20話 椿姫の隠し事
遠江国榛原郡大井川城 一色政孝
永禄四年八月下旬
曳馬城から引き上げた俺たちは、一度大井川城へと寄った。このまますぐに今川館へと向かわねばならぬのだが、戦勝報告に関しては直垂で行わなければならないからだ。特に氏真様は争いごとを嫌われる節がある。俺の進言があったにしても、連龍をあの場で斬れとは言われなかった。
やはりというべきか、義元公の死が尾を引いているのではないかと思われる。
そういったこともあり、戦や死を連想させる鎧姿での戦勝報告を元信殿は回避されたのだ。
「母上、飯尾豊前守連龍とそれに便乗した多くの遠江衆による蜂起を制圧し、無事に戻って参りました」
「はぁ…。本当にどこも怪我をしていないのですね?」
「していません。御屋形様や丹波守殿が諸々初陣であることを加味して配慮してくださいましたので」
「そう、なのですね。右門殿が無事に帰ってきてくれて、本当に良かった」
平服姿の俺をペタペタと触る。周りに家臣がいたらさすがにやめてもらったであろうが、今は俺と母と侍女たちの四人のみ。侍女は母に忠誠を誓う者たちであるゆえに外に漏らしもしないだろうし、今は満足するまで確認してもらおう。心配をかけた自覚もあるゆえに。
「それでこのあとすぐに今川館へと発たねばなりません。それが終わり次第、岡崎へと向かう予定でございます」
「岡崎、ですか」
俺の言葉を聞き、一気に顔が青ざめる母。まだ母には言っていなかったが、今回の輿入れは異例の扱いとして俺が直接岡崎に出向き、久殿を連れて帰ることとなっている。
ようはこちら側の方々を必要以上に刺激しないための措置とでも言うべきか。
あとは単に瀬名様の無事をこの目で確認しておきたいという意図もある。
「右門殿は決めたことを途中でやめたりしないので、今さら何を言ってもやめることは無いのでしょう。次から次へと忙しいこととは思いますが、あなたは今川家親類衆の一角にして一色家の当主。母はただ右門殿が納得して行うことなら応援します。…あまり無茶なことでなければ」
「ちなみに岡崎に向かうということは」
「無茶なことです」
「まったくもう」と頬を膨らませる母。ちなみにこの母、俺と血が繋がっているのか不思議なほどに美人である。子である俺がそう言えてしまうのだから間違いない。
一方で俺は普通。父上もまぁ俺と似たような感じだから間違いなく親子と言えるのだが、いったい母の美形の血は俺のどこに含まれているのであろうか。不思議で仕方がない。
家中に母のファンクラブらしきものがあるのもこれが原因だ。母を交えた話し合いで俺より母の肩を持つ者が出るのには困りものなのだが、もはやこれは仕方がないことだと割り切っている。
「ただ右門殿の婚姻が遅れた原因は私にもあります。ですから事これに関してはなにも口出しすることは出来ないとも思っています。なので改めて言いますが、無事に帰ってくるのですよ」
「はい」
なかなか子離れできない母ではあるが、少しずつ俺を当主として認めてくれているようだ。まぁ過保護であることには変わりないのだがな。
それでも嫁姑戦争なんて言葉が現代世界にあるように、久殿と母の関係が悪化していく様を見ているのは俺としても辛い。というか心臓に悪い。
マザコンだのなんだのを嫁は嫌うであろうし、だからといって構う母を蔑ろにもしたくない。
きちんと子離れをして、適切な関係を築いていきたいと心より思う。
「とにもかくにもまたしばらくの間、留守にいたしますので。困ったことがあればいつも通り主水に申し付けてくだされば」
「わかりました。右門殿、道中気を付けて向かうのですよ」
「はい」
俺は母の部屋を後にして廊下へと出た。部屋に戻っていると、その道中で二人の忍びが庭に控えている姿が確認できる。
「落人か。此度の働きは見事だった」
「我らはいつも通りに与えられた御役目をこなしただけでございます」
