第23章
リュウが出ていった後、控室は妙に静かになった。
その静けさに耐えられなくなって、俺は立ち上がると、控室にセッティングされているコーヒーサーバーからコーヒーを人数分、淹れた。
「あ、手伝うよ」
七海さんが慌てて立ち上がり、コーヒーの用意を手伝ってくれた。
「ありがとう。助かる」
そう良いながら、手早くコーヒーの紙コップに注いだ。
「ねえ、青木さん?」
七海が、俺に、そっと話しかけてきた。
「何?」
俺は、視線をコーヒーから七海の方に向けた。七海さんは、どこか言いにくそうに口ごもっている。
「どうかしたのか?」
もう一度そう聞くと、七海さんは言いにくそうに言った。
「ねえ・・・明日香さんと・・・私、話出来ないかな?」
「えっ!」
思わず声を上げてしまった。その七海の声は、憲一さんにも桜さんにも聞こえたらしく、二人とも驚いた顔をしていた。
「辞めた方が良い!
明日香が犯人だったら・・・七海さんに何をするか判らない」
でも、七海は引かなかった。
「でも・・・私のせい、でしょ?
それでその・・・明日香さんも、リュウの事、好きなんでしょ?」
会って話せばどうにかなる、とでも思ったのか。
それとも、杉崎さんと話しながら、何か感じる物があったのかも知れない。
その証拠に、明日香と話をしたい、と言っている七海さんの顔は、吹っ切れ、決心をしたような、さっきよりも強い目をしていた。
「賛成・・・しかねるな・・・
危ない目に遭わされたらどうするんだ?」
そう言いながら、あの、襲われた日の恐怖が脳裏を過ぎった。
暗い道ばたに、血まみれでぼろぼろの服で倒れていた、七海さんの姿・・・思い出す度に心どころか身体中が冷えてゆく感覚だ。心臓さえも、凍り付く、とはあんな気分のことを言うのだろう。
もう二度と、あんな気分を味わいたくないし、七海さんにあんな思いをさせたくない。
それでも、七海さんは納得しない目をしていた。
「駄目?」
駄目です。そう言おうとした。でも・・・七海さんは引かなかった。
「私・・・この事件始まってから、逃げてばっかりだったの。
ストーカーからも、リュウからも、青木さんからも。
逃げて、見ないふりしてやり過ごしてたの。
それが一番いい方法だと思ってた。
でも、そのせいで、こんなにこじれちゃったのよね?
私のために、青木さんや橘さんにまでご迷惑かけて。
リュウにも心配かけた。
それなのに私だけが、何にもしないで、傷も負わずに、みんなに守られて逃げているだけなんて、もう嫌なの!
私が明日香さんに会って、どうにかなるなら・・・会いたいんです」
その目は、今までの七海さんとは違った。
傷付いただけじゃない、それさえも乗り越え、何かを決心したような、前をしっかりと見据えた目だった。
不意に俺は、七海さんの強さを垣間見た気がした。
それでも・・・
「会って、何を話すつもりなんだ?」
冷静にそう言ったのは、憲一さんだった。
七海は首を横に振った。
「話があるのは、私じゃなくて、きっと明日香さんの方です」
俺は、その七海さんの言葉に、それ以上応えず、コーヒーを憲一さんと七海さんに渡した。
「とりあえず、落ち着きな」
「あ・・・・」
七海さんにコーヒーを差し出すと、それだけで落ち着いたのか、俯いて、コーヒーの紙コップを受け取った。
桜さんの分は、ミルクと砂糖を多めに添えるのを忘れずに。
「あ、ありがとう」
一瞬、上の空だった桜さんが、俺の出したコーヒーで正気に戻ったようだった。部屋の重たい空気は、コーヒーの匂いを帯びて、少しだけ軽くなったような気がした。
「さて、支度しないとね・・・指慣らし、してくるね?」
桜さんは立ち上がり、軽く指と腕を動かした。まるで、今の七海さんの話が、なかった事かのように。
もうすぐリハーサルが始まる、と言うことは、桜さんもピアノを弾くと言うことだ。それなのに、今まであんな話をしていたせいで、彼女はまだ指や身体のアップさえ終わっていないのだ。
「あ、はい!行ってらっしゃい!!・・・あっ!」
そう言ってから、俺は思いだしたように、テーブルに上に置いてある自分のカバンを開けた。
こんな話ばかりしていたせいで、俺自身マネージャー兼付き人という仕事をすっかり忘れていた。
彼女にペットボトルの飲み物、持たせるのを忘れていた。確か俺のカバンに入れていたはずだった。
慌ててカバンの中から封の開いていないミネラルウォーターを取りだし、彼女に渡そうとしたとき。
(ドサッ!)
カバンがテーブルから落ちて、中身を床にばらまいてしまった。
「あっ!」
「おい、平気か?」
憲一さんと七海さん、それに桜さんまで、それぞれ散らかった荷物を拾い集めてくれた。俺も慌てて、荷物をカバンに入れ直した。
「あ、すみません、ありがとうございます!
あ、桜さん、これ、持ってって下さい!」
俺は桜さんにペットボトルの水を渡した。
「ん、ありがとう、じゃ行ってきます・・・荷物平気?」
「平気です!これくらい!」
俺がそう言ってる間にも、憲一さんと七海さんが荷物を拾い集めてくれた。カバンは俺のプライベートな物よりも、マネージャー業に必要な物が入っているカバンだったので、見られて困るような物は、何も入っていない。壊れたものもなかった。
「ほら、集まったぞ」
憲一さんが全部拾い集めてくれた。
「すみません、ありがとうございます」
俺は憲一さんと七海さんにお礼を言って、カバンを受け取った。
そしてその中に・・・
「あ・・・・」
思わず呟いた。
その中には、シンプルな茶封筒が入っていた。
それは、前に大沢さんと裏通りのバーで話をしたときに貰った情報だった。
そしてその中には、七海さんの携帯のメールから割り出した、差出人の携帯番号が入っていた。
まさにこの事件の黒幕の携帯の可能性が高い、携帯番号・・・
「ん?どうかしたのか?」
憲一さんが、俺の手元の茶封筒を覗き込んだ。俺は、憲一さんの問いに答えず、その封筒の中に入っている、脅迫メールと携帯の解析結果の紙を取り出した。
「・・・大沢さんに、七海の携帯の解析頼んだ、その結果です。
・・・七海さんの携帯の脅迫状の送り主の・・・電話番号です・・・」
俺と憲一さんと桜さんは、顔を見合わせた。
“話があります。
今日、昼休憩になったら、
8階フロア奥の、非常階段に来て下さい。
もし、来なかったら、例の画像を公表します”
脅迫メールを送ってきた携帯電話に電話してみたが、誰も出ず、代わりに、無機質な案内と同時に留守電に切り替わった。
留守電に切り替わると、そうメッセージを残して、電話を切った。
あえて、こっちの名前を出さなかったのは、彼女だったら絶対判ると思ったからだ。
昼休憩にしたのは、その時間なら、俺達も電話の主も昼休憩になるからだ。
そして、その時間だったら・・・お互い自由に動けそうだった。
電話を切った途端、俺達の周囲は、水を打ったように静かだった。
桜さんは電話が終わるのを見届け、指慣らしに行った。憲一さんもそれについて行った。そのままリハーサルに入るだろう。
俺のすぐ側には七海さんが不安げに立っていた。
不安そうだけど・・・それでもそれに負けまい、と、毅然と振る舞っているのが判った。
それを見ながら・・・俺も、覚悟を決めた。
終わりにするために・・・・




