第19章
桜さんとその話が出た後は、早かった。
打ち合わせが終わり、俺は憲一さんと昼食に出た。
出る間際、桜さんがマナトさんにメールをしていた。
「リュウに、打診してもらうようにメールしたから。
午後には返事、来るんじゃないのかな?」
桜さんはそう言ってた。
その間に俺は、昼メシを食べながら、憲一さんに、音楽番組生放送当日に、七海を現場に連れて行って良いか、相談した。
今日の昼は、職場ビルの裏手にある蕎麦屋。
ここの蕎麦は、質の良い蕎麦粉を店で打っているだとかで、とにかく美味しい。
ざるそばを注文している間に、憲一さんに七海のことを話した。
案の定、憲一さんは良い顔をしなかった。
「賛成できないな。
テレビ局には、明日香もいる。
万一明日香が七海さんを見つけたら、面倒な事になる。
明日香は二度も、七海さんを襲ったかも知れない張本人だ。
さすがにテレビ局は、他の人の目もあるし、彼女だって収録があるから、簡単に手を出すこはないと思うけど。
七海さんに万一のことがあったら面倒だぞ」
憲一さんの言うことも、もっともだ。
でも・・・
「七海さんには、桜の控室に居て貰います。用が済んだらすぐに帰って貰うつもりです。
必要だったら、リュウに、桜さんの控室に来て貰えば、余計な目撃者を作らずに済みます。
お願いします。協力して下さい。
これで・・・七海とリュウの騒ぎを、終わりにしたいんです」
そう、ここで何らかの決着がつけば・・・七海さんがこれ以上襲われることはないだろう。
これから先、リュウと七海さんが復縁して付き合い続けるにしても,リュウはこれ以上、七海さんが襲われないように細心の注意を払うだろう。七海さんだって、リュウと・・・ひいては芸能人とつき合う、という自覚が出来れば、身の回りのことに注意するだろう。
今回の事件の、一番の原因は、それのように思える。
リュウが正体を知らせず、七海さんとつき合ったこと・・・その危険性に、二人とも全く気づいていなかったこと・・・
でも、二人とも、ちゃんと自覚が出来れば、問題は起きないだろう。
リュウと、七海さん、二人がつき合ったら・・・
つき合ったら・・・
そう思った途端、胸の何処かが、ひねり上げられるような痛みに襲われた。
・・・そう、正直言ってしまえば。
あの二人、やり直してほしくない。
それは、俺のエゴ。
七海さんを好きな、俺のエゴ・・・
この事件の間、七海さんを好きな思いは変わらない。
でも、俺と七海が恋人同士になる事よりも、大切な事がある。
それは・・・七海さんの身の安全を確保すること。
いつ、襲われるか判らないような状況に、彼女を置いておきたくない。
それと・・・七海さんの気持ち・・・
七海さんが、まだリュウに心を残しているのなら。
そしてリュウもまた七海さんの事をまだ好きなら。
二人、幸せになって欲しい。
そのためにも、一度会って、はっきりさせてほしい。
でも、もしも、あの二人に未来がないのなら・・・
今度こそ・・・・
そこまで考えて、俺は首を横に振った。
邪だ。エゴだ。考えることが汚い。我ながらそう思う。
いくら足掻いても、彼女の気持ちが手に入る事はない。そんなこと、判っている。
彼女がまだ、リュウの事を好きな事くらい、判っている。
でも・・・・そうでもしないと、俺だって、あきらめがつかない。
シンさんが言っていた。
“例えばリュウと七海さんがより戻したらさ、それを笑って見届けられるか?
笑って、おめでとう、良かったね、って、言えるか?
諦めるって、そういうことだぞ?”
