第25章
リハーサルは滞ることなく進み、やがて昼休憩となった。
俺と七海さんは、そのまま待ち合わせの場所へと向かった。
8階非常階段。
ここは、この前ここで収録の仕事の時、憲一さんから携帯をスッて去っていった明日香がここでその携帯をチェックしていたのだ。
この場所を指定したことで、明日香は、この呼び出しの理由と目的が、判っているだろう。
非常階段には、俺たち以外誰も居ない。
天気がよいせいか、景色も決して悪くない。とはいえ、周りにはもっと高いビルがあるので、展望台ほどではない。それでも、見下ろすと目眩がするほどの高さ、風も強く感じて、その音が少しうるさい。
遠くには、ビルの間から微かにお台場の海が見える。もう少し高いところに登れば、遮る建物もないから、もっとはっきり見えるだろう。
何をするにも、何を見るにも中途半端な高さのせいか、非常階段、という場所柄のせいか、人は誰も居ない。
ここに、二人きりで立ちながら、彼女とは殆ど口をきけなかった。
俺の横では、七海さんが立っている。
俺一人で行こうとしたけど、七海さんは、自分も行く、と言ってきかなかった。
一体何を話していいのか判らなかった。
彼女は、俺の隣にいたけど、俺の方を見ようともしなかった。でもそれは、敢えて俺の視線を避けている、とかそんな感じではなく、ただ、非常階段の柵の向こう側の風景を、ぼーっと見つめているようだった。
その表情から、考えていることを読むのは無理だけど・・・
きっと、リュウのことを考えているのだろう。それくらいのことは判る。
さっき、控室にリュウが来たとき。
リュウが七海さんを見つけたとき。
七海さんもまた、リュウをまっすぐに見つめていた。
他の物も見えないほど、まっすぐに・・・
二人の間だけ、時が止まったようだった。
その視線で、嫌と言うほど思い知ってしまった。
七海さんの心の中に誰が居るのか、誰を思っているのか。
きっと・・・七海さんの心の中に、俺が入り込むスペースなど、少しもない。
苦い現実だった。
それでも。
七海さんが、もう二度と襲われないように、安全に暮らしていけるように・・・それだけを俺自身の拠り所にして、ここに立っていた。
外に面したこの非常階段は、元々は、非常時以外は出入り禁止になっている場所だ。人がいれば問題になる。
今だって、俺達がここにいる事が、関係者に知られたら大変なことになる。
でも逆に、誰もが、“ここに人が居る事はないだろう”と思うのも確かだ。
・・・その時だった。
“ガチャン”という、ドアを開ける音が聞こえた。そして、非常階段を少し、下りる音・・・
俺達が居るのは、非常階段の7階と8階の間の踊り場だ。ちょうど・・・この前明日香がいた場所。
階段を下りる音は、だんだん近づいて来た。そして、ようやくその足音の主が、すぐ側までやってきた。
そして・・・
「こんにちは、明日香さん」
その足音の主が俺達の前にやってきた。俺は思わず、いつもの調子でそういった。
「こんにちは。青木さん」
明日香さんが、俺達の目の前に立っていた。
彼女は、ドラマの中の登場人物の格好をしていた。化粧も、衣装もだ。
今日は1日、ドラマの撮影なのだろう。昼休憩も、化粧や衣装を戻す必要がないのだろう。
ドラマの中では、主人公の刑事の恋人で、OL役をしている。その役柄通り、清楚なOLの姿だ。
一瞬、事務所にいた頃の七海さんを思い出した。あのころの七海さんは、今、目の前にいる明日香の服装よりももう少し、大人しくて地味だったけど、こんな服装をしていたっけな。
そんなことを考えながら、目の前にいる明日香さんを見つめていた。
「何か・・・ご用?」
形式的に、だろう。明日香さんはそう言った。その様子は、桜さんと向き合っていた明るい雰囲気ではなく、一流の女優の空気を纏っていた。かといって威圧的でもなく、自然に、舞台の上に上がり、自然に台詞を言っているようにも見えた。
「やっぱり・・・あの電話番号は、明日香さんの、だったんですね」
七海にあてられたストーカーメール。あれから割り出した送り主の番号・・・その番号に入れた留守電のメッセージを聞いてここに来た、と言うことは・・・
「・・・・明日香さんが・・・七海さんを襲わせたんですか?」
もう、隠し立ても何も要らない。俺ははっきりと聞いてみた。
明日香さんは、俺がこんなはっきりと聞いたからか、ふふ、っと軽く笑った。
少しだけ、彼女の長い髪が揺れて、波打った。
「証拠なんて、ないわよ?」
取り繕う必要がないからか、彼女も開き直ったようにそう言った。
「証拠は・・・ありますよ」
俺がそういうと、一瞬だけ、明日香の笑顔の仮面が崩れたような気がした。
「証拠?なによ?」
「・・・“ERIS”のマネージャー、杉崎さんの証言です。
あの人は、貴女に頼まれて、犯行に使われた車を運転した、と言っていました」
さっきの杉崎さんが、嘘を言っているようには思えない。
けれど、明日香さんは相変わらずだ。
「それ、杉崎さんのでっちあげよ?
