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東海の覇者、桶狭間で没落なれど  作者: 楼那
遠州忩劇

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14/28

14話 火付け役

 駿河国安倍郡今川館 一色政孝


 永禄四年七月上旬



 飯尾連龍が氏真様より命じられた再三の登城命令を拒否し続けて約二カ月。新緑の季節を越え、梅雨の雨と湿度が鬱陶しくなる季節を越え、蒸し暑さによってだらけたくなる季節を迎え、ようやく登城に応じた。

 二か月前と言えば俺が松平から輿入れをするしないで混乱していた頃である。

 此度は俺も氏真様より登城命令があったゆえに、城のことは昌友に任せて駿河へとやってきたわけだ。ただ前回の謁見と違うのは、今回の俺は見守る側であるということ。前はたった一人で広間の中央に腰を下ろしていたが、今回は広間の正面を見て左側。親類衆の末席に座っていた。この列の先頭、つまり氏真様に最も近い場所に座るのは一門衆の筆頭である瀬名氏俊殿、続けて関口刑部大輔家の当主である氏経殿、その後も一門衆が並び、親類衆へと続いていく。その並びの一番後ろが俺だ。

 まぁ新参で、そのうえ当主としての歴も浅い。これについては特に不満も無い。当然のことであるゆえに。

 しかし此度はよくぞこれほど集まったものだ。いつもの登城命令は、今川が滅んだ理由がわかる気がすると感じるほどに人が少ないのだが…。


「豊前守殿、長らく御屋形様からの登城命令を無視しておられましたな。その理由をこの場で述べていただけますか」

「無視?無視とは御屋形様が申されたのであろうか、内匠頭殿」


 いきなりバチバチの二人である。

 連龍はこの登城命令の意味を理解しているであろうし、何を考えているのかわからない正俊も御屋形様のために働いている感を出すため、そして自身の力をここに集まっている重臣らに示すためにそれなりの態度をとって来るだろうとは思っていた。

 しかし言葉選びがあまりにもよろしくない。連龍の問いに対する答えを間違えれば、家中の分裂をただただ加速することに繋がるゆえだ。

 それに氏真様に限って『無視』などという言葉は使われぬだろう。どのような状況であろうとも、少なからずご自身に非があると責められるような性格であられるゆえに。


「そうは言うておらぬ。しかし事実として豊前守殿は再三の要請を受け入れず、兵を城に集め、自身も城から一歩も出ず、挙句使者を追い返しておられたな」

「ふむ。追い返すと、そのように報告を受けておられるか」


 とにかく俺が言えることは、本題に入るや否や最悪なほどに険悪な雰囲気であるということ。

 ただもしこの連龍の登城命令のもととなった一件が事実であるとするならば、そして史実通りに事が進もうとする力が働くのであれば、すでに連龍は元康に繋ぎをつけているはずだ。

 ならばどうしてこの地にまで足を運んだのかという話になるわけだが、おそらくこの男も分かっているのであろう。氏真様がどこまでも甘く、優しい御方であると。ゆえにここで死ぬことは無いと高を括ってやってきたと。どうせそんなところだ。


「おかしな話でございますな。儂は御屋形様からの登城命令に対し、明確に理由をお伝えしてお返ししたはずでございますが?三河における松平やそちらに与す国人衆の動きに関して表面上は何も無いものの、水面下では調略やら小競り合いやら、明らかに平穏とは程遠いと言わざるを得ない動きが報告されておりました。それゆえに三遠国境の防衛の要として曳馬城を預かる我らは、そう易々と城を空けることが出来ませぬ、と。もし仮に儂が城を留守にしている間に三遠国境を破られた場合、瞬く間に駿河にまで敵方が攻め込んでまいりましょう。儂が駿河に足を運ぶということは、こうして遠江の有力どころの方々も呼び集められるということでございますゆえ」


