26話 一色見物
尾張国春日井郡清州城 織田信長
永禄四年十月中旬
「木下藤吉郎殿が参られました」
「殿!お呼びと聞き、サルが参りました!!」
小姓の佐脇藤八郎良之が真っ赤な顔をして戻って来た。おそらく随分とこの男を探し回っていたのであろう。
「遅いぞ!急げと言ったであろう!」
「「も、申し訳ありませぬ!!」」
二人は揃って頭を下げ、俺が呼び出したサルに至っては勢いのままに思いっきり床へと頭を叩きつけておった。その一連の動作はあまりにも慣れきっておる。
すばしっこさはまさしくサルそのものであった。
「もうよい!それよりもすぐに支度をせよ」
「はっ…。し、支度でございますか!?城下に出られるのでございますか?」
「なにをとぼけたことを。これより向かうは岡崎城よ」
「お、岡崎城でございますか!?あの、三河国にある!?松平様の本拠地である!?ですが、姫様の輿入れ時期はまだしばらく先であったかと」
「勘の悪いサルよ。俺の行動の意味もわからぬとは」
情報は常に仕入れておけとあれだけ言うていたにも関わらず、数日後に岡崎で何が行われるのかサルは知らぬという。
嘆かわしい話だ。どうして俺が同行者としてサルを選んだのか。当初この話をしていた長秀を留守役としてまで、だ。
「はっ。このサルめの怠慢でございます!いったい岡崎に何があるのでございましょうか」
「サルよ」
「はっ」
「今川家に一色という親類衆がいることを知っておるか」
「今川家との決戦の折、服部様に一太刀を浴びせた男が一色と名乗っていたと。それと本貫地である大井川領は随分と豊かで賑わっているということくらいしか」
「今その一色家は順当に嫡子が跡を継いでいる。そしてその男が近く岡崎に入るというのだ」
「そ、それは松平様が再び今川家に恭順されるということで…。いや、姫様を迎え入れる話は着々と進んでおりますゆえ、そのようなことはあり得ませぬ。ならば考えられる話は…」
俺がこのサルを同行者に選んだ理由は二つある。
一つは口が堅く、俺に対して絶対的な忠誠心を抱いているということ。状況さえ理解できれば、俺が何をしようとも決して口外しない信頼がある。その点については家中の誰よりも信頼できる。
そして二つ目。この男は常識にとらわれない。まだ俺よりは思い切りが無いものの、頭の固い家中の者どもに比べると話が早くて助かる。
長秀を留守役に残したのは、俺の姿が見えなくなった後でも城のことを任せることが出来るから。そして他の家臣らを抑え込むことが出来るからである。
「もしや松平様の長姉様の件でございますか?」
「そうだ。才媛と評判の蔵人佐の姉の久を、近々一色家に輿入れさせるという話がある。先んじて遠江の井伊谷で両家当主が会談したという情報もあった」
「すでに今川家と松平家は修復が出来ぬ関係になっていると思うておりましたが」
「姉の評判はもともと高かったというではないか。家中の分裂を心配した蔵人佐が追い出したとみるべきであろうな。元は今川の人質であったゆえ、その縁でも頼ったのであろう」
「なるほど…。しかしそれは理解できましたが、どうして殿が岡崎に向かわれるのでございましょうか。あっ!ま、まさか」
「あぁ。先日五郎左衛門尉にこの一色家の新たな当主に就いて探らせたのだがな、少々面白そうな男であるゆえに気になってしまったのだ」
呆気にとられるサル。そしてしばらくの沈黙の後、またも凄まじい勢いで床に頭を叩きつけた。
「な、なりませぬ!それだけは!一色家の先代当主は当家との戦で討ち取られております!つまり岡崎に参られるという一色の当主様にとって殿は仇でございます!」
「主家今川にとって松平は東海統治の根底を揺るがした裏切り者であろう」
「それとこれとは話がっ。もし万が一にも城内、あるいは城下で鉢合わせなどしようものなら一大事になりかねませぬ」
「それに俺の中の好奇心が見たい、会いたいと訴えてきているのだ。もはやこの感情はどうにもならぬものである」
「…」
黙ったサルの隣を通り過ぎ、俺は背後の良之へと声をかける。
「手筈通り、五郎左衛門尉へ俺が出立した旨を伝えておけ」
「はっ。ですがまことによろしいのでございましょうか。我ら小姓の誰も同行せずとも」
「大人数では目立つ。サルだけを供にしておれば、どこぞの領民だと周囲も勘違いするであろう」
「…かしこまりました。すぐに殿のお言葉を伝えに向かいます」
「うむ」
そして振り返り、再びサルを見た。
サルはずっと頭を下げたまま膠着しておる。いや考えているのであろうな。
この俺の城からの脱出が家中に知れ渡り、同行していたのがサルであることも知れ渡った後のことを。しかしそのようなことは細事である。元康に任せた東海方面、遠江で発生したという大規模な反乱と早々の鎮圧。間違いなくもう一波乱起こるであろう。
もし元康がこの波を抑えきれなかった時、決して当家は他人事ではいられない。ならば俺もまた東海の事情を中止しておく必要があるのだ。そしてその中で重要人物となりえるのが、この一色という男なのだと俺の勘が言っている。ゆえに会わねばならぬ。どんな男なのか。まことに俺の勘が正しいのかどうかを見極めるために。
「と、殿がこの時期に尾張を空けられる。不在になることはあまりにも危険でございます。どのようなものか見極めるのであれば、誰かを使者として立てて岡崎に向かわせるのでもよいのではございませぬか」
「阿保め、他人の評価などあてにならぬではないか。その者は俺と同じもの、同じ思考で考えることが出来るのか」
「…それはその通りでございますが」
もう反論も出ないか。
ならばよし。
「殿が不在にされる間のことは」
「すでに五郎左衛門尉に託してある。何も心配はいらぬ。それよりもサルよ。俺はサルであれば問題は何も起こらぬと思うて呼んだのだ。しかしそうも不安ばかりなのであれば別の者を代わりとするだけだ。どうする」
「…」
「そう心配せずとも五郎左衛門尉が各地に馬の用意をさせている。岡崎までもそう時間はかからぬであろう。少し行ってちょっと様子を見て帰るだけだ」
「…ははっ!!このサル、どこまでの殿のお供をさせていただきます!!」
ようやく観念したようである。向き直し、三度床に頭を叩きつけるサル。顔を上げたその額は真っ赤に腫れておった。
しかし覚悟を決めた顔もしていた。
「ならばこれより向かう」
これより一色見物のために岡崎へと向かう。
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