6話 分裂の予感~二~
※今回登場する岡部元信について
血縁関係に諸説ありますが、この世界線では岡部正綱、岡部長秋の兄として進行いたします
「御屋形様、この男の口車に乗せられてはなりませぬ。こやつは元服前より口だけは達者で、よく崇孚殿を困らせておりました」
「何をいきなり」
俺がそちらに目を向けると、一人の男が忌々しいといった表情でこちらを睨んでいた。反射的なもので、睨まれたゆえにこちらも負けじと睨み返す。
よく知っている顔であるのだが、先ほどの氏元よりも面倒くさいと思えてならぬ男の存在に思わず不快感を漂わせてしまった。やはりそういった雰囲気というのはよく相手に伝わるらしい。
睨み返したことも含め、「フン」と荒い鼻息を吐き出して口を開いてきた。
「口では何とでも言えると申したのだ」
「豊前守殿には私の言葉が偽りであると、そう聞こえたということでございましょうか」
「あぁ、それはもうはっきりと聞こえたわ。恐ろしいものよ、我ら遠江衆が団結して西の脅威に備えている最中、同じ遠江の東側で怪しげな動きをしている者がいるというのは」
飯尾豊前守連龍。三河と遠江の国境近くに位置する双璧の一角、曳馬城の城主だ。史実では桶狭間後に松平に通じた挙句、氏真様に攻められて降伏。一度裏切った者を氏真様は信じることが出来ず、最後は謀殺されたという人物。この世界線だとどうなっているのかは不明ではあるが、少なくとも新興の親類衆である一色家をよく思っていない人物ではあった。
「私は何もやましいことをしておりませんし、考えてもおりません。すべては今川家のため、御屋形様のために尽くすと先ほど申した通りでございます。しかし豊前守殿や備後守殿のように、私の行動を怪しく思う方々もおりましょう。ならば私に監視をつければよいのでございます。一日中監視をさせ、不審な動きをすれば逐一報告なさればよろしいかと」
この提案に対し、もはや当たり前の如く氏元ら駿河衆や連龍は反発する。その大半はそこまで暇ではないという意見であったのだが、ではどうやって身の潔白を表明すればよいのかという問題に直面する。
文句を言う割にはまったく代替案を寄越さないので、どうしたものかと困り果ててしまった。主に氏真様が。
俺は別に困りはしない。勝手に疑っていればよい。
片や武田とお近づきになろうとしている”かもしれない”葛山、片や松平とお近づきになろうとしている”かもしれない”飯尾なのだからな。いずれ粛清される、あるいはそういった動きが出るかもしれない者を相手にいつまでもグダグダやっている暇なんてない。事はなんだかんだ史実通りに進んでいるのだからな。いつ武田が牙をむいてくるのか、いつ織田が松平の尻を蹴り上げるのか。無駄な時間なんて過ごす余裕など無いのだ。
「ならば我が弟を大井川城に同行させましょう。御屋形様、如何でございましょうか」
「丹後守の弟と言えば…。もしや次郎右衛門尉であろうか」
「その通りでございます。あれは優秀な弟であり、また今川家に対する忠義が本物であることは御屋形様も御存じであられるはず。嘘偽りなき報せが御屋形様のもとに届くと確信しております」
「ふむ」
次郎右衛門尉というのは元信殿の弟にあたる正綱殿のこと。岡部正綱といえば史実でも数少ない最後まで今川家に忠誠をつくした人物として知られている。
また岡部の一門として、元信殿の副官としても非常に高く評価されている人物だ。まさかそのような方を俺の傍に送りつけようとは。
元信殿は本気でこの問題を早々に終わらせるおつもりらしい。ただそうなると俺としてもありがたい話ではある。正綱殿ほどの人物が潔白を表明してくだされば、早々に疑いも晴れるだろう。
なんとしても裏切り者に仕立て上げたい方以外はこちらに味方してくださるはずだ。
「時間の無駄であると思いますがな、丹後守殿。少なくとも重臣である我らが、このような男にかける時間など惜しくて仕方が無いように思えますぞ」
「私は御屋形様の御許しを得て、時間を用意していただいているのでございますが?それほどまでに私の声を聴きたくないのであれば、広間から出て行かれたらよろしいかと」
「なにおう!?随分と生意気なことを言うではないか!戦にも出たことが無い青二才が!」
「たしかに私は戦に出た経験がありません。しかし御家を我が父より継いだ限りは、この命に懸けても当家の役割を全うする覚悟は持っております。加えて今回の件に関して言わせていただくと、戦の経験など役に立ちませぬ。ただ政治的な駆け引きが必要だと訴えている私に対して、何の根拠もなく信用できぬと言い放たれた豊前守の方が経験も思慮も浅いのではございませんか」