「そうか、いやたしかにそうだったな。それで隣の者は…」
俺が話題にしたことで、落人の隣に控えている者が顔を上げた。
「やはり雪女であったか。栄女衆のまとめ役が俺の前に姿を見せるとは随分と珍しいではないか」
栄女衆とは栄衆の中に存在しているくのいちだけで編成された特殊部隊のようなもの。ようは女でなければ潜り込めない場所での任につき、情報収集などと行っている。雪女はその特殊部隊のまとめ役だ。
とはいえ栄女衆も栄衆の一部であるから、情報は落人経由で俺に届く。つまり雪女自体が俺と会う必要が無いわけで、こうして顔を合わせる機会もほとんど無いわけだ。
しかし今はわざわざにこうして顔を見せている。つまり何か一大事があったということであろう。
「話せ」
「はい、頭領。此度は殿の命によりあの御方の傍に栄女衆を潜り込ませておりました。その任の際にあるものを得たのでございます」
「あるもの?」
「出せ」
基本的に雪女は落人の指示を受けて動く。ゆえに面倒ではあるが会話の中でも落人の指示通りにしか話さないし動かない。落人に出せと言われた雪女は、自身の足元にある風呂敷のようなものを手に取って広げた。中に入っていたのは大量の文らしきもの。
「これは?」
「これより先は…」
「わかった。気にする必要はないゆえ、俺の部屋に二人とも入れ。勝千代はいるだろうか」
「ここに」
爺の孫にあたり、現在俺の小姓でもある氷上勝千代が廊下の角より姿を見せた。おそらく気を利かしてずっと離れた場所で待機していたのであろう。
「これより少しの間、落人と話をする。ゆえに俺の部屋には誰も近づけるな。たとえ爺であろうともな」
「かしこまりました」
俺は落人らを連れて部屋へと入り、障子・襖を完全に閉め切らせた。
外には勝千代が座っており、番として周囲を見張らせている。
「それで先ほどの話の続きだが」
「すべて説明せよ」
「はっ。私どもが潜り込んだのは椿の目に届きにくい配置の侍女でございました。頭領が主計と縁を得られたことで、その伝手を使い傍にまで近づくことにも成功いたしました。その中で得られたものとしていくつかの情報がございます。まず第一に椿は政略的婚姻によって飯尾家に嫁いでおりましたが、豊前守との関係は随分と冷えていたようでございます。原因は豊前守が松平に接近しようとしたこと。椿は今川家を第一と考えており、豊前守の動きを察知したことで気持ちが離れたとのこと。その一方で今川家に残ることを求めていた嫡子主計との関係は非常に良好であり、主計もまた椿との関係を深めていったと」
「…まさかとは思うが主計の背後にいた者の正体というのは」
「この椿であったようでございます」
落人が頷き、俺は思わず頭を抱えた。
俺達が聞いていた、あるいは思い込んでいた事情が変わりつつあるのだと。というよりも隠された真実があったのだと。
「降伏派を熱烈に支持していた椿ですが、豊前守の正室であることには変わりありません。そこで主計を利用して降伏派の勢力拡大に勤めていたようで」
「なるほどな」
「そしてここからが本当に誰にも聞かせられぬ話でございます。この雪女が持ち帰った文、中を確認していただければわかることでございますが、同じ人物から椿を経由して豊前守に届けられるよう望まれた文でございます」
「確認してもよいのだな?」
「はい」
俺は一番上にあった文に手を伸ばし、そして中身を確認する。
「こ、これは!?いや、しかし信じられんぞ。豊前守が偽造したなんてことは…。いや、あの男がそんな面倒な手段を用いるとは思えん。それに意図も分からん」
「色々と探りましたが、筆跡は当人のもので間違いないかと思われます」
「そう、か。いや、だがどうして」
ついに俺は本当に頭を抱えて項垂れてしまった。いったいどういうつもりでこのようなものを連龍なんぞに送りつけてきたのか。
俺は続けて別の文に手を伸ばした。どれを手にしても、中に書かれているものはすべて同じ人物からの文。連龍へと宛てられたものばかり。
