。どうやらここがやよゐの使っている部屋らしい。大きなデスクトップパソコン、そしてコントローラーやいくつかの機材が置かれていた。配信や動画用の撮影をしていると言うだけあって防音がしっかりしているようで、先日訪れたこずゑのいた部屋とは壁の内装が異なっていた。彼女はコンビニ弁当を温めながら「たまかさんも何か食べますか?」と訊いてくれたが、たまかは遠慮しておいた。長として不用意に出されたものを口にしてはいけないと、桜に口を酸っぱくして言われているためだ。
「それで……あたいに訊きたいことって何でしょう?」
ほかほかの三色丼を前にして手を合わせたあと、やよゐはたまかへと尋ねた。大きなモニターとキーボードを前にしてご飯を食べ始めたやよゐの横で、サイドチェアに座ったたまかはそれを眺めながら口を開いた。食欲をそそる匂いが鼻に舞い込む。
「水面さんの死、そしてAIについてお聞きしたいと思っています」
「縹の死……?」
濃い色のそぼろがたっぷりと乗った白米を口に運び、やよゐは不思議そうに繰り返した。もぐもぐと口を動かす。
「水面さんの死が……事故死ではないのではないのかもしれないと、疑っております」
「ん……?」
「そして、『グリーン』が関わっているのではないかと……そう睨んでいます」
「んん!?」
彼女は口の中のものを喉に詰まらせたようで軽く噎せた。慌ててペットボトルを掴み、水を口の中へと流し込む。咳き込んだあと、彼女は驚愕を貼り付けてたまかへと顔を向けた。
「いやいやいや、縹なんて殺せませんって! あたい達は技術力はありますけど、小さな組織で抗争もからっきしです。無敵の縹を殺せる程の武力はありません!」
「私達も、最初はそう思っていました。ですが……必死に集めた情報達は、どれも『グリーン』が怪しいと告げているのです」
「……」
やよゐは言葉を失ったように固まった。信じられないと顔に書いてある、それはそうだろう。自分の属する小さな組織が、三大組織の長を殺害したかもしれないなんて信じられるわけがない。やがて彼女は静かにペットボトルを机に戻すと、視線を彷徨わせながらもおずおずと言葉を探し始めた。
「……たまかさんは、本気で言っているのですか?」
「本気です。ただ、証拠は一つも見つかっていません。ですから、一つでも多く情報が必要なのです。『グリーン』が関わっていないのだとしても、それを確定するためにも情報は重要です。私達は、真実を知りたいのです」
「……。いやあ、にわかには信じられませんが……」
彼女の戸惑う顔は、自身のボスを思い浮かべているようだった。
「やよゐさん。やよゐさんとしをりさんは、本当に目指す世界は同じなのですか……?」
「……」
「私には……そうは思えなくなりました。やよゐさんは最先端技術を人のために役立てたいと仰っていましたよね。人のため、笑顔のために自分達の技術を使いたいと。ですがしをりさんは水面さんの死後すぐに彼女のAIを作り、彼女を政治の道具として利用しています。彼女は本当に人のためや笑顔のために技術を役立てたいと思っているのですか……?」
たまか自身、ショックだった。彼女の物腰柔らかな雰囲気、穏やかな笑み。組織のトップとしても非の打ちどころのない、人当たりの良い頼りがいのある人間に見えていた。そんな彼女が、もし他人の尊厳を踏み躙る行いを平気でしていたのだとすれば。自分達の持っているテクノロジーを、平和のためでなく自分の利益のために使っているのだとすれば。やよゐ達を、裏切っているのだとすれば。たまかの表情は、どんどんと曇っていった。
「……」
やよゐはなかなか箸へ手を伸ばさないまま、忙しなく目を泳がせていた。
「ですが、ボスは……とっても優しいんですよ。あたいのようなしがないゲーム実況者を組織に迎えてくれたこともそうですし……他の組織への対応も、いつも丁寧で感謝されています。あたいはボスは世界で一番のボスだと思っています。好きなことをやらせてくれますし、ミスをしても怒られたことすらありません。優しくて、皆から好かれて、頼りになって……それにあたい達のような抗争では役立たない才能にも価値を見出してくれる、恩人でもあるんです」
やよゐは心からしをりを慕って『グリーン』にいるらしい。先日会ったこずゑの様子からして、きっとこずゑも同じだ。少数精鋭だからこそ、その結びつきは他組織よりも強いのかもしれない。
「きっと……きっと何か誤解があるんだと思います。そうに違いありません」
やよゐはそう続けて、たまかへ強い眼差しを向けた。
「情報です。たまかさんの仰っていた通り、多くの情報を集めればきっと真実が判明します。ボスは無実だという、真実が!」
「……」
「さあ、なんでもきいてください!」
やよゐはやる気に満ちたように、胸の前で拳を握った。それから食事中だったのをやっと思い出したようで、彼女は放られていた箸へと手を伸ばした。
「ボスが縹のAIを売ったことだって、きっと組織のために仕方なくだったんだと思いますよ。ボスという立場上、心情的に嫌だと思っても実行を止められはしないでしょうから……」
黄色が眩しいふわふわとした卵をこんもりと乗せ、二本の棒は大きく開いてご飯を挟んだ。
「ボスはあたいの配信の同接数が伸びた時も、視聴者参加型の企画が成功した時も、自分のことのように喜んでくれました。『グリーン』の技術が他の組織に受け入れられるためにいつも尽力してくれて、依頼が来ると彼女と話したお客様は必ず笑顔で帰られます。酷いことや悪いことを企むようなお人ではないのですよ……」
そう零したあと、やよゐは箸の上のものを豪快に口へと入れた。嫌な疑惑も含めて全て飲み込んでしまおうとするかのように、大きく膨らませた口を仕切りに動かす。
「……そうですね。やよゐさんの言うことが本当かもしれません。だから、私達は……真実を知る必要があるのです」
たまかはそうぽつりと漏らした。『グリーン』が関わっていないのだとすれば、しをりが計画していないのだとすれば、そして水面が事故死だったのだとすれば、それはそれでいいのだ。水面を悪意を以って殺した人間などおらず、しをりは潔白だったとすれば、水面の仇などいない平和な世界が広がっていることになる。しかし『ブルー』の面々を見る限り、真実がそんな綺麗で望み通りの景色をしているとはとても思えない。
「その一歩として……まずは水面さんの死を捉えた監視カメラの映像について教えてください。あれは信用できるものですか?」
たまかは慎重にそう切り込んだ。やよゐはごくりと飲み込むと、こくこくと真剣に頷いてみせた。
「はい、あれは『グリーン』の所持している監視カメラの映像で間違いないと思います。日付の表示とか、アジトに使っている監視カメラと同じ様式ですから。あれには縹の事故死だという決定的瞬間が写っていたはずです」
「うん……? あの監視カメラの映像は、やよゐさんは取り扱ったりしたわけではないのですか?」
やけに間接的な言い方が引っ掛かり、たまかは首を傾げた。やよゐはあまり追及されたくなかったのか、苦い顔を浮かべていた。
「うーん、実は……今回縹の死体が見つかった建物について、あたいは存在すら知らなかったんですよね」
「え?」
「あたいは実況をしているだけで、システムの保守に関わっているわけではありませんから。あんな場所に『グリーン』の所有する建物があったなんて知り様もなく、監視カメラの映像が投稿されて初めて認識したものでして……。だから監視カメラや映像について、あたいは何も関わっていません。でも先程も言いましたように、『グリーン』の所有する監視カメラだと見て間違いないと思いますよ」
その答えにたまかは顎に手をあて、俯いた。
「……システムの保守に関わっていた方ならば、あの建物について知っていたのですか?」
「そうだと思います。たまかさんが知る人物なら……こずゑが該当すると思いますよ」
やよゐは建物の情報を何も持っていないようだ。恐らく壊された機械の用途についても知らないのだろう。
「『グリーン』でも知らない方のいるような建物の場所を水面さんは知っていて、侵入して機械を壊した……。……やよゐさんから見て、水面さんが機械を壊した理由は何だと思いますか?」
「うーん、何かあたい達に要求をしたくて、その脅しとして壊したのではないでしょうか? 『ブルー』は野蛮ですからねえ……」
彼女は『ブルー』の面々を思い浮かべているのか、苦い顔をしていた。推察の内容はしをりが言っていたこととほぼほぼ同じだ。
「……では、水面さんの件からは離れて……AIの謎についてお伺いしてもいいですか?」
「と、言いますと?」
「『グリーン』はAIを、一体どのようにして作り上げているのですか? 死者をあそこまで完璧に模倣するなんて……生前の膨大な情報が必要ですよね?」
彼女は浮かない顔のまま、口にご飯を入れて咀嚼した。
「それは、企業秘密ですから……。あたいも言えません」
「……」
「ただ、不正とか悪いことをしているわけではありませんよ。死者を最先端技術で蘇生した……それだけなのです……」
再び三色丼を口に運ぶやよゐの横顔を、たまかはまじまじと見つめた。
「しをりさんは……各組織の死者に近しかった方々から情報を集めていると仰っていました。それは本当ですか?」
「え?」
やよゐの咀嚼していた口が止まり、驚きに満ちた顔がたまかへと向く。
「地道に聞き込みを行い、死者に近づけているのだと……不正をしていないと言うのでしたら、それは嘘ではないということですか?」
「な、なあんだ……もうボスが言ってたんですね。そうですよ、ですから後ろめたいところは一切ありません……」
やよゐは苦笑を零し、安堵したように同意した。たまかが鎌を掛けたことに気が付いてすらいない様子だ。抗争から距離を置いていた彼女には、駆け引きの発想すらないのだろう。たまかは罪悪感を覚えると共に、心の中で彼女へと謝った。……だがこれで、死者のAIを構成する情報の入手先は確定したことになる。
「……ですがどなたも『グリーン』へ情報提供をしていると名乗り出てきませんよね?」
「それはそういう契約ですからねえ。見返りに、『グリーン』は大金をお渡ししているのです。公正な取引ですよ」
やよゐは言いながら紅ショウガを箸で摘まみ、口の中へと放った。小気味良い音がくぐもって響く。
「契約を結んだ方々の音沙汰がないのは、契約があるからではなく全員既に死亡しているからという可能性はありませんか?」
たまかの言葉に、やよゐの口がぴたりと止まる。シャキシャキという音も消え、静けさが満ちた。
「……ほへ……?」
「『レッド』が『グリーン』を怪しんでいる一端がそれなんです。実は『グリーン』と契約を結んだ組織員の方が、何者かによって殺されて死体として挙がりまして……何かご存じありませんか?」
『レッド』が『グリーン』を探り始めたのは姫月の証言からであり、そもそも『グリーン』と契約を結んだ組織員は誰も名乗り出てはいない。しかしたまかはそれを悟られないように、自然さを取り繕ってはったりをかました。『レッド』が自身のメンバーの敵討ちのために探りを入れているとした方が、やよゐも納得しやすいだろう。『グリーン』と契約をしていた証拠はないが、実際に疑惑のあるメンバーが死亡しているためまるきり嘘というわけでもない。
「いえ、何も……。どこかの抗争に巻き込まれたのでは? よくあることじゃありませんか……」
呆けていたやよゐは、乾いた笑みを浮かべて口の動きを再開させた。しかし動揺に目が泳いでいる。
「やよゐさんは、情報提供者の方とはその後連絡を取ってはいないのですか?」
「そうですね、情報を頂きお金を渡す、それが終わったら以降の接触はありません」
(やよゐさん、もしかして情報提供者が消されていることに気が付いていない……?)
