22話 肉を切らせて骨を断つ
「私は此度が初陣であるということで、曳馬城の裏手の門を見張っておりました。幸いというべきか、それとも不幸というべきか、裏手より逃げ出そうとする者はほとんどおらず、このまま藤助殿らが飯尾の一族を捕えて尾張になるのかと思っていたとき、裏の門が僅かに開かれたのでございます。そしてそこから逃げ出したのは武装などしておらぬ女子供ら数人でございました」
「なに!?そのような話は聞いておらぬぞ」
オーバーアクションで反応を示すのは元信殿である。俺が椿をこの場に連れてきたことで、何かやるつもりだろうと何の意思疎通もしていないにも関わらず乗ってきてくださったのだ。
「ことがことでございましたので」
「こと?事とはいったい何のことである、右門」
元信殿の反応を見て、俺がまた暴走していると心配になられたのであろう氏真様が食い気味に尋ねてきてくださった。だからこそこの後の話が展開しやすい。
聞かれたから、ただ俺は答えるだけで済む。
「椿殿、あれを」
椿の手には大量の文。そう、雪女が持ち帰って来たあれが握られている。
「こちらをご確認いただきたく」
相変わらず布を被った椿と思しき者。だがさすがにそのように誰とも証明できていない人物より文を受け取れる方がいるはずもなく、代わって俺が受け取り、それを氏真様の小姓へと託す。
小姓はそれを氏真様に、そして泰朝殿や氏俊殿らにも渡した。
「見ていただければわかると思いますが、それはとある者から豊前守へ送られたいわば密書」
手元に無い方にも理解していただくため、俺は敢えて口に出して追加で説明をしていく。
「そしてその送り主こそが」
「なっ!?そんな、このようなことが…。いや、にわかには信じられぬぞ右門殿。いくら親類衆としての地位があるとはいえ、確たる証拠もなく我が兄を誹るような暴挙。到底看過することは出来ぬぞ!」
「決して証拠が無いわけではないのです」
「そもそもその者とてまことに椿かどうかなど。顔の広い範囲が火傷でただれておる。そのうえ、布で顔の一部も覆っておる。ただ似た人間を見つけ、我ら鵜殿を陥れようとしているだけやもしれぬではないか」
氏忠殿も文を読んでいた。そしておそらく気が付いたはずだ。
その筆跡が明らかに自身の兄である長照殿のものであると。だからこそ怒ったのだ。認められるはずも無いし、信じれるはずもない。
なぜならば兄は今も所領で松平からの攻勢を凌いでいるのだから。こんなもの出鱈目だと信じることは何もおかしなことではない。俺に言いがかりだと文句を口にすることだって自然な話だ。
だがこちらにはこの手の類に長けた栄衆がいる。どうしてあのような問いをしたのか。
そう、椿は本当に生きていたと信じ込ませるためである。
「兄、様」
「つ、椿…。おぬしまことに椿なのか!?」
「椿でございます。あの日、兄様方より飯尾家と鵜殿家でより強固な縁を結ぶよう期待され、上ノ郷城より送り出された椿でございます。このような醜い姿で、兄様の目を…」
「な、何を言うのだ。醜いなど、誰がそのようなことを言ったのだ」
「…申し訳ありませぬ、兄様!私が殿を、御当主様を止めるべきであったのにも関わらず、私はただお二人を見捨てて、一人生き延びてしまいましたっ!」
ゴン、ゴンと床に頭を叩きつけるように謝罪する椿。その姿に、氏忠殿はただ手を伸ばして「やめよ、やめよ」と呟くだけだ。
この姿に何人か、気の優しい方々が涙を流しておられる。
「椿殿、傷が悪化してしまいます」
「止めないでくださいませ、一色様!私は、この命を以てして償わなければならないのでございます!御当主様に、殿に良い顔をせず、命を賭けて止めなければならなかったのです。そうしていれば、今頃このようなことにはなっていなかったのでございます!」
響く慟哭。顔を伏せ、肩を震わせておられる方々。ここまで追いつめられている演技をさせておけば、あとはどうとでも出来る。
「…聞いての通り、鵜殿家は。というよりも当主である藤太郎殿は自身の所領を松平から守る一方で、すでに繋ぎをつけていたと思われる飯尾家に対して松平との縁を繋ぐよう求めておりました。その橋渡し役として利用されたのが、この椿殿でございます。前の戦の終わりに行われた軍議でのこと。藤助殿は椿殿をやむを得ず討ち取ったと申しておられました。それは椿殿が鵜殿方に向けて刃を向けてきたからであると」
「そ、そうです」
「ですが椿殿を保護した時、怪我をしていたのは腹側ではなく背中側。逃げる背に一太刀浴びせられたようで、傷は浅かったとはいえ痕は一生残るものと思われます」
「…背中ですと?」
「刃を向けるほどの覚悟を持っていながら、浴びた一撃は背中のみ。これは少々おかしなことではございませぬか。そこで疑問に思ったのでございます。果たして藤助殿の発言は、まことのものであったのか。嘘の報告であったのか、あるいは自身の目で確認していない誰かからの話をそのまま報告としてあげられたのではないかと」
ちなみに椿の背にある傷を確認するかどうかと聞いたのだが、俺があまりにも堂々と聞いたものだからか、それとも椿がまだ幼い姫であるからか。ここが男ばかりということもあるかもしれない。
傷の確認はこの場でしないものとされた。
「そ、それは…」
