時間と心
……お願い、いたします、閣下。少しだけ……私に、考えさせてください。あまりにも突然のことで、頭が追いつかないのです……」
私は涙をためた緑色の瞳で、必死にアレクセイ公爵を見上げた。
今ここで拒絶すれば、レナードは殺される。けれど、大人しく「はい」と言えば、二度とあの赤い瞳の騎士のもとへは戻れない。せめて、ほんの少しの時間が欲しかった。
公爵は私の顔をじっと見つめ、やがて、満足げに微笑んだ。
「いいだろう。君を急かすつもりはない。明日の朝、もう一度答えを聞きに来よう。……良い答えを期待しているよ、エリカ」
公爵は私の髪に優しく触れると、そのまま部屋を後にした。カチャリ、と外から鍵が閉まる音が響く。
一人残された私は、すぐにベッドから飛び起きた。
(考えさせてほしい)なんていうのは真っ赤な嘘だ。こんな窓もない金色の鳥籠に、これ以上一秒だって留まっているわけにはいかない。自力でここを抜け出し、レナードを、そして家族を救う別の方法を探さなくては。
私は音を立てないように部屋中を調べ回った。
窓はない。家具はどれも重厚で動かせない。残されたルートは、公爵が出入りしたあの重い扉だけだった。
しばらく扉に耳を当てていると、廊下で行き交う足音が途絶え、完全に静まり返る瞬間があることに気づいた。警備の交代時間か、あるいは夜の静寂か。
私は意を決し、部屋にあった銀製の細いペーパーナイフを手に取った。レナードが、かつて私に護身用として教えてくれた鍵開けの技術――まさか、こんなところで使うことになるなんて。
手首のあざの痛みを堪えながら、必死に鍵穴を弄る。
カチリ。
小さな金属音が響き、信じられないことに扉がわずかに隙間を作った。
心臓が破裂しそうなほど跳ね上がる。私は息を殺し、音もなく部屋を抜け出した。薄暗い公爵邸の廊下を、壁伝いに必死に走る。あの赤と金のドレスを着て、レナードと並んで歩くはずだった未来を取り戻すために。
あともう少しで、外へ繋がる勝手口が見える――そう確信した、その時だった。
「――どこへ行くつもりだい? 私の可愛い小鳥」
闇の向こうから、冷徹な声が響いた。
ハッと息を呑んだ瞬間、背後から数人の『影』が現れ、私の身体を容赦なく組み伏せた。
廊下の奥から歩み寄ってくるのは、アレクセイ公爵だった。
その顔からは、先ほどまでの紳士的な微笑みが完全に消え失せていた。極夜の海のような瞳は底知れない怒りで濁り、凍りつくような冷気を放っている。
「私を欺き、逃げ出そうとするとは……。君には少し、身の程を教えなければならないようだ」