たまかは眉間に皺を寄せた。『グリーン』やしをりのしていることにやよゐが何も関わっていないのだとすれば、彼女がここで誤魔化したり嘘をついたりする理由はないはずだ。彼女の戸惑いは演技ではない。
「あの……それでは、『レッド』が導入している梅さんのAIなんですけど……インプットされていない情報があるんです。情報提供者を開示する必要はありませんから、再度接触して裏を取って頂けませんか。情報提供者は複数いるはずですよね」
「……インプットされていない情報?」
「はい、家族構成の情報です。今のAIの認識と違っているので、修正して頂きたいのです」
やよゐは少し悩むように眉を下げたあと、ご飯を取って口へと運んだ。
「……わかりました。それはまあ、AI運用のフォローの範疇ですからね……。……情報を提供してくださった方が今どうしてるかなんて、今まで気にしたこともありませんでした。きっと大金を得て生活に潤いが出て、さらには活躍し通しのAIに陰で貢献出来たなんて最高の気分でいるんだろうなあって思っていたくらいです」
やよゐは依然たまかの話を信じられていないようで、どこか遠い目をしてそう言った。しかしやよゐが幸せに過ごしていると思っていた相手は、現実では皆人知れず誰かに殺されていた。情報提供者に再び会う機会が無かったのだとすれば、梅の情報の裏を取ることがきっかけで彼女はその嫌な現実に向き合うことになるかもしれない。
「あとは……AIの挙動についてもお尋ねしたいです。AIが導入先の情報を抜いたり、誰かを扇動したりする可能性はありますか?」
「ありませんよ、そんなの! AIは導入して頂いた組織に利益を齎す『商品』です……お客様を不安にするような動きはすることはありません」
やよゐは真面目な顔でそう言い切った。……彼女は本当に何も知らないということが、たまかにも痛い程伝わった。
「AIの構造上、出来ないということですか?」
「いえ……、まあ、やろうと思えばそういう機能を付けられることは事実です。『グリーン』の技術はどこよりも未来を生きていますから……出来るか出来ないかで言えば出来ます、やりませんが」
やよゐは口を窄めた後、小松菜の乗ったご飯を口に入れた。
「しをりさんがそのような機能をつけた可能性はありますか?」
「ボスはほんはほほひはへんほっ!」
口の中のものが邪魔をして言葉になっていなかったが、彼女の顔にはありありと否定の表情が浮かんでいた。
「つけたような素振りはありませんでしたか?」
「……作成されたAIは、最終チェックの一環でボスに預けて確認が入ります。それにボスは最高権限を持っていますから、ある程度自由にAIのログのチェックや操作も行っています。なので彼女の行動を四六時中見張ることは不可能です……でもボスはそんなことをするお人ではありません」
(つまり、しをりさんの手が入った可能性はある、と……)
たまかはむむ、と眉を寄せた。タイミング的に可能ならば、正直しをりの人格だけで否定は難しい。彼女はやよゐに尊厳を踏み躙る言葉とともに水面のAIを売り込ませているのだから。
「わかりました。では次に……これはやよゐさんも答えやすい質問だと思います。『ブルー』で行方不明となり、その後死体となって見つかった方が最後に『グリーン』で目撃されているようなのですが、何かご存じないですか」
「『ブルー』?」
「はい。この方達です」
たまかはスマートフォンを取り出し、青空から貰った写真を見せた。『ブルー』の薄群青色の制服に身を包む、二人の少女が写っている。
「……」
やよゐは画面を見下ろし、何も言わずに口を結んでいた。
「……やよゐさん?」
「死体となって見つかったって言いました?」
「言いましたが……」
「……」
たまかの不思議そうな顔での返事に、やよゐはどんどんと顔を曇らせていった。
「確かに……このお二人は見たことがあります。インターホンが鳴った時、応答は大体あたいがするので。ただ、『グリーン』にいらしたことがあるのは事実ですが、死体となって見つかったのは偶然だと思いますよ。帰り道に何かあったのでは……。『ブルー』がそう主張しているのなら、出鱈目の可能性も高いですし……」
「彼女達は『グリーン』へ何をしに来ていたんですか?」
「……」
やよゐは質問から逃げるようにプラスチック容器に残った米粒を摘まんでは口に運んでいたが、すぐに綺麗になってしまって諦めたように箸を置いた。
「……ボスはもう言ってるんですよね? AIの作成の仕組みを……」
「……はい」
「じゃあ言いますけど、情報提供のために来ていただいていました。絶対に口外しないという契約を結んで、大金を渡す代わりに『ブルー』の死者の方の情報を沢山いただいていたんです。あたいはそれに関わっていたわけではないので詳しいことは知りませんが、彼女達は話を持ち掛けたら自ら『グリーン』に来て下さいましたし、部屋に案内している時も非常に協力的でしたよ」
「お二人が帰る時はどうでしたか?」
「帰りは見ていませんね、あたいは部屋に通すところまでが仕事だったので」
「では情報を聞く役は、どなたが担っていたのですか?」
「ボスです、AIの根幹を成す重要な部分ですから。口外厳禁、誰にも見られたらいけないAIの中枢……『グリーン』側も極一部の人しか関わらないようにしていたんです」
たまかの表情がどんどんと険しくなるのを見て、やよゐは気まずそうに視線を逸らした。ペットボトルを掴み、中の水を喉へ流し込む。
「やよゐさんは来客の取次をすることが多かったのですよね? では、もう御一方……水面さんが『グリーン』を訪れたりはしませんでしたか?」
「……」
ペットボトルが口から離される。
「その辺りは別にボスに訊いても良かったと思いますけど……訊かなかったのですか?」
「しをりさんにもお尋ねしました」
来訪者の情報など、知られて困るような情報でもない。しをりが言い渋るようなものでもたまかが訊きにくいものでもないと思ったのだろう。やよゐの疑問に、たまかはこくこくと頷いてみせた。
「一度も訪れていないと聞いています」
「……え……?」
「監視カメラの映像も見せて頂きました。一ヶ月程のアーカイブを全て見させていただいたのですが、水面さんは写っていませんでした」
驚愕に見開かれ、ペットボトルを宙に掲げたまま固まってしまったやよゐは、まるで彼女だけ時が止まってしまったかのようだった。
「ですが、複数の証言があった方が情報は強固になりますから」
固まったままのやよゐへとたまかは身を乗り出した。彼女の顔を窺う。
「やよゐさんは見ていませんか?」
やよゐははっとしたように体を揺らし、忙しなく目を泳がせた。
「……」
どう答えるべきか、一体誰につくべきなのか。彼女は必死に頭の中でいろいろと考えているようだった。しかし全てがその反応に出てしまっている。……彼女の様子を見るに、しをりの答えは真実を告げていなかったようだ。
「えと……」
上擦った声はなんとか取り繕おうとしているのが見て取れたが、しかし彼女も自分の反応でたまかに全て伝わってしまったことは察したようで、慌てたように口をぱくぱくと開いた。しかし誤魔化す言葉は出て来ず、彼女はそのまま押し黙ってしまった。
「…………」
長い沈黙。彼女は焦りを滲ませていた顔を悲し気なものに変え、やがて肩を落とした。
「何かボスが勘違いしていたか記憶違いを……。……と、いう訳ではなさそうですね……」
暗い声色で、彼女は諦めたようにそう吐いた。
「そうなんですね……。ボスは訪れていないと……。映像も……」
彼女は顔を暗くして、ぼそぼそと呟いた。直面した現実を、嫌々と受け入れるように。
「……はあ。たまかさんの言葉が本当ならば……」
彼女はため息を漏らしたあと、静かに見つめ続けるたまかへと真っ直ぐと視線を絡めた。
「ボスは……あたい達の想像もつかないような、途轍もないことを仕出かしているのかもしれません。信じられませんが、でも……監視カメラの映像に細工がされているならば、ボスはログの閲覧権限があるため気が付くはずなんですよね……」
やるせないような顔は、裏切られた悲しさが満ちている。たまかは身を乗り出したまま、目を細めた。
「では……しをりさんは嘘をついていたのですね?」
「……そうですね、そうなります。縹は『グリーン』を訪れているんです、ボスと話がしたいと言って……。監視カメラの映像に縹が写っていないのなら、何かしら手が加えられていると見てよいでしょう。映像の改竄なんて、あたい達にとっては基礎中の基礎ですからね……」
「そうなると、SNSの投稿に添付されていた映像にも手が加えられていた可能性が浮上するのでは?」
「……」
やよゐは渋々といったようにぎこちなく頷いた。そんな彼女に対し、たまかは考え込むようにして尋ねる。
「やよゐさんは、水面さんが何の話をしに来たのかは知っていますか?」
「いえ。あたいが話を聞こうと思ったのですが、ボスでなくては駄目だと言われて……ボスと二人で何か話をしたようです」
「それはいつ頃ですか?」
「確か、縹が死体で発見された日の前日です」
「前日……つまりその会談によってお二人は決裂して、それで水面さんは『グリーン』の機械を壊しに向かった、ということですね」
段々と水面の不可解な行動の背景が見えてきた気がする。
「水面さんと会ったことを隠したということは、しをりさんにとってそれが不都合なことだったためのはずです。しをりさんが隠蔽した証拠を見つけ出すことは可能ですか?」
「……」
「あるいはAIから情報を抜いたり、操作したりした記録が残っていればそちらでも構いません。もしくはSNSに投稿した監視カメラの映像に手を加えた痕跡など……。それらは、やよゐさんが追うことは可能ですか?」
やよゐは膝の上に乗せていたペットボトルを、静かにテーブルの上へと戻した。彼女は眉根を寄せていて、悲し気ながらも、何か言いたげな様子だった。
「……たまかさん」
彼女は諭すように、たまかの名前を呼んだ。
「はい」
「あたいは……『グリーン』の人間です。自分の組織のリーダーを窮地に追い込むような真似……『グリーン』のメンバーならばするわけにはいきません」
例え彼女の行動が怪しくとも、彼女に恩義を感じ、彼女を信頼してきたやよゐには裏切るような行為は出来ないのだろう。
「それに、縹が来たことをボスが隠したのだとしても……彼女が悪いことをしているとまだ決まったわけではありません。何か理由があったのかも」
嘘をついていた時点で限りなく黒いことは彼女もわかっているはずだが、それでもやよゐは懸命にそう主張した。
「もしやよゐさんがしをりさんに恩義を感じているのならば、悪事に手を染めているかもしれない彼女を正しい道に戻すことこそが恩返しになると思いませんか?」
「ですがたまかさんの仰っていることにも何も証拠はありませんよね? あたいは……『グリーン』の一員として、ボスを信じたいのです」
「……」
「……」
自身の所属する組織の長となかなか敵を殲滅してくれない他組織の長、どちらの言い分を信じるかといえば、勿論前者だろう。やよゐとしをりは、きっとそれに値するだけの時間を共に過ごしてきたのだ。組織に所属する身として、たまかにもやよゐの気持ちは理解出来る。しかし水面や水波、青空、姫月達の顔が浮かび、たまかは顔を伏せた。
「……しをりさんは、昨今の情勢を全て操っている可能性があるんです。最悪、水面さんの殺害を企て、他組織の情報を抜き出し、抗争が激化するよう扇動し、そして口封じに多くの方を葬っているかもしれません。数え切れない程の方を傷つけ犠牲にしているのだとしたら、そうして進む道が正しいとは思えません。真実を確かめるためにも……やよゐさんの協力が必要なのです」
「ボスは……そんなことしません」
やよゐは眉を寄せ、睨むようにしてたまかを見つめた。しかしその言葉に、覇気はなかった。
「……」
一方でたまかも譲る素振りはなく、やよゐをじっと見つめ返していた。言葉は返さなかったが、その瞳は真っ直ぐとやよゐを射貫き、揺るがぬ信念が見て取れるものだった。二人は暫し見つめ合った。先に視線を外したのは、やよゐだった。
「……こうしましょう」
彼女は椅子から腰を浮かした。深緑色の布が、重力に従ってすとんと落ちて揺れる。立ち上がったやよゐは、厳かな顔でたまかを見下ろした。
「ゲームをするんです。たまかさんが勝ったらあたいはボスの不正の証拠を探しましょう。あたいが勝った時は、たまかさんにはこのままお帰り頂きます。どうでしょう」
「……」
「あたいはゲーム実況者ですが、プロゲーマーではありません。ですからゲームで決めることがあたいに有利というわけでもありません」
やよゐはブレスレットを揺らし、片腕を広げた。
「勿論断っても構いません、それでしたらあたいはそろそろ配信の準備を始めます。あたいはどちらでも構いませんよ」
「……」
突然の提案にも、たまかは動じずにじっとやよゐの顔を見上げたままだった。たまかの答えは、決まっていた。
「……わかりました。その勝負、お引き受けいたします」
『レッド』、そして『ラビット』からでは『グリーン』内部を暴くのに限りがある。もしもしをりが映像を改竄していたりAIを不正に操作したりしていたのなら、その証拠を掴むことは『グリーン』の者にしか出来ないだろう。ならばたまかには、引き受ける以外の選択肢は存在しない。やよゐは久方ぶりにその口元に笑みを湛え、頷いて見せた。
「では……ビデオゲームの金字塔、有名なパーティーゲームソフトのミニゲームモードを使用しましょう。このタイトルは沢山のミニゲームが遊べまして、さらにどれも直感的な操作かつ妨害行為や運要素が含まれるので経験や練習の有無があまり響かないんです」
「運要素があるのですね」
「はい。初めてやる方でも全然勝利の可能性があるゲームです。三本勝負で……やるミニゲームはたまかさんが決めて構いません。準備しますので、少々お待ちを」
やよゐはそう言った後、空の器の前で手を合わせた。食事のゴミを片付けた後、彼女は部屋の隅から古いコンシューマーゲーム機を持って来た。大事に手入れされているらしく、傷一つついていない。続けてコントローラーを二つ持ってきて、一つをたまかへと渡した。たまかはそれを物珍しそうに眺めた。その間にやよゐはテキパキと準備を進め、繋がれたモニターにはすぐにゲームのキャッチーなタイトル画面が表示された。
「どれがいいですか?」
やよゐは慣れたように操作していき、気付けば沢山のミニゲームが選べるセレクト画面へと移動していた。たまかの予想していたよりも、何倍も種類がある。圧倒されそうな画面に目移りしながら、たまかはたどたどしくコントローラーのスティックを押し倒した。ミニゲームにカーソルを合わせると、選択しているゲームの簡単な概要と操作説明が表示された。
(確かにやよゐさんの言う通り、操作自体はどれも非常にシンプルですね。運要素も結構強そうです。だからこそ、ゲームの種類によって有利不利はなさそうですね……)
少しでも自分の勝率が上がりそうなものがあればそれを選ぶべきだろうが、何を選んでもあまり変わりそうにない。そう判断し、たまかはとりあえず目に留まったものに決めることにした。
「これでどうでしょう」
「では、それにしましょう」
たまかの選んだゲームは、円形のエリア内で逃げ続けるサバイバル方式のゲームらしかった。棒状の障害物が常に円を描くように画面上で回転し続けているため、自分の場所に来たときにタイミングよくボタンを押してジャンプしなければいけないらしい。また途中で恐竜も登場し、プレイヤーたちを食べようとするようだ。恐竜は時間経過などで消滅するらしく、障害物や恐竜からいかに長く逃げ切れるかを争うゲームのようだった。
「理解しました」
たまかは説明を読んで軽く操作を試すと、こくこくと頷いてみせた。やよゐは勝負前で落ち着かないのか、試合前の選手のようにペットボトルを傾けて水を飲んでいた。キャップを閉めながら、たまかへ穏やかに笑んでみせる。
「では、一回だけ練習を挟みましょう。その後三本連続勝負、先に二勝した方が勝ちです」
「わかりました」
二人は準備完了ボタンを押した。すぐにゲームが始まる。準備している時にやよゐが適当に決めたのか、たまかのプレイヤーキャラは可愛いリボンをつけたリスのキャラだった。CPUを含めた四キャラがエリアに投げ出され、『スタート!』というポップな文字が表示される。たまかはコントローラーを必死に握り締めた。
(えと、ジャンプの時にボタン……障害物が来た時……、ここ!)
