5話 分裂の予感~一~
駿河国安倍郡今川館 一色政孝
永禄四年三月下旬
「頭を上げよ」と声が聞こえた。
俺を含め、今川館の大広間には大勢の家臣らが集まっている。これだけの人数が集まっているのは、何も俺の用件があったからではない。
別件で重臣らを筆頭に多くが登城を命じられていたのだ。
親類衆であるにもかかわらず、俺がこの場に呼ばれていなかったのは家中の再建時期であると認められていたからであり、本来であれば俺も駿河にいなければならなかった。
「右門よ、わざわざに麻呂に直接会って話がしたいと申しておったと聞いておる。重要であり、右門だけの判断ではどうにもならぬとも」
「はっ。まことその通りでございます」
いくつかの議論の場の中で、俺のためだけの時間が作られた。そのせいもあって、まるで審問でもされているかのように呼ばれていた重臣方が俺の方を見ている。そして当然、正面には随分と不安そうな表情でジッと見つめておられる氏真様。
「さて右門殿、ここにおられる方々の議論を止めてまで御屋形様にお伝えせねばならぬこととはいったい何用であろうか」
氏真様の最も近い場所に座り、明らかにこちらを見下すような視線を向けながら口を開いた一人の男。その者、かつては氏真様の傅役の頭人に任じられており、現在は側近として大きな発言力を有している三浦内匠頭正俊殿であった。この方の許可なき公用伝馬の利用は禁じられているほどで、氏真様から発される命令や感状には必ずこの男の連署がある。
とはいえ幼き頃より氏真様のお傍にいた存在であるゆえ、このようなあり得ぬほど傲慢な態度をとっても許される。あるいは誰も何も言わぬのであろうな。
自分で言うのもなんだが、一色家は今川家にとって非常に重要な地を治める親類衆の一角であるというのに、そんな存在であるにも関わらずのこれである。
「実は先日、三河の松平蔵人佐元康より使者…。密使が我が城に入ったのでございます」
ガタリと何人かが立ち上がろうとしたが、「やめられよ」と発した一人の声に制止させられて何事も起きなかった。
「ほぉ、松平と言えば御屋形様が窮地に陥るや否や、恩も忘れて三河の地を強奪した盗人のことであろうか」
「盗人かどうかの判断は私には出来かねます」
「内匠頭よ、蔵人佐のことをあまり悪く言うのは…」
「御屋形様、もはやあの男は当家の人間ではございませぬ。幼少期をともに過ごされたからとはいえ、もはや敵。敵に情けは無用でございます」
「そ、それは…」
これだけの重臣らが集まる場で正俊殿は氏真様を叱責にも近い言葉で詰められる。氏真様が俺や元康とともに崇孚様に師事していたことを知っていながらの発言だ。それも主君の面子を潰すような形で。
一応氏真様の側近であるゆえ、俺もある程度の敬意は持つべきだと思っていたのだがな。
まさか俺が大井川城に籠って一年の間に、ここまで駿河衆の側近らが腐敗しているとは思いもしなかった。
「内匠頭殿、私の話を聞いていただけますでしょうか」
「おぉ、すまぬな。して盗人の松平より送り込まれた密使とやらは何と言うてきおった。まさか寝返りの誘いなどと言うのではあるまいな」
「さすがにそのような話をこの場でするほどうつけではございません。ただ少しばかり近い話であるやもしれませぬが」
「近い、とな。右門よ、いったい蔵人佐は何と言うてきおったのだ!」
正俊殿…。正俊に発言を制されている様子だった氏真様であったが、聞き捨てならない言葉に正俊よりも先に俺に問いかけられた。
何か言いたげだった正俊ではあったが、さすがに言葉を遮るような真似は出来ぬと行き場のない口の開きを数度の開閉で発散していた。滑稽な姿だ。
「蔵人佐は姉の久殿を私の正室にしてはくれぬかと申してきました。その理由を尋ねたところ、このようなものを密使が持っていたのでございます」
そう言って俺は一色家の菩提寺にしまい込まれていた父上の遺品の中から見つけ出した、忠次が持っていた書状と同じものを懐より取り出した。
それを開いて氏真様の方が正面になるようにして置く。
覗きこむように内容に目を通そうとされた氏真様であったが、とある一点に気が付き驚愕で目が開いておられた。正俊の他、その場でそれに気が付いた方々が一斉に声を上げる。
