第3話:婚約回避の塩対応、なぜか王太子の性癖にクリーンヒットする
義弟ルカが重度のシスコン&最強の戦士(見習い)として覚醒するという想定外の事故から数週間。
私の胃痛もようやく治まり、再び平穏なニート生活を満喫し始めた矢先のことだった。
ローゼンバーグ公爵邸の私の自室に、父であるゲオルグ・フォン・ローゼンバーグ公爵が満面の笑みで乗り込んできた。
「エルナ! 素晴らしい知らせだ! 来週、王宮で開かれる『王太子殿下の婚約者選定の茶会』に、お前も招待されたぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、私が優雅に飲んでいた紅茶は、見事な放物線を描いて空中に吹き飛んだ。
「ぶふっ!? げっほ、ごほっ! お、王太子殿下の、婚約者選定ですって……!?」
「いかにも! 我がローゼンバーグ公爵家の威信にかけて、ぜひともお前には殿下の婚約者の座を勝ち取ってもらいたい。お前のその美貌と教養があれば、必ずや殿下のお目に留まるはずだ!」
「…………」
上機嫌で部屋を出ていく父の背中を見送りながら、私は絶望のどん底に叩き落とされていた。
王太子、アルベルト・フォン・ルミナス。
乙女ゲーム『ルミナス・ハーツ』におけるメインヒーローであり、この国の次期国王。金髪碧眼のいかにもな王子様で、本来のゲームのシナリオであれば、この茶会でエルナと出会い、その公爵家という後ろ盾と美貌を評価して婚約を結ぶことになる。
しかし、それがすべての地獄の始まりなのだ。
アルベルトの婚約者になるということは、将来学園に入学してくるヒロイン(マリア)と真っ向から対立する『正妻(予定)ポジション』に座るということ。
ゲーム中盤以降、アルベルトは天真爛漫なヒロインに惹かれていき、嫉妬に狂ったエルナが嫌がらせを繰り返し、最終的には王都の広場で「お前のような毒婦は次期王妃にふさわしくない! 婚約破棄だ!」と宣言され、国家反逆罪まででっち上げられてギロチンへ直行する。
「絶対に嫌! 首と胴体がサヨナラする未来なんて絶対にお断りよ!」
私はベッドの上をゴロゴロと転げ回りながら、必死に回避策を練った。
ルカの件で学んだ。下手に策を弄したり、ゲームの知識を使って立ち回ったりすると、変なフラグが立つ危険性がある。
今回は、とにかく『好かれない』ことに全力を注がなければならない。
「アルベルトは、王族としてのプライドが高くて、華やかで、自分を立ててくれる女性を好むのよね。ゲームのヒロインも、明るくて前向きで、いつも彼の隣でニコニコしているタイプだったし」
ならば、答えは簡単だ。
その正反対を行けばいい。
地味で、愛想が悪く、無礼で、全く可愛気のない女。そんな令嬢を、プライドの高い王太子が選ぶはずがない。
「よし、作戦名『絶対に好かれない塩対応でモブに成り下がる大作戦』よ! 完璧な不合格をもらって、さっさと帰って寝るわ!」
◆ ◆ ◆
そして迎えた、王宮での茶会当日。
私は自室の鏡の前で、自分の姿に満足げに頷いていた。
「うん、完璧なまでの地味さね」
私が選んだドレスは、およそ8歳の公爵令嬢が晴れの舞台で着るようなものではなかった。
流行から3年は遅れているであろう、くすんだ茶色の地味なドレス。装飾のフリルもリボンも極限まで減らし、まるで修道女か、どこかの村の村娘の休日着のような質素さだ。
髪も華やかに結い上げることはせず、ただ後ろで一つにまとめただけ。化粧など当然していない。
これを見たメイドのアンナは最初、血相を変えて止めてきた。
「お、お嬢様! 王宮にそのようなみすぼらしいお姿で向かうなど、公爵家の名折れにございます! こちらの最新流行の真紅のドレスを!」
「嫌よ。私はこれを着ていくの。……いいこと、アンナ。王族の御前で、己を着飾ることに何の意味があるの? 過剰な装飾は、かえって王家の威光を曇らせるだけ。私はただ、ありのままの自分で赴くだけよ」
