エピローグ
あの生放送の日から、一ヶ月が過ぎた。
「ERIS」と桜さんのコラボ曲は、発売週の週間売り上げランキング、ダントツ一位を獲得し、その首位の座を今週までキープし続けている。首位陥落する兆しは、まだないようだ。
あのコラボは、 ダンスパフォーマンスメインだった“ERIS”が、歌でも勝負できるアーティストだと言う事を世間に知らしめ、
ピアニスト「叶野桜」は、ただのクラシックピアニスト、伴奏者としてではなく、J-POPアーティストと対等にコラボ出来る“アーティスト”の一面を世間に魅せる事となり、その評判は絶大な物だった。
その後、桜さんに、他のアーティストからのコラボやアレンジのオファーが殺到したけど、これらのオファーを彼女はことごとく断った。
理由は単純明快。この夏が終わり次第、桜さんは、本職、クラシックピアニストとしての仕事を再開する。その本職に集中するためだ。
桜さんは、秋から来春にかけて、週末毎、日本の各地で、ピアノコンサートが決まっていた。これは、毎年恒例のことで、『ピアニスト叶野桜は、秋冬しかコンサートをしない』とは、桜の関係者やクラシック業界関係者の間では有名な話だった。
コラボ企画が終わった今、桜さんは、自分のコンサートに向けての準備に取りかかっている。
選曲、舞台構成、そして曲の練習、新曲の演奏依頼・・・様々な機関からの公演依頼・・・それらの打ち合わせと会議に追われている。桜のスタッフ“Team 桜”もそれは同じだ。来たるべくこれからのシーズンに向けて、今までとは違う意気込みが漲っている。
そんな打ち合わせと準備の途中、事務所の自分の席に戻ると・・・
「お疲れ様です」
俺の隣の席には、七海が座っていた。五十嵐さんと一緒に事務や経理の仕事に追われている。
あの事件が解決した後、七海は再び、この事務所に戻ってきた。
身の回りが平和になり、次の就職先を捜していた七海に、社長が直々に声をかけたのだ。
「やばい、マジで疲れた・・・」
俺は自分のデスクに倒れ込んだ。頭の中が飽和状態で、熱を帯びてるみたいで蕩けそうだ。それくらい、打ち合わせの内容は白熱していた。
コラボ企画の影響か、ピアニスト叶野桜の人気は、去年の比ではない。コンサートチケットも、発売後数日で完売した。これは、クラシックコンサートにしては、珍しいことだ。
クラシック業界コンサート一つ取っても、ゼロから作り上げるのは、簡単な事じゃない。それはコラボ企画もそうだった。
でも、それをやりこなす桜さんのステージ演奏を聴くと、そんな苦労も全て報われる。
「どうぞ」
七海は、俺のデスクに淹れたてのコーヒーを淹れてくれた。コーヒーの良い香りは、俺を幸せな気持ちにさせてくれた。
「香澄姉さんのこと、桜さんと大沢さんから聞きました・・・亡くなって、もう8年になります」
あの事件の少し後。大沢さんが言っていた七海のお姉さん、香澄さんの事を、七海に聞いてみた。
大沢さんと香澄さんは、高校時代の同級生で、桜さんは、二人の後輩だった事。
かつて、大沢さんが高校時代、片思いしていた相手。
そして桜さんが実の姉のよう慕っていた女性。
「私と姉は、年が離れていて・・・姉が亡くなったとき、私はまだ学生でした。
私にとって姉は・・・頼りになるもう一人の母親でした。
優しい思い出しか、残っていなくて・・・亡くなった時は、本当に悲しかったです・・・
姉は・・・結婚後、新婚旅行先で襲われて・・・亡くなりました。襲われた後、まだ生きていて・・・帰国してきたんですけど・・・すぐに亡くなりました・・・」
七海の目は、悲しそうだった。一瞬俺は、聞かなければ良かったかと思った。でも、避けて通ることもできない話だった。
「大沢さんの事や桜さんの事は・・・何か知ってる?」
俺がそう聞くと、七海は首を横に振った。
「いいえ・・・覚えていません。
でも・・・」
七海は、言葉を止めた。
「・・・姉の棺の側で、悲しそうな顔をして立っていた男の人が居たような気がします。
姉の知り合いは、女性が多かったので、姉と同年代の男性の友人って、その人も含めて2,3人位しか居なかったんです。義兄の知り合いかと思ったんですけど・・・
その人、お通夜の時、泣いていた私の頭を、何も言わずに、撫でてくれました。その人の側に、彼を心配そうに見つめる女性もいました・・・
今思うと、あの人達が、大沢さんと桜さんだったのかも知れない・・・
桜さんとは、それから何年もたってから、父の同業者として知り合いました。でも桜さんは、香澄姉さんの妹、としてずっと、知っていたんですね・・・」
そういうと、七海は大きく息を吐いた。
「今回の事件もね。
私が助かったのは・・・姉が・・・守ってくれたのかも知れないって・・・思ってるの。
そう思ったら・・・。私、もう自分の身体も命も、粗末になんか扱えません」
そう言って彼女は笑っていた。
あの生放送の少し後。
暴力団と、明日香と、彼女の所属事務所の関係がスクープとして芸能ニュースに流れた。
金の流れや、邪魔なライバルに対する圧力といった行為も、事務所単位で行われていたらしい・・・と知ったのは、その時だった。
七海の事件が大きく取りざたされることはなかったけど、そういった事も含めて、自分にとって邪魔な存在に対する悪質な嫌がらせを、暴力団を使ってやっていた、という事は明るみになり、明日香と暴力団幹部は軒並み逮捕された。
“ERIS”のマネージャー、杉崎さんも、警察の取り調べを受けた。しかし、明日香に脅迫されていたことも明るみになり、また、襲われていた七海を救った事(これは七海が証言した)もあって、この事件に関しては不問とされた。
杉崎さんは事務所に辞表を提出しようとしたが、それは“ERIS”メンバー全員に止められ、相変わらず“ERIS”のチーフマネージャーとして頑張っているようだ。
それらのニュースは、テレビ越しに、少し遠い世界の出来事の様に思えた。
午前中の打ち合わせを終わり、七海のいれてくれたコーヒーに癒されていると、桜さんが、席で帰り支度をしていた。
「あれ?桜さん、今日、午後半休ですか?」
「うん。このあと、大沢さんと出掛けるの」
「えっ!?」
桜さんのその言葉に、俺はびっくりして立ち上がってしまった。
一方桜さんは平然と笑っている。
「七海さんのこと、大沢先輩に頼んだでしょ?