棒が迫り、たまかはコントローラーのボタンを押した。キャラと一緒に大きく体を傾けてしまったが、無事に障害物を跳び越えることが出来た。ほっとしたのも束の間、辺りから恐竜が押し寄せる。若干の追尾性能があるらしく、リスのキャラと近くにいたCPUを狙って追ってくる。たまかはそれから逃げるように遠ざかった。すると挟まれるように障害物が迫っていて、たまかは焦りながらボタンを押した。再び跳び越えることが出来、ほっとする。すると二体目三体目の恐竜が現れ、たまかや他のキャラに向かって寄って来た。
(い、意外と忙しいゲームですね……!)
棒の位置を確認し、自分のキャラの位置を確認し、現れる恐竜、そして追いかけて来ている恐竜を把握しなければならない。そこから逃げたりジャンプしたりする操作も必要で、休む暇がない。チラリと他のキャラを確認すると、丁度CPUのスズメのキャラが棒に轢かれてエリア外へ弾かれたところだった。脱落ということだろう。残るやよゐの柴犬のキャラ、そしてCPUのシャム猫のキャラはエリアの中をまだ跋扈している。柴犬は棒をいとも容易く避けると、恐竜の誘導をするようにポジショニングをしていた。
(なるほど、ああやって避けるといいのですね)
やよゐの動きを参考にしようとした時、迫り来る恐竜二体に挟み撃ちにされ、リスはエリア外へ吹っ飛ばされてしまった。その後は柴犬とシャム猫が逃げ惑っていたが、すぐにシャム猫が棒に弾かれて勝負が決した。リザルト画面が出て、セレクト画面へと戻る。
「操作には慣れました?」
「はい。次からが本番ですよね」
「ええ。では、参りましょう!」
すぐに再びゲームが始まる。たまかはコントローラーと共に体を傾けながらも、必死にボタンを押してリスを操った。棒から逃げ、恐竜から逃げ、再び棒から逃げ……恐竜を誘導する。リスの横で、CPUのスズメが恐竜によってエリア外へ飛ばされた。スズメは弱いCPUなのかもしれない。たまかは棒と恐竜から逃げ惑いながらも、柴犬のキャラへと視線を向けた。相変わらずどこか余裕そうな動きで、棒と恐竜を難無く避けている。恐竜を誘導する動きは完璧で、柴犬はシャム猫の方へと近づいていった。そうしている間にリスのキャラの前に恐竜が現れ、たまかは慌ててリスを柴犬たちの方へと逃げさせた。迫っていた棒を避けつつ、三匹は合流して重なるように身を寄せた。その後、散り散りに遠ざかっていく。逃げていたシャム猫は途中で急に方向を変え、柴犬の方へと向かっていった。リスが右下で棒を避けている間、左上で二匹は再度合流して身を寄せ合うように重なった。直後、左下から迫っていた恐竜にシャム猫が轢かれてエリア外へ弾かれた。
(……あれ?)
それに気を取られたように、続けて柴犬が棒に轢かれてゲームは終了した。勝者はたまかだ。
「あっ、……CPUに重なってそっちに視線を持ってかれてしまいました……」
苦い顔でやよゐが零す。それから気を取り直したように、たまかへと振り向いた。
「おめでとうございます。まず一本目の勝者はたまかさんですね。次いきましょう」
たまかは小声で「はい」と返した。やよゐはリザルト画面を飛ばし、再び同じゲームを選択していた。目まぐるしく変わる画面を見つめながら、たまかは眉間に皺を寄せていた。勝利の喜びは、微塵も浮かんでいない。
「……」
すぐに二戦目が始まった。暫くしてスズメが棒に弾かれてエリア外へと飛んで行く。リスは棒を避け、恐竜から逃げ、エリア内を走り回っていた。これまでの試合と違い、一度も立ち止まることがない。棒が迫り来る時だけジャンプのためにボタンを押し、後はスティックを倒したままだ。
(……)
たまかは難しい顔のまま画面を睨んでいた。カチャカチャと響く、隣のコントローラーの音。画面内では柴犬とシャム猫、そして距離を空けてリスが逃げ惑っている。しかし程なくして、リスは恐竜に激突してエリア外に吹っ飛ばされてしまった。リスが脱落した後も、エリア内では柴犬とシャム猫が障害物と恐竜から逃げ続けていた。恐竜が四匹になっても、隅に追いやられても、柴犬は動じることなく安定した動きを見せていた。やがて、シャム猫が棒に引っかかって飛ばされた。勝者はやよゐだ。
「勝ちました! 泣いても笑っても、次が最後ですね」
やよゐは職業病なのかガッツポーズをして喜びを顕わにした後、笑顔でコントローラーを握り直した。これでお互いに一本ずつ取ったことになり、やよゐの言う通り次が最終決戦となる。
「……」
たまかは表情を変えなかった。硬い顔のまま、画面を見つめる。そして最後の試合が始まった。四回目とあってたまかも大分操作に慣れ、迫り来る棒と恐竜を次々と捌いていく。これまでと比べると大分頑張っていたスズメが、途中で退場していった。柴犬とシャム猫、リスのいつメンが取り残され、エリア内で逃げ惑い続ける。
(ここで勝たないと、しをりさんの『グリーン』内の不正の証拠は……きっと二度と手に入らなくなってしまいます)
シャム猫の方へ逃げて恐竜を誘導しつつ、たまかはボタンを押す指に知らず力を込めた。それに合わせて体がより大きく傾いたが本人は全く気が付いていない。眉間に皺を寄せたまま、再度ボタンを押す。リスがジャンプして棒を跳び越えた。
(『グリーン』はデジタルの専門家ばかりですから、流石に『レッド』が探れる範囲にも限界があります。映像に手を加えたログ、AIの操作履歴、『グリーン』内の情報提供者の極秘情報……どれも『レッド』よりもよほど扱いに長けているでしょう。証拠が残っているかも怪しいですし、残っていたとしてもそれを奥深くへ隠すことなど造作も無いはず)
暗号化やログの抹消などの技術面において、『グリーン』に勝る組織はどこにもない。それらを見つけられるとすれば、きっとマークされていない内部の者しかありえない。
(ですからやよゐさんに探ってもらうしかありません。ですが……)
リスが端に寄り、緩やかに追って来ていた恐竜を離した。エリアの反対側では、シャム猫が棒に轢かれて脱落したところだった。残るは柴犬とリスだけだ。たまかは顔を険しくし、コントローラーを握る手に力を込めた。
数分の間、画面の中で二匹は逃げ続けていた。危なげない柴犬の動き、粘るリス。たまかは密かに眉根を寄せた。リスは近くまで迫ってきた恐竜から逃げ、その道中で近づいてきた棒の障害物を跳び越えた。しかし入力が遅かったのか引っ掛かり、エリア外へと吹っ飛ばされた。リスは脱落し、残ったのは柴犬だけだった。
「やりました!」
やよゐは座ったまま跳びはねるように体を揺らした。その顔には笑みが浮かんでいる。三本勝負の勝者は、やよゐだった。
「……」
たまかは握り締めていた手を緩め、静かにコントローラーを机の上へ置いた。画面では祝福するように紙吹雪が舞い、賑やかなリザルト画面が表示されていた。柴犬の上に、ポップな文字で『Winner!』と書かれている。
「たまかさんも惜しかったんですけどね。初見なのにすぐに操作に慣れていましたし、段々と生存時間が長くなっていたのも流石でした! ですが約束は約束ですので……これでボスへの言い掛かりは止めて、諦めていただけますよね?」
やよゐは賑やかな画面を背景に、たまかへと窺うように顔を向けた。たまかは曇った顔でコントローラーを見下ろしていた。
「……たまかさん?」
「……残念です」
たまかは視線を合わせないまま、ぽつりと漏らした。やよゐはそのままの体勢で固まる。
「不正していましたよね? 私はどうやっても勝てないようになっていました」
たまかはゆっくりと顔をあげた。笑顔を貼り付けたまま固まるやよゐを見上げ、その曇りない目で彼女を射貫いた。
「な……何を言ってるんです? 負けた腹いせですか? 見苦しいですよ……」
「違和感を覚えたのは一回戦目でした」
狼狽えるやよゐから、リザルトが表示され続けている画面へと視線を移す。紙吹雪が何度も舞い、柴犬が嬉しそうに尻尾を振っていた。
「CPUのシャム猫さんが脱落する時、柴犬さんとシャム猫さんは重なっていたように見えました。ですが脱落したのはシャム猫さんだけ……。位置が少しだけずれていたとか、システム的に同時接触の場合は一人だけしか脱落しないとかいろいろと考えましたが、やはり違和感は拭えませんでした。ですので、次の勝負は捨てることにしたのです」
「……」
たまかは必死にリスを操作しながらも、他のキャラ達の観察を欠かさなかった。なにせ情報こそ、たまか達の最大の武器なのだから。
「私が二戦目で注目していたのは、音です。やよゐさんのボタンを押すタイミングと柴犬さんの動きが同期しているかを確認したかったのです。ですから私はスティックを入力し続けて、極力雑音を排除していました。早期に退場したのもそれが理由です。すると、リスさんがまだ生き残っている時……柴犬さんの動きとは別に、余計なボタンの入力音が交じっていることに気が付きました。二回と少ない回数でしたが……その際柴犬さんはジャンプも移動も行っていません。代わりに動いていたのは、シャム猫さんでした。シャム猫さんはそのボタンの音の時、いずれも柴犬さんの方へ寄っていっていました。シャム猫さんはCPUのはずです……偶然とは思えませんでした」
画面の光に淡く照らされるたまかの顔を、やよゐは言葉を失ったまま見つめていた。
「シャム猫さんと同じくCPUのスズメさんは、いつも一番初めに脱落していました。きっと弱めの実力に設定されているのでしょう。私はこのゲームをやるのは初めてですけど、やよゐさんが設定していたCPUの強さを決める欄は一つしかありませんでしたよね。つまりCPUの強さを一人ずつ設定できるわけではなく、二人のCPUの実力は同じくらいになっていないとおかしいはずなのです。……そうなるとシャム猫さんは完全なCPUではなく、ある程度指示が可能な存在だったということになります。ですがシャム猫さんを操れたからといって、私達の勝敗は変わりません。なのにやよゐさんはシャム猫さんを操っていた……つまり柴犬さんやリスさんにも何らかの細工がされていたとみるのが妥当です。シャム猫さんはそれを隠すためのものだったのでしょう」
一回戦目の光景を思い出すに、恐らく柴犬は無敵時間を作り出すことが出来たのだろう。そして最終戦目を考えれば、リスはボタン押下とアクションに遅延を作ることが出来た。それらを悟られないよう、やよゐはシャム猫を使って公正な試合を演じ切っていたのだ。
「そ、そんなの……全部たまかさんの妄想では……」
「……」
やよゐは苦し紛れに言葉を振り絞った。目が泳ぐ。
「証拠もないですし……不正などしていません。あたいは正真正銘、実力で勝ちましたよ……」
確かに証拠を提示しろと言われれば、そんなものは存在しない。負け惜しみと言われれば、たまかには何も反論は出来ない。しかしやよゐの反応は、全てを物語ってしまっていた。水面と同じで、彼女は嘘をつくのが下手なのだろう。そしてきっと、そんな素直な反応が多くのリスナーに愛されてきた所以でもあったのだろう。
「…………」
やよゐは強く唇を噛み、押し黙ってしまった。たまかは静かに立ち上がった。そのまま扉へ向かって、純白の靴を響かせた。
「しをりさんを信じたいお気持ちはわかります」
やよゐを振り向かないまま、たまかはその足を不意に止めた。
「ですがゲームを交渉の道具としている時点で、やよゐさんの信念は捻じ曲がっていると思います」
二人で共にゲームをしたからこそ、やよゐがいかにゲームが好きで大切に思っているのかをたまかは知っている。それを不正に利用している時点で、彼女はもうしをりと同じ道を歩んでいるとしか思えなかった。
硬い声が小さく響いた後、靴音が再開される。扉が開かれ、たまかは部屋を後にした。廊下に出ると、閉めた扉に寄りかかるようにたまかは小さくため息を漏らした。しかし落ち込んでいる暇はない。『グリーン』のアジトを出るため、そのままエレベーターホールへと向かって足を動かす。その背中は、気落ちしたように丸まっていたのだった。
「……」
部屋に一人残されたやよゐは、座ったままひたすらに自分の膝へと視線を下ろしていた。発色の良い深緑色の布が、自身の体を包み込むように視線の先に広がっている。
「はあ……」
ため息が漏れる。ほんの少し前に部屋の外でたまかが同じようにしていたことは、部屋に施された万全の防音対策によってやよゐには知る由もない。
『ゲームを交渉の道具としている時点で、やよゐさんの信念は捻じ曲がっていると思います』
『レッド』の長の去り際の言葉は、やよゐの胸の奥に深く突き刺さり、じわじわとした痛みを伴った。思わず「違う」と叫び出しそうになって、彼女の言葉は何も間違っていないのだと気付き、深く項垂れる。すぐ横のモニターでは、柴犬が祝福されるリザルト画面が未だに映り続けていた。それが酷く虚しく見えた。その結果は、作られたものだから。
「信念……」
一人だけの部屋に、か細い呟きが漏れた。『レッド』の長の信念は、誰も傷つかない世界を実現させること。そしてそれに対して彼女は一途で、一人でも傷つく人がいなくなるよういつでも真っ直ぐと突き進んでいる。彼女の「信念」は、どんな状況でも揺らぐことがない。だからこそやよゐも力になりたいと思ったし、彼女の思いは本物なのだと否応にも伝わってきた。眩しいくらい、彼女は貪欲に信念に従って動いている。常に信念に正直で、いつも真摯。