面倒くさいから適当にそれっぽい言い訳を並べただけなのだが、アンナはまたしても雷に打たれたような顔になり、ボロボロと涙を流し始めた。
「おおお……! なんという謙虚さ、なんという王家への忠誠心! 自らを極限まで律し、あえて華美を捨てることで、真の気高さを示そうというのですね! このアンナ、お嬢様の深遠なるお考えにまたしても気づけず、己の浅はかさを恥じるばかりです!」
「え、あ、うん。まあ、そんな感じだから、馬車の用意をしてちょうだい」
なぜ私の周囲の人間は、こうも私の怠惰をポジティブに変換してしまうのだろうか。一抹の不安を覚えつつも、私は王宮へと向かう馬車に乗り込んだ。
王宮の絢爛豪華な大広間には、すでに国中から集められた高位貴族の令嬢たちが勢揃いしていた。
誰もがアルベルトの目に留まろうと、これでもかと宝石をちりばめた色とりどりのドレスを身に纏い、濃厚な香水の匂いを漂わせている。
まるで、極彩色の毒鳥の群れだ。
その中で、くすんだ茶色のドレスを着たノーメイクの私は、完全に浮いていた。いや、浮いているというより、背景の壁と同化していた。
(よしよし、いい感じよ。誰も私に見向きもしない。このまま壁の花として2時間やり過ごせば、私のミッションは完了ね)
私は広間の最も端っこにある、観葉植物の陰に陣取った。
壁に寄りかかり、半目を開けたまま、脳内で「将来の逃亡資金をどうやって貯めるか」というシミュレーションを始める。
公爵家の金庫から少しずつバレないように横領するか、それとも冒険者ギルドの裏株でも買うか。
そんなことを考えているうちに、会場がにわかにざわめき始めた。
「アルベルト殿下のお成りです!」
従者の声と共に、大広間の奥の扉が開き、黄金の髪を揺らした少年が現れた。
アルベルト・フォン・ルミナス。まだ幼いながらも、すでに完成された王者の風格と、圧倒的な美貌を誇る王太子。
令嬢たちは一斉に歓声を上げ、扇子で口元を隠しながらも、虎視眈々と彼へのアピール合戦を開始した。
「殿下、本日はお招きいただき光栄の極みに存じますわ!」
「わたくしのこのドレス、殿下の御瞳の色に合わせて誂えましたの!」
「殿下、わたくしとぜひお話を……!」
押し寄せる令嬢の波に対し、アルベルトは完璧な、しかしどこか作り物めいた笑みを浮かべて応対している。
(うわぁ、大変そう。まあ、私には関係ないけど。早く終わらないかな。足が痛くなってきたし、帰ってベッドで寝たいわ)
私は観葉植物の陰からその様子をぼんやりと眺めつつ、完全に意識を明日の朝食のメニュー(フレンチトーストがいいな)へと飛ばしていた。
そのため、私は気づかなかったのだ。
群がる令嬢たちの向こう側から、アルベルトの鋭い碧眼が、部屋の隅で一切自分に関心を示さない『異質な存在』――私を、真っ直ぐに捉えていたことに。
◆ ◆ ◆
【アルベルト・フォン・ルミナスの視点】
うんざりだ。
目の前に群がる、けばけばしいドレスを着た女たちを見るたびに、僕は吐き気を催しそうになるのを必死に堪えていた。
王太子としての仮面を被り、完璧な笑みを浮かべてはいるが、内心は冷え切っている。
誰も彼もが、僕自身を見ていない。
彼女たちの目の中にあるのは、「王太子」という権力への欲望と、「未来の王妃」という座への執着だけだ。僕に掛けられる甘い言葉も、着飾った姿も、すべては己の虚栄心を満たすための道具にすぎない。
どいつもこいつも、権力に媚びへつらうだけの浅ましい人形だ。
(この中から、僕の伴侶を選ばなければならないのか……?)
絶望的な気分になりながら、適当に相槌を打っていた時だった。
ふと、視界の隅に、信じられない光景が飛び込んできた。
極彩色のドレスがひしめく大広間の、最も目立たない端の暗がり。そこに、一人だけ、全く周囲の熱狂から切り離された少女が立っていた。
身に纏っているのは、他の令嬢たちが絶対に着ないような、質素で地味な茶色のドレス。化粧の一つもしておらず、髪も無造作に束ねただけ。
そして何より僕を驚かせたのは、彼女の『瞳』だった。
(僕を見ていない……?)
