第17話 ご都合主義
この日の授業も終わり、放課後になる。
バッグを持って席を立った長屋の前に、黒須が近づいてくる。
「あ、茜……?」
「陽介君……。その、今日一緒に帰ろ?」
黒須からの提案、というよりはおねだりに近いものだった。途中まで通学路が同じなのは今朝分かったことなので、その方が色々と都合が良い。
長屋は了承の返事をしようとした。その時、教室の扉がノックされる。
「失礼、長屋はいるか?」
扉の方を見ると、そこには野沢と塩谷が立っていた。
「あー……、ごめん茜。また呼び出しされたかもしれない」
「……うん、いいよ。行ってきて」
「ごめんね、また埋め合わせするから」
そう言って長屋は教室を出る。
「大事な話をしていたようだが大丈夫か?」
「大丈夫……だったんですかねぇ……」
野沢に言われ、廊下を歩きながら長屋は頭を抱える。
「長屋に彼女ができたという噂は聞いていたが、本当だったとはな。今はまだミスかもしれないが、長い目で見れば取り返しのつかない後悔につながる場合があるから気をつけた方がいい。かくいう俺も三人目の彼女を作るかどうか考えていた時に……」
そういって野沢の自分語りが始まる。
しかしそれは長く続かず、すぐに特別委員会室に到着する。
「野沢、自慢話はそのくらいにしろ」
珍しく塩谷が言葉を発する。
「まだ話し足りないんだがなぁ……。まぁいい。今は長屋のことが先だ」
委員会室に入ると、机の上に十数冊の本と一つのタブレットが置かれていた。
「この学校で使っている教材だ。和光高校では、教科書とタブレットを併用している。俺たちはまだ学生で、その本分を果たす必要がある。彼女ばかりにうつつを抜かすのではなく、勉強もしっかりとするんだぞ」
野沢からそのように釘を差される。
「はい。精一杯頑張ります」
訓示を受けたように、長屋は気を引き締めるのだった。
教材をバッグに詰め込み、昇降口へ向かう長屋。
下駄箱に手をかけようとした時、長屋はそれを目にした。
「茜……」
黒須が立っていたのだ。
「あっ、陽介君」
「もしかして、俺のこと待ってたの?」
「うん。言ったでしょ、一緒に帰ろうって」
「でももしかしたら、俺の用事は日が暮れるまで時間がかかってたかもしれないのに?」
「私……陽介君のこと思えば、何でもできそうなの」
そのようなことを言われ、長屋は何とも言えない、一種の温もりを感じた。
(こんなの、ご都合主義のラノベみたいな展開だけど……)
それでも、恋愛経験のない長屋にピッタリな、そんな気がしたのだ。
そんなことを考えていると、黒須の顔が少し赤くなっていることに気づく。本人は手をパタパタとさせて、顔に風を送っていた。
それを見た長屋は、ふとある考えが浮かぶ。
(これが幸せというものなのかもしれない)
21世紀では幸せでも不幸でもなかった。ただ日々の流れに身を任せて、惰性で生きていたに過ぎない。
そんな長屋でも、幸せを掴むことができるのだと感じるようになっていたのだ。
「ありがとう……」
長屋は無意識に、感謝の言葉を述べていた。
「えっ……?」
「……うん、こんな俺のことを好きって言ってくれて、ありがとう」
長屋は柔らかな表情をしながら、黒須のことを見つめる。
「あ、ああああの……! そんなに見つめられると困っちゃう……!」
結局、余計に顔が赤くなる黒須であった。
長屋と黒須は隣り合うように帰宅の途についていた。二人の手は触れそうで触れないくらいの距離で揺れ動いている。
それと同期するように、長屋は黒須の手を取るか取らないか迷っていた。
(まだ彼女になって3日も経ってないのに、いきなり手を繋ぐのは早いだろ……! いや、手を繋ぐくらいならプラトニックでちょうどいいのか……?)
グルグルと思考だけが加速していく。長屋はチラリと黒須の表情を伺う。少し俯いていてよく見えないが、耳の先端が赤くなっているのが見えたので、彼女も緊張しているのが分かる。
(茜も俺と同じと見た。うーん……。同い年の女子に囲まれて、少し慣れてきたかなと思ったが……。それでも女子と物理的に接触するのは緊張する……。でもキスするよりはマシだが……)
しかし、長屋には一つの苦い思い出がある。それは小学校での記憶だ。同じクラスの女子と仲良くなっていたところを、同級生の男子にからかわれ、それ以来女子に接近しなくなった。思えばこれが、今の女子に不慣れな長屋の原点なのかもしれない。
(今は、あの時と状況も、何より時代が違う。ここで勇気を出さなければ、俺が転生した意味もなくなると言っていい……!)
長屋は意を決して黒須の左手に右手を伸ばす。
その瞬間、耳をつんざくような爆音が響いてくる。
『男は消えろ!』
「「男は消えろ!」」
『男は悪者!』
「「男は悪者!」」
爆音スピーカーに合いの手を入れる女性たちの声。激しいシュプレヒコールの声に、思わず耳を塞ぐ。
「な、なんだ……!?」
「アレは、新日本婦人会だね」
「新日本婦人会……?」
長屋の疑問に、黒須が答える。
「陽介君はTS女性がいるのは覚えてる?」
「あ、あぁ、ちょっとだけ……」
以前馬渕が説明したことを、覚えていることにした。
「生物学的には女性だけど、生まれた後に男性の性機能を付与された女性たちがいるの。そんなTS女性と、通常の女性で子供が作れる。そこに男性を必要としないことから、過激なフェミニズムと合体して徹底的な男性弾圧を日々叫んで、こうしてデモをしてるの」
「なんだ、その悪魔合体は……」
デモ隊の列は向こうの交差点を進んでいたが、その呪詛のような暴言は閑静な住宅街に響き渡っていた。
「なんとまぁはた迷惑な……。まぁそんなに影響ないよね?」
「うぅん、男性を見かけると最悪の場合、集団で暴行されることもあるよ」
「えっ?」
「だから回り道しないと。こっち」
そういって黒須は、長屋の手をとって早歩きし始める。
一瞬呆気にとられたが、黒須の言うことを聞いていたほうが安全だろうと判断し、長屋は流されるままにした。
二人がデモ隊から離れたところで、黒須は無意識に長屋の手を取っていたことを認知し、思わず手をひっこめる。
「うぅ……」
耳全体が赤くなっている黒須を見て、長屋は思わず小さく笑ってしまう。
「もうっ、何笑ってるの?」
「いや、なんか面白くて……」
しかし長屋はすぐにちゃんとした表情になって、黒須を見る。
「茜……。手、繋いでもいい?」
そういって長屋は右手を出す。
「……はい」
黒須はそれに答えて、左手を出す。
手と手が重なり、そして絡まり合う。
二人は、長屋のマンションの前まで、手を繋いで帰るのだった。