いったいどうして。どうしてあの男がこのようなことを…。
「文の送り主、鵜殿藤太郎長照は明確に叛意を持っております」
「椿は自らの死期を悟り、我らにこれを託しました。曰く見知らぬ者の顔くらいは覚えていると」
「これは我ら栄衆の失態でございます」
どうやらこの雪女たち栄女衆が何者かまではともかく、外部からの侵入者であることは勘づかれていたらしい。だからこそこの文を託されたのかもしれないが。
「結果として確たる証拠を手にすることが出来たのであろう。此度はそれで良い。ただ同じ過ちを繰り返さぬようにだけな」
「はっ」
しかしどうしたものか…。
「しかしそうなると椿の死について、これは藤助殿が口封じのために斬ったということであろうか」
「主計の殺害に関しては不明でございますが、椿の殺害に関しては藤助自らが斬ったものではございませぬ。傍にいた者が手を下したと、雪女が証言しておりますゆえ。また椿の死因は背後からの一突きであったと」
「…背後だと?」
「はい」
話がまた食い違ったか。栄女衆は最期の最期まで椿らの傍にいたと言っている。おそらく女子供に紛れていたのであろう。そしてその最期を見届けた後に離脱した。
しかし背中に刺し傷ともなると、鵜殿の兵に対して背を向けていたことになる。
「最後にこれだけ聞いておく。椿に反抗の意思はあったのか」
「いえ。事前に窺っていた話によると、鵜殿勢が突入した後に保護されると。その後は出家して山奥で静かに暮らすことになるだろうと申しておりました」
「…わかった。他に何か報告はあるか?」
「いえ」
あくまで俺の推測だ。
氏忠殿が何かを隠している様子は、少なくともあの曳馬城攻めの中で一度も無かった。本当に嘘を隠すのが上手いのか、あるいは何も知らされていなかったのか。
だが明確であることは、この幼妻である椿は間違いなく口封じのために殺された。殺害したのは長照に近しい家臣か、あるいは命じられた下っ端か。
一方で椿の方には助ける旨が伝えられていた。ゆえに椿は大人しく城の中で待っていたが、結果として殺害されるに至る。氏忠殿の報告と異なる点があることは、もしかすると刃を向けられたのが自分ではなく誰かの証言だったのかもしれない。あるいは俺が見抜けなかっただけで、端からそちら側だったのか。
「この件、如何いたしましょうか。我らが口を閉ざせば、この類の証言が出来る者はもうこの世にはおりませぬが」
鵜殿は長らく今川のために三河にて奮闘してくれている御家ではある。氏真様もまたこの一族を重視しておられるが、それはあくまでずっとこちら側にいればの話。
裏切りの確実な証拠がありながら、俺達がそれを黙殺する理由など無い。
全てを公のものとして、適切な処理を行うべきだ。そう、連龍やそれに便乗した者たちと同様に。
「雪女」
「はっ」
「お前たちは人に化けることなど出来ぬのか」
「化ける、でございますか?顔や声を似せることが得意なものならばおりますが」
突然の問いかけに困惑する忍び二人。
「ならばその者を呼び出し、椿に成りすませ。実際に接触した者らに証言を取りながら、身内すらも化かせるほどのものを作るのだ。もし騙せるほどの完成度が出せぬのであれば、やり方を変えるが…。どうだ」
「少しだけお時間を頂きたく。似せるために道具が必要でございますゆえ」
「時間は今川館への移動の間とする。頼むぞ」
「ははっ」
どのような手段で伝えたとしても、あとの決定を下すのは氏真様である。この一連の出来事に関する沙汰が下れば、とりあえずは遠江で発生した大規模な離反騒動もひと段落付いたと言ってもよいのではないだろうか。
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次回投稿は明日の予定ですので、更新をお待ちくださいm(_ _"m)




