18話 離反騒動の結末
遠江国浜名郡曳馬城下 一色政孝
永禄四年八月中旬
落人を筆頭に、城内へと侵入していた栄衆は見事なまでの成果を持ち帰って来た。あの命を下してからたった数日の間の出来事である。
報告によると、城内では飯尾家の一族で今後について真っ二つに割れているそうだ。
徹底抗戦派は言うまでもなく連龍が主導しており、ようは元康の援軍は間違いなくやってくると信じてやまない。さらに降伏を断固拒否しているのは、一門筆頭格であった関口家の末路を見て自分たちが助かる道は無いとすでに理解しているからとのこと。まぁ元康が俺を介して今川に頭を下げないのと同じ理由である。
そして降服派の筆頭は飯尾主計連義。なんでも従兄弟にあたる人物のようだが、家中の事情によって連龍の養子となり嫡子としての扱いを受けているとのこと。
切り崩しを仕掛けるなら間違いなくこの辺りだと思うのだが…。
「こちらに呼び掛けに応じそうか?」
「すでに繋ぎをつけておりますが、上手く周囲の不安要素を排してやればすぐにでも行動を起こすかと。ですがあまり信用しすぎるべきではないかと思われます。どうやらこの男の背後に別の者がいるようでございまして」
「別の者?それはいったい誰だ」
「そこまでは。もう少し時間を頂けるとのことであれば、完璧に情報をまとめ上げるのですが」
「…いや、これ以上は待てぬ。先にこちらが倒れてしまうわ」
夏真っ只中。正直これ以上、ただ何も無いだけの一日を連龍のために使う気はない。頼みの綱である元康の援軍は来ず、ここ数日の間に連龍に便乗した多くの者たちが降伏や討ち死にしたという報せが届いている。いくら堅城と名高い曳馬城であっても、食料備蓄はほとんど尽き、援軍も期待薄。こんな状況で戦を長引かしても無駄だ。
「すぐに寝返り工作を仕掛けよ」
「かしこまりました。ただちに連義をこちらにつけ、門を開け放って御覧にいれましょう」
落人が姿を消すと、すぐに爺が傍へと寄って来た。
「新左衛門らに城門を破らせましょうか」
「いや、裏手であろうとも敵方の兵が守りを固めているだろう。じきに城門が開け放たれるのであれば、役目を与えられた方々が手柄を挙げればそれでよい」
「まことによいので?」
爺は決して欲深ではない。ゆえにただ俺の心の声を聞きたがっているだけだろう。初陣でありながら、目に見える功を欲さないのかと。
たしかに栄衆の存在は表沙汰には出来ぬゆえ、城門が仮にあけられてもそれは降服派による裏切り行為だと元信殿にも伝わるはず。そこに一色の手柄など存在しない。
だがそれでよい。どうせ此度の戦で手柄を挙げられるとは誰も思っていないだろう。なんせ人気のない裏手の門の番人なのだからな。
それよりも早く帰りたい。やるべきことはたくさんあるのだ。時勢を見誤った連龍なんぞの最期なんぞに付き合っている暇はない。
「よい。それに城攻めの一番手を担っているのは鵜殿家だ。俺が横から掻っ攫ったらそれこそ印象が悪いだろう。藤助殿らからすれば、離縁をまとめきれなかったことで妹君のことが心配であろうし、下手なことを俺たちがすべきではない。なんせ俺は敵が多いからな」
「それは…。たしかに。まさか親類衆に監視の目がつけられるとは、まさに前代未聞の珍事。これ以上、重臣方に目をつけられるのも面倒でございますな」
ちなみに岡部家より送りこまれた監視役、正綱殿は大井川城にて昌友と留守を担ってくれている。戦場にまでついて行く必要はないと氏真様より言われているからだ。
「まぁ、そういうことだ。別に強がりではないからな」
「わかっておりますとも。いったい何年もの間、殿をお傍で見守ってきたと思うておられますか」
爺は笑っていた。たしかに爺は良くも悪くも俺の人生を見守ってきてくれた。
だからこそ、この初陣に臨む俺の姿勢も理解してくれているのであろう。
「そんなことを言うておる内に、動きましたな」
「やはり落人らは優秀だ。戦況をたったの一瞬にして変えてしまうのだからな」
城内各所より黒煙が上がり始めた。そして真反対に位置する城門辺りより一際大きな怒声が響いてきた。
それにしても気になることがある。
「随分と過激な城攻めになっているのだな。御屋形様やその側近方の意向としては、今後も曳馬城が重要な役割を担うことは決定事項であり、むやみやたらな破壊行動は抑えるようにとのことであったのに」
「たしかにそれはそうでございますな。あぁ、ついには本丸より火の手が」
「随分と一気に踏み込まれたのだな」
「一気呵成に、という言葉が似合いますな。たしかに鵜殿は長らく三河における最前線を担っておりますゆえ、こうした戦を展開することもまた納得できますな」
「あぁ、そうか。先日も松平の分家相手に奮闘したという報せがあったな。逆に攻め込むことは苦手だと言われていたが、あの様子を見ると噂は所詮噂だったということか。それにしてもこれは、落城後の丹波守殿が大変だな」
対三河における防衛線の要所。飯尾家の後、その役目を担うのは元信殿とすでに決まっている。
総大将に任じられたのもそういった経緯があったゆえだ。
誰もが羨む褒美だが、相手が元信殿ともなると誰も下手には文句を言えない。なんせこの男、あの桶狭間の大敗の時、鳴海城に入っていた元信殿は義元公の首級と交換条件で城から撤収した。
だがその道中、通りかかったいくつかの城を攻略したうえで焼き払っている。正直恐ろしすぎる人であると思える。もしこの人物があの日、桶狭間の地にいれば多少は状況が変わっていたのだろうか。
もしかしたら義元公も、そして父上も死なずに済んだかもしれない。
…なんてな。
「このような状況で上の空とは」
「…いや、たしかにそうだ。この状況を見て少し気が緩んでいたのやもしれん」
「先ほどはあのように言いましたが、そろそろ門が開かれるやもしれませぬ。裏手より逃げ出そうとする者が出てくるのは、戦における敗戦側の常でございますゆえ」
「わかった。三郎と新左衛門に兵らを鼓舞するように伝えよ」
爺は頷いて使番を向かわせに言った。
それからしばらくして、俺達の前に現れた幾人かを制圧した頃に勝鬨が響いた。城は陥落し、籠城における主要な場所を制したということだ。連龍がどうなったのか。他の身内がどうなったのか。鵜殿の姫がどうなったのか。
俺は何も知らされなかったが、ただ岡部の本陣へ来るようにとだけ元信殿からの使者に言われた。
「果たしてどうなったのか、だな」
「逃げ出したという話は聞こえておりませぬゆえ、死期を悟って腹を召したか。あるいは一縷の望みにかけて捕らわれたか」
「どうなのだろうな」
しかし栄衆の活躍もあり、思った以上にすんなりと俺の初陣は終わってしまったな。
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