17話 曳馬城の兵糧攻め
遠江国浜名郡曳馬城下 一色政孝
永禄四年八月中旬
「いつ見ても思うことではあるが、やはり今川家の西の国境を預かっていただけあって大きな城だな」
「実に見事なものでございます。ですが今や主家の敵となった飯尾家の城でございます。なんとも嘆かわしいことに」
「そうだな。せめて連中が蔵人佐と合流するために城を抜け出してくれたら、こんな暑すぎる時期に兵糧攻めなんぞしなくても済んだというのに」
今川館より曳馬城に戻った連龍はすぐさま戦支度に取り掛かった。というよりも、三河に対する警戒を口実に兵を挙げる準備をしていたというべきか。
ただ連龍自身もこのタイミングでの挙兵が誤った判断だったと理解はしていたようで、しきりに三河方面へと人を出していたという報告が栄衆から上がっている。同時に元康がそれでも駆け付けてくれると信じて疑っていないのか、連龍やこれに便乗した連中が下した決断は各地籠城というもの。ただ俺の牽制が効いたのか、はたまたそもそも元康に手出しする気が無かったのかは不明であるが、現状は三河から援軍がやってくる気配はない。
ゆえの兵糧攻めである。あと一カ月、二カ月もすれば米の収穫時期であるゆえに城の貯えは少ないと、反乱鎮圧の総大将に任じられた元信殿は読まれたわけだ。
そして城を包囲してから二週間ほどが経過している。
「昨年は東海の広い範囲で凶作だった。兵糧攻めが有効であることは確かなのであろうがな」
「三河からの援軍が無いとなると、ひたすらに飢えをしのぎ続けるしかありませぬ。ですが助けが来るあてもございませぬゆえ、あと数日、あるいは十数日もすれば城内は地獄絵図となりましょう」
「地獄絵図、な。なんとも酷い初陣だ」
こんなことなら別の城攻めに加わっておけばよかった。
防衛の備えが乏しいのにも関わらず、連龍の離反に便乗して元康に寝返ろうとした者たちはそれなりに多い。また飯尾家との関係上、どうしても連龍に味方しなければならない者もちらほらいる。そういった者たちに降伏を促すために少数の別動隊が編成されているのだ。メインの役割は無血開城。城攻めをするというよりも、兵で城を囲んだうえで観念させる。時間をかけずに反乱を鎮圧する。そういった役割である。
最初こそ地味で初陣に相応しくはないと思ったものの、これから始まる曳馬城の地獄を思い描くとどう考えても別動隊の方が精神衛生上よかったと言える。
「お顔が曇っておられますな」
「何と言っても、俺は裏手の門番だからな。城内への突撃も無ければ、敵が出てくる可能性も低い」
あるのはくぐり戸ほどの小さな扉と、人が四五人並んで歩けるほどの小さな橋が一本だけ。どう考えても大乱戦が起きるような場所ではない。
まぁこれも元信殿の配慮なのだろうがな。
「…このままでは城が落ちる前にこちらが干からびるぞ」
日差しがえげつない。鎧を身にまとっているせいで、余計に暑い。もう頭から溶け出しているような…。
「あぁ、辛抱ならん。落人はいるか」
俺の声に姿を現したのは、栄衆の頭領を名乗っている落人であった。今の装束は農民風である。
「城内の様子はどうだ」
「城兵らが兵糧を隠し始めました。すでに徴兵された民たちは飢え始めております」
「隠し始めた、な。相も変わらず卑劣な男だ、あれは」
「餓死者が出るのも時間の問題かと思われます」
「そうか。つまり丹波守殿の言われた通り、あと数日から十数日の内に城内は大混乱に陥ると、そういう見立てて良いのだろうか」
「ある程度はそのように見ていただいても問題はないかと。懸念事項があるとするならば隠した兵糧にございます。これが民たちに発見された場合、籠城はもはや続けることも出来ぬかと」
「たしかにな。そのような展開になれば、あと十数日も何も起きぬ城をただ眺めているだけの時間が無くなるわけか」
俺の言葉に落人は表情なく頷いた。言いたいことは伝わったか。
「だが民たちの反抗を抑え込まれることも考えられる」
「民は飢えておりますゆえ、内輪もめを起こしたところで返り討ちになる可能性は大いにあるかと」
「ならば上を割りたいところではあるな」
しばらく考えてみた。そして命じるべき言葉を整理する。
「ここはやはり蔵人佐に取り入ろうとしている連中に愛想を尽かしている者を味方にしたいところだな」
「その後は仕官を許されるということでございますか」
「いや、それはその時考える。ゆえに栄衆の役目はとにかく城内を引っ掻き回せ。連中があと十数日も城に籠っていられなくなるくらいな」
「かしこまりました」
落人はそのまま姿を消した。
俺の隣には、ただずっと見守るに徹していた爺が立っている。
「まことにあのうつけが今の殿に成るのでございましょうか」
「なんだ藪から棒に」
「いえ。長らく殿の成長を見守ってきましたが、今のお姿を大殿が見ればきっと大喜びされたことでございましょう」