「あたいは……」
やよゐの信念。原点。それは、『大好きなゲームで人を笑顔にしたい』というものだった。抗争社会で周りは殺し殺される中、ゲームは常にやよゐを裏切らず、いつも元気をくれた。その楽しさと奥深さは辛い現実を忘れさせて、達成感と交流はやよゐの顔に笑顔を齎した。周囲からは理解されず馬鹿にされ続けたが、それでもネットを通じて少しだけ同志も見つけることが出来た。今度は自分の番だと思った。この抗争社会であり誰も味方がいない世界で、抱えきれない程の元気と楽しさをくれたゲーム達を、今度は自分が皆に紹介して、その元気と楽しさを感じてもらう番。数え切れない程の感動を、今度は皆に与える番。だからやよゐは、ゲーム実況者になった。……それなのに。一緒にゲームをした後のたまかの顔は、全く笑っていなかった。彼女は楽しさを微塵も感じていなかった。勝敗の結果のせいではない。やよゐが不正をし、ゲームを道具として利用したからだ。
「一体何やってるんだろ……」
自分がゲーム実況者になった意味、そして自分がこの殺伐とした世界で生きてきた意味。気付けばその根幹を投げ捨てていた。やよゐはこんなことのためにゲームを好きになったわけじゃない。交渉道具として利用するためにゲームを極めて来たわけじゃない。最後まで目指す世界に正直だったたまかの曇りない瞳を思い出す。それに比べ、自分が酷く惨めに感じた。自分は、あの顔を笑顔にすることこそが使命だったのではないか。自分の信念を歪めてまで、彼女の信念を邪魔することが本当に正しいことだったのか。
「あたい、どうかしてたかも……」
ぼんやりと顔をあげ、リザルト画面を視界に映す。……この画面を見る人の顔は、笑顔とか、悔しそうな顔とか、そういうものであるべきだ。ゲームの結果を純粋に楽しみ、またやろうねと約束を交わせるような、そんな世界であるべきなのだ。
「あー。不正とか、最低最悪……」
がしがしと頭を掻く。過去に極めてきたMMOゲームで出会った、数多のチーター達。心からゲームの世界を楽しみ純粋な努力を続けてきたやよゐにとっては、チートはずるにしか思えず非常に不快だった。全ての努力を叩き潰し、ゲームを蔑む不正行為。それを自分がやってしまったのだと今更ながら実感し、やよゐは自己嫌悪で押し潰されそうになった。しをりを庇わなければと焦り、『レッド』の長を前にしていたのもあって何も考えられなかった。このチートプログラムは昔『グリーン』のメンバー達でおふざけで実装したものだった。チートが実装されていることを全員承知の上で楽しみ、いつもなら出来ないプレイで笑い合った過去が蘇る。そしてその時、盛り上がる共有部屋を覗きに来て穏やかに笑っていたしをりの姿も。
「……」
今でもしをりが大層なことを仕出かしたなんて信じていない。あの三大組織『ブルー』の長を殺害したなんて、そんな畏れ多くて残忍な真似を……あの優しい彼女がやったなんてとても思えない。AIの情報提供をしてくれた人達だって、何も悪いことなんてしていないのだ。そんな協力者達を殺しまわるなんて狂気的なこと……出来るわけがない。やよゐはコントローラーを隅へ寄せ、机の上に突っ伏した。
「たまかさんは、きっと何か間違っているんだ……」
陰で水面を殺し、情勢を扇動し、協力者達を殺すという、それこそ以前の『レッド』のような残忍酷薄な行為と、穏やかで、優しくて、しっかり者のしをりの人物像は遠く離れている。
初めて彼女と接したのは、ネット上で送られたメッセージを通じてだった。『グリーン』という作り立ての組織があり、ネットやデジタルが好きな人達の居場所にしたいこと。そしてやよゐの配信を見て、やよゐならきっと共に歩んで行けると確信したこと。メッセージにはそれらが丁寧に綴られていた。その後初めて会ったしをりは、常に穏やかな笑みを湛え、包み込むようなあの優しい声で相槌を打ちながらやよゐの話をきいてくれた。抗争に参加しないことを馬鹿にせず、またゲームに打ち込むことも、殺し合いとは無関係のゲーム実況者として活動していることも決して蔑んだりしなかった。そして何より、彼女はリスナー向けに作られた自分ではなく、ありのままの自分の姿を見てくれた。実況中のように声を張る事をしなくても、大袈裟なリアクションを作らなくても、話し方が下手くそでも、彼女は最後までやよゐの話をきいてくれた。この抗争社会においても抗争には参加したくないこと、人を殺すのは嫌だということ、そしてこんな世界だからこそゲームの楽しさを皆に知って欲しいこと。やよゐは正直な思いを全てしをりへと打ち明けた。そしてしをりはそれを受け入れ、やよゐを『グリーン』へと歓迎してくれた。『グリーン』に入ってから、彼女は一度も抗争を強要しなかった。抗争社会において抗争とは無縁な生活を送っても咎めず、ネットが好きな仲間達と居場所を与えてくれた。だから彼女が仲間達と死者のAIを開発していることを知った時、やよゐは自分も何か出来ることをしたいと思った。チャンネル登録者数は数十万人に達し、『グリーン』の資金調達に少しは貢献出来ていたが、それだけでは恩を返せないと思った。やよゐは自ら営業を買って出た。しをりはいつもと同じ様に、優しい笑みで頷いてくれた。
「……」
いつも優しいボス。しっかり者で人当たりが良く、『グリーン』の運営に励んで奔走しているボス。気が利いて頭が良くて、誰からも愛されるボス。彼女に邪悪な心があるなんて、どうしても思えない。
「でも……たまかさんだって、嘘をついているようには思えない……」
突っ伏したまま、やよゐはぼそりと呟いた。あの曇りのない真っ直ぐな眼差しを思い起こす。もしもやよゐの見ている二人のどちらかが、偽物の姿なのだとすれば。やよゐは、知らなくてはならないはずだ。見たくもない、真実を。
「……ボスが不正をしていない証拠を探せば、どちらが嘘をついているのかわかるはず」
やよゐは突っ伏していた顔をあげた。相変わらず目の前のモニターにはリザルト画面が表示され続けている。
「いやでも……、それってまるでボスを裏切るみたいだし……」
やよゐは苦い顔を浮かべた。『グリーン』のメンバーとして、罪悪感が胸を支配する。暫し考え込むような沈黙を挟むと、端に寄せたコントローラーをがしっと掴んだ。
「あー……ゲームしよ。心を落ち着けなきゃ……」
長い事同じ映像を映していた画面が漸く切り替わり、ミニゲームのセレクト画面へと移行した。一旦タイトル画面へ戻ると、一人プレイ用へと設定を調節する。チートもオフにして、適当なミニゲームを選択して遊び始めた。勝利条件を達するために、単純作業を繰り返していく。段々と心が凪いでいくのを感じる。ゲームをしている時だけは、余計なことを頭から引き摺り出せる。ボタンを押して、課題に集中して、その繰り返し。心地いい、やよゐの好きな時間。
「……」
三回種類を変えてミニゲームを遊んだ後、タイトル画面へと戻った。ソフトの終了を選択し、ゲーム機の電源とモニターを切る。その顔に、もう迷いは浮かんでいなかった。
「やっぱり……映像のログを確認しよう。AIの操作履歴も」
ゲーム機を片付けだす。決めてからは動くのが早かった。
「これは裏切りなんかじゃない。たまかさんの言っていた通り……もしボスが何か企んでいたとしたら、たぶん止めてあげることが恩返しだ。だってそれは今、きっとあたいにしか出来ないことだから」
考え抜いた末にやよゐが辿り着いた結論。それは真実をはっきりさせることだった。何が一番しをりのためになるのかを考えた結果だった。
「もしも……もしも万が一、本当にボスが証拠の隠滅をしていたのだとしたら……あたいも一緒に謝りにいこう」
『レッド』、そして『ブルー』へ。きっと彼女だけではその悪行は抱えきれないだろうから。
「きっとこずゑも来てくれるし……いや、全員来てくれるかも」
優しい仲間の顔を思い浮かべた後、やよゐは状況に似合わず笑みを漏らした。そして「よし」と意気込む。
「配信開始まで……あと四十分くらいか」
奥のモニターへ手を伸ばして電源を付けると、配信の待機画面が表示された。下に小さく開始までの時間が表示されている。まだ四十分あるというのに、時間表示の横を見ると既に何人かのリスナーが入場しているようだった。名前まではここには表示されていないが、それが誰なのかやよゐにはわかっている。まだチャンネル登録者数が三桁の頃からの古参リスナーたちだ。メンバーシップの一桁台を獲得している人達でもあって、彼らは配信の枠を立てるといつも一時間程前から入場して待機している。昔から、ずっと変わらない光景だ。
やよゐはさらに別のモニターの電源を入れた。OBSの画面が表示される。端に置いていたマイクを近くに寄せて、配信でプレイする予定のゲームタイトルのメモを確認する。今日は前回の続きを遊ぶ予定のため、ゲームのインストール作業などは不要だ。あとは直前に行うとして、配信の事前準備はとりあえずこれで終わりでいいだろう。やよゐはたまかとのゲームに使用した中央のモニターに向き直ると、コードをデスクトップパソコンへと繋ぎ直した。これは配信用とは別の、サブPCだ。起動させてパスワードを入力し、デスクトップ画面が表示されるのを確認する。やよゐはごくりと唾を呑み込んだ。
「『グリーン』の内部フォルダにアクセス……監視カメラの映像ファイルをコピー……解析ソフトの立ち上げ……」
ぶつぶつと言葉を零しながら、マウスを動かす。続けてキーボードをカタカタと鳴らした。
「まずは防犯システムへの管理者権限でのログイン履歴の確認……直近は一回だけ、たぶんたまかさんに見せた時のやつ。タイムスタンプは……作成日時と同じ。手を入れた痕跡はなし……」
やよゐは手を止めないまま、作業を続けた。まるで悪いことをしているような感覚に、居心地の悪さを覚える。
「次にハッシュ値の照合……ポイポイっと……適合。バイナリ比較は……これとこれを、こう……うん、これも合ってる。やっぱりボスが縹が来たことを忘れてただけとか、監視カメラの映像が一日分抜けてただけなんじゃないかな……」
希望的観測は消えなかった。しかしそんな訳がないことも心のどこかでわかっている。独り言を垂れ流しながら動かしていた手を、やよゐは一瞬だけ止めた。
「残るは……映像データごと解析するか。ボスや『グリーン』の子が関わってるなら、ハッシュ値ごと偽装するなんてお茶の子さいさいだろうし……」
ここで終わるのは簡単だが、そんなわけにはいかない。やよゐは画面と睨めっこし、苦い顔を浮かべた。
「GOP構造……だっけ? ええとIフレームは、これ……。うう、こんなのあたいの専門外だよお……」
嘆きながらも、以前こずゑ達がやっていたことを後ろで見ていた時の光景を頭の中で必死に思い出す。ダウンロードしてきた解析ソフトに放り込んだり、数値をいじったりしている内に、やよゐの顔付きが変わった。
「!」
エラーログが表示された。やよゐはそれを、見間違えではないことを確かめるように何度も何度も読み直した。
「データ……改竄されてる。ログは完全に抹消されてるけど、誰かが手を加えたらボスはわかるはずだから、つまり……」
自ずと誰が改竄したのかは決まってくる。やよゐは顔を真っ青にして、その先を言うことなく口を閉じた。震える手で、カーソルを動かす。そして『グリーン』の内部データから、水面の死んだ場面を映した監視カメラの映像を探し出した。そこは普段ならやよゐが参照したりしないような、見たこともないファイルが並んでいる場所だった。
「アジトの映像と同じ様に、ログもハッシュ値もバイナリも手を加えられているだろうから、他から調べないと。PRNUは……あたいが監視カメラのあった建物を知らないから、他の映像を参照することは不可能。映っている部屋には窓がないから、光や影から解析するのもちょっと厳しそう」
やよゐは眉をよせ、デスクトップへ置いた映像ファイルを睨んだ。
「マクロブロックのデータ構造見て、エンコードのアルゴリズム調べるか。えっと、専用ソフトダウンロードして……」
仲間達の見様見真似で、やよゐは作業を進めていった。心臓がドキドキと脈打っている。手は止めないながらも、心の中ではそんな痕跡なんて出て来ないでくれと全力で叫んでいた。ファイルをソフトにかけている間もそわそわと落ち着かず、やよゐは並行して別の作業を進めることにした。
「AIの操作の履歴……一つ一つ調べるか。たまかさんは情報を抜いたり扇動するよう動かしてたりしてたって言ってたけど、それだけ派手にAIを動かしていたら痕跡が残るはず……」
ログは映像ファイル同様抹消されているだろう。やよゐはマウスを動かした。
「だったらAIの方から取るか。記憶の齟齬が生まれると周囲と会話が成り立たなくなるはずだから、AIの行動履歴は消せないはずだもんね……『グリーン』の指令だってわかるような痕跡があれば……」
たまかが話に挙げていた、『レッド』のウメの名前がふと浮かんだ。やよゐは彼女のAIへとアクセスし、膨大なデータを眺め始めた。条件を絞り、痕跡を探していく。しかし細かい会話の記録まで全て取られており、とても読み切れるようなものではなかった。
