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「よし、進水式……じゃなかった、出陣式だ。準備はいいか、まこちゃん、とっくん?」
団家の地下室、迷宮へと続く入り口の前で、ヒロトは誇らしげに鼻を鳴らした。
彼の前には、この世界の常識を根底から覆すアイテムが鎮座していた。
一見すると、高級感のある革張りのベビーカーだ。
だが、四つの車輪の代わりに淡く発光する精霊石の浮遊機関が備わっており、車体全体が地上から三十センチほど浮いている。
さらに、背後には小型のニトロ噴射エンジン、上部には全属性の攻撃を弾く「光の精霊のヴェール」が天蓋のように展開されていた。
「パパ、気合入れすぎじゃない? これ、ベビーカーっていうか、もう装甲車に近いわよ」
まこは苦笑しながらも、背負ったリュックに特製のおにぎりと、統太用の魔法瓶を詰め込む。
「当たり前だ。とっくんに埃一つ被らせるわけにいかないからな。さあ、とっくん、乗り心地はどうだ?」
「ばぶー! うーっ!」
統太は、ヒロトが開発した「衝撃吸収100%・形状記憶クッション」の上で、ご機嫌に足をバタつかせている。統太が手元のレバー(という名のガラガラ)を振ると、ベビーカーは精霊たちの力でふわふわと上下に揺れた。
「よし、団家、迷宮探索開始!」
迷宮の一層目は、苔むした石造りの通路が続いていた。湿っぽく、不気味な鳴き声が遠くで響く。
普通の冒険者なら剣を抜き、盾を構えて慎重に進む場所だ。
だが、団家は違った。
「パパ、左からなんか緑色のネバネバしたのが来るわよ!」
「おっと、スライムの群れか。とっくん、右のガラガラを回せ!」
統太が「うー!」と言いながら、ハンドル横の金色の鈴を鳴らす。
その瞬間、ベビーカーの底面から
『全自動・お掃除マジックハンド』が展開された。
「えいっ!」
ヒロトがリモコンを操作すると、マジックハンドはスライムたちを次々と掴み上げ、壁際に設置された「自動分別ゴミ箱(異次元収納機能付き)」へと放り込んでいく。
「これ、後で洗浄してスライムゼリー的なものに出来ないだろうか…」
「スライムゼリー?パパ、もしかして食べるの…?あ!とっくん、次はあっちのトカゲさんね!」
通路の先から、鋭い爪を持つリザードマンが三体、殺気を放って飛び出してきた。
だが、彼らが統太と目が合った瞬間、その殺気は霧散する。
「……ッ!? なんだ、この尊い生き物は……」
「この、丸くて柔らかそうな頬……守らねば。この子を傷つけるものは、私が許さん……」
リザードマンたちはその場に膝をつき、なぜかベビーカーの進路を掃除し始めた。
統太の【愛されし者の加護】は、モンスターの野生本能さえも「母性」へと書き換えてしまうのだ。
「あら、親切なトカゲさんたちね。飴ちゃんあげるわ」
まこがポケットから関西のおばちゃんばりに取り出した。
そして精霊の蜂蜜入りの飴をリザードマンに手渡す。
リザードマンたちは涙を流して感謝し、団家を一層のボス部屋までエスコートした。
「……さて、ここからが本番だな。……今更だけど、本当に異世界なんだね」
日本では見たことのない生き物と戦っている自分たちを、今更ながら客観視するヒロト。
「ほんとねー。異世界に来たのは偶然かしら?それとも誰かの意図があったのかしら?」
まこが異世界に来てから考えてたことを口にした。
まことヒロトが目を合わせながら考える。
まこが言ったことはヒロトもずっと考えてたことだった。
偶然か、それとも誰かの意図なのか……。
いずれにしても今は目の前の出来事に精一杯取り組むしかない。
そうして気合を入れ直しているうちに辿り着いたのは、巨大な鉄扉の前。
一層の主、「アラクネ」と鉄扉に書いてある。
大蜘蛛が住まう広間だ。
ちなみに異世界の文字は【万物創造】のスキルを獲得してから、自動的に翻訳されるようになった。
まこにも「扶養家族特典」で翻訳され、会話や読み書きには困らなくなった。
「まこちゃん、とっくん、……行くよ。」
団家3人、慎重に扉に触る。
扉が開くと、天井から巨大な糸が降りてきて、身の丈三メートルはあろうかという禍々しい蜘蛛の怪物が姿を現した。
『キシャアアア! 人間共め、我が巣に足を踏み入れたことを後悔させて……』
アラクネが鋭い鎌のような脚を振り上げた、その時。
「とっくん、ターボ・ブーストだ!」
ヒロトが叫び、統太が手元の「アヒル隊長型スイッチ」を力いっぱい押し込んだ。
ブォォォォン!!
