第4話:深夜の裏山探索と絶対防御の指輪、そして親バカの極み
王宮から帰還した私は、自室のベッドにダイブするなり、フカフカの枕に顔を押し付けて声にならない絶叫を上げた。
「んんんんんんんんっ! あーっ、もうっ!! 最悪! 最悪よ!!」
ジタバタと両足をバタつかせ、シーツを滅茶苦茶に蹴り飛ばす。
王太子アルベルト・フォン・ルミナスとの婚約。
それは、悪役令嬢エルナにとって『死の確定ルート(ギロチン行き)』への入場パスポートを手に入れたに等しい。
絶対に好かれないように、誰よりも地味なドレスを着て、最悪の無愛想を貫いたというのに。
『自分を取り繕う真似は性分に合わない? 素晴らしい! 君こそ未来の王妃だ!』
アルベルトのあの熱に浮かされたようなキラキラした笑顔を思い出すだけで、胃酸が逆流してきそうだった。
「なんでよ……なんであの男、あんな面倒くさい拗らせ方してるのよ! 普通、あんな塩対応されたら『無礼者!』って怒るのが王族ってもんでしょ! Mなの!? ドMなの!?」
私はベッドの上に胡座をかき、頭を抱えた。
ルカのシスコン覚醒といい、アルベルトの変態性癖といい、私の周りのメインキャラたちはどいつもこいつも仕様がおかしい。
このままでは、10年後の断罪イベントを待たずして、政争のドロドロに巻き込まれて暗殺される可能性すら出てきた。
王太子の婚約者という立場は、それだけで他国や対立派閥からのヘイトを一身に集める最強のデコイ(囮)なのだ。
「こうなったら……物理的な自衛手段に出るしかないわね」
私はベッドから這い出し、グッと拳を握りしめた。
ゲームの知識、それも『序盤の裏技』を活用する時が来たのだ。
乙女ゲーム『ルミナス・ハーツ』には、アクション要素のあるミニゲームや戦闘イベントが存在する。その救済措置として、実はチュートリアル期間中にだけ回収できる超強力な隠しアイテムが存在していた。
それが『絶対防御の指輪』だ。
装備しているだけで、致死量の物理攻撃や魔法攻撃を一度だけ完全に無効化し、さらに常時、所有者の周囲に薄い結界を張ってくれるという、ぶっ壊れ性能のアーティファクトである。
これさえ持っていれば、刺客に毒を盛られようが、背後からナイフで刺されようが、ギロチンの刃が落ちてこようが、最低一回は生き延びることができる。まさに命の保険だ。
「場所は……ローゼンバーグ公爵邸の裏山にある、枯れ井戸の奥底の土の中。なんであんなゲーム感丸出しの場所に国宝級のアイテムが埋まってるのかは謎だけど、背に腹は代えられないわ」
私はクローゼットの奥から、使用人が着るような地味で動きやすい古着を引っ張り出した。
時刻は深夜。屋敷の者たちは皆、深い眠りについている。
ランタンと、園芸用の小さなシャベルを布袋に詰め込み、私は窓からこっそりと屋敷を抜け出した。
◆ ◆ ◆
公爵邸の裏山は、夜になると鬱蒼とした闇に包まれ、不気味な静寂が支配していた。
時折、フクロウの鳴き声や、遠くで獣が枝を踏み折る音が聞こえてきて、8歳の子供の体には震えが走る。
「ひぃっ……! か、帰りたい。今すぐフカフカのベッドに潜り込んで二度寝したい……」
半泣きになりながらも、私は歩みを止めなかった。幽霊や獣より、未来のギロチンの方が100倍怖いのだ。
現代日本の知識など欠片もない私は、懐中電灯や虫除けスプレーなんて便利なものを作れるはずもない。頼れるのは、ただ己のやり込んだゲーマーとしての知識だけ。
「ええと、たしかこの辺りに……あった!」
私は立ち止まり、足元に生えているギザギザとした葉っぱの雑草を乱暴にむしり取った。