「いやあ無理ゲーだなこれ……。そういえばたまかさんは、情勢を動かしてたとも言ってたっけ。それなら『ブルー』に何等かのアクションをすることは必須のはず。……『ブルー』の縄張りの座標にある機械にアクセスした痕跡を辿る方がワンチャンある……?」
むむ、と眉根を寄せたあと、ちらりと横のモニターを一瞥する。配信開始まで、あと二十分を切っていた。そろそろ配信準備を開始しなければならない。
「やることが……やることが多い……!!」
やよゐは半べそをかきながら、どちらが犯人なのかわからないようなセリフを吐く。それでも時間は待ってはくれない。
「あっ……いや、ちょっと待って。確か『レッド』が『ブルー』の奴を殺したって、少し前に騒ぎになってたっけ。たまかさんの様子を見る限り、あれは『レッド』が望んでいた展開ではなかったはず。もしあの件にAIが絡んでいて、それを遠隔操作していたのだとすれば……」
やよゐはネットニュースやSNSを調べ出し、事件が起こった日時を特定した。どうやら『レッド』が『ブルー』のアジトに忍び込み、中にいた一人を殺したらしい。その時間のウメのログを確認すると、彼女も同行していたどころか彼女こそ『ブルー』の少女を撃った張本人だった。
「この時のウメさんの動き……なんかおかしい。AIの思考で動いてない。銃で撃ったのも……その前に薬を少し捨てているのも……」
やよゐは強張った顔で、さらにその時のログを細かく分析していく。……そして。
「この機械……同じタイミングで、『グリーン』の命令を受け取ってる……」
呆然とした呟きは、静かな部屋へ溶けてすぐに消えていった。やよゐの手は震えていた。上手く呼吸が出来ない。
「……待って待って待って。じゃあ、まさか本当に、縹も……」
自慢の声が震えた。血の気が引く音が聞こえた気がした。やよゐは五月蠅い程の心臓の音を聞きながら、真っ白になった頭を必死に回転させようとした。その時、解析をしていたソフトが通知と共に結果を表示した。
「! データ構造が綺麗すぎる……これ、監視カメラのじゃない……」
水面が死んだ映像も、捏造だった。どんどんと突き付けられていく真実に、やよゐは視界がぐらりと傾くのを感じた。
「嘘……。ボス……」
やよゐの見ていたしをりは、偽りの姿だった。思わずその目に涙が溜まりそうになり、慌ててぶんぶんと首を振る。しをりが水面を殺し、情勢を扇動し、さらには協力者達を殺しているという話さえも本当ならば……やよゐが次にすべきは、彼女を正しい道へ更生させること。犠牲者をこれ以上出さないこと。立ち止まっている暇はない。
「そのためには、証拠……証拠が必要……!」
やよゐは迅速にキーボードを叩き出した。再び横のモニターを見れば、配信開始時間がどんどんと迫っていた。今日はもう配信を中止するという選択肢も脳裏に掠めながら、膨大なログへと顔を戻す。
「はあ……悪い、やっぱ辛えわ……。……そりゃ辛えでしょ……、……ちゃんと言えたじゃねえか……」
ぶつぶつと虚ろに呟きながらも、やよゐの手は高速に動き続けていた。辛そうに顔を歪めながらも、しかし目の当たりにした事実を逃さないように懸命に気を保つ。
「聞けてよかっ——」
突然、背後から音が響いた。扉が開く音だ。やよゐはびくりと肩を跳ねた。咄嗟に振り返ると、そこには深緑色の制服に身を包む、穏やかな微笑みを湛えた少女が立っていた。ハーフアップにされたオリーブブラウンの長い髪が、白い肩から零れて川の水のように真っ直ぐと流れ落ちている。彼女の背後で、扉が閉まった。やよゐの指は反射的にあるキーへと動いていた。
「あ……ボ、ボス!」
上擦った声が漏れた。たまかが帰った後、部屋の扉に鍵をかけていなかった。部屋の防音は完璧なため、扉をノックする音が聞こえなかったのかもしれない。そこまで考え、後ろの画面に映っているAIの膨大なログを見られたことに気付いてやよゐははっとした。
「ち、違うんです、ボス。これは……!」
優し気な眼差しと柔らかな微笑みに向けて、やよゐは必死に説明を試みようとした。いつも彼女はやよゐの下手な話も最後まで聞いてくれる。詰まりながらも言葉を続けようとしたやよゐの顔へ、真っ直ぐと銃口が向けられて——そして、まるで西瓜割りのようにその頭は赤をまき散らした。モニター、机、そしてやよゐの制服を大量の血が汚して垂れていった。
「AIの方が有能で、素直ね」
しをりは穏やかに微笑んだまま、包み込むような柔らかな声を落とした。相手は返事をすることはなく、部屋には静寂だけが広がっていたのだった。
***
『グリーン』から帰って来たたまかは、誰が見てもわかる程に気落ちしていた。しをりとの会談を盗聴していた『レッド』の面々は、会談終了から到着時間に差があったこと、そして会談内容に対してあまりにも落ち込み過ぎている様子からその後何かあったようだと悟ったらしい。茜と灯は、たまかを連れて別棟の空き部屋へと向かった。他の面々はAI達の足止めをしてくれているのだろう。小ぢんまりとした部屋に入ると、たまかは『グリーン』での出来事を二人へと語った。しをりとの会談で決定的な発言を引き出せなかったこと、そしてやよゐの協力を得られず貴重な内部の証拠を入手する機会を失ってしまったこと。自身の無力感に圧し潰されながらも、たまかはたどたどしく打ち明けた。二人は責めることをせず、最後まで静かにたまかの話に耳を傾けてくれたのだった。
「つまり……組織ぐるみの犯行じゃなかったんだな」
たまかが話し終えると、茜は腕を組み、珊瑚朱色の三つ編みを跳ねてそう言った。組織同士の抗争ばかりの今の世では、非常に珍しいパターンだ。
「秦泉寺単独の可能性もあるな。大分話が変わってくるぞ……」
「そうね。だからこそ証拠を見つけるのが難しかったのかも」
二人は眉間に皺を寄せてたまかの話を咀嚼していたが、やがて項垂れたままのたまかに気付き思考を中断した。
「……たまかさん、お気を落とさずに。たまかさんはリーダーとしての役目をきちんと果たしたと思いますよ」
「そうそう、ちゃんと『グリーン』の頭との会談を成功させたじゃないか。縹が写っていない『グリーン』のアジトの監視カメラ、それに縹が訪れたという『グリーン』のメンバーの証言……決定的な証拠なんてもともと期待してなかったのに、新情報をちゃんと引っ提げて帰って来たんだ。別にそんなに落ち込む程の結果じゃないでしょ」
二人はいつもよりも穏やかな声色でたまかを慰めてくれた。しかし、たまかの顔は晴れることはなかった。
(やよゐさんにしか探れない証拠が絶対にあったはずなのに……! 私はそれを得る機会を、永遠に失ってしまった……)
もっと上手く立ち回れていたら、結果は変わっていたかもしれない。無力感と後悔が波のように押し寄せる。たまかに託してくれた青空の顔、そして必死に真相を探る姫月の顔。真相を探ることを許可してくれた桜の顔、今も暴れ回っているであろう水波の顔、そして死んでしまった水面の顔。今のたまかは、数え切れない程の責任を背負っている。人の想いを託された存在であって、その失敗は一人だけのものではないのだ。そう思えば思う程、心は暗く沈んでいって圧し潰されそうだった。
(やよゐさんとだって……対立する以外の道を模索出来たかもしれないのに)
彼女がボスに恩義を感じていることはわかっていた。だからこそ、同じ道を歩めないかもしれないことも薄っすらとは予感していた。前長のような完璧な立ち振る舞いが出来ていれば、そんな彼女とも手を取り合う未来を生み出すことが出来たのではないか。たまかは悲し気に眉を下げた。
「……」
パタンと小さく扉の閉じる音が部屋に響いた。灯が部屋を後にしたようだ。一人欠けた部屋は、静けさに満ちていた。茜は小さくため息をついて、俯くたまかへと視線を向けた。
「なんでもかんでも完璧に出来ると思うなよ」
たまかはその言葉に、ぎこちなく顔をあげた。
「自分が朱宮さまのように動けると思ってるなら大間違いだ。彼女のように動ける人間なんかいないよ。お前だけじゃなく、この世に誰一人だってね」
愛想の無い顔でそう吐いた後、茜は隅のベッドへ近づき体を投げ出すように腰かけた。足を組み、その上に頬杖をつく。
「だからこそ、私達馬鹿は泥臭く足掻かなきゃ。この結果に納得してないんなら、最大限カバーするよう努めないといけない。落ち込んでる暇はないし、落ち込む意味もないよ」
言葉に反して、その言葉尻は柔らかかった。たまかはそれを、どこかぽかんとして聞いていた。
「あんたの引き出してきた新しい情報もいくつかあるでしょ。それを無駄にしたくないのなら、まだまだ出来ることがあるんじゃない」
にこりともしないまま、その眼差しは真っ直ぐとたまかを見上げた。たまかは呆けていた顔に、笑みを戻した。
「……もしかして、慰めてくれてます……?」
「相変わらず馬鹿だね、お前」
茜はふんと鼻を鳴らした。なおも言葉を続けようとした彼女を、扉をノックする音が遮る。開いた扉の奥から顔を覗かせたのは、戻って来た灯だった。彼女はその両手にトレイを持っていて、その上には湯気の浮かぶマグカップが三つ乗っていた。
「あら……もしかしてもう、必要なかったかしら」
灯はたまかと茜の顔を順に見渡し、柔らかな笑みを零した。たまかの顔色が良くなっていることに、彼女は気付いているようだった。
「わ……いい匂い」
たまかはくんくんと鼻を動かした。灯が部屋に入ったことで、良い香りが室内に満ちる。
「ふふ、スイートポテトキャラメルラテよ。良かったらいかがですか」
灯は部屋の中央のミニテーブルへトレイを置き、マグカップを一つたまかへと差し出した。甘く香ばしい匂いが強くなり、白い湯気がふわりと広がった。
「なんか、久しぶりに見たな」
ベッドの方から茜の呟きが聞こえてきた。灯はその言葉に、初めて気付いたというように彼女を振り向いた。
「そういえば、確かに……甘いものを振舞うの、いつぶりかしら」
灯は記憶を辿るように視線を上へと向けた。自分で思い出せる範囲にない程久しぶりだったらしい。言われてみれば、以前はよく見かけた灯の姿を最近は全く見ていなかったことにたまかは気が付いた。灯と出会ってからずっと、彼女は会う度に甘いお菓子や飲み物をたまかへとご馳走してくれていた。それが灯の好きなことであり、灯の得意とすることでもあり、そして周りへ癒しと元気を齎す灯らしさの象徴でもあったはずなのに。
「AIに必死になっている間に、気が付いたらうちらしさを失っていたのかもしれないわね……」
灯は苦笑を漏らした。梅のAIが『レッド』に来てから、灯は元来の穏やかさと余裕を見失っているように見えた。極力梅の傍にいるようになり、彼女を失う怖さと向き合うことになり、そして敵と判明した後は彼女を暴くことに死力を尽くしていた。それこそ普段の灯の面影が無くなるほどに、必死に。最近の彼女は、誰かに何かを振舞う余裕などなくなっていたのだろう。自覚していなかったらしく、灯は差し出したままのマグカップをまじまじと見つめていた。
「……良くないわね。朱宮さまに『いつも通りにあなたらしく』って言われていたのに……」
灯は大事なものを思い出すように柔らかな声でそう言うと、そっと瞳を伏せた。
「梅ちゃんのことばかりで、うち、気を張り詰め過ぎていたのかもしれないわ……」
ここ最近の灯は、梅の情報提供者を追う件で一心不乱になっていた。躍起になって手掛かりを探し回る彼女の姿は、声を掛けるのも躊躇われる程思い詰めたものだった。そのことにようやく気が付いたらしい灯は、差し出したままのマグカップの奥でたまかへ微笑みを向けてみせた。
「たまかさん、甘いもので一緒に休憩しましょう。焦る気持ちも分かるけれど、そんな時だからこそうちと一緒に一息ついてくれると嬉しいわ」
灯はにこりと穏やかに笑ってみせた。それを前にして、たまかの胸の中の焦りと不安、そして張り詰めていた気持ちも和らいでいくのを感じた。たまかは自然と微笑みを浮かべ、マグカップへと両手を伸ばした。受け取ると、じんわりとした温かさが掌を伝って胸に染みた気がした。
「……茜ちゃんも」
トレイに残った内一つを取り、灯はベッドの方へと差し出した。茜はそれを一瞥し、すぐに興味がなさそうに掌を振った。
「私はいいよ。どっちかが二杯飲めばいい」
「あら、甘いの苦手だった? それともポテトかキャラメルが駄目だったのかしら」
「そうじゃないけど……二人が飲んでる間に、私は新情報に関連する資料を取って来るよ。その方が効率がいいでしょ」
「駄目よ。今は休憩の時間なの」
灯は拗ねたように頬を膨らませ、差し出したマグカップをさらに前へと伸ばした。受け取るまで引っ込めないと無言で訴えるマグカップに、茜は眉を下げた。
「……何? 今までは私を無理に誘うようなことなかったじゃん……」
「そうよ、だって茜ちゃん、みんなといるよりも一人でいるほうが好きでしょ。だからうちらもこれまでは遠慮してたの。でもね、うちもそろそろ茜ちゃんにも一緒にお茶会に参加してほしいわ。たまには我儘をきいてくれてもいいんじゃないかしら」
「私にメリットがない」
「うちとたまかさんの士気が上がって、今後の任務の効率が上がるわ」