 そういって一門・親類衆、重臣らを一瞥した。明らかに数人が過剰な反応を見せておられるが、その一方で明らかに別の感情が込められた目で見られたのは俺であった。最初は勘違いかとも思ったが、しっかりと目があったときに無言なのだが何かを言われたような。そんな気にさせられたのだ。

 すぐに目をそらされてしまったゆえ、何と言っていたのかまでは読み取れなかったが。


「麻呂が登城命令を下したのはおおよそ二月ほど前。動きが出始めたここ最近はともかく、その頃はまだ三河の動きは比較的おとなしかったと思うておったが」

「そこにおられる方が三河を奪わんとしている男と会っておりましたからな」


 今度はしっかりと俺の方をわざわざにふり返ってまで見て、そう告げた。

 たしかに元康と会った後、しばらくの間三河は平穏を取り戻していた。単に俺に対する配慮だったのだと思うのだが、氏真様の申された通りその時期であれば登城命令に従うことも出来たであろう。

 ただ連龍からすれば都合が悪かったのだ。無視した、拒否したという言葉が本当であれば何かあったと疑うのが正解だと思われる。


「その間であれば登城命令に従うことも出来たのではないか」

「御屋形様、それは間違いでございます。敵方が落ち着いたゆえにこちらも警戒を解くのではございませぬ。少なくとも警戒すべき者が目の前にいる間は、どのような状況にあったとしても警戒を続けるのでございます。ゆえに儂は御屋形様からの登城命令に従うことが出来なかった。それだけのことでございます」

「いや、しかしっ」


 ちなみになぜ連龍がここまで責められているのか。俺はその辺りの事情についてはほとんど何も知らない。ただ軽く聞いた感じだと、連龍が鞍替えを画策しているなんて噂が出回ったらしいくらいのもの。

 それでもこれだけの一門・親類・重臣らを集めておられることを考えると、噂などではなくよほど確信めいた何かがあったのかもしれない。


「御屋形様。もし仮に最初の登城命令に従い、儂が三河に対する何の備えも無く登城したといたしましょう。儂が留守にしている間に敵方が攻め込んできて、堅城と名高い曳馬城をいともたやすく奪われたとすれば、御屋形様はそのことをどうお考えになられるのでございましょうか。曳馬城は対三河を想定した遠江西の防衛の要でございます。井伊谷の動きが不穏な今、儂はあの地を預かった者の責任としてあの地を簡単に離れるわけにはいかなかったのでございます。能天気にこの地に集まられた方々の領地を守るためにも」


 最後の言葉はあまりにも余計であった。特に遠江に領地を持っている方々が苛立ちを含む視線を連龍へ突き刺している。

 俺はさほど気にしていないゆえ、ただ事の成り行きを見届けるに徹した。


「豊前守!いい加減にせよ!御屋形様を愚弄するつもりか!」


 しかし俺とは正反対に、連龍の言い様に我慢が出来なかった一部の方々が声を上げた。その中でもっとも存在感を有していたのは元信殿だ。

 その場より立ち上がり、連龍に掴みかからんと足を踏み出された。両隣の方々が手や腰を拘束することで乱闘騒ぎはどうにか避けようと苦労しておられる。

 そもそも元信殿は体格もよく、力自慢だってできる人物だ。二人がかり程度ではどうにも収拾がつかない。そして連龍もまた受けて立たんと、片膝を立てて立ち上がろうとしていた。


「や、やめよ、二人とも」


 氏真様の声はあまりにか細く、二人には届かない。一方で進行を務めていた正俊も何も言わずにただ茫然とその様を見守るだけであった。

 この場の反応は止めに入ろうとする方々と、ただ呆れたような表情で傍観に徹しておられる方々、あたふたとするばかりの方々と大方その三様である。俺もまた傍観に徹していた一人であった。