売り言葉に買い言葉だ。正直言われっぱなしは性に合わないし、腹が立って仕方がない。そもそも裏切る可能性の高い奴に忠誠心どうこうを指摘されるのは我慢ならなかった。
俺の言葉を聞き、さらに顔を真っ赤に染める連龍。周囲の方々が「まぁまぁ」と宥めにかかっておられるが、その程度で止まるなら最初から喧嘩など売ってこないだろう。それも氏真様の前で。
「お二人とも、やめられよ。御屋形様の御前でございますぞ」
俺がわずかに氏真様を意識した瞬間の出来事だった。朝比奈備中守泰朝殿がぴしゃりと言い放たれた。
ちょうど氏真様と視線が交わった瞬間だったため、僅かながらに気まずさを覚えてしまう。
「…申し訳ありませぬ。少々熱くなってしまいました」
俺が謝罪する一方で、連龍は何の言葉もなくただ「フン」と再び鼻息を荒げてそっぽを向いた。もちろん氏真様に対してではなく、俺に対しての反応としてという話ではある。
その分も含め、大人の対応として氏真様に再度深々と頭を下げた。結果的に余計に連龍の態度の悪さが際立つ。
飯尾連龍の心にもはや忠誠心というものは存在しないのだと。
「それぞれの立場があるゆえに仕方のないものであると理解はしておる。そして右門、あまり気分の良い話では無いやもしれぬが、丹後守の言葉通りにしてみようと思うのだ。これは麻呂が疑っているからというわけではなく、右門の身の潔白を証明するためだと理解して欲しい」
「我が身の潔白を証明できるのであれば、その程度は何の問題でもございませぬ。しかし約束していただきたいのはあくまで私が松平とやり取りをしているかどうかのみのこと。そのほかに関する家中の情報を持ち出すのは止めていただきたく」
まぁ不信感を持たれるような言い回しをした自覚はある。だが同時に牽制でもあった。
正綱殿から関係のない情報を聞き出し、当家の非難材料にでもしようものなら徹底的にやってやるぞという。それでも一線を越えてこようとする者はいるだろうが、少なくとも元信殿には伝わったはずである。こちらが我慢できるラインについてもしっかりと正綱殿に共有されるだろう。
「わかっておる。痛くない腹を探られることほど不快なことは無い。それにしても今の右門のように反論してくれれば…」
しかし氏真様はそれ以上先を口にされなかった。だが明らかに俺がどうこう言われていた時よりも空気が重苦しくなったことは確かである。
氏真様は一足先に広間を出て行かれ、見送った家臣らはそれぞれ解散していった。残ったのは泰朝殿のみ。俺が出て行くのを待っておられるのかとも思ったのだが、どうやら違うようだ。
「右門殿はまだ耳にしておられぬでしょうから、この場でお伝えいたします」
「いったい何を」
「本日、一門・親類衆と重臣らの合意により、関口刑部少輔家の取り潰しが決定されました。伊豆守殿の他、関口の家に籍のある男らは全員が切腹。女、子供らは一部逃亡の手助けに関与した者を除いて全て出家。還俗は認められぬことと相成りました」
「…さようで。それで御屋形様はあのようなことを」
「伊豆守殿は弁明も何もされず、ただこの決定を受け入れられました。おそらくでございますが、切腹が命じられた男らの内、何人かはすでに駿河を離れていることでございましょう」
やるせないといった表情で泰朝殿が軽く息を吐かれた。
「関口家は瀬名家と並んで一門を率いる立場。まだ刑部大輔・宮内少輔家が残っているとはいえ、伊豆守殿は一門筆頭の瀬名家の生まれでございます。それでもこのように厳しい処罰が下るというのは、現状における今川家の窮状を強く示すもの。これは見せしめであること、右門殿もよく理解しておいたほうがよいでしょう」
「御屋形様に限った話ではありませんが、今川家は疑心暗鬼となっております。私の今回の一件も随分と不信感を募らせる結果となったことでしょう。ですがそれでも」
「えぇ。私は右門殿を理解しているつもりです。松平との縁が生じるとはいえ、三河の統治の正当性に関しては納得も出来る内容でした。ですが頭でわかっていても、心で疑う者がいることを忘れてはなりません。特に一色家は方々から色々な感情を込めて見られておりますゆえに」
泰朝殿はそれだけ言われると、あとは何も言わずに広間を出て行かれた。
残された俺はしばらくジッとその場に留まり、この日の出来事を思い返す。やはり昌友が心配したように、色々なことが起きてしまったな。
とはいえ監視役が常識人であるゆえ、まだましな着地点に足をついたとも言えるかもしれないが。
今投稿も最後までお付き合いしていただきありがとうございます。
次回投稿は未定です。更新をお待ちくださいm(_ _"m)