私、そんなの知らないわよ
大体、リュウの恋人なんかが表沙汰になった時、一番困るのは“ERIS”の事務所でしょ?私じゃないわ」
それでも平然と、そう答えた。
明日香の事務所と結託している、とかいう暴力団が、彼女の罪を揉み消すのだろう。
この前、携帯をスッてここで見ようとしていた、あの明日香さんとは別人のようで、堂々としたものだ。
「それに、それをでっち上げたって、警察は動かないわよ?」
「事務所のバックにいる・・・暴力団が揉み消すから、ですか?」
俺達の事務所に、暴力団の圧力がかかったことを思い出した。あれさえも、明日香の差し金・・・そう思うと、随分大がかりな口止めだと思うが・・・もしも明日香が、暴力団と関わりのあるのなら、それも可能だし、なにより明日香の事務所と暴力団が繋がっているのだ、明日香一人の犯罪を揉み消すくらい、簡単なことだろう。
ふう、俺は軽くため息をついて、切り札を切る事にした。
“切り札”・・・さっき憲一さんから貰った、“大沢さんからの伝言”
「・・・さっき、“MTVの黒情報屋”が連絡をくれましたよ」
“MTVの黒情報屋”。その言葉を聞いた時、明日香の表情が明らかに変わった。
「“ERIS”の事務所の、犯行に使われた車を、先日警察が押収したそうです。
中を調べたら・・・」
「なぁに?指紋でもあった?
・・・あるわけないわよね?
だって私、そんなのに乗ってないもの!」
おそらく、明日香は、車に指紋は残していないだろう。
確かに,大沢さんの連絡によると、警察は“ERIS”の事務所の、例の車を押収し、中を調べた。中には、明日香の指紋などなかった。けれど・・・
「いいえ、明日香さん指紋ではありません。
事務所の人間の物ではない指紋と、
七海さんの血痕と・・・明日香さんの髪の毛。
事務所の話だと、“ERIS”の専用車両に限らず、事務所の車に、事務所所属タレント以外の人間を乗せることは、絶対にないそうです。
ERISのスタッフの話だと、“ERIS”の専用車両は特に・・・ERISと運転手、あとマネージャー以外が乗ることは、まずあり得ないそうですよ?
その車から、明日香さんの髪の毛と、七海さんの血痕が出て来るって事は・・・
七海さんを襲うときに、この車が使われて、その車に明日香さんが乗っていた、って事なんじゃないですか?」
「・・・・・」
明日香は何も言わない。さっきまでの女優然とした態度が、だんだん崩れていった。
「車内の指紋も、警察が調べたそうです。
あの指紋は・・・明日香さんの事務所と関わりのある暴力団の人のものだったそうです」
さっき、憲一さんから聞いた、“大沢さんからの伝言”が、これだった。
桜さんが、収録開始前、大沢さんに、急いで調べてほしい、と頼んだらしい。
さすが、“MTVの黒情報屋”だ。桜さんの依頼後、ものの数時間とかからずに調べたのだから。一体どんな情報網を持っているんだろう?
