24話 順調な内政
遠江国榛原郡大井川城 一色政孝
永禄四年十月上旬
俺の初陣からそろそろ一カ月が過ぎようかという頃。飯尾連龍の騒動に便乗した者たちの処分が次々と決定され、重たいものでは御家の断絶や関係者の斬首・切腹。軽い者で転封は減封など様々であった。
そんな今川家にとって一歩間違えれば滅亡への道を進むかどうか、諸刃の剣の大粛清を断行したわけであるが、結果は比較的マシだと言えるだろう。
御家の断絶により多数生まれた遠江の空白地については、今川家の蔵入地・直轄領という扱いになったり、鎮圧による功が認められたことによる加増で概ね問題なく領地の引継ぎが完了している。俺は椿の件で叱責を喰らい、僅かばかりの功が取り上げられることで現状維持となった。
まぁそれで下手に敵視されずに済むのだから、むしろおつりがきたくらいだと爺が喜んでいた。母は明らかに落ち込んでいたようで、挙句の果てには氏真様に直訴するとまで言っていたようだ。さすがにいつもは言いなりの周囲も止めたようであるが。
そんな日常を取り戻しつつあるとある日のこと。
「それで今年の米の具合はどうだった」
「昨年に比べると非常に豊作だったとのこと。加えて今年は大井川港での水揚げ量もなかなかのものだったとのことで、陸海ともにこの冬は領民たちの懐が温かくなる見通しでございます」
「それはよかった。今年は戦が続いたことで、戦地となった地より逃れてきた者も多い。食料が領内にあふれているということは良いことだな。一応だが領内で商いをする商人に向け、適正価格での売買を行うよう注意の触れを出しておくように」
「ではそれは私が」
そう言って声を上げたのは爺の倅であり、氷上家の嫡子である藤次郎時真である。農地奉行という内政部門において昌友の次点に立つ男であるのだが、どうにも引っ込み思案というか。爺の陰に隠れがちの男だ。
とはいえ、である。昌友の下につくのだから仕事は当然のようにできる。また内政に関する庶務も時真の差配であることが多いゆえに、普通に尋常でない仕事量をこなすわけだ。であるにもかかわらず、当人は爺の後ろに隠れがちである。すでに三十も越えているというのに、爺が元気である間は家督を継がないと言って爺を困らせている。俺も困っているしな。これではいつまで経っても爺をあっちこっちに連れて行けない。それだけ一色四臣の筆頭という立場は重要であるということだ。
「藤次郎、城下に出る機会があるのであれば小姓らを何人か連れて行ってくれるか」
「はっ。ではそのように手配いたします」
「魚もよく獲れたと言っていたな。ならばやはり俺も領地の豊作品として口にしておかねばな」
「ではいくらか買い付けておきましょう」
「頼むぞ。あぁ、あと売りさばく魚は迅速に売り場に運ぶようにな。生の魚は鮮度が命だ。大店に頼むもよし、組合に話を通すも良し。その辺りは主水に任せる」
「では今日の内に庄兵衛殿と相談しておきましょう」
「庄兵衛な。今領内にいるのか?」
「そう聞いております」
昌友が相談しておくと言った男。名を暮石屋庄兵衛と言い、大井川領を拠点にしている日ノ本でも五本の指に入る程の豪商である。海運を駆使し、西から東へ荷を運んで莫大な財を築き続けているのだ。
また当家が定めた大井川商会組合という団体の長でもある。ちなみに大小様々な商会がこれに属しており、代表者として十四人の商家の主人らが会合などを行い、場合によっては俺に意見・要望を提出したりできる。当家は商人の円滑かつ健全な活動を保護する立場にあり、問題が生じた場合は一色家の名において彼らの利益を守るために動く。組合は見返りとして毎年定められた額の献金を行う。そういった関係で我らは成り立っていた。