茜は眉間に皺を寄せて灯の言い分をきいていたが、任務を出されては話を呑まないわけにはいかなかったらしい。彼女は渋々といったようにベッドから腰をあげ、灯の差し出していたマグカップを受け取った。灯の言っていた通り、これまでは茜は輪から外れた行動が目立っていた。周りも特に一緒にいることを強制せず、茜も一匹狼でいることに気楽さを覚えているようだった。しかし灯はずっと、茜にも自身の振舞うものを味わって欲しいと思っていたようだ。あるいは茜一人だけいつも離れていることに、寂しさを感じていたのかもしれない。自分の分のマグカップを持ち上げる灯の顔は、とても満足そうに見えた。
「頂きます……」
三人の手に渡ったところで、たまかはマグカップに口をつけた。スイートポテトの濃厚な甘さが口の中に広がり、ミルクでマイルドになったキャラメルとコーヒーの苦さが丁度良いアクセントとなって遅れてやってくる。美味しい、ほっとする味だ。たまかは温かくなった息を吐き出した。
「とても美味しいです」
「……美味いな」
たまかのにこやかな言葉に、茜のぶっきらぼうな呟き声が続いた。たまかが茜を振り向けば、彼女はマグカップを見下ろして満更でもなさそうな顔をしていた。二人の反応に、灯はにこにこと嬉しそうにしている。たまかはさらにマグカップを傾け、その温かさと甘さに浸った。三人で同じものを飲む空間は、なんだか時間が緩やかに流れていくように感じた。こんな穏やかで居心地の良い時間は久々だった。『レッド』の長になってから、忘れていた感覚のような気がする。
(結果が出ないことが続いて、少し焦り過ぎていたのかもしれません……)
ふうと息を吐き出す。口の中の幸せな甘さに舌鼓を打ちつつ、たまかは心を落ち着けた。……先程茜が言っていた通りだ。新たな情報を手に入れることが出来たのだから、それを足掛かりにしてまだまだ水面の真相に迫ることは出来る。ならばたまかに、落ち込んでいる暇はない。マグカップの中身を飲み干した時、たまかの顔はすっかり元気を取り戻していた。
「今回わかったこととしましては、まずしをりさんの提示した『グリーン』のアジトの監視カメラの映像に、水面さんは写っていなかったということ。そしてそれがやよゐさんの証言と矛盾するということ、水面さんは死ぬ前日に『グリーン』のアジトを訪れていたこと。恐らく水面さんが突然機械を壊した理由も、その会談が原因でしょう。そしてAIの製作にあたって情報提供者がいたこと、各組織の方々から得た情報を一つ一つインプットして作られていたことが確定しました。また、気掛かりなのはしをりさんの言っていた『水波さんが怪しい』という発言、あとはアジトの監視カメラの映像が改竄されていたとすれば、SNSに添付されていた水面さんの死に際の映像にも手が加えられた可能性があることです」
空のマグカップがトレイの上に三つ並んだあと、たまかは顔付きを険しくして話を再開させた。休憩は終わりである。穏やかだった空気が、一気に張り詰める。
「もしその『グリーン』の奴が本当のことを言っているのだとすれば、秦泉寺は縹が訪れたことを隠滅しようとしていたことになるな」
「はい。となると、しをりさんが水面さんの死に何かしら関わっていた可能性は高まります……」
たまかは言いながらも、辛そうに眉を寄せた。未だに信じたくない気持ちがあるのは、たまかだってやよゐと同じだ。しをりの穏やかな笑みを思い出し、しかしそれを振り切って顔をあげる。
「……一つ、確認したいことがあるんです」
たまかの発言に、茜と灯の顔がたまかへと向けられる。
「『レッド』の傘下の組織の資料です。探したい方がいまして……」
「……探したい方、ですか?」
灯がおっとりと首を傾げる。その様からは最近の思い詰めていた影が消え、本来の彼女に戻っているように感じられた。そのことに内心で安堵しつつ、たまかは真剣な表情で頷く。
「『グリーン』のアジトのある通りで見た男性、以前『レッド』の傘下の資料を確認している時に写真で見たことがあるんです。しをりさんの言っていたことが本当なのか、本人に確かめにいきましょう」
「でも音声が乗らなかったから、遠目に見たとかだよな? 人違いだって煙に巻かれたりしたら、こっちも何も言えないんじゃ……」
茜は組んだ足の上で、顰め面をしていた。たまかは小さく首を横に振った。
「しをりさんに見せて頂いた監視カメラの映像に写っていたんです。彼が『グリーン』のアジトに入るところと出て行くところ、そしてその顔も、正面からはっきりと。ですから資料の写真と照らし合わせれば、あれが誰なのかが確実にわかります」
「……なるほどな。『レッド』に隠れて『グリーン』と接触したことについて詰める必要もありそうだし、次に探りを入れるならそこかもしれない」
言うが早いか、茜はベッドから立ち上がった。
「たまかはここで待ってろ。私が資料を取って来る。朱宮さまがいるかもしれないから、彼女がいたら少し時間を空けて——」
林檎に『グリーン』を嗅ぎ回られているのを知られた後、引き続きAIを使い続けるかどうかは悩ましい問題だった。結局『レッド』の出した答えは、現状維持だった。ただでさえ『グリーン』への探りは全て失敗に終わっている今、『グリーン』と繋がりのあるものはAIでも『レッド』に置いておく方が利点になると考えたのだ。『グリーン』に知られてしまうものの、与える情報さえ調整すればそれ以上の利益がAIには約束されているのも大きかった。そのため執務室には、今も林檎のAIの姿がある。資料を持ち出すところを彼女に見られるのは避けたい。
しかし茜の言葉は、途中で途切れた。扉の外が騒がしいことに気付いたためだ。全員が口を閉じると、その賑やかさはより鮮明になった。いくつもの切羽詰まった声、慌ただしい足音。三人は顔を見合わせた。急いで部屋の外へ出ると、廊下に並ぶ窓越しに門の辺りに人だかりが出来ているのが見えた。囲っているのは『レッド』のメンバー達だ。どうやら彼女達は中心にいる人物をなんとか止めようと躍起になっているようだった。「止まれ!」「それ以上踏み込めば殺すぞ!」と口々に叫んでいる。しかしそれ以上に大きな叫び声がそれらを掻き消す。
『リーダーに会わせろ!』
その咆哮のような掠れた叫びは、建物の中にいるたまかの耳にも届く程の大声だった。
(私に……?)
その後も『絶対に殺す』『どこにいる』『隠れても無駄だ!』などと鬼気迫る叫びが続いた。困惑とともに、その声から溢れる強い恨みを感じ取ってたまかの背筋が凍る。隣で茜がヒップホルスターから拳銃を抜いたのが見えた。
(『ブルー』の方、でしょうか……)
たまかは悲し気に眉を下げながらも、窓へと張り付いてじっと目を凝らした。相手を知らないといけない、と思った。強い憎しみを向けられているのだとすれば、きっとそれを無視することはリーダーの取るべき選択ではない。恐怖を押し込め、たまかは攻防を繰り広げている集団を凝視した。
「! あれ……?」
動く紅色の合間から見えたのは、若緑色だった。この距離でも肩の露出した独特な構造、そしてレース布が背中に垂れる特徴的な制服は見間違うはずがなかった。あれは『グリーン』の人間だ。
「秦泉寺の差し金か……?」
同じく中心人物が見えたらしい茜が、警戒するように眉を顰めた。窓に顔を押し付けるようにしていたたまかは、その少女が集団から一歩下がった際に全身を見る事が出来た。普段に増してボサボサに跳ねたモスグリーンのショートカットヘアー、そして大きくずり落ちた眼鏡。
「こずゑさん……?」
たまかは信じられないものを見たように固まった。灯が門の方を注意しながらも、たまかへと視線を投げる。
「……たまかさんのお知り合いですか?」
「……はい。彼女は『不可侵の医師団』のデジタル化を担当してくださっている方です。一体どうして……?」
彼女は顔を憎しみに大きく歪め、そしてその真っ赤な目を吊り上げて、再び集団へ突っ込んでいった。ひょろひょろな細い体はすぐに弾かれるが、それでも彼女は何度も何度も激突していった。全ては『レッド』の敷地へ入るため、そしてその叫び声の通りならば、たまかを殺すためなのだろう。
「……」
たまかは言葉を失っていた。こずゑとは友好的な関係を築けていると思っていた。そんな彼女が、まるで大事な人の仇を見るかのような眼差しを『レッド』へと向けている。理解出来ない目の前の光景はたまかにとって酷く衝撃的で、そして目を覆いたくなるようなものだった。灯の腰についた無線機から、仲間の声が響いた。
『『レッド』の門の前に、『グリーン』の奴が来てリーダーに会わせろと叫び続けています。何やら尋常ではない様子です……たまかさん、殺す許可をお願いします』
「……」
たまかは窓に張り付いたまま、我武者羅に暴れているこずゑを見つめていた。灯が心配そうに、そっとたまかの顔を窺う。
「……いけません。殺す事など、絶対に。……私、こずゑさんに会いに行きます」
「は……?」
反対側から、茜の声が漏れた。たまかは漸く窓から視線を逸らし、茜へと顔を向けた。その表情には、決意が漲っている。
「何か理由があるのかもしれません。私に会うための、理由が……」
遠目に見ても、彼女は常軌を逸するような強い感情に支配されているのがわかった。何度倒れても、憎しみに染まった顔は『レッド』のメンバーを鋭く射貫いて立ち上がり続けている。ならば、たまかは話し合わなければならない。彼女がそうなっただけの『情報』を、彼女から聞く必要がある。たまかは窓から離れると、外へ出ようと背を向けた。
「待て、あの様子だと会いに行ったら確実に殺されるぞ。あいつは秦泉寺側の人間かもしれないし、秦泉寺の嘘に踊らされている可能性だって大いにある」
「……そうね。たまかさん、まずはうちらが話を聞きに行ってみます。大丈夫、傷つけたりなんてしません……その後でたまかさんに会って頂くか、改めて判断しましょう。ね?」
「……」
たまかは門の方を悲しそうに一瞥し、渋々と頷いた。灯達がそう判断するのも無理のない程、遠目に見えるこずゑは殺意に満ちているのが明らかだった。
「いや、私が話を聞いて来るから、灯はたまかの護衛を頼む。万が一遠距離武器を持っていた場合、たまかを一人にするとまずい」
茜は手短にそう言うと、すぐさま一人で廊下を駆けて行った。その背を見送って再び門の方を見れば、こずゑは地面に倒され、あっけなく拘束されていた。『グリーン』はもともと抗争に不参加で、メンバーも籠ってばかりのため体力はからっきしである。これは予測出来ていた結果だ。こずゑは悔しそうに歯ぎしりをしているようだった。まだまだ諦め切れていないと顔に書いてある。
(真っ赤な目……泣いていたのでしょうか。強い憎しみの伝わる顔……それに制服もボロボロです。一体どうして……)
館内から飛び出していった茜が真っ直ぐと集団へ向かい、合流した。彼女はそれを射殺さんばかりに見上げていた。その後縄を取り出して縛り上げると、茜は騒ぎ続けるこずゑを連行していった。集まっていた『レッド』のメンバー達も、疲れを滲ませながら自分達の任務へと戻っていく。門からは人が散り、そして喚き続けるこずゑを連れた茜は館内へと入っていった。掠れた声は、たまかのいる別館の廊下までも聞こえてきた。
「あいつが……、あいつが殺したんだ!」
「絶対に許さない!」
「殺す……、絶対に殺す!」
「返せ! 世界で一番の推しを返せよおおお!」
大声を出し慣れていないらしく、彼女の声は枯れかけていた。しかしどんなに震えても、どんなに掠れても、彼女は全力で叫ぶことをやめなかった。木霊する怨嗟の声に、たまかは思わず顔を伏せた。
「たまかさん……うちらは部屋の中で待機していましょう」
灯が気遣うように小さく微笑み、たまかの背中を優しく押した。たまかは頷きを返し、二人は空き部屋へと戻っていったのだった。
十分ほどが経過した頃。扉がノックされ、たまかと灯は顔をあげた。恐らく茜が戻ってきたのだろう、こずゑの様子も聞けるかもしれない。たまかはごくりと唾を呑み込み、外へと返事を返した。扉が開いていく。するとそこにいたのは、茜だけではなかった。
「……、こずゑさん……っ」
茜の隣には、両手と体を縛られたままのこずゑも立っていた。こずゑの鋭い目が、ギロリとたまかを睨む。たまかは憎悪の視線に射貫かれ、その顔に恐怖と絶望を滲ませた。茜は黙ったままこずゑを中へと軽く突き飛ばし、そして扉を閉めた。たまかの横で灯が慌てたようにポケットからミニスタンガンを取り出した。今の状態のこずゑをたまかの前に連れてきたら、殺し合いになることは一目瞭然だった。……しかし。
「ふう……。もう、いいですかね……」
ガラガラに枯れた声で、こずゑは小さくそう言って瞳を伏せた。
「その、面目ないのですが……水を頂いてもいいですか……、普段大声とか出さないんで……、限界が…………」
「……わかった。灯、お願いしてもいい?」
茜は灯へと顔を向けた。灯は強張った顔で、こずゑと茜へ交互に視線を這わせた。
「一応言っておくけど、毒や自白剤は入れなくていい」
「……。……どういうこと……?」
灯は困惑したように眉尻を下げた。茜はたまかへと視線を向けた。
「たまか、こいつはあんたの知り合いで合ってる?」
「あ、合っています。ですが……」
「こいつを連行している時、こっそりと言われたんだよ。これは全部演技で、どうしてもたまかに渡したいものがある、って」
「……え?」
(演技……?)