「やめられよ!御屋形様の御前でございます」

「うっ」


 騒ぎは、その場から一歩も動いてはいない泰朝殿の一喝によって収められた。元信殿はどこかバツが悪そうに、連龍は横柄な態度を決して崩さない。


「豊前守殿、再三の登城要請があった理由を私から説明させていただきます。実はちょうど二月ほど前、掛川の城門前にこのようなものが置いてあったのでございます。この場では皆様方の目に入りませぬゆえ、読み上げさせていただきます。『曳馬城主、飯尾豊前守連龍は松平に内通している裏切り者である』と。真偽のほどが不明である点、誰が置いていったのかも分からぬ点により直接話がしたいと御屋形様は仰せでございました。ゆえに登城命令を下したのでございます」

「先んじて儂に確認すればよかったではないか。わざわざにこのような大事にしてまで。備中守殿の底意地の悪さが見え隠れしているな」

「私が先んじて確認をし、もし真実であった場合その場で見逃すという選択はございませぬゆえ。豊前守殿が申される様に、曳馬の地は遠江西の防衛の要でございます。私の独断と先行で要を空けさせるわけにはまいりませぬ」


 その言葉におそらく誰もが絶句した。泰朝殿は裏切り者だと分かっている人間を一時的にでも見逃すことは無いと申されているのである。

 もし氏真様への相談なく、先んじて連龍の真意を探り、もし黒であったならば氏真様の決断を待つ前に粛清しているだろうと言っているのだ。

 さすがにその言葉を聞いた重臣方は「早まりすぎだ」との声を挙げられたが、現状の今川においてこれだけの忠誠心を見せられる人物がどれほどいるのかという話でもある。それでもやりすぎだとは俺も思うが。


「さて、冗談はさておき」


 決して冗談ではない表情で泰朝殿は連龍へと目を向ける。


「真意のほど、この場で聞かせていただけますか。あるいは弁明とでも言い換えましょうか」


 正俊が口を閉ざしていたところで主導権を奪った泰朝殿。泰朝殿の有無を言わせぬ口調にさすがの連龍も一瞬のためらいを見せた。

 しかしすぐに口を開く。


「は、ははは。備中守よ、おぬしいつからそのように偉くなったのか」

「そのようなつもりは微塵もございませんが」

「そうは言うても態度がそう言っておるのだ。儂の陰に隠れ、三河からの脅威も理解できぬ愚か者でありながらな」


 一歩。


「儂は大木を失いし今川をどうにか守るため、ただその一心で曳馬城へ残っていた。しかし誰にも儂の忠誠心は届かず、むしろ裏切り者の汚名までかぶせられた。これ以上、儂は今川に仕えられぬ!儂の名誉を守るためにも!」


 また一歩。


「儂はこれより城に戻り、戦支度を進めさせていただきましょう!華々しき最後を飾るためにも!ここにおられる醜く生き残ろうと、人の陰に隠れている連中には決して出来ぬ最期を迎えてやりましょうぞ」


 裏切りの宣言だ。越えてはならぬ一線をついに超えた。

 そして敵地と変わるこの今川館で敢えて宣言した意味。間違いなく今川全土に広がるであろう飯尾連龍の離反の話。

 曳馬城という堅城と、その地を預かる飯尾連龍の離反がどのような影響を与えるのか。生きて帰ることが出来ると確信しているからこそ、自らが宣伝塔となったのだ。今川から離反するのは今であると。