「そうか?俺は父上のように武に秀でてはいないぞ?こうやって裏からコソコソしなければ戦もまともに出来ぬ弱腰武者だ」
「弱腰武者とはまたおかしな言葉を。ですが己の弱さを知っているということもまた重要なことでございます。力を過信して自滅する大将になどついて行きたくはございませぬゆえ」
「…たしかにそれはそうだな」
妙に納得してしまうのは、やはり爺が相手であるからだろうな。
「しかし一つ懸念があるとするならば、この曳馬城攻めの総大将である岡部様に対して何もお伝えしていないことでございましょうな。いくら忍びによる隠密行動であるとはいえ、お味方は敵方は最後の最後まで打って出てはこないと油断しているやもしれませぬ。栄衆の存在は公のものではございませぬが、上手くお伝えして中で騒動が起きた際に備えておくようにはしておかねばならぬかと」
「…そうだな、たしかに失念していた。丹波守殿に限って油断などされてはいないだろうが、それでも他の方々が何を思っておられるかなど分からぬものな」
「その通りでございます。殿は報告されるのが少々遅いと感じますゆえ、今後はどうかそういった根回しもお忘れなきようにしていただければ、儂も安心して隣で見守ることが出来ると思うておりますので」
小言モードに突入するかとも思ったが、根回しの方が重要であると思ったのかそれ以上は続かなかった。
そこで俺は元信殿がおられるであろう本陣に使番をたてる。早々にふんわりと戦況が変わる気配があることを伝え、ふんわりと周りに気合を入れておくように助言しておいた。
まぁ他に誰もいない裏手の包囲であるゆえに、こちらで何かを見たと言われれば疑いようもないからな。適当に誤魔化しておけばよいだろう。
「しかし驚いたことといえば、鵜殿様が此度の戦で先陣を預かられたことでございますな」
「鵜殿は豊前に対して妹との離縁を申し入れたが断られたようだ。逆に味方になるようにと脅されたらしいが、結局鵜殿もそれを断ったようだな。城内には未だ幼い妹がいるゆえに鵜殿としても先んじて城内に押し入り、妹だけでも保護したいとでも考えているのであろう」
「人質にでもされれば厄介極まりないですからな。それもまだ幼い姫ともなると」
「あぁ。此度鵜殿の兵を率いるのは、僅かの兵を率いて遠江入りを果たした弟の藤助殿だ。だが他の方々を圧倒するほどに先陣を志願したようだな」
俺は興味が無かったから話半分に聞いていた。すでに裏手を預かることは確定していた段階であったゆえに。
「なぁ、爺」
「なんでございましょうか」
「仮にこの騒動が長引き、三河の情勢も変化していった場合、蔵人佐はどのように動くであろうか」
「さて。ですがあの御方はあのように見えて強かでございますゆえ。ただ目の前にある機会を逃すとは思えませぬ。あの手この手で今川家の弱体を狙ってきましょうな」
「やはりそう思うか」
「特に殿は裏など無く、ただ今川家のためにと結ばれた縁談がございます。これを利用される恐れもございますな。先日、殿がやったように」
たしかにそろそろ元康が誤算に気が付いていてもおかしくはない。
同じことをやり返される可能性だってある。
「しばらくは定期的に牽制の文を送るとしよう。こちらが蔵人佐の動きを見ていることを伝えれば、ある程度は踏みとどまってくれるやもしれん」
「ですがその様子を見てもいまいちわかりませぬな。殿はいったい松平家をどうしようと考えておられるのでございますか?」
爺から向けられた問い。俺は特に考えることも無く答えた。
「蔵人佐には西三河あたりを完全に制したうえで、当家に対する織田家の壁としての役割を全うしてもらいたい」
「どうしてそのようなことを」
「御屋形様に上洛意思が無いことは明らかだ。だが北に目が向いている織田家が今後当家を敵と見なす可能性は十分にあり得る。ゆえに比較的御しやすい蔵人佐に間に立ってもらい、両家の緩衝地として今後も存在していって欲しいのだ」
「敵として攻め込むほどの力を持たず、しかし織田家に愛想を突かれぬ程度の勢力は維持してもらいたいと。随分と我儘な展望で」
爺は笑っていたが、俺は本気でそれを考えている。正直かつての三国同盟はもはやないものだと考えた方が良い。現に武田の動向はあまりにも露骨であり、明確に当家にとって損が出るような動きを水面下で行っている。井伊家に対する調略などまさにそれだ。
ゆえに北、そしていずれはあるやもしれぬ東を見るためにも元康には頑張ってもらわないといけない。
「まぁいずれにしてもまずは曳馬城だ。この城が落とせなければ話にならないからな」
俺の下についた栄衆にとってある意味初めての大仕事である。その成果がどのようなものになるのか、今から楽しみで仕方が無かった。あと早く城に帰りたいという意見もある。
今投稿も最後までお付き合いしていただきありがとうございます。
次回投稿は未定です。更新をお待ちくださいm(_ _"m)




