10話 井伊谷会談~一~
遠江国引佐郡井伊谷城 一色政孝
永禄四年五月上旬
「信濃守殿、此度は場を設けてくださりまことに感謝いたします」
「何を申されるか、右門殿。むしろ敵同士となりながらも、かつての縁によって婚姻を成す。そのような会談の場に選んでもらえたことが光栄でございますぞ。それに一色家は我が命を救ってくださった山城守殿の御家。あの時、山城守殿がおられなければ我が命も…。あぁ、しかし義元公をお守りすること出来なかったことは悔やんでも悔やんでも、一生悔やみ続けることになるもので」
井伊信濃守直盛。史実ではすでに死んでいるはずの男であるが、先ほど自身で申したように俺の父によって命を救われた。そのうえで義元公を見捨てて、命からがら逃げかえって来た男だ。
また何度も言っているように、すでに今川家から離れるようなそぶりを見せ続けており、証拠が無いから生かされているだけの存在でもある。
そんな腹立たしい相手ではあるが、俺は一切その辺りには言及せずにニコニコと礼の言葉のみを伝えた。
ちなみに史実で徳川四天王の一角となった井伊直政はこの男から見て従甥にあたる。さらにちなむと、その直政の父親である井伊肥後守直親殿は現在この男の養子となっているゆえに家系図的にみると祖父・孫の関係にもなるわけだ。
まぁだからといって裏切りを容認するわけも無いのだがな。
「養父上、蔵人佐殿が参りました」
「おう、わかった。右門殿、こちら我が倅、とはいっても従兄弟でございますが肥後守直親にございます。以後お見知りおきいただければ」
噂をすれば直親殿である。
なかなかの好青年という感じだが、史実だと近く死ぬことになる。井伊家家老の一族である小野某による讒言により、今川の手によって殺害されたのだ。実行したのは泰朝殿だとも言われている。
だが結局無実だったようで、後の徳川の統治下で獄門にされたと記録されているようだ。
俺も前世で某放送局のドラマにハマらなければ知らなかった事実である。
「肥後守殿、どうぞよしなに」
「これはご丁寧に。しかし戻っておられたのでございますね」
実は直親殿、実父もまた小野家の人間の讒言で弟諸共殺害されている。もう本当に何でもありの一族が小野家だと俺は思うのだが、それでもなお井伊家の家老としてあり続けられるのはやはり今川家の後ろ盾が大きいからなのだろうか。
この世界線ではまだ起きていないことではあるが、直親殿の罪をでっちあげる小野但馬守政次という男もまた家老として井伊谷に滞在中である。つまり何かよからぬことが起きれば、すぐにでもこの男から氏真様の耳に届くということ。まぁそのような隙を晒すような下手な真似をするつもりもないが。
「ほぉ、そのようなことまでご存じでございましたか」
「当家の領内は人の出入りが多いもので。聞くつもりは無くとも、東海各地の情報が耳に入って来るのでございます。しかし養子に従兄弟でございますか。まだ子が出来ぬ御年でも無いと思うておりましたが」
「色々とわけがあるのでございますよ、右門殿。それよりも蔵人佐殿を待たせるのは些か」
「たしかに。あちらも姿を見せぬ私に気を揉んでいるでしょうし、早速顔を合わせに向かいましょうか」
「あ、いや我々はこちらで待機しております。今回の会談は一色家と松平家両家のために行われるもので、当家はあくまで場所を貸し出したにすぎませぬ。見届けすらも我らが行うべきではないかと」
「さようでございますか?そのような配慮は不要であると思うのですが」
しかし直盛は折れなかった。
元康と同席して、何かしらのぼろが出ることを恐れたのやもしれんな。まぁあまり強引に誘おうとすれば、こちらが内通を察していると明かすようなものであるゆえな。
ここは直盛の言うように一人で会うことにしようか。
「ではまた後程にでも」
「えぇ、有意義な会談になることを願っておりますゆえ」
「部屋までは私がご案内いたします。ささっ、右門様こちらでございます」
「かたじけのうございます、肥後守殿」
案内されるまま廊下に出て、俺は直親殿のすぐ後ろを歩く。