「これは亡き先代御当主様が我が父と蔵人佐の父へと宛てた書状にございます。内容は私に蔵人佐の姉である久を嫁がせ、より強固な縁を結ぶことで新たな派閥、三河派閥の結成を認める旨のもの。ここにある花押が本物である証でございます」
「…これはまことの話なのか、内匠頭!?」
「いえ、私はこのような話など耳にしたこともございませんでしたが…。まさかとは思うが右門殿、花押の偽造は」
「それはまことの話でございますぞ、御屋形様」
正俊の言葉に割って入ってこられたのは、一門衆筆頭としての地位を有しておられる瀬名伊予守氏俊殿であった。どうして一門衆筆頭でありながら、正俊に大きな顔をされているのかと言えば、おそらく弟の一件が原因であろうな。
そう、関口家の蟄居騒動だ。関口家の現当主は氏俊殿の弟にあたる存在ゆえに。
「な!?麻呂もそのような話は初めて聞いたが」
「御屋形様のお傍には駿河衆がたくさんついておられますゆえ。御屋形様の耳に入れば、すぐにでもこの話は駿河衆にも広がったことにございましょう」
「それはどういうことなのでしょうかな、伊予守殿」
直接批判をされたわけではないが、明らかに何かしらの意図を込めて向けられた発言であることは理解しているらしい正俊。ゆえに明らかに不機嫌そうな表情で氏俊殿に問うたのであろう。
そのようなことが言える立場ではないというのに。
「どういうことも何も。当時は今よりもさらに駿河衆と三河衆の間で今川家の現状についての理解が全く異なっておりましたからな。織田という敵を目の前に、なかなかうまくいかぬ三河統治も合わせ危機感を常に抱いていた三河衆。一方で駿河衆は東に北条、北に武田と巨大な同盟国に囲まれているために三河の窮地をまったく肌で感じることが出来ておりませんでした。当時の御屋形様はこの差こそが危険であるとお考えになられ、早急に三河衆に力をつけさせることを決められたのでございます。危機感を家中で共有するために。その中で目をつけられたのが遠江衆の一員ではあるものの、半ば孤立状態にあった一色家の存在でございます」
「そのような事情があったのでございますね」
つまり爺の理解すらも全容ではなかったということ。氏俊殿は義元公の側近として、長らくその覇道をお支えになっておられた。
一時は北条家への内通疑惑により領地没収という大変な状態に陥りながらも、実力で一門衆筆頭としての地位を取り戻されたのだ。だからこそこの話の全てを知っておられたのであろう。
しかし相も変わらず不満そうな表情を隠さぬ男だな、あいつは。
「しかしそれも過去の話。今さら持ち出したところで、効力など無いに等しいではないか。いくら先代の御屋形様がお認めになっておられたとしても、それはあくまで当時の状況を鑑みてのこと。そして現状においては松平が今川の敵であることは変わりない」
「まこと丹後守殿の申される通りよ。右門殿、どうしてその場で断りを入れなかった?あるいは使者を斬ってしまわなかった」
「当家も未だ御家再建中の最中にございますゆえ、面倒事はどうしてでも避けたかったところ。使者を斬るような野蛮な真似は出来ませぬ」
丹後守殿というのが、今川の猛将として名高い岡部元信殿のことである。そして元信殿の言葉に便乗してきたのが、父上に対して嫌がらせを行っていた駿河衆の一人、葛山備後守氏元だ。ちなみに俺はこの男のことが普通に嫌いである。
幼少期、今川館に通っていた頃はこの男によく嫌がらせをされていたからだ。子ども相手に何をしているのかという話であるが、氏元が俺達親子を目の敵にするのにはちゃんと理由がある。
実は一色と葛山の両家は境遇が非常に似通っているのだ。葛山家の治める御厨地方は、今川・武田・北条の国境付近にあるゆえに、古くより戦略上の要所として非常に重視されていた。元は北条家に仕えており、御北条家二代当主である北条氏綱の娘を妻として迎えていたのだが、河東一乱の折に突如として今川へと寝返り。以降はその功績によって御厨地方一帯を与えられ、さらに御一家衆としての待遇すらも手にしたのである。
どこかで聞いたことのある話であろう?そう一色家もかつては敵として対今川の最前線で斯波家のために戦っていた。しかし当主の討ち死にを受けて今川へと降服。大井川流域の広い範囲を安堵していただき、今川家の傘下へと組み込まれた。葛山と同じく破格の待遇である。
