狂犬
釈放されたレナードは、実家である騎士の家系へと戻ったが、その魂はあの暗い地下牢に置き去りにされたままだった。
公爵家から支払われた莫大な賠償金と、実家への手厚い支援。家族は「公爵閣下の寛大な御心と、不手際への誠意あるご対応」と涙を流して喜んでいたが、レナードにとってそれらは、自分からエリカを奪い去ったアレクセイからの、これ以上ない侮辱であり、血を吐くような挑発に過ぎなかった。
(エリカ……君は今も、あの男の腕の中にいるのか)
自室のベッドに横たわりながら、レナードはぼんやりと天井を見つめる。
脳裏を過るのは、エリカから届いたあの冷然とした手紙の文面だ。
『暴力は、決して愛なんかじゃない』
『お互いを傷つけ合い、歪な鎖で縛り合っていた』
「違う……違ったはずだ、エリカ……!」
レナードは跳ね起き、自らの頭を掻きむしった。
あの大通りで、震える自分を抱きしめてくれた彼女の温もり。あの涙も、あの優しい眼差しも、すべてが間違いだったというのか。あの男に閉じ込められ、贅沢をあてがわれ、綺麗な言葉で洗脳されたから、彼女は自分たちの過去を「泥濘」と呼んで切り捨てたのだ。
(あの男が、エリカを変えてしまった。俺の揺りかごを、あの公爵が汚したんだ)
レナードのなかで、エリカへの不信感は、すべてアレクセイ公爵への凄絶な殺意へと昇華されていく。
今のエリカの言葉は、彼女の本心ではない。公爵の支配から彼女を連れ戻し、もう一度、あの泥をすするような、けれど互いしかいなかった世界に戻さなければならない。そのためには――あの完璧な公爵を、文字通り肉塊に変えてやる必要がある。
レナードは、かつてエリカが手首に作っていた青あざを思い出す。
怯え、涙を流しながらも、自分を決して見捨てなかった聖女。
今度は自分が、彼女をあの綺麗な鳥籠から力ずくで引き摺り下ろし、再び自分の暴力と執着の渦へと溺れさせてやる。
「待っていてくれ、エリカ。今、迎えに行ってやるからな……」
レナードは壁に立てかけてあった愛剣を引き抜き、その鋭い刃を指先でなぞった。
復讐と奪還の狂気に囚われた赤色の瞳が、暗闇の中でらんらんと輝いている。
彼は釈放されて間もない身でありながら、かつての騎士団の伝手や、裏社会の伝線を使い、ヴァルトシュタイン公爵邸の警備体制、そして「窓のない部屋」の位置を特定するための情報収集を、狂気的な執念で始めのだった。