すでに武具の類は取り上げられており、完全なる丸腰。この地にまで同行した家臣や護衛の兵らも別室待機である。
これより先は本当に何も持たずに元康と会うことになる。仮に二人が共謀して俺を殺そうとしているのであれば、部屋に入った途端に切りかかられて終わり。
用心したところで身を守る術が無いのだから、大人しく切られるしかなくなる。一か八か、果たして元康はどう出るのか。
「蔵人佐殿はこちらのお部屋に」
「肥後守殿」
「なんでございましょうか。何か必要なものでも」
「いえ。ただ身の回りには十分用心なされよ」
それだけ伝えて俺は部屋へと入る。
呆気にとられた様子の直親殿をその場に残して。
「久しいな、蔵人佐」
「右門殿もあれからお変わりないようで」
「そうか?家中では少しばかりやつれたと皆が申しておった。当主の座についてようやく苦労を知ったのではないかと陰口まで叩かれる始末よ」
「それは…。いったい誰がそのようなことを口にされるのでございますか」
「主水に決まっているだろう」
「あぁ…」
元康も昌友のことは知っている。
そして外面はよく、身内にのみ見せる鬼畜な裏の顔も。ゆえの「あぁ…」である。
「まぁ世間話など必要も無いか。蔵人佐、今川を離れてそろそろ一年が経つ頃だろう。三河の方はどうだ」
「ご存じでございましょう。当時、今川家の支配を脱するために多くの者たちが私の行動に賛同し、騒ぎに便乗することで独立を果たそうといたしました。ですが今もなお両国間での戦は続き、三河の民は疲弊し続けております。しかしいっこうに戦が終わる気配を見せず、家中・領民共に不満は溜まる一方で」
「なんだ、泣き言を漏らすために俺と会いたがっていたのか?」
俺の言葉を聞いた元康は、あまり強い反論を行ってはこなかった。まぁ肯定もさすがにしなかったが。
「今からでも今川に戻っては来ないか。新参とはいえ一門衆に連なる俺が口添えすれば、待遇はかつてより悪くなろうとも戻ることは許されるやもしれん」
「養父様の最期は随分と悲惨なものであったと聞き及んでおります。一門衆筆頭格ですらその扱いなのです。準一門に位置する私などが許されるはずもございません。それに右門殿のお立場も悪くなりましょう。そうなると我が姉の立場も危ういものに」
やけに饒舌な元康である。幼少期はそのような性格では無かった。もっと大人しく、周りの様子を見ることばかりに熱心な男だった。
だから氏真様も気にかけておられたのであろうが。俺も一応気にかけていた方である。当初はこの頃に今川家を裏切るつもり満々だったからな。約束された天下人である元康に媚びを売っておいて損はないと思い込んでいた。
まぁあの事件をきっかけに、俺の人生は百八十度変わったわけだが。
「俺たちは幼い頃よりともに育ってきた間柄である。周囲が許さずとも、御屋形様だけでも頷かれればそれで十分ではないか。蔵人佐は三河の人間であるゆえに、反対する連中と接する機会も早々無い。嫌がらせはすべて俺が盾になって」
「右門殿、私の答えはもはや変わりませぬ」
「そう、か。まぁ蔵人佐であればそう言ってくれると信じていたが」
正直気持ちは半々だった。
ただ今の俺からすれば氏真様のために死ぬのであればともかく、元康のためには死ねないし御家の待遇についても犠牲には出来ない。
元康であればそう言ってくれると信じて、俺は一芝居打ったのだ。この男がどれだけ本気で今川を離れようとしているのかを。
そして当然、俺も覚悟も伝えておく必要がある。
「俺もな。たとえ何があったとしても今川を裏切れはせぬ。御屋形様を一人にするわけにはいかぬからな」
「…やはり蔵人佐殿はあの頃より何も変わっておられませんね」
ようやく表情を崩した元康。どこか懐かしさを蘇らせつつ俺たちは本題へと切り込んだ。
そう、両者の婚姻について。そして母がずっと気にしておられた瀬名様の今後について。
今投稿も最後までお付き合いしていただきありがとうございます。
次回投稿は未定です。更新をお待ちくださいm(_ _"m)




