25話 商船製造、海の利を得る
遠江国榛原郡大井川港 一色政孝
永禄四年十月中旬
「急な頼みだったのに、よくぞここまで手はずを整えてくれたな」
「いえ。むしろ殿の御正室になられる御方を出迎える役目を我ら水軍衆に命じていただいたことが何よりも喜ばしいことでございますゆえ。それに我らはいつ出番が来ても良いように支度だけは整えておりました。加えて商船護衛の傭兵らもおりますので、何があろうとも必ずや殿と御方様となる御方を無事にこの地に送り届けます」
今日、ようやく久殿を迎えに岡崎城へ向かう。
先日に久殿を迎えに行く手段として海路を用いると母に説明したわけだが、着々と準備が進んでおり、また他の事情も相まって一日早く大井川港を発つことが決まったのだ。
あの日に説明した通り、当初は陸路で行く予定だった。道中の危険は各所に栄衆を配備することで事前に予知して回避していくつもりだったのだが、あまりにも予測される危険が多すぎることが難点だとされていた。
そこで商船護衛団を活用する海路で決定したわけである。それに加えて父上が中途半端に編成していた水軍衆も帯同させる。
「それで暮石屋はもう来ているのか?」
「はい。すでに港の代官館にて殿をお待ちでございます」
「わかった。彦五郎、仕事の邪魔をして悪かったな」
「いえ」
そう言って頭を下げた清善と別れ、俺は暮石屋庄兵衛の待つ代官館へと向かった。
部屋に入ると、すでに庄兵衛がそこで待っていた。頭を下げていないのは、俺達がある種対等な関係で結ばれているから。というわけではなく、此度は俺が庄兵衛ら商人を頼る側であるからだ。
まぁそういったことをわざわざ言わずともやってくるくらいの関係を築いているという話でもある。
「すまぬな、庄兵衛。待たせてしまったであろうか」
「いえいえ。私も今しがた到着したばかり。待ったと言ってもほんのわずかなものでございました。それに代官館から見える大井川港の景色は別格でございますゆえ。そのわずかな時間さえも有意義なものでございました」
「そう言ってくれると助かる」
俺が庄兵衛の正面に腰を下ろすと、庄兵衛もまた手にしていた湯飲みを床へと置いた。
恰幅の良い体格をしている庄兵衛の姿を見て、相変わらず儲かっているのだと再確認できる。まぁ大井川領内にある暮石屋の屋敷を見ても分かることであるし、暮石屋の持つ船団の規模を見ても分かることである。その名を聞けば誰もがこの男の顔を思い浮かべるくらいには商人の間では有名人なのだ。
「しかし加えて申し訳ないことをしたな。急に三河までの旅路に付き合ってほしいなどと頼んで」
「どうかお気になさらず。我らも京へ向かう道中でございましたので。三河は…。まぁここしばらくは船も出しておりませんでしたが、西三河を押さえておられる松平様が下についておられる方々を抑え込んでくださるのであれば、我らも多少は安心して船を寄せることが出来ましょう。…ところで、まことに信じてよろしいのでございましょうな」
「あぁ。蔵人佐に後ろめたい感情があることは事実のようであるが、未だ三河が纏まらぬ中で俺を殺そうとすることは愚策以外の何者でもない。まずは邪魔な姉を追い出したいと考えるであろうから、少なくとも松平配下の者たちは俺やその周囲に伴う船団に手出しはしてこぬ。出してくるとするならば蔵人佐の意思の内に入っていない者か、あるいは東海の混乱に乗じて暴れている海賊くらいだろう」
「その言葉を聞いて安心いたしました。彦五郎様とも話をいたしましたが、此度一色様は我らの商船である天海丸に乗っていただくこととなります。積荷を崩さぬことを目的に手を加えられた船でございますゆえ、海に慣れぬ御方々が乗っても不便はあまりないかと」
そう。当家の庇護下にある商人たちは、東海道から外れたこの地を拠点にしていることから船の所有率が異常に高い。当然豪商やそれに準ずる地位や稼ぎを持つ商人の話であるが。
それゆえに造船技術や研究開発が他の地域に比べ、頭一つか二つほど突き抜けているのだ。揺れない船、戦いに強い船、長距離移動に優れた船、荒波に耐える船。船の用途は様々であるが、おかげで民営の造船所も多い。もちろんだがあくまで商船に限った話だ。民営で軍船などを勝手に作りだしたら、それは普通に話が変わって来るからな。
この辺りは水治奉行を中心にしっかりと監督させている。
「助かる。俺も船になどほとんど乗ったことが無いからな。海路を使うと決めたものの、内心は不安だったのだ」
「ほとんど乗ったことが無いとはなんと勿体ない。しかしならばなおさらに我らの船にお乗りくだされ。やはり技術が遅れている船はまだまだ揺れますし、強度も不安でございます。それに海賊たちの動きもここしばらくは活発なものでございますゆえ。一色様が海の下に沈まれては、我ら商人も困ってしまいますので。あぁ、それと万が一に備えて聞かせていただきますが、水練の方は」
「まぁ人並みではある。しかし荒波に落ちたらどうなるかというのは話が別だろう?そういう庄兵衛はどうなのだ」
「私でも荒波には勝てませぬ。穏やかな海であれば浮くことも出来ますが」
体格的には沈みそうなものであるが、たしかに風船のような身体であるから他の者よりも浮きやすいのかもしれない。浮力を受ける面積も人より倍、とまでは言わないが大きいからな。
「そういえば護衛の者たちの話であるが」
「商船護衛は染屋さんの所有している船団を借りております。海賊崩れの者や腕っぷしに自信のある者たちを金で雇い、海上で戦えるよう鍛えた精鋭たちでございます。さらに船対船の戦術をいくつも編み出しており、特に危険な海域を抜けねばならぬときなどは染屋さんに依頼して護衛船団を貸し出してもらうのでございます」
「なるほど。そういうことであったのか」
俺が頷くと、庄兵衛はさらに愉快そうに笑っていた。
「彼らは強うございます。その辺の海賊程度では相手にならず、なんなら小国の国人が有している程度の水軍衆であれば互角程度には戦えましょう。そういった実績がありますので、我らも安心して大枚をはたくことが出来るのでございます。ちなみにすでに此度の支払いについては彦五郎様より頂いておりますので」
そんな話をしていると、背後の襖がわずかに開かれた。顔を向けるとそこには道房の姿があった。
「支度は出来たか?」
「すでに」
「よし。ではそろそろ船に乗り込むとしようか。庄兵衛」
「はい。あぁ、それと言い忘れておりましたが天海丸は商いに向かう船でございますゆえ、少々荷で手狭に感じられるやもしれませぬ。もし何かあれば同乗している者に何でもお申し付けくださいませ。あぁ、あと万が一にも気分が悪くなられましたら、手すりから身体を乗り出し、海に向かって吐き出してくださいませ。荷が汚れては大変でございますので」
「わかった。万が一の時にはその言葉に従わせてもらうとしよう」
「では向かいましょう。天海丸は代官館から最も近い場所に泊めさせておりますので」
これより俺たちは久殿を迎えに岡崎へと向かう。
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