たまかはこずゑへとぽかんとした顔を向けた。近くで見ると頭や制服のボサボサ具合がより際立っている。彼女の眼鏡には亀裂も入っていたが、真っ赤に腫れた目は隠せていなかった。
「確認しますけど……、ここにはAIや盗聴が可能な類の機械はありませんね?」
こずゑはガラガラの声でそう言い、警戒するような視線で室内を見渡した。
「大丈夫だ、AIも機械もない。打ち明けてくれたのが私でよかったよ。ま、最初は信じてなかったけど」
茜はそう言って肩を竦めた。
「自分はAIの製作に関わってるんで……、作った中にお宅の顔はなかったな、と。ですから一か八か、目的を打ち明けてみたんです。……結果、信じていただけて良かった。たまかさんにもこうして会えました……」
こずゑは縛られたままほっとしたように肩の力を抜いた。灯は事情があるのだと察したようで、水を取りに部屋を出て行った。たまかはまだ混乱したまま、ボロボロの少女を見つめることしか出来なかった。
直ぐに戻って来た灯は、水の入ったコップを手にしていた。縛られたままのこずゑに代わり、口へ近づけて傾けてやる。こずゑはごくごくと飲み干した。
「ふう……大分喉が回復しました。感謝です……」
こずゑの声はまだ掠れていたが、しかし発声で辛そうに顔を歪めることはなくなった。そして彼女は暗い顔を、真っ直ぐとたまかへと向けた。厳かに口を開く。
「たまかさん。……自分は、世界一の推しが遺したものをお宅に届けにきました」
「……え?」
たまかを見つめる瞳は悲しみに揺れていて、しかしそれ以上に強い決意を宿して前を向いていた。こずゑの言う意味が全く理解出来ず、たまかは困惑とともに首を傾げた。
「推し……、って何ですか? こずゑさんは、しをりさんの命で『レッド』を訪れたわけではないのですか……?」
「はい。むしろ今の自分は、ボスに反する行動を取っている立場にいます。ですので、ボスに知られれば自分も消されてしまうでしょう。だから演技をしていたのです、お宅を殺しに来たって体を保つために」
こずゑは手をあげようとして、縛られたままでそれが出来ないことに気付いたようだった。恐らく眼鏡の位置を直そうとしたのだろう。縛られたままの手を一度見下ろした後、こずゑはそのまま話を続けた。
「たまかさん。確か今日は、『グリーン』とお宅の会談がありましたよね?」
「は、はい……」
「では、今日『グリーン』のアジトを訪れていたってことで間違いないです?」
「ま、間違いありません……。私は『グリーン』のアジトへ行ってしをりさんと会談をし、先程帰ってきたばかりです……」
「その時、やよゐと会っていませんか?」
たまかは見開いた目を瞬いた。そして正直に頷いてみせる。
「あ……会いました」
「いつ頃です?」
「お、お昼ごろです。しをりさんとの会談が終わった後、帰り道でばったりお会いしたんです。その後、やよゐさんの部屋でお話をお伺いさせていただきました」
「部屋で……。なるほど……」
こずゑの顔がどんどんと曇っていくのを見て、たまかの胸にはその度に不安が募っていった。おずおずと尋ねる。
「や、やよゐさんから何か言われましたか……? その、実は、やよゐさんとは対立してしまったんです。しをりさんの件で、意見が割れてしまい……」
「……」
こずゑは暗い表情で黙り込んでしまい、たまかは訳が分からないまま彼女の言葉を待つしかなかった。
「……対立……」
「やよゐさんと同じ道を歩めれば良かったのですが……私も沢山の方たちの想いを抱えている以上、どうしても譲ることが出来ませんでした。……また一緒に、ゲームが出来たら良かったのですが……」
やよゐの顔を思い起こし、たまかは悲し気に顔を伏せた。たまかと同じく、平和を愛する彼女。そして人を傷つけることをせずにゲームで楽しさを届けることに全力を尽くしている少女。たまかの理想の世界に賛同して力になってくれる、数少ない協力者だった。
「やよゐは……」
こずゑの口から、ぽつりと言葉が漏れる。その言葉は、震えていた。喉の痛みのせいではない。
「やよゐは、……部屋で死んでいました。頭を撃たれて……」
「……。……えっ?」
思わずたまかは顔を跳ね上げた。こずゑは絶望に沈んだ顔で、ただ床を見つめていた。その赤い目に、みるみるうちに涙が溜まっていく。震える唇が、きつく結ばれた。
「やよゐさんが死んでいた……!?」
たまかは愕然として、こずゑの言葉を繰り返した。最後にたまかが会った時、やよゐは生きていた。たまかの話を聞いてくれて、質問にも正直に答えてくれて、そして証拠を賭けて共にゲームもした。そこまで回想した後、たまかははっとした。顔を青ざめて叫ぶ。
「……待ってください。私は殺していません……!」
やよゐが部屋で死んでいたのなら、少し前まで部屋で会っていたたまかはこずゑ視点ではほぼ犯人に決まったも同然だろう。対立していたため動機も充分だ。『グリーン』に出入りする外部の人間は滅多にいないため、そもそもやよゐを殺す理由のある人間が彼女に近づくことはないはずだ。丁度会談のためにアジトに来ていた、たまかを除いては。
「本当です。私が部屋を後にした時には、やよゐさんは生きていたんです!」
目の前のボロボロの少女に向かって、たまかは懸命に無実を訴えた。
「例え対立したってやよゐさんを殺すなんて真似、……」
泣いてしまいそうになって、言葉が詰まった。たまかは視線を忙しなく這わせ、深く項垂れた。先程まで会っていたやよゐの顔が脳裏に蘇り、彼女が死んでしまったという現実がじわじわと心を蝕んでいった。
「やよゐさん……。彼女が殺されていい理由なんて……」
悲しさに満ちた声が、萎んでいく。たまかの目に、涙が滲んでいった。こずゑは力無く顔をあげ、そんなたまかの顔をじっと見つめた。
「……わかってます。たまかさんが殺したのではないと」
小さな声は深い悲しみを隠せてはいなかったが、しかしはっきりと目の前の少女の無実を信じているのが伝わる声色だった。たまかは涙を落とし、こずゑへと顔をあげた。
「……え?」
「その……。ええと。自分、話をするのはあんまり得意じゃないんで……、一から聞いて欲しいんですけど……」
こずゑはたどたどしくそう言った。客観的に見れば、『グリーン』側はたまかがやよゐを殺したと確信してもおかしくない場面のはずだ。しかしこずゑの顔には、たまかへの恨みは微塵も表われてはいなかった。
「えと。自分……昔から、推しがいるんです。世界一の、推し……」
「……ん?」
飛躍した話に、茜が眉根を寄せた。しかし口を挟むことはせず、話の先を黙って見守ることにしたようだ。一方生気を失っていたこずゑの顔には、淡く微笑みが浮かんでいた。『推し』のことを思い浮かべているのだろう。
「発見した時は、まだチャンネル登録者数が三桁の頃でした。自分とは全然違う滑舌の良い素敵な声、いつも楽しそうにゲームをする元気な姿勢、そして何より素直で頑張り屋な彼女の人柄に惹かれて……気付けば彼女にのめり込んでいました。チャンネル登録は勿論、配信は全部リアタイで見るようになりましたし、常に彼女の動画を再生し、メンバーシップが出来た時にはすぐに会員になりました。メンシで一番を取れなかったことが悔しくて丸二日寝込んだのも、今となってはいい思い出なのかもしれません……」
彼女は悲しそうに苦笑を浮かべた。大事な日々を慈しみ、思い出していくように、柔らかな声で続ける。
「どんなにプログラミングで詰まっても、ネットで悪口を叩かれても、一人きりで寂しくても、彼女の配信や動画を見れば無限に元気を貰えました。彼女はいつでも自分の好きなゲームに一途で、いつも前向きで、邪悪さなんて微塵も知らない清らかな心をしていました。そんな彼女を見ていると、頑張ろうって思えてくるんです。自分は彼女に救われていたんです……」
こずゑの目に、再び涙が滲んだ。
「自分は彼女の言葉が大好きで、彼女の声が大好きで、彼女の全てが大好きでした。自分は彼女の動画や配信を見るために日々を生きていました。彼女はこの世に舞い降りた女神でした。大好きで大好きで、仕方がなかったんです……」
こずゑにとって、その『推し』は生きる糧そのものだったのだろう。たまかは彼女の言葉に、静かに耳を傾け続けた。
「彼女が日常の一部……いや、全てになってからかなり時間が経って……自分はボスに声を掛けられて、『グリーン』のメンバーになりました。そんなある日、『グリーン』に新しいメンバーが加わることになり、その人が挨拶しに来たんです。にこやかに挨拶されて、珍しく陽キャが来たな、話合わなそうだな~と思って見てたんですが……話を聞いている内に、気付いたんです。あれ、この声聞き覚えがあるぞ? って……」
茜も灯もたまかも、この話の着地点が全く見えない中、不思議そうな顔で話を聞いている。
「……それからすぐに思い当たりました。だって、寝ている時以外ほぼずっと聞いている声と同じ声だったんですから。新しい同僚は、なんと自分の推しだったんです。これなんてラノベ?って感じでした。今まで動画や配信を通じて聞いていた声が目の前の人間から発せられる感覚は、とても不思議なものでした。動画や配信では彼女は顔出しをしていないので、話している時にこんな表情してたんだ、とか、全身陽キャっぽいのに意外と彼女も目が泳ぐんだ、とか、新しい発見もあってなんだかとても新鮮でした。対して新しい同僚の方は、自分の同僚がリスナーであることに全く気付いていませんでした。それを見て、自分は固く心に誓ったんです。彼女にリスナーだとバレないようにしようって。同僚がこんな熱狂的なファンだって知ったら絶対気持ち悪いと思いますし、一リスナーとして認知されるのは烏滸がましいですし、それにドン引きされるのが怖い気持ちもありました。だから、あくまでも『グリーン』の先輩であり一同僚であり続けようと……そう思ったんです。それからは彼女に見えないところで推しの配信や動画に浸り、彼女の前では良き同僚を心掛ける生活が始まりました。心臓に負担は掛かりましたが、その甲斐あってどうやら彼女は全然気づいていないようでした。そういうところも彼女の美点です。あんまり人を疑う子ではないのですよ……だからこそ、これまでこの関係を崩せずにいられたのでしょうね」
懐かしむ顔は、悲しさが隠し切れていなかった。ここまでくれば、流石にたまかも気が付いていた。彼女の『推し』は、やよゐだったのだということに。
「実際の推しと生活すると、理想と違うところを見てしまって失望するかもしれない、と最初は不安に思いましたが……失望することは一度もありませんでした。配信や動画での姿と彼女はやっぱり違うところもありましたが、むしろ彼女のことがより好きになりました。全て彼女の魅力によるものだと思います。自分はその後も欠かさず配信や動画を見て、隠れて推し活に励んでいました。その間もどんどんと彼女は有名になり、気付けばチャンネル登録者数は百万人を超えていました。手の届かないところにいるはずの彼女が、自分の隣に実像を伴って立っているというのは、いつまでも慣れないものでした。昨日の配信すごく良かったよ、とか、次はこのゲームがオススメだよ、とか、口を突いて出そうになる日もありましたが、必死に堪えました。推しが元気に生きて笑っている、オタクはそれだけで尊さを覚えるものなのです。配信でも動画でも、……そして同僚の一人としても。彼女は組織における良きパートナーでもありました。人と目を合わせて話す事、滑舌良くハキハキと喋ること、初見の人間とにこやかに会話が出来ること……どれも自分にないものです。彼女を尊敬していましたし、また彼女の持っていない専門的な技術面は自分が補うよう努めていました。きっと同僚として、上手くいっていたと思います……」
こずゑは縛られている手をあげかけ、そっと戻した。眼鏡を直すのが癖になっているのだろう。
「推しの活動は配信や動画投稿が主でして、配信は週に四回程行っています。自分は彼女の配信の枠が立てられると、毎回一時間くらい前から入場して張り付いているんです。彼女の配信が始まるのが待ちきれないもんで……。たぶん早期入場している奴がいるっていうのは推しも認識していたと思います。……で、今日の配信も例に漏れず、一時間くらい前から入って楽しみに待っていたんです。今進めているゲームはレトロゲーで、今日の配信はそれを続きからプレイする予定でした。自分はそれやったことあったんで、今後待ち受ける仲間が戻ってくる場面とか、鬼のように強い隠しボスとか、次に来る彼女の好きそうなステージとか、彼女のリアクションが早く見たくてわくわくしていました。彼女自身もそのゲームが非常に気に入っているみたいで、前回の最後でも早く続きがやりたいってうずうずしていました。……ですが、配信開始時間になっても配信は始まりませんでした。彼女が遅刻することなんて、滅多にありません。珍しく寝坊でもしたのかと、SNSでは『#ヒミコすやすや』『#ヒミコ起きろ』のハッシュタグで盛り上がり、お祭り騒ぎになりました。それを見て……非常に悩んだのですが、自分は部屋を出て、同僚の部屋を訪ねることにしました。たぶんお昼寝でもして配信を寝過ごしちゃったのだろうなと思って、それとなく起こしてみることにしたんです。『不可侵の医師団』のデジタル化で、たまかさんに訊きたいことが出来た……とか、何か理由をでっち上げれば、きっと部屋を訪ねてもリスナーとはバレないだろうって思いまして。ノックしても返事がなくて、本当に寝ちゃったんだなと思って、ドアノブを回したら鍵がかかっていなくて、そのまま扉が開いてしまって、扉の奥は真っ赤に汚れていて、……そこには動かなくなった、やよゐが……」