これは『忌避草』と呼ばれる植物だ。ゲーム内では「低〜中級の魔物が嫌う匂いを放つ草」として設定されており、これをすり潰して服に塗りつけると、一定時間エンカウント率をゼロにできるという便利アイテムだった。
私は躊躇なく忌避草を石で潰し、その汁を自分の服や靴にべったりと塗りたくった。
「うっ……くさっ! なんか三日間履き続けたお父さんの靴下みたいな匂いがする……!」
あまりの悪臭にえずきそうになるが、背に腹は代えられない。
強烈な臭いを放ちながら、私は裏山の獣道を進んだ。忌避草の効果は絶大で、ガサガサと草むらを揺らして近づいてきた野犬や下級のゴブリンらしき影も、私の悪臭を嗅ぎつけるなり「キャンッ!?」と悲鳴を上げて逃げていった。
「ふふっ、見たか! これがやり込み勢の力よ!」
涙目で鼻をつまみながら、私は裏山の中腹にある目的地――苔むした石造りの枯れ井戸に辿り着いた。
ランタンの灯りを頼りに、蔓を伝って井戸の底へと降りる。
中は湿気とカビの匂いが充満していた。私は壁際の特定のポイント……「ゲームの画面上で右から3番目の石畳」の前にしゃがみ込み、持ってきたシャベルで必死に土を掘り返し始めた。
ガリッ、ガリッ。
8歳の細い腕では、固く締まった土を掘るのは重労働だった。すぐに手のひらにマメができ、それが潰れて血が滲む。ドレスの裾は泥だらけになり、爪の中まで真っ黒になった。
それでも、「ギロチン回避、ギロチン回避」とお経のように呟きながら、私は無心で穴を掘り続けた。
カキンッ。
「……!」
シャベルの先が、土とは違う硬いものにぶつかった。
私は慌てて手で土を退ける。そこには、泥に塗れた小さな木箱が埋まっていた。
震える手で木箱を開けると、中には真っ黒に錆びついたような、ボロボロの古びた指輪が一つ、転がっていた。
どう見てもガラクタだ。しかし、ゲーマーの直感が告げている。これこそが間違いなく、最強のチートアイテム『絶対防御の指輪』であると。
「やった……! ついに手に入れたわ! 私の命の保険!!」
私は泥だらけの指輪をギュッと胸に抱きしめ、暗い井戸の底で歓喜の涙を流した。
これで、いつ暗殺者が来ても一回はやり過ごせる。王太子との婚約という爆弾を抱えてしまった今、これほど心強い味方はない。
「よし、目的は達成したわ。早く帰ってお風呂に入って寝よう。もう限界……」
泥と忌避草の悪臭に塗れた私は、フラフラになりながら裏山を下り、公爵邸の裏口へと忍び込んだ。
誰にも見つからずに部屋に戻れる。そう確信して、薄暗い廊下を忍び足で歩いていた、その時だった。
「――こんな夜更けに、どこに行っていたんだ、エルナ」
パァァァッ! と、廊下の魔力燈が一斉に点灯し、目の前が真昼のように明るくなった。
私が「ひぃっ!?」と悲鳴を上げて立ち止まると、そこには、眉間に深いシワを寄せた父・ゲオルグ公爵と、青ざめた顔のメイドのアンナが立ち塞がっていた。
「お、お父様……アンナ……」
終わった。深夜の無断外出。しかも、公爵令嬢らしからぬ泥だらけの服と、強烈な悪臭。
これは間違いなく大目玉を食らう。最悪、部屋に軟禁されておやつ抜きの刑だ。
私は言い訳を必死に考えながら、しどろもどろに口を開いた。
「あ、あのね、これはその……夜のお散歩というか、ちょっと泥遊びがしたくなって……」
「お嬢様……! なんというお痛ましいお姿……!」
怒られると身構えた私だったが、アンナは私の泥だらけの姿を見るなり、ポロポロと涙をこぼして私の足元に崩れ落ちた。
え? なんで泣いてるの?