「教えて下さい。
明日香さんが、七海さんを襲わせたんですか?」
彼女の顔からは、既に笑顔が消え失せていた。
俺達の間には、風の音以外、何も聞こえなくなっていた。
「無駄よ」
くすっ・・・さっきとは違うカンに障る笑顔だった。
まるで俺達を嘲るような、そんな笑い声は、静かな非常階段に響いて聞こえた。
「いくら証拠を並べたって、警察が、私を犯人にすることはないわ」
「暴力団が・・・揉み消すから、ですか?」
「そうよ」
明日香は頷いた。その顔は、見ていて嫌になるほど、笑顔だった。
「ふふふ・・・私に何かあれば、黙っていないわよ。
青木さんや桜の事務所に、また圧力かかるわよ。」
暴力団と明日香が、何らかの関係がある・・・というのは、本当だ、という事だ。
大沢さんがこの前言っていた事が、脳裏をかすめた。
“警察に届け出るなら、逃げ場のない位の証拠を・・・”
多少の状況証拠だけなら、揉み消されてしまう、ということ・・・そして、揉み消されれば、明日香は罪に問われず、また七海さんが襲われるかも知れない、という事・・・
苛立ちは、ぎゅっと自分の手に握り拳を作っていた。心なしか、悔しさから腕ががたがたと震えだした。
その時、ふわり、と俺の左腕を優しく掴む感触を感じた。
見るとそこには、七海さんの腕があった。七海さんが、俺の腕にそっと触れていた。驚いて七海さんを見ると、心配そうに俺の顔を見つめていた。
(七海さん・・・)
不安そうなその顔を見て、俺まで胸がぎりぎりと痛んだ。
そうだ、俺が、
七海さんを守らなきゃ。
七海さんの不安を取り除いてあげなくちゃ。
そうでなきゃ・・・
七海さんも俺も、先に進めない・・・
俺は、一瞬目を閉じた。そして大きく深呼吸して、再び開いた。
そして、俺の腕を掴む七海の手の上に、俺の右手をそっとのせた。
大丈夫だから、
心配するな。
そんな想いが伝わるように・・・・
そして、俺は、もう一度明日香を見た。明日香は勝ち誇った顔をして俺達を見ている。
「そうやって・・・今まで何人も、リュウとつき合ってきた人達を、傷つけてきたんですか?」
俺は質問を変えてみた。今まで、リュウとつき合っていたであろう人達。長続きしなかったのは・・・彼女が嫌がらせをしていたから・・・
「そうよ。
みんな、身の程知らずにも程があるわ。
私のリュウにちょっかいかけて誘惑するんだもの。
ちょっと脅しかけたら、すぐに居なくなったわ。
リュウの側にいて良いのは、私だけよ」
「そこに・・・リュウの気持ちは、ないのかよ?」
「・・・リュウの気持ち?」
そう聞くと、明日香はくすくす笑った。
「リュウだってあんな女の存在、迷惑しているに決まってるでしょ?
あんなつまんない子がリュウの恋人だなんて、釣り合わないじゃない」
「釣り合うか釣り合わないか、なんてのは、リュウが決める事だ。
あんたが決める事じゃないだろ?」
言いながら、自分の言ってることに呆れた。
リュウと七海さんがつき合っている事、俺だって最初は信じられなかったのだ。
リュウと七海さん・・・どう見たって不釣り合いだって思っていた。
でも・・・そんなこと関係ないだろ?
リュウが七海さんの事、どれだけ好きなのかも、七海さんだってリュウの事を未だに好きな事、二人を見ていれば判る。
そこに、二人以外の気持ちは、必要ない。
「お前さ・・・・」
俺は、大きく息を吸って、吐いた。なるべく落ち着くために。
「お前とリュウの組み合わせって、不釣り合いだぞ。
鏡、見たことあんのか?
今のお前、すげーバケモンみたいな顔してるぜ」
「なっ!・・・」
ファッションモデル、女優業もこなす明日香にそんなことを言うのは気が引ける。
でも・・・
こいつ、狂ってる。
リュウへの想いで、冷静な判断なんか出来なくなってる・・・
それだけ思いが深いって事かも知れないけど。
我が儘で想いが深いって、ある意味始末が悪いし、手に負えない。
「この前だってそうだ。
リュウの事で桜さんに八つ当たりしてたお前、醜いぜ。顔、歪んでた。
今のお前も。鏡見てみな。化物だぜ!
そんなお前と、自分に厳しくて真面目なリュウ・・・釣り合わないぜ?」
「あ、あんたには関係ないでしょ!
あんただって、そんなつまんない、みすぼらしい女庇うために、なに躍起になってんのよ!みっともない!
