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第四章: 境界の守護者と四つの異能『選ばれし者たちは、まだ互いを知らない』  作者: ぃぃぃぃぃぃ


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第百八十六話:一閃

 時間が、裂けた。

 アルトの脳は、この瞬間を処理できない。

 彼の「時覚」が、瞬きにも満たない刹那を、果てしない永遠の層へと強制的に引き剥がしていく。脳漿が沸騰するような高熱が視神経を焼き、眼鏡の奥で剥き出しになった左目が、激痛と共に未来を凝視する。

 

 ライトの剣が、降り始めた。

 音はない。世界は、音という概念をすでに手放していた。

 暗黒の虚無を背景に、ただ白い光の軌跡だけが、世界の断層をなぞるように一本の線を刻んでいく。

 それは、美しくなかった。

 ――だからこそ、本物だった。

 洗練された技巧も、完成された美意識もない。あるのはただ、震える腕で、剥がれかけた爪で、己の存在すべてを賭して振り下ろす、泥臭い「生」が削れ落ちながら残した、一本の線。

 アルトは、その線の先に、未来の分岐を視た。

 無数ではない。三本だけだ。

 一本は虚無に飲み込まれ、ライトの存在ごと消滅する。

 一本は魔王の輪郭にすら触れず、虚しく霧散する。

 そして最後の一本――世界に一つだけ残された“接触”。

(……そこだ)

 アルトは、その絶望的な一本に向かって、自身のすべての存在確率を注ぎ込んだ。

 指先が虚空を掻き、血の混じった液体が顎を伝う。脳の演算領域が剥がれ落ちていく感覚を無視し、彼はライトの剣が通るべき唯一の隙間を、一瞬にも満たない幅で固定した。それは演算ではない。世界の理を無理やり捻じ曲げる、泥臭い執着だった。

 レイナは、呼吸を忘れていた。

 闇を奪われた両腕を胸元で固く握りしめ、ライトの背中だけを、その網膜に焼き付けている。

 祈ったことなど、一度もなかった。救いを求めたこともない。だが今、彼女の唇は激しく震え、音のない言葉を形作っていた。

 それは、ライトをこの世界に押し留めるための、重さだった。彼が光の彼方へ消えてしまわぬよう、その背中に縋り付く、精神的な楔。

 ステファニーの目が、静かに閉じられた。

 杖を握りしめる両手は、血の気が引いて白磁のように透き通っている。

 彼女は、空間そのものを外側から締め上げた。光の粒子が、その目的地に到達する前に霧散することを許さない。その反動で、彼女自身の血管が内側から圧迫され、鋭い痛みが全身を駆け巡る。それでも、彼女は一歩も引かなかった。

 シエラは、ただ無言でそこに在った。

 《常世の福音》の全出力が、ライトの剣が描く軌跡の直下に集中される。言葉も、指示も、不要だった。彼女の放つ光は、ライトの行く先を照らす道標であり、同時に、彼が魔王の深淵へ墜ちることを許さない非情なまでの肯定だった。

 虚無が、抵抗した。

 ライトの剣が魔王の敷く絶望の層に触れた瞬間、世界の前提そのものが、異物を排斥しようと膨れ上がる。

 存在を否定する「無」の力と、泥に塗れてでも存在し続けようとするライトの「光」が、刀身の一点で激突した。

 拮抗は、成立しなかった。

 光が、虚無を――裂いた。

 音もなく、爆発もなく。

 何もなかったはずの場所に、鮮烈な断面が生まれる。そこにあった「何もない」という不変の真理が、静かに、しかし決定的に、左右へと分かたれた。

 理が、悲鳴を上げることすら忘れて沈黙する。

 

 魔王の瞳が、その軌跡を追った。

 玉座に座ったまま、微動だにしないその姿。だが、その瞳の奥で、何かが変わった。

 それは驚愕ではない。

 もっと深く、もっと峻烈な――不可侵であったはずの自分に、異物の熱が“触れてしまった”という、静かな認識。

 

 ライトの視界は、すでに白く濁り、右腕の感覚は熱を通り越して消失に近づいている。

 この一撃が、自分に何を残すのか。あるいは何を奪っていくのか。そんなことを考える余裕は、細胞の一つにも残っていない。

 

 ただ、届け。

 

 剣が魔王へと届く、その刹那。

 

 世界が、その呼吸をやめた。

 綻びではない。

 崩壊の予兆が、そこから滲み出していた。

 

 だが、それが勝利に繋がる保証は――どこにもなかった。

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