ただし両家で異なる点があるのだ。その点こそが氏元の行動の原因である。
一色は今川家の血筋の姫様を迎え入れ、親類衆としての地位を手にした。しかし葛山は御一家衆と同等の扱いを受けてはいるが、あくまで扱いだけの話。実際は重要な地を預かっている一家臣なのだ。
「ならば断りを入れるべきだった。もしや松平に味方しようなどとは考えておらぬであろうな」
「私の御屋形様に対する忠誠心は本物でございます。ですが此度の話、実はそう悪いものではないようにも思えましたので、使者に断りを入れて御屋形様や皆様方のご意見を窺いに参った次第」
「悪い話ではない?悪い話ではないというのはどういうことであろうか、右門よ。正直に言えば麻呂の目には右門も麻呂の元から離れたがっているようにしか見えぬ…」
「先ほども申しました通り、私は御屋形様のお傍を離れるつもりなどございませぬ。ですが家中の混乱が落ち着き、蔵人佐によって奪い取られた三河の地を奪還した後のことを考えると、やはり松平の血は必要であると思いますので」
「蔵人佐の姉の血を入れることで、三河の統治に正当性を持たせようと。そう言うことでありましょうかな、右門殿」
「その通りでございます、伊予守殿」
俺が氏俊殿の言葉に肯定の意を示すと、広間の雰囲気は真っ二つに割れた。
「たしかに松平の血は必要だ」と考えておられる方々と、「それは急ごしらえの言い訳に過ぎない」といずれ寝返りを企むつもりではないかと疑う方々。そしてわずかばかりの中立姿勢の方々。
「多少強引な手法ではありますが、まったく納得できないわけではございません。しかしそうであったとしても、敢えて危険な橋を渡ろうとするのは何故ですか」
「たしかに三河統治の正当性を得るというのは一つの目的でございますが、それはまだ先の話。もっと近い将来の話をするのであれば、それは蔵人佐の傍におられる瀬名様の身を案じているからでございます」
俺の言葉に広間の空気が変わった。やはり母の時と同様だった。
誰も一切言及されなかったが、その頭の中には間違いなく瀬名様の存在があった。まぁ御子らのことに関して、彼らがどう思っているかなど分からぬが。
「蔵人佐はこの一年で尾張の織田弾正忠家に急接近しております。その織田は桶狭間以降、一切東海方面に関心を向けておらず、美濃の平定に熱心な様子。聞けば最近も美濃の斎藤を相手に大勝利を飾ったとか」
まだ情報が届いていなかったのか、誰も彼もが「そうなのか」と顔を見合わせていた。これで情報特化型の忍びの有用性がわかったはずだ。
俺の耳に入って数日経った今ですらこれなのだ。情報は間違いなく戦いにおける優位性を得るための手段として重視すべきものなのだと。
話が逸れたが、織田の動向こそ瀬名様の御命に直結する問題である。
「今後松平が織田に要求されることは一つでございます」
「当家に対する盾の役割にございますか」
朝比奈備中守泰朝殿の言葉に広間は静まり返る。
「…そうなると今川の縁者である瀬名様の御命は必然的に危ういものとなるのか。右門殿はそれを危惧していると」
「その通りでございます。織田からすれば蔵人佐に何を吹き込むか分からぬ者など傍においてほしくは無いでしょう。そして立場を考えれば、三河の平定がなかなか進まず泣きついてきた蔵人佐の方が下にございます」
「織田に見捨てられれば松平は挟まれますからな」
沈黙の後、氏真様がゆっくりと口を開かれた。
「右門よ。先ほどの発言を撤回させてほしい。そこまで考えてくれていたのに、麻呂は右門を疑ってしもうた」
「疑われるような行動をした私が全て悪うございます」
これにて円満解決。となるはずも無く、俺のことを疑う方々はまだ大勢おられた。
瀬名様の件でこちらに靡いたのは今川の縁者やその関係者。この場で言うのであれば、氏真様を筆頭に氏俊殿や疑われていない系譜の関口家の面々。そして本当に中立的な立場で俺を見ていた方々の一部。
逆に瀬名様の名を出してまで松平と縁を得たいのかと糾弾したい方々も生んでしまった。
だが説得すべき方々がはっきりとなったのは良かったのかもしれない。もう少し粘ってみるか。なんせ氏真様はすでに俺の思慮深さに感激してくださっているのだからな。
今投稿も最後までお付き合いしていただきありがとうございます。
次回投稿は未定です。更新をお待ちくださいm(_ _"m)




