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東海の覇者、桶狭間で没落なれど  作者: 楼那
一色政孝という男

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11話 井伊谷会談~二~

「まどろっこしいことは抜きにして率直に聞く。どうして先代の頃に結ばれた古い話を持ちだしてまで、俺のもとに久殿を送り込もうとしている」

「そのことについて、すでに右門殿の中で答えは出ているのではございませんか」

「ある程度の答えは纏まっている。だが真実は蔵人佐にしか分からぬものだ」

「たしかに。ですが今さら真実など明かす必要がありましょうか。すでに上総介様からも承認を得られた話でございます」


 本題の内の一つ。婚姻話を持ち掛けてきたその真相について、元康はあまり自らの口で話したくない様子であった。

 少しばかり抵抗してみるものの、明らかに核心部分については口を閉ざそうという頑なな感情が読み取れる。それに氏真様の承認は事実上輿入れのゴーサインであるゆえに、真実がどうであるのかは確かにわざわざ明かす必要のないもの。まぁ松平が俺に害を与えようとしているなんて思惑が無いことを前提にした話ではあるが。


「松平の血を遺すことが目的ならば、良好な関係を築いている織田にでも送り込めばよかった話であろう。多少両家の関係に影響を及ぼすであろうが、味方となるであろう御家に輿入れさせた方が蔵人佐も安心できたはずだ」

「…」


 何かを呟いたように見えた。というよりも口は確かに動いていた。

 だがこれまでのボリュームとは明らかに異なるほどに小さな声であったこと。おそらく俺に聞かせるつもりが無い言葉だったのだろう。

 そのせいでほとんど何と言ったのか聞き取ることは出来なかった。


「なんといった」

「いえ。ですが織田家との関係構築に関してはすでに話が進んでおります。外部の存在である右門殿にはお話しできることではございませんが」

「それについては深堀するつもりもない。それになんとなく察すことはできるからな」

「ならば良いのです。しかし我が姉の輿入れ、右門殿は不満に思われますか?私も先日聞かされたのでございますが、姉上もまた人質時代に崇孚様に色々と学んでいたようでございます。死の間際、宗孚様よりこのような文を頂いたと私に見せてくださいました」


 そう言って元康は一枚の紙を取りだした。

 中身を確認すると、たしかに嫌というほどに見た宗孚様の文字である。


「蔵人佐、あの御方は俺たちにこのような文を遺しておられたか?」

「いえ。ゆえに偽物を疑ったのでございますが、この字は間違いなく宗孚様のものと一致しておりますので」

「やはりそうだったよな。しかしそうか、俺達よりも久殿を可愛がっておられたのか、あのお師匠様は」

「そのようで。姉上に関して、宗孚様はその聡明さを松平のために活かすよう書き残しておられます。また我が父も姉上のことを高く評価しておりました。男の子として生まれていれば、と悔やむほどに」


 その後に元康の言葉は続かなかった。どこか遠いところを眺めているような。


「蔵人佐、おぬしもしや…。あぁいや、聞いても仕方なきことか。久殿のことは安心せよ。今後互いにどうなっていくのか分からぬ時世ではあるが、久殿には何があっても俺の傍にいてもらうゆえに」

「そう言っていただけて。姉上もそのような言葉をかけていただいたと知れば安心なされましょう」


 色々考えたが、そのうちの一つが的中してしまったな。幼い頃より知る間柄であるゆえ、あまり的中して欲しくなかった輿入れの理由であったが。

 だったらなおのこと、俺が久殿を大切にせねばなるまい。居場所を追われる、失うことほど悲しいことは無いゆえに。


「ところで話は変わるのだが、瀬名様はお元気であられるか。いや、あの関口の始末に関しては耳にしておられようから元気も何も無いとは思うが」

「随分と負担になっているようでございます。あの日、瀬名や子らとともに今川館を抜け出した家臣ら曰く、関口家の方々が随分と根回しをしてくださっていたようで。自分たちが逃げ出したせいで、とはやはり思うておるようで」

「母上が瀬名様の身を案じておられるのだ。実家はお取り潰しとなり、実父や縁者はその多くが腹を召された。女子どもも誰一人として許さず出家と称して山へ押し込まれた形だ。もう二度と山を下りることすら許されず、血を遺すことも認められぬ。全員首を刎ねなかったのは、おそらく御屋形様の温情も多少は含まれていたのであろうが、結果として大層惨い始末となってしまったからな」


 一族郎党皆殺しの方が幸せだったのか。そんな幸せがあってたまるかと思う一方で、人生の大部分を山中で暮らす。様々な欲を満たすことすら認められず。惨すぎると思うのは果たして俺だけなのだろうかな。