「私はこう考えております。乱戦の最中であることをよいことに、今川方に残る決断をした鵜殿家は口封じのために椿殿を殺害しようとしたのではないかと。おそらく輿入れの際に鵜殿家の人間が一緒に飯尾家に入っているはず。その者を通じて、城に突入後に救出される旨を伝えられていたのではないかと。そして待っていたところを襲撃され、逃げ出そうとしたところで」
敢えて言葉をその瞬間に止めることで、よりリアルのその瞬間を想像してもらえるようにもした。
「藤助殿、椿殿を討ったのはまことに自身の目で見た。あるいは自身の手で行ったものなのか。あるいは誰かに知らされた話なのか」
「私は…」
「藤助、これは鵜殿家にとっても重要な話である。右門の話が嘘ならば、堂々とそう宣言すればよい。麻呂は右門を罰すが、それは藤助や鵜殿家には何ら関係のない話であるゆえに」
しばらくの沈黙。しかし明らかに冷や汗と思われるものが氏忠殿の膝元の床を濡らしていた。
「椿を討ったと報せてきたのは、家中の者でございます」
「その者、もしや藤太郎殿と」
「…はい。兄上が私一人では不安だと、側近であるその者をつけてくださったのでございます」
俺は一度泰朝殿に目を向けた。おそらく気が付かれたであろう泰朝殿が、傍にいた者に何か指示を出す。指示を受けた者は慌てて広間から駆け出し、氏忠殿は吐き気を押さえつつあの日の記憶を呼び起こしていた。
「ですが飯尾主計殿を誤って討ってしまったと報せを持ってきたのも、椿を討ったと報せてきたのも…」
「おそらくはそのように別で命を受けていたのでございましょう。何も知らぬ藤助殿であれば、忠義心のままに武功を上げ、隠したい秘密を影に押し込んでくれるであろうと読んで」
ゆっくりとこの場を支配していく。もはや椿の出番はなく、迂闊な言動で正体がばれても困るゆえにずっと視線を下へ向けさせていた。
「御屋形様、鵜殿家の関与が如何ほどのものなのか。この場で断定することは困難であるように思えます」
俺が口を開きかけたと同時であった。泰朝殿が氏真様に言葉をかけられたのは。
「たしかに。麻呂も藤助のこと、鵜殿のことをどうすればよいのか判断がつかぬ。麻呂には藤助が嘘をついているようには見えぬゆえ。しかし鵜殿が、藤太郎が麻呂を裏切るなんて…」
「…」
椿の迫真の演技により、完全に氏忠殿は吞まれていた。兄が今川を裏切るはずが無いと俺を責めていたのも昔の話である。今はほとんど信じかけている。まぁ椿以外はすべて事実なのだがな。
「藤助殿の関与については不透明であるものの、鵜殿家に対しては調査を行うべきでございます。藤助殿のことはここまでの話の流れを見ても、拘束という形の保護をして、それから藤太郎殿のことを調べるべきかと」
「御屋形様、それがよろしいかと」
ずっと息を潜めていた正俊がついに言葉を発す。一瞬白けた空気になりかけたのは、まぁ前々から印象が悪いからな。都合が悪くなるとすぐに口を閉ざし、氏真様を一人ぼっちにしてしまう。そんな元傅役、現側近を誰が慕うのか。
「藤助、すまぬがしばらく今川館に滞在してくれるか。悪いようにはせぬゆえに」
「…かしこまりました。っそれよりも椿は、我が妹はどうなりましょうか!?」
「飯尾の一族は悉くが処刑されることと決まっておる。あの日、あの場にいた椿殿を見逃すことはとてもではないが出来ることではない」
出しゃばる正俊に、絶望感を漂わせる氏忠殿。しかしそもそもの話としてすでに椿はこの世の存在ではなくなっている。ここにいるのは栄女衆が扮する偽物であるがゆえに。
「その日が来るまで、我が領内に滞在させてもよろしいでしょうか」
「なに?罪人を刑が執行されるまで引き受けると?そのようなことが認められるはず無いであろう。そもそも逃がすやもしれぬというのに」
「逃がすのであればわざわざこの場に連れて来て証言などさせてはおりませぬ。ただ残りの人生、少しでも良き暮らしをさせてやりたいだけのこと。椿殿の示した勇気に免じて、どうか御認め頂きますようお願いいたします」
椿とともに俺は頭を下げた。
正俊は相変わらずいやそうだったが、泰朝殿と元信殿が俺を支持したことで氏真様が認めてくださった。氏忠殿はずっと声をあげて泣いていたが、椿はそのまま広間から退出する。屋敷の遠くの方で、誰かが喚く声が聞こえたが、もはやそちらに興味は無かった。
数日後、飯尾一族は総じて死罪となった。男らは皆腹を切り首を刎ねられ、女子供らも磔の刑に処された。だがその中で唯一刑を逃れた存在がいた。
そう、椿である。椿は一色領にて残りの人生を過ごす中で身を海へと投じて死んだと氏真様に報告している。家中総出で沿岸部や海上を捜索したが亡骸は見つからず、監視役であった俺が果てしなき叱責を今川館にて受ける形で椿は死んだと結論付けられた。
そして飯尾家の離反騒動を発端として勃発した遠州忩劇も、飯尾家他同調した多くの元今川家家臣らの大なり小なりの刑執行により幕を閉じる。そんな中、遠江以外で厳罰に処された御家がある。
鵜殿藤太郎長照他、それに与した一部の鵜殿一族や家臣もまた捕らえられて罰された。長照は首を刎ねられ、従った家臣らも同様となる。
一方で何も聞かされていなかったいくつかの分家や、弟の氏忠殿は減封や転封により御家の存続はかろうじて認められた。しかしこれ以降、鵜殿は家中における存在感を急速に失い、二度と表舞台に立つ日は来なかった。
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