こずゑは血の気の引いた顔で声を震わせた。
「暫く目の前の光景が受け入れられなくて、理解出来なくて……。目の前が、真っ暗になりました。本当に、真っ暗に……。ですがセンターに戻されて、体力満タンで復活するようなことはありませんでした。紛れもなく、彼女は死んでいました。たった一人の、世界で一番大好きな推しが、この世からいなくなってしまったのだと漸く理解して……半狂乱になって彼女に駆け寄りました。絶望と悲しみ、そして怒りと憎しみが胸を支配しました。赦せませんでした。やよゐを殺した人物を絶対に殺してやると、そう誓いました。そしてその相手にも察しがつきました。今日は『レッド』との会談の日……『グリーン』を訪れた人間がいたことを知っていたからです」
たまかの顔が強張った。しかし今のこずゑの顔に、怒りは全く浮かんでいない。
「机の上には、血だらけのモニターが三台並んでいました。一つはヒミコが起きてくるのを待って賑わう配信画面、もう一つはOBSという配信ソフトの設定画面、中央のモニターは恐らくゲーム用につけたであろうデスクトップの画面が映されていました。それらを見渡して、そういえば、って思い出したんです。今日の配信の待機所、待機時間にヒミコが何かチャットしてたな、って……。普段は待機時間にチャットを送ることはないですし、その文字列もよくわからないものだったので、誤爆かなって思って皆スルーしていました。でもこんな事態になった以上、あれは何かのメッセージだったのかもしれません。自分は慌ててモニターに映る配信画面を確認したのですが、ヒミコが取り消したようで既にそのチャットの発言は消えていました。でも、自分はその内容を覚えていました。だって楽しみで何度も画面を確認していましたから。早くから入場していた四人しか見ていない、幻のチャットの文言。それは『_p』というものでした。やよゐのゲーム用と配信用の二台のパソコンでそれぞれ打ってみましたが、何の反応もありませんでした。ならばと思って、一つキーをずらして『右Shift』+『p』で打ってみたんです。すると、配信用の方に反応があって……どうやらそのキーをOBSの画面スクショのショートカットキーに割り当てていたみたいなんです。チャットはスクショを取ろうとした誤爆だったみたいですね。彼女は待機中に画面スクショを取っていたのかもしれないと思って、OBSのスクショの出力先を確認したら……」
こずゑは苦い顔を浮かべた。まるで見てはいけないものを見てしまったような顔だった。
「……今日の日付のスクショは三枚ありました。一枚目は映像データの解析結果、映像は『グリーン』の監視カメラのもので、エラーログが表示されていました。二枚目は縹の死んだ時の映像についての解析結果、こちらはエンコードのアルゴリズムが監視カメラのものではありませんでした。三枚目はAIの詳細な動作ログ、『レッド』のウメさんという個体のログでしたが……その内容はあまりにも異常なものでした。普通の人はそれらを見てもよくわからないかと思いますが、『グリーン』の者なら一瞬でわかります。つまり……どれも我らがボスの不正を示す証拠だったんです」
「……!」
たまかはその顔に驚愕を貼り付けた。
(やよゐさん……しをりさんの不正の証拠を探るのに協力は出来ないと言っていたのに……)
だからこそ彼女はゲームで不正まで行ってたまかに引き下がらせたはずだった。しかし彼女はその後、きちんとしをりについて探りを入れてくれていたのだ。
「恐らくヒミコのチャットを消したのはボスでしょう。パソコンの中身も確認しましたが、証拠を取るのに使用した解析ソフトや出力データは綺麗さっぱり消えていたので、ボスは痕跡を全て消していったのでしょうね。ですが流石にOBSの出力フォルダまでは見ていかなかったようで、そのスクショだけ残っていたんです。やよゐは配信していることが多いですから、きっとOBSのスクショキーを押すのが癖になっていたんでしょうね。普通にOSの方のスクショの出力先はボスも確認したでしょうから、奇跡のすれ違いを起こしたことになります。そのお陰で、自分も誰がやよゐを殺したのかきちんと悟ることが出来ました。やよゐは……未来ある自分の推しは、ボスの不正を暴いたことによってボスに消されたんです」
こずゑは縛られたままの両手をきつく握り締めた。
「パソコンの画面を遠隔で覗かれている可能性もあったので極力対策をし、それらの証拠をUSBメモリに移しました。自分はそれを、お宅に届けに来たんです」
「……どうして私が味方だと思ったのですか?」
「直前までアジトを訪れていたからです。たぶんやよゐはボスが不正を行っていると気が付いても、暴こうとまではしないでしょう。ずーっと彼女を見て来たので間違いありません。ですからやよゐがこんなことをしたのは、必ず誰かの介入があったはずです。そしてその可能性が高いのは、たまかさんだと考えました。その後ボスがやよゐを殺したのはたまかさんだろうと言い始めたので、自分はそれを確信に変えました。逆説的にたまかさんはボスとは繋がっていないことになりますから」
しをりがやよゐ殺しの犯人をたまかと決めつけて声高に叫んでいるのだとすれば、『グリーン』はもう『レッド』に友好的な態度は取らないだろう。きっと『グリーン』のメンバー達は、『レッド』を同胞を殺した敵とみなしているはずだ。
「自分はボスの言うことを表面的には信じたように見せかけています。ですから自分がここにお宅を殺しに来ても何も違和感はありません。復讐に狂ったフリをして、お宅に接触を試みることにしたんです。……メモリは先程武器と共に没収された小袋の中にあります」
こずゑの顔が茜へ向けられた。たまかのもとへ連れて来るにあたり、身体検査を行っていたらしい。茜はスカートのポケットから、小さな袋を取り出した。恐らく押収したものなのだろう。袋を開けると、中からUSBメモリが取り出された。
「それにはパスワードがかけてあります」
その言葉に、USBメモリに注目していた三人の視線がこずゑへと戻る。
「教える前に……誓ってください。『レッド』が掴んでいる情報を、自分にも全て教えると。やよゐを殺されて、黙ってなんていられません」
決意を宿す瞳は、仄暗くも真っ直ぐとたまかを射貫いていた。
「……わかりました」
こずゑが実はしをりについていて、これが全て演技の可能性もある。やよゐが殺されたという話も全くの嘘で、『レッド』の知っている情報を全て引き出したいだけかもしれない。しかしこずゑのその瞳を見て、たまかは迷うことなく厳かに頷きを返した。
「『グリーン』を探るきっかけは……水面さんの死だったんです」
たまかは寂しそうに視線を落とした。
「AIが怪しい動きをしていることが判明して……真実を白日の下に晒し、水面さんの無念を晴らしたくて『グリーン』を探っていました。やよゐさんに話を聞いたのも、その一環です」
たまかはこずゑに真っ直ぐと視線を絡めた。恐らく彼女も、やよゐ同様何も知らないのだろう。悲しさを押し込め、揺るがずに前を向く瞳。きっとやよゐのために出来ることを我武者羅にやろうとしている。水面のために真実を探ろうとしているたまかと、同じ眼差しだった。
「やよゐさんが遺してくれた証拠を手掛かりに……しをりさんを暴きましょう。これ以上の犠牲を出さないために、彼女を止めなければなりません」
きっとやよゐもそれを願っていたからこそ、今ここにこのUSBメモリが存在するのだ。こずゑは深く頷いてみせた。その顔には、ボスを裏切る後ろめたさは微塵もない。既に全ての覚悟を決めているのだろう。やよゐを殺したのが誰なのか、遺されたものによって気が付いたその瞬間から。
「少し長い話になるかもしれません。よろしいですか」
「構いません。配信開始を待機することはもうありませんから……時間は無限にあります」
こずゑは小さくそう言って、悲しそうに瞳を伏せたのだった。
***
翌日。たまかは車に揺られながら、助手席でスマートフォンの画面を見下ろしていた。SNSは人気ゲーム実況配信者『ヒミコ』が死んだという情報が本当なのかという話題で持ちきりだった。治安の悪い場所に住んでおり、かつ突然音沙汰がなくなるなど今までになかったため信憑性は高いという意見、はたまたそんなの出鱈目や陰謀論だろうという意見。ネットは二分し、議論は白熱している。死んだことを告知した人間が『ヒミコ』と全く関わりのないプログラマーだったことや、根拠となる情報が他に全くないことなどから、ファンの中には絶対に信じないと固く誓っている者も多いようだ。……『グリーン』は、未だに公式に情報を発信していない。情報を発信するとすれば、きっとたまかの名前も共に綴られることになる。そのため『レッド』と対立を決めたその時を狙って発表するつもりなのだろう。たまかはその未来を考えて気落ちしたように肩を落とし、暗い表情で画面を消した。
「着きました」
緩やかに車が止まり、運転席の桜が声を掛けながらシートベルトを外した。たまかは窓の外へと顔を向けた。『レッド』のアジト程大きくはないが、ガラス越しに小綺麗な建物が聳え立っているのが見える。目的地に到着したことを確認し、たまかは桜に続いて車を降りた。
『グリーン』を訪れていた、『レッド』傘下の組織の男。資料の写真を調べたところ、彼はある組織のリーダーだった。『レッド』はその組織から『グリーン』と関わりがあるなどとは一言も聞いていない。どういうことなのか事情を訊くため、たまかと桜はアポなしで彼の組織を訪れたのだった。たまかは事前に伝えようとしたのだが、逃げられる可能性があるため避けるよう言われたのだ。そのため武力行使はしないとはいえ、半ば突撃のような形である。しかも『レッド』のナンバーワンとナンバーツーのツートップの顔ぶれである、ここの組織の者達にとっては冷や汗ものだろう。隠し事や黒い部分があるのならば猶更だ。二人は車を置いて、正門へと歩いていった。
「歓迎されないのは勿論ですが、抵抗するどころか歯向かってくる可能性も大いにあります。用心してくださいね」
桜はヒップホルスターに仕舞われている拳銃に視線を落とした後、たまかへと横目を向けた。たまかは強張った顔で頷きを返した。正門が見えてきたところで、桜はため息を漏らした。
「逃げられることを防ぐため、本当は強行突破したいんですけどね……」
「いけません。武力を見せたら、向こうを刺激してしまいます」
「わかっていますけど……馬鹿正直に門が開くのを待っていたら、その間に裏口から立ち去ってしまうかもしれませんよ。貴重な『グリーン』との接触人物なのですから、失うことは避けたいです。せめて脅しはかけて、足止めしてくださいね」
「……わかりました」
二人は門に設置されたインターフォンの前までやってきて、たまかがボタンを押した。
『……『レッド』の長様? 何用でしょうか……』
動揺を隠しきれていない、上擦った声。取り次いだ少女の声は、震えていた。
「突然で申し訳ありませんが、リーダーに会わせていただけませんか。『レッド』は彼から話を聞き、今後も協力関係を結ぶかどうかを今一度見極めたいと思っています」
『……』
「『レッド』内の反対を押し切ってここに立っています。今しか弁明のチャンスはありません。お忙しい中とは思いますが、どうかお時間を頂けませんか」
インターホンの向こうは暫く静かだった。やがて、『承知致しました。そのままお進みください』と返答がきた。たまかと桜は敷地に通され、入り口へと向かっていった。
「ようこそ、『レッド』の長様、そして桜様。歓迎いたします。協力関係を見極めたい、とのことでしたが、上納金に何か手違いがございましたか?」
玄関には既に男が立っていて、二人を出迎えた。背広を着ており、にこやかな笑みを貼り付けている。金があることが窺える豊満な体を揺らし、男は脂ぎった顔でたまかの顔を窺った。彼は『グリーン』と接触したところを見られたことに気が付いていないため、ガサ入れのようなものとでも思ったのかもしれない。逃げ出すことなく、姿を現した方が良いと判断したようだ。
「貴方にお尋ねしたいことがあって参りました。昨日、『グリーン』を訪れていましたよね?」
たまかの第一声に、男の顔からさっと血の気が引いた。ぎこちない笑みを浮かべて固まる。
「どのような目的で訪れたかも、『グリーン』から聞いております。その件について、貴方からもお話をお伺いしたいと思っています」
「い、いえ、その……。『グリーン』の嘘では」
途端にしどろもどろになった男へ、桜が睨み付けるようにして詰め寄る。
「先日話を聞いた時は、『グリーン』とは一切関係を持っていないと言っていましたよね? 貴女は『レッド』に虚偽報告をしたということです。これは明確な裏切り行為、『グリーン』につく算段をしていると見てよろしいですか?」
「そ、そういうわけでは」
「『レッド』を虚仮にした落とし前はしっかりつけてもらいますよ。明日までに一億、『慰謝料』を用意してください。出来なければ建物や臓器で代替しても構いません。そしてあの世で弁明をするか、撃たれる前に弁明するか、どちらか選ばせて差し上げます。『レッド』は優しいですから」
「…………」
男は目を泳がせて押し黙ってしまった。普段は好き放題しているようだが、実は気の弱い性格のようだ。『レッド』の傘下だからといって知性に長けているようにも見えない。彼は深々とため息を漏らした。
「『グリーン』め、売りやがったな……」
ぼそりと呟かれた憎々し気な声は、たまかの耳にもしっかりと届いていた。彼は一度顔をあげた後、申し訳なさそうに頭を下げた。