今日、“報酬”払う約束なんだ」
「報酬?!」
そういえば以前、五十嵐さんから聞いた。
MTVの黒情報屋”は、情報と引き替えに、法外な“報酬”を要求する。・・・と・・・
法外な報酬・・・それがもし、七海との事だったら、桜さん一人に、報酬を支払わせるわけにはいかない。
俺にも手伝えるような金額だったら・・・
ところが、桜さんは、笑顔で問題発言をした。
「ん、大沢さんとデート」
「えぇっ!」
デート・・・大沢さんと?
それを聞いた途端、俺は驚いて声を上げていた。その声で七海や、他の事務所のみんなの視線が俺に集中した。
「声、大きいよ」
桜さんは、いつもの脳天気な笑顔でそう言った。
「デート、って・・・そんなコトして、シンさんが知ったらどうするんですか!」
シンさんは、それほど嫉妬深い人ではない。でも、大沢さんとの間に微妙な人間関係があった。
そんな状態で、もしも大沢さんと桜さんがデート、なんて、シンさんが知ったら、どう思うか・・・
俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、桜さんはいつもの調子で笑っている。
「シン君も了承済み。それに、今日だけは、たとえシン君でも、勘弁して欲しいんだ」
どういう事だ?ちゃんと話してくれない桜さんにヤキモキしていると、廊下で人の気配がした。
俺は桜さんとの話を中断して、事務所の入り口に出た。そこには、まさに今、話に出ていた張本人・・・大沢さんが立っていた。
「よう・・・叶野、いるか?」
いつもの、口元だけ笑う表情を見せて、そう言った。
そして、いつもの背広姿だったが、その片手には、色とりどりの花束があった。
そう・・・見るからに、“デート”のようで・・・
「あ、先輩!こんにちは。早かったですね!」
「ああ、仕事片付けてすっ飛んできた」
その二人のやりとりは、まるで恋人同士のようで、見ていて微笑ましい物だった・・・が。
シンさんと桜さんの事を知っている俺としては、妙というか、複雑で、どうして良いのか判らなかった。
「それじゃ、行きましょうか?」
「ああ」
「それじゃ、お先に失礼します!」
事務所の人達にそう言って一礼すると、桜さんは、大沢さんと並んで、事務所を出て行った。
「・・・あの二人、お似合いよね」
「本当に」
「やっぱりお付き合いしてるのかなぁ?ー」
「でも、憲一マネージャー公認ってことは・・・」
女子たちの黄色い声が、妙に遠くに聞こえる。
結局俺はどうして良いか判らず、桜さんたちの背中を見送り席に座った。
俺の席の横では、七海が、部屋を出て行った桜さんの席を見つめていた。
「心配しなくて、大丈夫ですよ」
七海は静かに笑っていた。その表情は、いつもと違って、少し深い物にみえた。
「どうして?」
俺がそう聞くと、七海は、俺の方を見た。
「もうすぐ・・・姉の命日なんです。
桜さん、今日、姉のお墓参りに行くって・・・言ってました」
「あ・・・・」
思わず言葉を失った。そんな俺に、七海は更に言葉を続けた。
「桜さん、言ってました。
歳をとる毎、香澄姉さんの思い出話が出来る人がどんどん減ってきて、
今となっては、酒飲みながら思い出話出来るのは、大沢さんだけになってしまった・・・
桜さんも大沢さんも、邪な思いで出かける訳じゃないです。
ただ、姉の思い出話をしたいだけだと思います」
「・・・お姉さんの・・・」
一体、どんな人なんだろう?
桜さんが、大沢さんが、死後何年も経つにも関わらず、大切に想い、思い出話をしたい、と思うような女性。
きっと、凄い素敵な女性なんだろうな・・・
七海のお姉さんだったら、七海にも似て・・・
「何、考えてるの?」
突然そういわれて、俺は思わず妄想から現実の世界へと戻った。
「や、別に何でも・・・」
笑ってそう答えて、手元のコーヒーを飲んだ。俺の横では、まるで俺の思いに気づいているかのように、七海がくすくす笑っていた。
その彼女の笑みが照れくさくて、目をそらした。
「さて、そろそろメシ食いに行くか?」
時計は、もう既に12時を回っている。気がつくと、周囲の事務員はみんな、メシを食いに行っていて、事務所は閑散としていた。
俺は、財布と携帯をポケットに入れた。七海は笑顔で頷くと、小さいバッグを片手に立ち上がった。
「行きましょうか?」
どちらからともなく伸ばされた手を、指を絡めて繋ぐと、俺達は事務所を出て、昼食を食べに出かけた。
「今日は何処にする?」
「“ルナ”のランチメニュー、オムライスですって!そこがいいな!」
「了解!」
離れないように、しっかり指を絡めた彼女は、幸せそうに笑って俺の顔を見上げていた。
それは、以前までのぎこちない笑みとは全く違う、俺がほしかった笑顔だった。
(FIN)