「きゃはははは!」
ベビーカーの背後から黄金の炎が噴き出し、車体は音速に近いスピードで広間を駆け抜けた。
アラクネが放つ粘着質の糸を、ベビーカーは空中で華麗なバレルロールを決めて回避する。
「パパ、もっと右! とっくん、レバーを引いて!」
「ばーぶ!!」
統太がレバーを引くと、ベビーカーのフロント部分から『全自動・精霊シャボン玉砲』が連射された。
ただのシャボン玉ではない。光の精霊が宿ったそれは、触れた瞬間に浄化の光を放ち、アラクネの視界を真っ白に染め上げる。
『目が、目がぁぁぁ! 何なのよこの乗り物! 物理法則が仕事してないわよ!』
なんだか、日本のジ◯リ映画に出てくるセリフだな。
そんなことをしれっと思う団夫妻をよそに、混乱するアラクネ。
そしてベビーカーは壁を走り、天井を逆さまに滑走する。
統太は遊園地のアトラクションを楽しんでいるかのように大喜びで、小さな手を叩いている。
「トドメよ、パパ! 特製の『臭い消しミスト(超強力)』を撒いて!」
「了解! これを喰らえ、アラクネ!」
ヒロトがスイッチを押すと、ベビーカーからラベンダーとペパーミントの爽やかな香りが噴霧された。
嗅覚の鋭いアラクネにとって、それは強烈な「刺激物」だった。
『うっ、いい匂いすぎて……頭が……クラクラする……』
ついにアラクネは、陶酔しきった顔でその場にひっくり返った。
戦闘時間、わずか三十分。
団家は無傷、どころか統太の服に埃一つついていない。
「ふぅ。いい運動になったな、とっくん!」
「パパ、おにぎりタイムにしましょう。アラクネさんも、落ち着いたら一緒にどう?」
まこがレジャーシートを広げると、浄化されて小さくなったアラクネ(なぜか可愛い女の子の姿に擬人化しかけている)が、おずおずと近寄ってきた。
美味しいおにぎりを頬張り、一層目の探索を終えようとした時だった。
「……パパ、見て。とっくんが持ってるあれ」
まこの視線の先。統太がアラクネの巣の奥で見つけてきたらしい、古びた「ガラガラ」を振っていた。
それは、ヒロトが作ったものではない。
錆びついているが、そこには元の世界の文字で、はっきりとこう刻まれていた。
『団 統太』
「……え?」
ヒロトの背筋に、冷たいものが走る。
それは、彼らがこの世界に来る前の話。
まこの妊娠が分かった時にヒロトが購入を検討していた、オーダーメイドのベビー用品のデザインと全く同じだった。
なぜここに?この異世界の迷宮の奥にあるのか。
その時、統太が持っていたガラガラが不気味に共鳴し、地下のさらに奥底——二層目へと続く道から、重厚な機械音が響き渡った。
『——識別完了。第二皇子・トウタの帰還を確認。セキュリティレベル、最終段階へ移行します』
「皇子……? 統太が?」
ヒロトとまこが顔を見合わせた瞬間、足元の地面が光り輝き、三人はベビーカーごと、さらなる深淵へと転送されていった。
「ちょっと、パパ! まだデザートのプリン食べてないわよー!」
「そんなこと言ってる場合か! とっくん、しっかり掴まって!」
眩い光の中、団家の声が遠ざかっていく。
迷宮の本当の姿が、今、赤ん坊の笑い声とともに暴かれようとしていた。
誤字脱字がないよう頑張ります!