混乱する私をよそに、父ゲオルグは私の手に握られている『黒く錆びついた指輪』に目を留めた。その瞬間、彼の厳格な顔が、雷に打たれたように硬直した。
「そ、それは……まさか……『アイギスの指輪』か!?」
「えっ? アイギス?」
「間違いない……建国神話に語られ、300年前に失われたとされる伝説の魔道具! いかなる攻撃も弾き返す、王家の至宝……ッ! なぜ、お前がそれを……いや、どこで見つけたのだ!?」
父のただならぬ剣幕に、私は完全にフリーズした。
絶対防御の指輪って、そんな大層な設定のアイテムだったの!? ゲームのwikiには「井戸の底で拾える便利装備」くらいにしか書いてなかったのに!
「う、裏山の……枯れ井戸の底に埋まってて……」
「なんということだ……!」
父は天を仰ぎ、両手で顔を覆ってワナワナと震え始めた。
そして、次に私に向けられた目は、怒りでも驚愕でもなく――狂信的なまでの『感動』と『親バカ』が混ざり合った、凄まじい熱量を帯びていた。
「おお、エルナよ! 私の誇り高き娘よ!!」
「えっ、ひゃあっ!?」
泥だらけで悪臭を放つ私を、父は躊躇うことなくガバッと強く抱きしめた。
「王太子殿下との婚約が決まった直後……お前は、己の立場がいかに危険なものになるかを、すでに悟っていたのだな!」
「え?」
「王族に連なるということは、常に暗殺や政争の危機に晒されるということ。しかしお前は、この父に護衛を頼むような甘えを見せず、誰にも悟られぬよう、たった一人で深夜の山へ入り……自らの身を守るための『力』を手に入れたというのか!」
「い、いや、それは……(頼んだら面倒なことになるから自分で掘っただけで……)」
「見よ、この痛々しく破れた小さな手を! これほどの代償を払ってでも、お前は公爵家に類が及ばぬよう、己の足で立ち、国を護る覚悟を決めたのだな!」
父の目から、滝のような涙が流れ落ちている。
アンナもまた、床に伏して号泣していた。
「お嬢様……! 魔物の棲む裏山へ、たったお一人で……! この悪臭は、魔物を遠ざけるための忌避草ですね!? 己の身を汚してまで目的を完遂するその執念、そして深謀遠慮! このアンナ、一生お嬢様にお仕えいたします!!」
ちょっと待って。
違う。全然違う。
私はただ、「ギロチン怖い」「面倒くさい」「自分でさっさと掘り出した方が早い」という怠惰と保身のコンボで動いただけだ。
国を護る覚悟なんて一ミリもないし、公爵家の未来なんて知ったこっちゃない。私が欲しいのは年金暮らしのスローライフなのだ。
「お、お父様、アンナ、勘違いしないで。私はただ、自分の身を守りたかっただけで……」
「わかっている! わかっているともエルナ!」
父は私の両肩をガシッと掴み、真剣な眼差しで力強く頷いた。
「お前のその気高き覚悟、しかと受け取った! お前がそこまで王家とこの国を憂いているのなら、父も全霊をもって、お前の覇道を支援しよう! 明日から早速、お前の護衛を現在の三倍に増やし、王都の派閥工作にも本腰を入れるとしよう!」
「はぇ!?」
「案ずるな! お前が未来の王妃として君臨するその日まで、ローゼンバーグ家の全財力と権力をもって、お前の盾となろうぞ!! ガッハッハッハ!!」
深夜の廊下に、父の豪快な笑い声が響き渡った。
私は、抱きしめられた腕の中で、完全に真っ白に燃え尽きていた。
(……終わった)
目立たず、関わらず、平穏無事に隠居する。
その私のささやかな目標は、義弟のシスコン化、王太子の変態性癖、そして父親の『権力フルスイングの親バカ』という三つの大津波によって、跡形もなく消し飛んでしまった。
チート装備を手に入れた代償は、あまりにも大きすぎた。
手に握りしめた泥だらけの絶対防御の指輪が、私の涙を反射して、虚しくピカッと光ったような気がした。




