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第四章: 境界の守護者と四つの異能『選ばれし者たちは、まだ互いを知らない』  作者: ぃぃぃぃぃぃ


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第百七十六話:最短の死

 魔王城の最深部。そこではすでに「場所」という概念が崩れ始めていた。

 世界の裂け目から漏れ出す歪みが、アルトの時覚を強制的にこじ開けた。網膜が内側から爆ぜるような光に焼かれ、彼の論理回路は、溢れ出すことわりを繋ぎ止めるための演算へと叩き込まれた。

 視界が、二重になる。

 現実の廊下を歩く肉体を、時間の層に刻まれた無数の残像が追い越し、因果律のズレが三半規管を激しく揺さぶる。

 鼻腔に立ち上る、熱い鉄の匂い。

 

 赤い生存拒絶の圧。

 それは魔王の魔力ではない。

 もっと遠い何か――星座のように冷たい視線が、この世界を観測していた。

 遥か天の、動かぬはずの星座が、わずかに瞬いた気がした。

(――分岐が、収束していく)

 九万三千を超える未来分岐が、一瞬で消えた。

 可能性の消滅ではない。アルトの脳内で、仲間たちが死に、世界が瓦解する九万三千通りの「現実」が、秒間にも満たない間に強制体験され、捨て去られていったのだ。すでに数千年の孤独を駆け抜けたような疲弊が、アルトの精神を摩耗させていた。

 無数の未来が枯れ落ちる中で、ただ一本の細い糸だけが、絶望の合間に針の穴のような光を放っていた。

 

 アルトの足が、凍りついたように止まった。

 玉座の間を流れる不気味な風の音が、ぴたりと止む。静寂が、鼓膜を内側から圧迫した。

 ライトは振り返らなかった。

 だが、アルトの呼吸が急速に生気を失い、その肩が震えたことだけは分かった。

「……勝てるルートが、あります」

 アルトの声は、平坦だった。感情を抜き取られ、ただ事実を吐き出すだけの、冷え切った機械の声。

 ライトの肩から、微かな緊張が解ける。アルトの言葉は、この戦場において、勝利を担保する唯一の「解」だった。

 

 だが、アルトは一度、強く目を閉じた。

 まぶたの裏に、たった一つの「成功」という名の地獄が焼き付いている。

「ただし――」

 一拍。

 ステファニーが小さく息を呑む音が、静寂を裂いた。彼女の指先が、杖を強く握りしめる。彼女の感応能力は、アルトの魂から噴き出した、どす黒い泥のような絶望の色を、すでに拾ってしまっていた。

「一人、必ず死にます」

 沈黙。

 赤い光が、その停滞を喜ぶように、一度だけ脈動した。

 ライトは依然として前を見据えていた。振り返れば、アルトの眼鏡の奥に映っている「犠牲」の名前を、確定させてしまうことを恐れるように。

「……誰」

 レイナの声だった。

 その声は、幽かに震えていた。彼女の戦士としての直感は、アルトの沈黙の意味を、吐き気がするほど理解してしまっていた。

 アルトは、答えなかった。

 眼鏡の奥で、その誰かの死に様が、数万回リピートされ続けている。名前を口にすれば、その人物を「犠牲者」として配置したのは自分になる。

 その停滞を、涼やかな声が切り裂いた。

「言う必要はない」

 シエラだった。

 彼女は、前を向いたまま、微動だにせずに告げた。

 そこには悲壮感などなかった。ただ、研ぎ澄まされた刃のような、静謐な狂気だけがあった。

「……たぶんな。それが、最初からの計算だ――私たちがここに来た、あの最初の一歩の瞬間から」

 レイナの拳が、血が滲むほど握り込まれた。

 感謝は、一瞬にして、底知れぬ空恐ろしさへと変質した。

 彼女は導いていたのではない。最深部の盤面を完成させるために、自分たちを「配置」していたのだ。

 師弟という名の絆さえ、この一点で誰かを殺すための燃料に過ぎなかったのか。

 アルトは、震える手で眼鏡を外した。

 ヒビの入ったレンズが、視界を無数に寸断する。

(……違う。認めない)

 最短は最善ではない。魔王を殺し、かつ「誰も死なない」生存。

 それは、この世界が許さない数式だ。

(……僕は、その未来を壊すために、ここにいる)

「……それでも、進むしかない」

 ライトが、重く、淀みのない足取りで再び歩き出した。その背中は、どんな論理的な絶望よりも力強く、アルトをこの「今」へと繋ぎ止める。

 

「最悪の結末……? そんなふざけた数式、私が一撃で叩き壊してやるわ」

レイナの声は、低く、地這うような唸りを帯びていた。拳から滴る血が、彼女の闘志がもはや生存本能を超え、運命そのものを殺すための執念へと変質したことを物語っていた。

「神よ……どうか、私たちに、まだ見ぬ明日を」

 ステファニーは、仲間の背を守る祈りを静かに結び直した。その祈りは、仲間の運命に自分の魂を差し出すような決意であり、彼らの因果を支えるための、血を吐くような誓約となっていた。

「なら、進め」

 シエラが、黒鉄の剣を鞘の中で微かに鳴らした。

 アルトは、眼鏡を強くかけ直した。

(……未来を、壊す)

 彼は、自らの知性を「観測者」から、因果をねじ曲げる「破壊者」へと転向させた。

「……未来はもう見た。だから、僕が先導して壊します」

 最短を知るのは、僕だ。アルトは、自ら見つけた「成功」という名の糸を、その手で握り潰しながら一歩を踏み出した。

 彼らを縛るのは、信頼という名の呪いだった。

 五人は、最深部へと歩み出した。

 足跡が刻まれるたびに、日常は遠のき、不可逆の「終焉」が目前へと迫る。

 そしてアルトだけが知っていた。

 この歩みの先にある未来を。

 まだ誰も――シエラさえも見つけていない、白紙の結末を。

 

 星座の観測さえ届かない未来を。

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