救急搬送された病院の検査で地獄の苦しみを・・・
埼玉県立精神医療センターにおける4回目の入院期間も、残り少なくなってきた頃です。担当医から呼び出されました。
「次に飲んで来ても、もう受け入れない(入院はさせない)。退院後は自助会とデイケアに行って下さい」(実際にはこんな丁寧な言い方はしていない)
簡単に言えば『三下り半』をいただいた訳です。
自助会は入院中から参加していたので、全くストレスを感じずに出席できました。
自助会というサークルは「飲んじゃいました。すみません、また仲間に入れて下さい。1から出直しま〜す」が許されるところです。
私の場合、デイケアなるモノが受け入れられなかったのです。
デイケアは京浜東北線の与野駅東口にあります。当時の居住地(東武東上線)から毎日、通うのは至難の業であり、交通費用が尋常ではない金額になります。
アルコール依存症者がデイケアに通うのでしたら、行政のお世話になってからでないと続きません。全く同じカリキュラムを受けているのに、かたや無料、私のような自立生活者は1回あたり3000円を少し、下回る金額を毎日払い続けます。
月計算なら60000円位になるでしょうか。
記憶は曖昧ですが、私がデイケアに通った日数は5回程度です。
デイケアを放棄すると、なにもする事がない毎日に陥ります。
医療機関との繋がりも無くなったので、必要不可欠である眠剤が底を付きました。
以前にも書いていますが、5日間の不眠の結末はアルコール性てんかんの発症でした。
てんかん発作からたった1日で退院した私は、ここから複数の決断をし、実行へと移していきます。
自宅の売却(実際には競売物件化) 。マイカーの売却。これに伴う転居です。
転居先に選んだのは京浜東北線の与野駅です。理由は自助会参加がしやすいという、たったそれだけの理由であり、デイケアに再び行こうとは思いませんでした。
家賃は42000円だったと思います。駅前物件ではあるのですが、道路に面しておらず再建築不可物件のアパートの2階、一番奥の部屋を借りました。
このアパートの住人はおそらく、全員が生活保護者です。この時点で私自身も生活保護者になっていました。(支給金はいただいておりません)
仕事もなく、安アパートで暮らしていた私は、徹底した自助会参加者になっていきます。
さいたま市という場所には、自助会が多く存在していて、ほぼ毎日どこかのコミュニティーセンターで開催されています。毎週、木曜日には午後1:30から昼間の自助会も開催されています。
埼玉県立精神医療センターを最後に退院したのが2月25日前後。退院当初、東武東上線の一軒家があった我が家から、与野駅にあるデイケアまで自転車で通っていました。今、思うと凄いパワフル!
しデイケアを放棄して眠剤が手元に無くなり、完全不眠からアルコール性てんかんを発症したのが3月15日、12:00pmジャスト
自宅2階で動けなくなり、携帯電話を使って救急車の依頼を自分でしました。この時、やってきたのは救急車ではなく消防車でした。
病院に搬送されると尿管チューブをグサっ! 胃袋洗浄でギョエ! さらに胃カメラをギュンギュンと押し込まれていきました。
地獄です。激痛です。二度とこんな目に遭いたくない!
決断早い。
3月16日に退院するのですが、この前の晩である入院当日の当直医が精神科医で、眠剤を処方してくれたのです。
胃洗浄、胃カメラをおこなった医師は内科医で、私が何度も「自殺じゃあない。アルコール性てんかん発作だ!」と言っても聞き入れてくれませんでした。
「アルコール性てんかんなら、そういった専門病院に送っちゃうよ!」って言われましたが「その病院から退院してきたんだ!」と言っても無意味だと思ったので話しませんでした。
この夜、人生で最高の睡眠を得ることが出来たのです。
想像してみて下さい。人間が5日間、全く眠れずに悶々としていたのです。そこにグッスリ眠ることができる眠剤を飲んで迎えた清々しい朝の到来。
この朝からすべてが変わったのです。
2度と尿管チューブなんて刺されるものか! 2度と胃カメラは飲まんぞ!
そして・・・2度と酒に手を出すまい。
意外と簡単に流れていっています。毎日断酒!なんて気負っていません。