その女に、必死になってやる価値なんかないでしょ!」
一般人、しかもリュウが本気で惚れた女と比べられたせいか。七海の顔は悔しそうにゆがんでいた。
「つまらない女、じゃない。
七海さんはいい女だ。
落ち着いてて、一緒に楽しいし、安心する。
・・・リュウもきっと、七海さんのそういう所に惚れたんだろ?
お前がどう足掻いても、持ち合わせることができない所だ。
俺にとって、お前なんかは・・・七海さんに劣る」
そう言い放った途端、明日香の顔は、怒りからか、みるみる真っ赤になった。
「あ、あんたに何が判るのよっ!」
そう言って振り上げられた。平手打ちでもしようとしたのだろうその手を、俺は軽く避けた。避けたついでにその腕を軽く掴んだ。
「ひっ!」
掴んだ瞬間、悲鳴によく似た声が、静かな非常階段に響いて聞こえた。けど、俺はそんなものに構わなかった。
「普通の男が、一方的に殴られる、なんて理不尽な仕打ち、受けるわけないだろ?
大人しく殴られるのは、お前の周りにいる、お前に骨抜きにされてる無能な奴だけじゃないのか?」
そういうと、掴んだ彼女の手を軽くひねり上げた。
本当は、こんな腕、捻り折ってしまいたい。間接的とはいえ、七海さんを傷つけた腕だ。ひねり上げるだけじゃ足りなすぎる。
七海さんと初めて会った頃、七海さんの腕にあった、治りきらない傷が脳裏を過ぎった。
あの傷をつけたのが、明日香だったら・・・たとえ直接手を下したのが明日香ではなくても、命令を下したのが明日香だったら・・・明日香の腕なんか、折ってしまってもまだ足りない!
「あ、青木君・・・」
七海さんの声が聞こえた。明日香の顔が、ひねりあげられた腕の痛みからか、真っ青になった。けど俺は、敢えてそれを見ないふりをした。
彼女の腕は折らなかった。仮にも明日香は女優で、今、ドラマの収録もしているのだ。こんな所で怪我をさせて、訴えられたら厄介だ。
「・・・っ・・・・何するのよっ!」
「七海の怪我は、もっと酷かったし、七海が心に受けた傷は、こんなもんじゃなかった!
お前の怪我一つで償えるかっ!」
そう怒鳴った瞬間、俺は明日香の腕を勢いをつけて離した。その勢いで明日香はバランスを崩し、尻餅をついて後ろに倒れた。
七海さんもびくり、と驚いた顔をした。明日香に至っては、こんな仕打ちを受けたことなどなかったのだろうか、さっきの表情から一変して、すでに怯えた顔で俺を見ている。
明日香は勿論、七海さんも、俺のこんな鋭い声は、聞いたことないだろう。
俺がこんなことをするなんて、思いもしなかっただろう。
「揉み消すなら、それでもいい。
お前が無罪放免になりたいなら、別にどうってことない。
でも、俺は・・・絶対に許さない!」
「許さなきゃ、どうするって言うのよ?
たかがピアニストのマネージャーごときの貴方に、出来ることなんかないでしょ?」
恐れ慄きながらも、明日香の顔に虚勢の色と同時に、狂ったように高い声で笑った。その笑みは、“どうすることも出来ないでしょ?”と言っているようで気味が悪かった。
「ねえ・・・明日香さん?」
今まで、黙り込んでいた七海さんが、おそるおそる、声を出した。
「なによ!」
明日香の視線は、まるで射殺すように鋭く七海を睨み付けている。俺でさえ、その視線は恐ろしく痛かった。
「・・・欲しい物は、手に入ったの?」
「え?」
およそ、この場にそぐわない、静かな声だった。
「私を怪我させて、他の人まで傷つけたんでしょ?」
まるで、子供みたいな口調だった。
「証拠なんかないわよ?」
明日香は用意されていたかのように、そう言って笑った。
「証拠なんか関係ない。
貴方がやったんでしょ?」
七海さんの声は酷く落ち着いて、逆に怖く感じた。
「・・・だったら何よ!」
否定するのを諦めたのか、そう言う明日香に、七海は静かに言葉を繰り返した。
「そんなことまでして、手に入ったの?」
「っ!」
明日香が動揺したのか、七海さんから視線を外した。彼女はさらに言葉を続けた。
「だって、リュウがほしくて、こんな事、繰り返してたんでしょ?