「俺は蔵人佐に何も聞かぬ。久殿のことについても同様だ。だがそれゆえというわけではないがこれだけは約束して欲しい」

「…」

「瀬名様と、そしてその御子らの命だけはどうか守ってやってくれ。何があろうともだ」

「そのつもりは。覚悟はすでに出来ております」

「本当に頼むぞ。それこそ織田と盟を結ぶうえで邪魔だと申されても、だ」


 元康は一瞬だけ黙った。明らかにこれまでの会話のペースには無かった間を生んだ。

 その可能性を考えていなかったのか、あるいは考えていたことを俺に指摘されたゆえの動揺か。いずれにしても俺は釘を刺した。

 松平家中のことには久殿を介しても口出ししないと先に宣言したうえで、瀬名様の御身を守るよう求めたのだ。元康としても松平家中に俺の手が入り込むことは嫌がるはず。それが家を割ることに繋がりかねないのだからな。いや、介入が嫌がられるのは俺だけではないのか。

 ゆえに元康は俺の頼みを聞くほかない。松平の大名としての地位を三河に残し続けるつもりでいるのであれば。


「ところで蔵人佐、俺に何か言いたいことなどは無いのか。会談を始めてしばらく経ったが、俺ばかりではないか」

「そうでございますね、私は特に何も考えてはおりませんでしたが…」


 言われっぱなしになることを最初から覚悟していたということか。

 あるいは元々あった関係をそのままにと考えているのか。


「では敢えて右門殿にお尋ねいたします」

「なんでも聞いてくれ」

「松平家の、そして三河の情勢は右門殿もよくご存じであると理解しております」

「まぁ蔵人佐ほどでは無いにしろ、現状において最も注視している地ではあるな。それが?」


 一呼吸空いた。

 そしてジッと俺の目を見て、ゆっくりと口を開く。


「私はこれからどうしていくのが正しいのでございましょうか。三河の統一は未だならず、むしろ内側をまとめ上げることに苦労している有様で」

「そのようだな」

「特に奥三河の国人衆らは私の目が届きにくいことを良いことに、松平の意向に沿わぬ動きを好き勝手やっております」


 そんなこと、俺に聞かせてしまっても良いのだろうか。

 それともこの話が俺から漏れぬと信じているのか。もしくは…。


「井伊谷での会談を受けてくださった段階で、すでに三河の情勢についてはある程度の把握が済んでいるものと考えております。当然奥三河衆の動きについても」


 思わず俺は笑いをこぼしてしまった。互いの行動は互いに理解していると。

 やはりさすがは元康だ。そして俺もよく元康を理解していたのだと改めて思った。


「私はこれからどうしていくべきでございましょうか」


 改めて問われた。

 さすがに軍事方面での助言はしてやれぬ。今川も三河に留まっている今川方の者たちの救援を行うために準備を進めているゆえに。

 しかしかろうじて口出しできるところがあるとすれば、それは一つしかない。


「これは俺も領内で気にしていることではあるのだがな」

「はい」

「本願寺には…。いや、正しくは一向宗には十分気を配っておけ」

「一向宗でございますか?それはいったいどういう意味で」

「そのままの意味だ。かつて守護の働きに不満を爆発させて、国一つを奪った加賀の前例もある。三河は今非常に混乱した情勢下にあり、民の負担がかつての比ではないほどに重くのしかかっている。そういった時、民が何に縋るのかと言えば宗教だ。三河は近くに長島があるゆえ、これを隙と入り込まれる恐れもある」

「一揆が起こる可能性を右門殿は考えておられるのでございますか」


 可能性というか、史実である。ただ史実の場合は三河の不安定化というよりは、元々三河三ヶ寺が与えられていた特権を松平方に侵害されたと訴えて一揆が発生したと言われている。とはいえ諸説ある話で、松平方の人間が寺から兵糧を奪ったなんて説もある。

 いずれにしても歴史が史実通りに流れている以上、きっかけは何なのかは現段階で不明なものの一揆が起こる可能性は十分にあるわけで。そして三河で発生した一揆は松平家中を見事なまでに割る一大事へと発展する。たとえば後に帰参することにはなるものの、非常に優秀な人材である本多兄弟が一揆に加担した挙句に出奔。またこれも後に許されてはいるものの松平の中心的役割を担っていくことになる家臣らが大勢一揆に加担した。さらには松平の分家まで加担し、最も大物で言えば将軍家の御一家の筆頭である吉良家当主、吉良義昭なんかも便乗したりする。

 とにかく経緯はどうであれば、元康にとって直近で最大の危機がこれだと断言できる。今できることは家中を纏めることと、領民の不満を上手く解消することだけだ。あとは宗教分離などが出来れば良いが、まぁ元康にそれは出来ぬだろう。それこそ織田信長の後半生くらいトチ狂ってなければな。


「気を配っておく方が良いという話だ。奴らが厄介な存在であることは、おそらく織田もそう認識しているであろうからな」

「…頂いた助言、大切に持ち帰らせていただきます」

「あぁ、それがよかろう」


 その後も少し話した後、会談は終わりを迎えた。また久殿を迎え入れるのは今川家中のゴタゴタが片付いてからという話でも決着している。つまり今すぐには無理だということ。

 その間に久殿が心変わりされていなければ良いが。

今投稿も最後までお付き合いしていただきありがとうございます。

次回投稿は明日の予定ですので、更新をお待ちくださいm(_ _"m)

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