16話 初陣を飾る
遠江国榛原郡大井川城 一色政孝
永禄四年七月下旬
「いよいよ初陣でございますな」
「まぁ内輪揉めではあるがな」
「内輪もめでも兵を率いて戦えば、それは立派な初陣でございますぞ」
爺は俺が鎧をつけている様を見ながら、どこか堪えるような声でそう言ってくれた。そういうものかと、年長者の言葉を素直に受け入れ、俺は着々と重たい鎧を身に纏っていく。
残念ながら父上とは体格がかなり異なる上に、桶狭間での戦による破損が大きく修復が困難とのことで自前で用意したものだ。
新しいゆえに傷も無く汚れも無い。そういった見た目により、さらに此度が初陣なのだと強調された。
「右門殿、母です」
「母上?今は少々見苦しい格好をしているので後でも」
「いいえ。人目の少ない今が良いのです」
俺の言葉など半ば無視して母が部屋へと入ってこられた。珍しく背後に控えている侍女は一人だけ。
その侍女の手にはあまり侍女が持つには相応しくないようなものが握られている。
「右門殿、此度の戦まことにあなたが出なければならぬほどのものなのですか」
「…それはいったいどういう意味の」
「曳馬城は遠江の西を守る堅城であるということは私だって知っています。そのような城を攻める、些か危険ではないのですか」
「初陣であるゆえに配慮はすると言っていただいております」
「配慮はあくまで配慮。何が起きるかなど分からぬではないですか。私の愛した人も「留守を頼む」と言って戦に向かい、そして帰ってこなかったのですよ。一色家は今川家を相手に敗北して以降、一度も負け戦をしていないと豪語していたというのに!」
俺の初陣を引き留められるのは今回が初めてではない。
なんなら亡き義元公によって行われた最期の上洛戦こそが俺の初陣と定められていたが、土壇場で母がそれを取りやめさせた経緯がある。
そして父上はいつものように義元公とともに兵を進め、そして二度と帰らぬ旅に出てしまった。そんなことがあったゆえに母がさらに俺の初陣に対して気が乗らないような事態に陥ってしまったわけである。
「三郎や新左衛門に任せればよいではありませんか。あの者たちは何度も戦に出ては手柄を挙げてきています。一色家の大将として申し分ない働きを見せてくれることでしょう」
「たしかにあの二人であれば大きな手柄だって上げて帰ってくることが出来るでしょう。ですが母上、俺が此度の戦に出向かなければ、一色に未来はありませぬ」
「未来?しかし輝かしい未来よりも明日を生きる命の方が大切です」
「一色の家が没落し、生きてこそいるものの死んでいるも同然の人生など送りたくはありませぬ。俺は父山城守政文の子であり、今川の血を引く人間なのでございます。いつまでも逃げて、甘えて。そんな生き方はまっぴらでございます」
「武功とは、手柄とはそれほどまでに重要なことなのですか」
言葉尻がどんどん弱くなっていく。もはや俺の決心は変わらぬと、説得を諦めたのやもしれぬ。それでもなお、どこか行ってほしくないという感情が漏れ出ているのは過去のトラウマであろうな。
それに一色家の嫡流は現状において俺一人。俺が死ねば断絶を言い渡されてもおかしくはない。
「はい。それに心配には及びません。爺も此度の初陣に付き従ってくれるとのこと。爺が傍にいれば俺に無茶はさせないでしょう」
「御方様。この新九郎がしかと殿をお守りいたしますゆえ、どうか殿に励ましの言葉を頂けぬでしょうか」
「…」
爺の言葉を聞いた母は長い沈黙の時間に入った。そして随分と時が経ち、ようやくゆっくりと口を開く。
「一色家の当主として、励みなさい。山城守様の子として恥じぬ戦をしてくるのですよ。もちろん、命大事に」
「ありがとうございます。その言葉を胸に、曳馬へ向かいたいと思います」
「本当は初陣など飾らせぬつもりでした。ですが結局説得されたのは私でしたね」
「此度は何としても初陣を飾るつもりでおりましたので。母上がこうして止めにやってこられることも予想しておりました」
「そう、ですか。ついにこれを右門殿に渡さなければならぬ時が来てしまったのですね」