それで?明日香さんは?
これだけ人を傷つけて、リュウが手に入ったの?」
「あ、貴方になんか関係ないでしょ!」
「関係あるよ?
私、そのせいで大怪我までしたのよ。
これで明日香さん、リュウが手に入らなかったら、
私の怪我、何の意味もないじゃない」
七海がそう言った瞬間、俺も、明日香も何も答えられなかった。
「あ・・・あんたなんかに・・・」
低い、小さい声だった。
「あんたなんかに、何が判るのよっ!!」
尻餅をついたままだった明日香が立ち上がり、その白い手が、今度は七海さんへと伸びた。
明日香の白く細い手が、七海さんの首もとへと伸びた。まるで首を絞めるために伸ばしたかのように。
「リュウに選ばれて、リュウに愛されてっ!
何の取り柄もないくせに! 美人でもないくせに!
私の方がずっと、リュウの側にいるのに!
私の方が・・・」
明日香の声は、悔しそうな涙声の変わっていった。そう言いながら、七海さんの服を掴み、揺すっていた。
明日香より七海さんの方がよっぽど小柄で華奢で。モデルもやっている明日香は背が高い。その身長差と力の差だけで、七海さんは今にも倒れそうにふらついた。
「リュウって・・・誰なの?」
突然、七海さんはそんなことを言い出した。俺は驚いて、彼女の顔を見た。
「え?」
「だから・・・リュウって・・・誰?」
「誰って・・・今になってしらばっくれないでよっ!
“ERIS”のリュウよ!知らないなんて言わせないわ!!」
明日香は逆上して叫ぶ。その叫び声は耳が痛くなるほど、悲痛だった。
でも、七海さんは、それにさえ、反応せず、さっきと変わらない口調だった。
「そんな人、知らないわ」
そういうと、彼女は更に言葉を続けた。
「だって・・・私が好きだったのは・・・
ただの山崎龍也よ。
芸能人とか、“ERIS”とか、関係ない。
私はそんなこと、知らされずに好きになって、つき合ったの。
貴方の好きな人と、私が好きな人・・・違うわ」
彼女はそういうと、少しだけ、照れくさそうに笑った。
「私の愛した人はね、あんな華やかな表舞台で歌って踊っている人じゃない。
孤高で、無口で、不器用な・・・ただの山崎龍也さんなの」
柔らかい表情が、俺にとっては痛かった。
他の男の事を、そんな幸せそうな笑顔で話すのは辞めてくれ!
そう叫びたかった。
でも、出来なかった。
俺の辛さ以上に、彼女の表情が、あまりにも穏やかで、幸せそうだった。
そして、彼女がそう言った途端、明日香はまるで、はじかれるように、はっとした顔をした。
「私は、芸能人なんて縁のない世界で生きてきたのよ。
そんな私の側に、芸能人がいるわけないでしょ?
私みたいに地味な女が、そんな華やかな人とつき合ってるわけ、ないでしょ?
そんな華やかな世界の人が・・・私の事を好きなんて・・・ありえないわ・・・」
ふふっと、七海さんは笑った。
「貴方は?
貴方の好きなリュウは・・・?」
七海が更にそう言いかけたとき・・・
(ガシャン!)