そう。きっと。
俺が、笑って良かったな、って言えるために。
ここまでお膳立てするのは、彼女の気持ちが手に入るかも知れない、からではない。
俺自身が、自分の気持ちにケリをつけるため・・・
「青木?どうした?」
黙り込んだ俺に心配した憲一さんが、心配そうにそう言った。
言われて、俺ははっと我に返った。気がつくと俺の目の前には大盛りのざるそばが置かれていた。
「いえ。何でもありません」
「そうか?ならいいんだけどさ・・・ま、食べるか」
そう言って、憲一さんは話すのを中断して、食べ始めた。俺もそれに倣った。
食べている間は、俺も憲一さんもあまり喋らない。特に蕎麦とかうどんとかは、食べる方に集中したい気分だ。
その沈黙は、気まずい物ではなく、むしろいつもの光景だった。けど憲一さんの目は、蕎麦をすすりながら、何か考え込んでいるようだった。
男同士のメシは、とにかく時間が短い。
無言で食べ終わり、いつの間にか来ていた蕎麦湯をそばつゆにいれて、飲んだ。
蕎麦湯がついてくるような蕎麦は、この店に出入りする以前は、殆ど食べたことがなくて、初めてここに来たときは、蕎麦湯の使い方を知らずに、憲一さんに苦笑いされた・・・
一瞬、そんな思い出が脳裏を過ぎった。
平和なひとときの昼休み・・・・
こんな平和な昼を、また七海さんと過ごしたい。
向かい合って、笑いあって・・・
「青木」
不意に、名前を呼ばれた。と同時に俺の方に渡された、伝票。
「はい?」
渡された伝票を不思議に思って憲一さんを見上げると・・・
憲一さんは少しだけ、呆れたように笑っていた。
「支払い、頼むわ。
俺、財布と携帯、忘れちまった」
「は?」
突然、そう言われて、一瞬言葉を失った。
何と答えて良いか判らずに憲一さんの顔を見た。
別に、支払うのが嫌なのではない。ここに限らず、この辺りの飲食店はどこも都内にしては破格に安いので、憲一さんの分を奢ったところで、別に財布の中身は痛まない。
いや、そんなことで、答えに窮しているわけではなく・・・
「・・・・今回だけ、だ。
彼女を現場に連れてゆくのに、うちの事務所は無関係だ。
社長にも秘密だ。
“ERIS”の事務所に共犯者がいるなら、“ERIS”側にも、詳細は知らせない方が良い。
・・・とりあえず・・・桜の弟子って事で通すか?」
「え・・・」
憲一さん?
にやり、と憲一さんは笑った。
「くれぐれも、当日騒ぎは起こすなよ?
何か起きても・・・立場上、俺は助けられないかも知れない。
わかったな?」
「は、はい!ありがとうございます!」
俺は憲一さんに頭を下げた。
「いいって。
じゃ、会計頼むな」
「はい!」
どうやら憲一さんは、今日の昼メシと引き替えに、許してくれたようだ。
そんな憲一さんの想いに感謝しながら、俺は伝票を掴んで立ち上がった。
メシの支払いをしていて、こんなに気持ちが晴れやかになったのは、久しぶりだった。
憲一さんと事務所に戻ると、事務室前の廊下のベンチに、見知らぬ男が座っていた。
いつか、七海への脅迫状が投函された時のような雰囲気ではない。
あの時は、人目を避けるように不審者がビルのロビーをうろうろしてた感じだったけど、今日は違った。
ビルのロビーではなく、事務所のあるフロアーの、事務所前のフロアに設置されているベンチに、座っていた。
しかも、その座っている人も、およそ会社に出社するような服装ではなかく、今時のストリートファッションに帽子、といったスタイルだった。こう言った会社ではなく、むしろ原宿や渋谷の街角にいそうなファッションだ。
そして黒いサングラスをかけて、俯き加減に座っていた。
みるからに・・・怪しい・・・
これだけ怪しい雰囲気なら、事務室にいる人も追い返すだろう。でも昼休みのせいか、事務所には人がほとんどいなかった。
「・・・何か御用ですか?」
そう声をかけると、その男は顔を上げると、すっとサングラスを外した。
そして、その顔を見て・・・俺は返す言葉を失った。
「え・・・・・」
「こんにちは。青木さん、橘さん」
俺の目の前には、あの“ERIS”のマナトがいた。
「ま、ま、マナトさんっ!」
思わず声を上げてしまった。その声はフロアに響いて、俺は思わず手を抑えた。
「一体どうしてこんな所にっ!」
声を潜めてそう聞くと、
「いや、今日オフだったからさ。散歩ついでに桜さんに会いに・・・」
いつもの人なつっこい笑みを浮かべながらそう言われ、思わずずっこけそうになった。
けど、マナトさんはすぐにその笑顔を引っ込めた。
「そう言いたい所なんですけどね・・・お二人と桜さんに、緊急に話があったんです。
桜さんにはメールしたんですけどね。
今、お時間ありますか?」
マナトさんの、真剣な顔に俺は断る事など出来ず、隣に立っている憲一さんの顔を見上げた。
すると憲一さんは、軽く頷いた。
「ちょっと待ってて下さい。今、桜、捜してきます。
青木、マナトさん、会議室に通して」