そう言うと、母は背後の侍女よりその手にあるものを受け取り俺に渡した。
「これは」
「この刀は私が一色家に、山城守様に輿入れした際に父様より託されたものです。いつか山城守様の跡を継ぐ子が大きくなったとき、この一振りを渡してやりなさいと。その刀こそが親類衆としての証明となり、父様が一色家に期待した証明にもなると。しかし初陣を飾るまでは無用の長物。ずっと大切に隠していたのですが…。ついに渡す日が来てしまうとは」
随分と豪華な袋を外し、鞘から抜き取ってみる。刀身はとても手入れが行き届いており、反射して俺の姿が映るくらいに研がれ、磨かれていた。見ただけでわかる、この刀は間違いなくよく切れると。だがそれよりも気になったことがある。一瞬目がおかしくなったのかと思ったのだが、わずかに刀身部分の光が紫に揺れているように見えたのだ。
角度を変えてみるとそのような色は見えなくなった。
実に不思議な現状だ。
「しかしお爺様が俺にこのようなものを遺してくださっていたとは」
母の父となると、それは先々代当主である今川氏親公のこと。この御方が当主であったころは、まだ一色家は斯波家の家臣であった。だが同時に当家の今川家臣従と本領安堵を認めてくださり、一色家を親類衆として迎え入れてくださった御方でもある。つまり今川家の当主として、かなり一色家と縁のある御方だということ。
そんな人物が俺に一振りの太刀を遺してくださった。感激以外の何者でもない。
「きっと父様が右門殿を守ってくださいます。それに新九郎や三郎、新左衛門も右門殿を守ってくれるはずです。ですから」
母は大きく深呼吸をされた。ついに母もまた覚悟を決められたということだ。
「励みなさい。一色家の当主として、今川家の親類衆として。皆、右門殿の活躍を見ていますよ」
「はいっ!」
最後の最後に気持ちを良く送り出していただけた。
俺は鎧を身に付け、受け取った刀を腰へと差す。まるで俺の体格を知っていたかのようにぴったりとはまる付け心地の良さに驚きを隠せずにいたのだが、爺に声をかけられてついに城門前へと歩みを進めた。
「待たせたであろうか」
「初陣でございますゆえ、気持ちの整理も必要でございます」
そう言って道房が馬を引いて俺の傍へと立つ。
「大方、御方様と話をしておられたのでございましょう?」
確信めいた口調で佐助が隣に立った。爺はずっと背後で俺達を見ている。
「さて、では大将として皆に言葉をかけてやってください。殿の言葉が皆の士気を引き上げますので」
「そ、そういうものなのか?」
「はい。そういうものでございます」
道房は満面の笑みで俺に言葉を発するように圧をかける。面白がっているのか、佐助もまた「ささっ」と急かしてきた。
改めて言われるとどこか気恥ずかしさもある。だがこんなところで足踏みしていては、この先になど決して立つことはできないと大げさに気分を震わせて、従軍する者たちへ向かって声を張り上げる。
「俺は此度の戦が初陣となる!分からぬことも多いだろう。皆に迷惑をかけるやもしれぬ!」
出だしから不穏な雰囲気が漂った。だが皆のテンションが上がる言葉を俺は知っている。一色家の人間だからこその言葉だ。
「だが!御屋形様に仇成す者を許しておけぬ気持ちは誰にも負けぬ!その気持ちがあれば一番手柄だって得られるだろう!相手が誰であろうと関係ない!皆、俺のためではなく今川家のために励むのだ!!」
あちこちより「おぉ!」と勇ましい声が上がる。目に見えるほどに士気が上がっている。そして俺の気分もまた同様に。
だがそんな俺の高ぶりを見抜いてなのであろうな。爺が傍へと近づき、そっと耳打ちした。
「殿、戦場で重要なことは大将が冷静であることでございます。どうかお忘れなきよう」
耳打ちにしたのは水を差さないためか。やはりさすがは幾度も戦場に出て手柄を挙げてきただけのことはある。
「わかった。そのためにも爺、此度は俺のために無理をしてくれ」
「ははっ、お任せくだされ」
「さて、では皆行くとしようか」
俺はこれより初陣を飾る。
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