鳥籠
「公爵閣下……! お願いいたします、レナードを、彼を救ってください……!」
私は父と兄の制止の手を振り切り、アレクセイ公爵の足元へ縋りついた。
床に膝をつき、彼の仕立ての良い夜会服の裾を掴む。気高く誇り高き騎士だったレナードが、冷たい地下牢で恐怖に怯えている姿を想像すると、なりふり構っていられなかった。
アレクセイ公爵は、足元に崩れ落ちた私を、じっと見下ろした。
その極夜の海のような瞳に、一瞬だけ、歪んだ歓喜の光が走る。彼は優雅に身を屈めると、私の手首をそっと、だけど拒絶を許さない強さで掴み、立ち上がらせた。
手首に残る、レナードがつけた青あざのすぐ上を、公爵の冷たい指先がなぞる。
「……いいですよ、男爵令嬢。君の願いを叶えてあげよう」
アレクセイ公爵は、酷く美しく微笑んだ。
「彼は国家反逆罪という重罪の容疑者だ。本来なら一族諸共処刑、関係者である君たち男爵家も無事では済まない。だが、最高法官である私には、その処分を覆すだけの権限がある。……君には、その交渉の余地を与えよう」
「エリカ、いけない! 行っては駄目だ!」
「閣下、どうか娘だけは……!」
背後で父と兄が悲痛な声を上げる。
公爵の提案は、救いなどではない。甘い毒の塗られた罠だと、二人は本能で察したのだ。
けれど、ここで私が首を横に振れば、レナードは死ぬ。お互いの瞳の色に染まるはずだったあの赤と金のドレスが、血の赤に染まってしまうのだけは耐えられなかった。
「お父様、お兄様、ごめんなさい……。私は、行ってまいります」
私は二人に深く一礼すると、アレクセイ公爵が差し出した手の上に、自らの手を重ねた。
公爵は私の冷え切った手を満足げに握り締めると、そのまま私を連れて、男爵邸の門前に待たせていた漆黒の馬車へと乗り込んだ。
馬車が到着したのは、王都のさらに高台、雲を突くようにそびえ立つヴァルトシュタイン公爵邸だった。
反逆罪の関係者として連行されたのだ。冷たい石造りの牢獄や、鉄格子の嵌められた地下室に閉じ込められる覚悟はできていた。
けれど、公爵の案内で通された部屋の扉が開いた瞬間、私はその光景に息を呑んだ。
「――今日からここが、君の部屋だ」
そこは、牢獄などでは決してなかった。
足元にはふかふかの高級な絨毯が敷き詰められ、壁には見事な絵画が飾られている。中央には天蓋付きの大きなベッドがあり、シルクの寝具が整えられていた。王族の客室かと思うほどの、贅を尽くした最高級の部屋。
「レナードを救うための話し合いだ。君に不自由をさせるつもりはない。必要なものは何でも用意させよう。着替えも、食べ物も、本も、何でもだ」
アレクセイ公爵は私の背後に立ち、耳元で甘く囁いた。その声には、私のすべてを手に入れたという、隠しきれない独占欲が滲んでいる。
「ありがとうございます、閣下。……ですが」
私は部屋を見回しながら、胸の奥を突き刺すような、妙な違和感に気がついた。
美しい調度品、豪奢な家具、温かみのある照明。
すべてが完璧に整えられているのに、この広い部屋のどこを見渡しても――「窓」が、ただの一つも存在しなかった。
外の光が今、朝なのか夜なのかすら分からない。自分がこの世界の、どの場所にいるのかも確かめることができない。
「……まどが、ございませんのね」
私が小さく呟くと、アレクセイ公爵は私の肩にそっと両手を置き、逃がさないように優しく包み込んだ。
「ああ。君には、外の余計な雑音も、不快な光も必要ないからね。この中で、ただ私だけを見て、私の救いだけを待っていればいい。……そうだろう? エリカ」
その極夜の瞳に見つめられた瞬間、私は理解した。
ここは、レナードのような剥き出しの暴力で縛る檻ではない。
一歩も外に出ることも、逃げ出すことも叶わない、完璧に計算された、金色の美しい「鳥籠」なのだということを。