「はい!」
突然、昼休みののんびりした空気がピリピリした物に変わった。
それから数分後。
「ERIS」のマナトが突然事務所にやってきた・・・・その話を聞きつけた事務所の連中・・特に女子事務員は大騒ぎになった。
『どうしてマナトがうちの事務所に来たの?』
『知らない!桜さんに会いに来たんじゃないの?』
『でもラッキー!本物に会えたよ!』
『ねえねえ、あとでサイン貰っちゃおうか?』
ミーハーな女子達が騒いでいる声を無視しながら、俺はマナトさんを会議室に通して、コーヒーの用意をするべく給湯室へ向かった。
給湯室では女子事務員達に囲まれて閉口したけど、“ほら、騒がないで!仕事してっ!こんな騒いでるところマナトに見られたら恥ずかしいでしょ!事務所の品格に関わるわよ!”と、五十嵐さんに一喝されて、途端に静かになった。
そんな五十嵐さんに俺は軽く会釈すると、四人分のコーヒーを持って会議室へと向かった。
会議室には、既に憲一さんも桜さんも席に着いていた。俺は慌てて、四人の前にコーヒーを出して、俺も空いている席に座った。
桜さんの顔を見ると、彼女も不安げな顔をしていた。その表情で、彼女も、マナトさんの突然の訪問の理由は知らない事を悟った。
「急に、押しかけてしまって申し訳ありません」
マナトさんはそう口火を切ると、軽くお辞儀した。
「本当なら、電話やメールで済ませられるんですが・・・内容が内容なので、突然お伺いしてしまいました。申し訳ありません」
言葉遣いが、いつもとは違った。いつもは敬語なんか使わない彼が、こうして敬語を使っている所は、とても新鮮に思えた。
「いや、それは良いんだけど・・・どうしたんだ?」
アイドル自ら、休暇に変装までしてこの事務所に来る・・・それだけで、平時では起きない何かがあったに違いない・・・俺も憲一さんもそう感じていた。
憲一さんに促されて、マナトさんは、軽く深呼吸した。
「さっき、うちの事務所から、オフ中の俺の携帯に連絡が入りました。
今日午前中、うちの事務所に警察が来て、七海さんの事件についての聞き取りがあったそうです。
俺七海さんが襲われた時のこと、詳しく聞きました」
「マナトさん・・・今日オフだったんですよね?わざわざそんなことしなくても」
憲一さんはそういった。でもマナトさんは、ふっと軽く笑っただけで、憲一さんの言葉を無視した。
「たまたまその連絡を受けた時、“ERIS”スタッフは全員事務所にいたんです。その時、その電話で、スタッフ全員のアリバイ確認できたんです。それと・・・犯行に使われた車・・・」
そこまで言うと、マナトは軽く息を吸って、吐いた。
「犯行に使われていたのは、うちの事務所の社用車なんです。
それで・・・
言いにくいのですが、俺達の専用車両です」
「は?」
「え?」
マナトさんの言葉に、俺と憲一さんは同時に返す言葉を失った。
専用車両、って事は・・・
「つまり・・俺達が移動するときに使っている、専用車両です。
だから、あの車を運転できるのは、「ERIS」のスタッフとメンバーだけ、なんです」
つまり・・・七海を襲った共犯者は、「ERIS」の事務所の人間の中でも・・・「ERIS」のスタッフか、メンバーだ、という事だ。
「ERIS」のスタッフ・・・「ERIS」のチーフマネージャーをはじめとして、“ERIS”の仕事を専門にやっている人達のうちの、誰か、ということ・・・
それでも、かなりの人数、いるようだが・・・
「俺、その電話で、七海さんが襲われた二日、スタッフのアリバイを全員確認したんです。
そうしたら、一人だけ・・・アリバイがない人がいたんです・・・」
「え?」
アリバイがない?それってつまり・・・
「そのアリバイがない人が、七海さんを襲った共犯者だって事か?」
「可能性は、高いです」
マナトさんは頷いた。
「スタッフの中には、七海さんが襲われた二回のうち、片方だけアリバイがない人もいました。でも、その二日とも、全くアリバイがない人は・・・一人だけでした」
そこまで言うと、マナトは大きく息を吸って、吐くと。
その人の名前を言った。
その名前を聞いて。
俺は勿論、憲一さんも、桜さんも。
言葉を失った。
まさかあの人が、犯人だなんて・・・
きっと、ここにいる、マナトさん以外の三人も、同じ気持ちだっただろう。
「杉崎宏明・・・俺達のチーフマネージャーです」
マナトさんの顔は、かわいそうなほど、真っ青だった。
ありえない。嘘だろ?
本気でそう思った。
杉崎さんは、「ERIS」のチーフマネージャーで。
このプロジェクトが始まってから、この仕事の度に顔を合わせている。
俺や憲一さんよりも年上で、俗に言う中年男性。
小太りで、メタボな体型だけど、気の良い人だ。
いつだって「ERIS」のメンバーにも、俺達にも、気を遣っている。
優しくて話の分かる上司、といったところか。
その杉崎さんが共犯者?
ありえないだろ?