そしてついでに紹介するが、この特に海運を駆使して商いを行っている商人たちと深い繫がりを持つ男が当家の家中にいる。陸全般の政を担う農地奉行に対し、海全般の政を担う水治奉行。その奉行人であるのが林彦五郎清善という男だ。大の海好きとして知られており、港の再開発を行うにあたって大活躍している人物でもある。いや、正確に言えば現在進行形で活躍中だ。俺達がこうしている間も、港の張り付いて日夜港発展の良策を考えている。それくらい尖っている。加えて言うとほとんど屋敷に戻らぬようであるし、城で姿を見ることもあまりない。
「しかし殿は魚好きであられましたかな。いくら豊漁であったとはいえ、好んで魚を買ってくれと言われるとは珍しいこともあるもので」
「忘れましたか、新九郎。この子は大の魚嫌いでした。いい年をして私が最中の骨を取ってあげなければ、手も付けないほどでしたからね」
爺の疑問に対し、母が随分と嬉しそうに答えられた。
俺は思わず苦笑いである。
「母上、いい年と言われますがそれも随分と昔の話でございます。さすがにある程度の年齢になってからは、自分で食べておりました」
「そうでしたか?普段はよくわからぬ行いをする右門殿が唯一といってよいほどに子供っぽい一面を晒す瞬間だと、母は嬉しく思っておりましたのに」
よよよ、と泣き真似をする母に同情的な視線が向けられるのは、この場にいる者たちのほとんどが親であり、誰も彼もが俺よりも年上だからだろうな。
どうにもいたたまれない雰囲気に呑まれかけた俺は、無理やりにでも話を進めることにした。
「久殿は焼いた魚を好まれるとのことでな。せっかく近場に良質な漁場があるのだから、堪能してもらおうと思っただけのこと。そのためには自分で食べてみないことにはな」
「なるほど。確かにそう言う理由ならば、突然殿がそのようなことを言われたのにも納得でございますな」
爺が頷くと、母もどこか寂しげながらに頷いた。松平から嫁を貰うことを諦められたのか、それとも感情を押し殺しておられるのか。どちらにしても先ほどのような子離れできない、行き過ぎたこの溺愛エピソードを恥ずかしげもなく話すのは止めていただきたい。
「あぁ、そういえば岡崎へ出立する日時が決まりました。経路は極力安全を確保したいという双方の意見が一致しましたゆえ、やはり海路を用いることとなりました。傭兵護衛船団を有している組合の商船とともに岡崎へ向かうつもりでございます」
「ですが最近は東海各地の沿岸でも海賊被害が出ていると聞きます。安全を確保するというのであれば陸路の方が良いのではないのですか?」
心底心配そうに、そしておそらく説得は無理だと分かっていながら母は溢された。その様があまりにもすぎて、思わず廊下に控えていた佐助が息を呑んでいた。
こういうことの積み重ねが母のファンクラブ会員増加に繋がっているのであろうな。息子としてはなんとも言い表せない心境である。
「いえ、陸路は襲われる襲われないという問題ではなく危険でございます。特に三遠国境を越える際には細心の注意を払わねばなりませぬ。彼の地の方々は松平に対してすさまじい警戒心を持っておりますゆえ。久殿の身柄を奪われるなんてことにもなりかねません」
「その者が親類衆である一色家の正室であったとしてもですか」
「俺に対して敬意なんて彼らは抱いておりませんよ。母上に抱いていたとしても」
残念ながらそれが現実である。俺に対する評価、待遇や扱いはそれほどまでに悲惨なのだ。何度も言うが一色家に対する超特別待遇に対するやっかみと、俺の幼少期の振る舞いの悪さからくる自業自得なのだがな。
「…海でも陸でも、無事に二人で帰ってくるのですよ」
「もちろんそのつもりでございますよ、母上」
さて、そろそろ俺も支度をするとしようか。さすがに冬になる前には出立するつもりではいたが、飯尾家の件諸々で随分と遅くなってしまったからな。
しかし久殿、直接顔を合わせるのは初めてか。いったいどのような方なのかな。
今投稿も最後までお付き合いしていただきありがとうございます。
次回投稿は未定です。更新をお待ちくださいm(_ _"m)