上の方で、ドアを開ける音が聞こえた。
と同時に、かつ、かつ、かつ・・・と足早に階段を下りてくる音が聞こえた。
そして、俺達が居る踊り場にその足音の主が現れた。
「七海っ!明日香!!」
鋭い声が、非常階段に響いた。
そこには、リュウが立っていた。
「リュウ・・・どうして・・・」
明日香の表情が、一気に凍りついた。それは、見られたくない人に見られてしまった羞恥からか、それとも、もっと違う感情故か・・・
「メシ終わって、七海捜して桜さんの控室に行ったら、居なかったから。
お前の控室にもいないし、青木さんも不在だったから・・・明日香がどっかに隠れてるとしたら、ここしかないと思った」
リュウはそう言うと、つかつかと明日香の側に近づいてきた。
「どうして・・・」
某然とそう聞く明日香に、リュウは、ふっと少しだけ笑った。そして
「何年、お前と友達やってると思ってるんだ?」
そう言い放った。そして、“友達”という言葉で、明日香の表情は、判りやすいほど傷ついた顔をした。
「・・・今、お前のところの事務所の社長が逮捕されたぜ」
まっすぐに明日香を見据えたまま、リュウは静かに言い放った。
「な・・・なんですって・・・」
明日香が息を飲み、驚いたように目をカッと見開いた。
「暴力団と、事務所の関わり。お前と暴力団の関わりが、表沙汰になった以上、お前の所の社長は、もう言い逃れ出来ないだろう・・・」
そういいながら、リュウの目は何処か寂しそうで、痛そうだった。
「七海の暴行事件の犯行に使われた車が“ERIS”の移動用の車で、その中から七海の血痕と一緒に、お前の痕跡と、暴力団の人間の痕跡があった。
本来なら、お前の所に警察が来るはずだ。それが来ないのは・・・例の暴力団が、お前の事を揉み消して、お前だけを守ってるから、だろ?」
「っ・・・・ぼ、暴力団なんてっ私、知らないわよ!」」
明日香はそう言ったが、その表情には、さっきまでの余裕はなかった。悔しそうに歪み、さっきまでの余裕も、女優然とした様子も消え失せていた。
「確かにお前は助かるだろうな。お前の親父さんと兄貴が、お前を全力で守るだろうよ。
でも、芸能人としてのお前を守ってる事務所と、暴力団との関係をとりざたされたら・・・どうなる?
明日香?判ってんだろ?
お前一人が守られて無罪になったとしても、お前と暴力団の関係が暴露されてたら、堅気の人間として生きるのは、無理だろ?
社長と事務所と、暴力団との関係が表沙汰になれば・・・事務所は無傷ではいられない。そうなれば、女優としての明日香は・・・死滅するだろ?」
暴力団と事務所と・・・明日香の関係?
一体何があるんだ?
俺の疑問を、リュウは全く無視して、ただ明日香を見ていた。
一方明日香は、傷付いた表情のまま、リュウを見つめていた。そこには、さっきまでの激しい表情は何もなく、ただ、恋する女の顔だった。
「お前と・・・暴力団の関係は・・・俺が警察に話した。
この前うちの事務所に警察が来て、社長に話を聞いていたとき・・・俺が、警察に話した」
「な・・・なんですって!」
明日香の鋭い高い声が、非常階段に響いた。
「なんで・・・
昔、秘密にしてって言ったのに!!」
そう叫ぶ明日香を、リュウは冷たい表情で見つめた。
「・・・七海を襲わせたのは、お前なんだろ?
暴力団の力を使って、酷いことを・・・したんだろ?
お前が裏で色々嫌がらせ・・・していたんだ・・・ろ?」
そういうと、リュウは一瞬、俯くように目を伏せた。そして、何かを断ち切るかのように、ゆっくりと顔を上げた。
「だから」
息を大きく吸って、吐いた。
「だから俺も、お前に最大の嫌がらせをすることにした。
お前と暴力団の関係、バラした」
リュウはそう言い放った。
「っ!!!!!」
明日香は両手で顔を押さえた。今にも泣きそうだ。
「七海が受けた嫌がらせは、そんなもんじゃない。
俺が・・・七海を失って受けたショックは、そんなもんじゃない。
まだ・・・足りないくらいだっ!」
それは、低い、まるで地の底から響いてくるような声だった。その声と、表情で、彼がどれだけ憤っているのかが伺えた。
「・・・そんな・・・うそ・・・」
ふらり・・・明日香の足下がふらついた。と同時にその場にへたり込んだ。
へたり込んだ明日香の側に、リュウはそっとしゃがみ込んだ。
「明日香・・・・
現場に戻れ。
早かれ遅かれ、お前の所に警察が来る。
守られて、自分だけ無罪になったところでさ、
もう、言い逃れできないだろ?
現場に・・撮影に戻れ。
警察が来るまでは、お前は女優「明日香」なんだからさ。
せめてそれまでは、女優でいろよ」
少しだけ、明るい声が、妙に悲しかった。
「それまでは、今まで通りでいてやるから、さ」
リュウはそう言ったが、明日香は座り込んだまま、もう動くことはなかった。
泣いているのかも知れない、憤っているのかも知れない。でも、その表情は、もう顔を伏せてしまっていたので、俺達には判らなかった。