国中の女性が僕の気を引こうと躍起になっているこの場で、彼女だけは、ただの一度も僕の方を見ようとしない。
いや、それどころか、その瞳はどこか遠く……遥か彼方の、何か崇高なものをじっと見つめているかのように、静かに澄み切っていた。
壁に寄りかかり、微動だにせず、ただ静寂を保っている。
その姿は、虚飾に塗れたこの広間の中で、一輪だけ咲いた『気高き野花』のように、僕の目に強烈に焼き付いた。
(彼女は……ローゼンバーグ公爵家の、エルナ嬢か)
噂には聞いていた。公爵家の令嬢でありながら、決して驕ることなく、深く物事を考える聡明な少女だと。
なるほど、この姿を見れば納得がいく。
彼女は、あえてこの質素なドレスを着てきたのだ。
『権力や財力で着飾ることに、何の意味があるのか』と、この腐敗した貴族社会の虚栄心に対する、彼女なりの痛烈な『抗議』なのだろう。
なんと気高い魂か。
王太子である僕にすら媚びることなく、自らの信念を貫き通す強さ。他の女たちが権力に群がる蠅だとするなら、彼女は孤高の白鳥だ。
僕は気がつけば、取り巻きの令嬢たちをかき分け、彼女の元へと歩みを進めていた。
周囲の空気がざわめくのを感じるが、そんなことはどうでもよかった。
僕が彼女の目の前に立っても、彼女はまだ、ぼんやりと空を見つめたままだ。僕という権力の象徴が目の前にいるのに、媚びるどころか、驚きすら見せない。
本物だ。彼女は、僕の地位など全く気にしていないのだ。
「……そこの君。ローゼンバーグ公爵家の、エルナ嬢だね」
僕が声をかけると、彼女はようやく視線を僕に向けた。
そして、本当に面倒くさそうな、一切の感情を排したような平坦な声で答えた。
「……はい。エルナ・フォン・ローゼンバーグにございます。殿下」
笑み一つ浮かべない。完璧なまでの『塩対応』。
その態度に、僕の胸は大きく高鳴った。
「君は、僕と話したくないのかい? 他の令嬢たちは、皆あのように僕の周りに集まっているというのに」
試すような質問。これに対する彼女の答えが、彼女の真価を決める。
エルナ嬢は、ふっと短く息を吐き(ため息をついたように見えた)、冷ややかな目で僕を見据えた。
「私のような者が、殿下の貴重なお時間を奪うわけにはまいりませんから。それに……私は、あのような輪の中で自分を取り繕うような真似は、性分に合いませんので」
「っ……!!」
僕は雷に打たれたような衝撃を受けた。
『自分を取り繕う真似は性分に合わない』。つまり、僕に対して嘘偽りのない、ありのままの自分を見せているという宣言!
彼女は僕を『王太子』としてではなく、一人の人間として対等に扱ってくれているのだ。
こんな女性は、今まで一人もいなかった。
権力に阿らず、虚栄を憎み、真実だけを見つめる気高い花。
「……ははっ、あはははははっ!」
僕は堪えきれず、大声で笑い出してしまった。
周囲の令嬢たちや、大人たちがギョッとして僕を見ている。エルナ嬢も、少しだけ目を見開いて「何この人、急に笑い出して怖いんだけど」というような、戸惑いの表情を浮かべている。
そんな素の表情すら、たまらなく愛おしく感じられた。
「素晴らしい。君は本当に面白い女性だ、エルナ嬢」
僕は彼女の手を取り、その場に片膝をついた。
会場全体が、水を打ったように静まり返る。
「僕は決めたよ。僕の婚約者は、君以外には考えられない。エルナ・フォン・ローゼンバーグ嬢、僕と共に、この国を導いてくれないか」
◆ ◆ ◆
【エルナ・フォン・ローゼンバーグの視点】
「…………は?」
私の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
目の前で、金髪の王太子が片膝をつき、私の手を握ってキラキラとした笑顔を向けている。
会場は静寂に包まれ、やがて、父ゲオルグを筆頭に「おおおおっ!」という割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
「素晴らしい! 殿下が我が娘をお選びになるとは!」
「なんという名誉! あの質素なドレスは、殿下の御心を試すためのものだったのか!」
「ええ、権力に阿らない気高さ……まさに未来の王妃にふさわしいわ!」
周囲の貴族たちが、勝手な解釈で私を絶賛し始めている。
ちょっと待って。
どうしてこうなった。
私は、一番地味な服を着て、一番愛想悪く振る舞って、一番隅っこで明日の朝ごはん(フレンチトースト)のことを考えていただけなのに。
「どうしたんだい、エルナ。驚いて声も出ないかい? 無理もない。だが、僕は君のその飾らない心に惹かれたんだ。これから末長くよろしく頼むよ」
アルベルトは、私を見つめながら、まるで聖女でも見るかのような熱を帯びた瞳で微笑んでいる。
私は完全に理解した。
この男、媚びへつらわれることに慣れすぎていて、逆に冷たくされると「私を王族扱いしないなんて新鮮!」と喜んでしまう、とんでもない拗らせ性癖の持ち主だったのだ。
(終わった……。私の平穏な隠居生活が、婚約回避計画が、王太子の変態性癖の前に木端微塵に粉砕されたわ……!)
「エルナ嬢? 顔色が悪いが、どうしたんだい?」
「……い、いえ……ただの、胃痛、です……」
私は引きつった笑顔を浮かべることしかできなかった。
お腹の奥底から込み上げてくる強烈な胃の痛みに耐えながら、私は心の中で、自分の前世の記憶に向かって絶叫していた。
(ゲームの運営陣!! メインヒーローの隠し好感度パラメーターの設定、絶対におかしいでしょおおおおおっ!?)
こうして、私の「絶対にフラグを折る」という決意とは裏腹に、最強の破滅フラグである王太子との婚約は、最悪の形で、そして最高に強固な形で確定してしまったのである。
私の平穏への道は、まだまだ遠く険しい。