「貴様!この場で捕らえ、首を刎ねてやる!」

「あぁ、やれるものならばやってみろ!この男の前でそのような真似ができるのであればな」


 今度こそ乱闘騒ぎになった。

 だが一歩も動かぬ方々もやはりおられる。どこまでも冷めた目で見ている者、呆れた表情の者、そもそも無関心な者。

 俺もさほど感情を出していたつもりは無い。しかし向かい側の列に座っておられる泰朝殿と目が合い、直後に氏真様とも目があった。

 泰朝殿は明らかに何かを言いたそうにしておられたが、口にせぬのは状況が状況であるゆえだろう。ならば仕方がない。


「おそれながら!」


 一門・親類衆の並びの末席より声を張り上げた。乱闘騒ぎになりつつあった広間の中、全員の耳に届くように腹に力を込めて。


「おそれながら一言申し上げてもよろしいでしょうか」

「か、構わぬぞ。右門、考えを述べよ」

「豊前守殿のことでございますが、城に戻して戦支度をさせればよろしいかと」


 その言葉に乱闘に参加しておられた方々は不平不満をこぼした。

 だがちゃんと理由がある。それを説明したうえでの批判ならば受け付けよう。


「ここで豊前守殿を捕えてその首を落としたとして、曳馬城はその後どうなりましょうか。ただ登城命令に従い駿河へと入った豊前守殿が首だけになったと報せを受けた時、彼らが大人しく城を明け渡すとはとても思えませぬ。またここまでの騒ぎとなり、さらに重要な地を預かる豊前守殿が首を刎ねられたという話は噂などではなく、真実として家中に広まること間違いなく、そうすると目に見えぬ火種が各地にばらまかれることになりかねませぬ。それは不信感という形でいずれは芽を出すのではございませぬか」


 呼び出されて、城にいったら殺された。今後呼び出しに応じぬ者たちも出てくるはずだ。

 そうしたものの積み重ねが大きな火種となり、いずれ崩壊へのきっかけとなる。


「ゆえに見逃すと申しておるのか。御屋形様を侮辱し、大恩ある今川家を裏切ると宣言した男を」

「いえ、ここは城へと戻し正々堂々城を落としましょう。こちら側にも被害は出ましょうが、これも家中をまとめ上げるための好機と捉え、同時に豊前守殿と同じ志を持つ者諸共攻め滅ぼしてしまえばよいのです。さすればそれ以上に今回の一件を原因とした不信感という火種は、事このことに関しては蒔かれませぬ」

「被害が出ることを承知であえて戦をすると?」

「豊前守殿もその覚悟あっての発言でございましょう。わざわざ此度この地に出向いたのも、同じ志を持つ者を募ることが目的であったのでは?」


 俺の言葉には意地でも返事をしないつもりのようだ。まぁ別に構わない。一人二人に無視されることなんざ今に始まったことではないからな。


「この場で豊前守殿を粛清することは簡単でございますが、敢えて戦をすることで後々の面倒事を纏めて片すことが出来る。御屋形様にとっても悪い話ではないかと」

「…豊前守よ、一つ聞かせて欲しい」

「…」

「もう微塵も今川家に仕え続けようという気持ちは残っていないのであろうか」

「御免」


 答えは口にせず。しかし態度が明確に語っていた。

 出て行く連龍の後姿を見送っていた我らであったが、少し離れた場所よりこのような言葉が聞こえてきた。


「鵜殿家のことを思えば、早めに離縁を申し入れた方が良いやもしれませぬな。藤太郎殿もその方が安心されましょうぞ」


 話しかけられている男は鵜殿藤助長忠殿。親類衆に属する鵜殿家の名代として此度登城した男だ。

 この長忠殿や、鵜殿家当主である長照殿の妹が連龍に嫁いでいるのだ。ゆえの心配なのであろう。未だ幼い姫であるゆえ、飯尾家の暴挙に巻き込まれては可哀想だと言っているわけだな。たしか齢も十を少し越える程度だったはず。幼妻も幼妻である。



 そしてその数日後、飯尾連龍は松平への鞍替えを宣言して兵を集めて城に籠った。同時期、これに触発された遠江の諸領主らが一斉に蜂起。そのほとんどが松平とやり取りをしていた者たちだ。

 この一連の出来事は後に『遠州忩劇』と語られ、温厚な今川氏真が生涯にたった一度だけ行った今川家史上最大の粛清と語られることになることを、この時は誰も予感していなかった。

今投稿も最後までお付き合いしていただきありがとうございます。

次回投稿は明日の予定ですので、更新をお待ちくださいm(_ _"m)

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