第七話 関ヶ原前夜!掛川城&兵糧5万石、まるごと差し上げます!
慶長三年(1598年)八月。
太閤・豊臣秀吉がこの世を去った。
巨星の落日とともに、それまで抑え込まれていた豊臣家中の対立が一気に噴出する。
石田三成ら「奉行派(文治派)」と、加藤清正・福島正則ら「武断派」の対立。そして、その混乱の隙を突いて天下の権握へと露骨に動き出す内府・徳川家康。
世の中の空気が急速に「次の戦」へと傾いていく中、遠江・掛川15万石の城主・別所長治(40歳)は、城内の地下兵糧庫で怪しい笑みを浮かべていた。
「くくく……溜まりに溜まったなぁ、米が」
地下倉庫を見上げる長治の傍らには、弟の友之、治定、そして年老いてもなお眼光鋭い淡河定範が立っている。
「兄上……この掛川城の米蔵、5万石以上の兵糧米がぎっしり詰まっておりますぞ。ここ数年、豊臣家の朝鮮出兵でも無駄な浪費を避け、掛川の領内で収穫された米をひたすら蓄え続けてきましたからな」
友之が呆れ顔で報告する。
長治(歴史オタク・山本一郎)の「トラウマ的備蓄癖」は、掛川に来てからも留まることを知らなかった。とにかく米と味噌と塩を蓄えまくっていたのだ。
治定が首をひねる。
「しかし兄上、殿下が亡くなられた今、世間は『徳川か、奉行衆が担ぐ毛利か』と噂されております。石田三成様からは『豊臣家に恩義ある大名として味方に付け』と連日手紙が来ておりますが……」
長治は三成からの手紙をサッと広げると、ためらいなく鼻をかんで破り捨てた。
「三成(治部少)の手紙は速攻で捨てろ! いいか二人とも答えは決まってる。『徳川家一択』『家康様勝つ勝つ勝つ』だ!」
「「即答!?」」
「当たり前だろ! 徳川家につかない理由がない! だが、ただそれだけじゃ面白くない。ここで徳川様に『一生忘れられないドデカい貸し』を作るんだよ!」
長治の目が、ギラリと怪しく光った。
関ヶ原前夜:会津征伐と小山評定の裏で
慶長五年(1600年)六月。
家康は上杉景勝(会津)に謀反の疑いありとして、「会津征伐」のために江戸から大軍を率いて出陣した。
この時、家康の頭を大いに悩ませていたのが、「東海道筋の大名たちの動向」と「補給線の確保」であった。
東海道沿いには、堀尾吉晴(浜松)、山内一豊(掛川の隣)、中村一氏(駿府)など、豊臣子飼いの大名たちがズラリと並んでいる。彼らが大坂方に内応し、家康の背後を襲えば、徳川軍は挟み撃ちになって壊滅する。
六月下旬、家康の軍勢が掛川城の近くに差し掛かった時のことである。
「報告! 前方に掛川城主・別所長治殿の軍勢が立ち塞がっております!」
徳川の先鋒・本多忠勝が馬を止めた。
「なに? 別所が叛旗を翻したか!?」
緊迫が走る徳川陣営。しかし、次の瞬間――。
「徳川内府様ぁぁぁーーーッ!! お待ちしておりましたぞーーーッ!!」
街道の向こうから、豪華絢爛な仕出し弁当の重箱を両手に抱えた別所長治が、爆走して駆け寄ってきた。
長治は家康の馬前で、もはや芸術の域に達した四十五度の土下座を決めた。
「遠江掛川15万石、別所長治にございます! 内府様の会津征伐のお供、我が別所軍も喜んで参戦いたします!」
家康は馬上で眼を白黒させた。
「べ、別所殿……! 貴殿は豊臣の古参大名。石田らと結んでワシの背後を討つのではないのか?」
「滅相もございません!!」
長治はガバッと顔を上げ、涙目で叫んだ。
「我が妻は徳川一門! 我が心はすでに徳川家と一つにございます! そこで内府様、会津征伐、そしてこの後に起こるであろう『大坂方との決戦』に備え、一つご提案がございます!」
長治は懐から一枚の巨大な地図を取り出し、広げた。
「我が居城・掛川城と、城内に蓄えに蓄えまくった兵糧米5万石、すべて徳川様に進呈いたします!!」
「……なに???」
家康だけでなく、周囲の本多忠勝や井伊直政までもが絶句した。
「城と……米5万石を……丸ごと……!?」
「左様でございます! 掛川城は東海道の要衝! この城を徳川様の完全な後方補給基地としてお使いください! 我が軍は城を空けて場外に控え、徳川軍の糧食を全力で支援いたします!」
家康は言葉を失った。
歴史を知る者ならピンと来るだろう。
史実の「小山評定」において、山内一豊が「自分の城(掛川)を徳川様に差し出します!」と発言し、家康を大感激させて戦後に土佐一国(20万石)を手に入れたという有名なエピソードがある。
しかしこの世界では、歴史オタク長治が山内一豊の功績を完コピどころか「米5万石」という圧倒的実利を乗せて先取りしてしまったのだ!
(※ちなみに隣の山内一豊は、長治の爆速パフォーマンスを見て『えっ……俺が言おうと思ってたやつ……』と口をぐぬぬと開けたままフリーズしていた)。
家康は馬から降りると、長治の手を力強く握り締めた。震える声で言った。
「別所殿……! 貴殿のその誠意、天下に示された! これでワシは、何の憂いもなく西へ向かうことができる……! この恩、徳川家は三代にわたって忘れんぞ!!」
(勝った……! 勝ったぞぉぉぉーーーッ!! 関ヶ原のMVP横取り成功だぁぁぁーーーッ!!)
長治の脳内で、勝利のファンファーレが鳴り響いた。
関ヶ原の本戦:徹底された「安全第一」
慶長五年(1600年)九月十五日。
美濃国・関ヶ原。濃霧が晴れるとともに、天下分け目の戦いが火蓋を切った。
東軍約7万、西軍約8万が激突する泥沼の戦場。
その中で、別所長治率いる別所軍はどこにいたか?
家康の本陣のすぐ後ろで、東軍全体に温かいにぎり飯と味噌汁を配給していた。
「さあさあ! 井伊の赤備えの皆様、一番槍お見事でした! 温かいお茶と塩むすびをどうぞ!」
「福島正則様! 敵の先鋒を打ち破ったご勇躍、感服いたしました! 特製の肉鍋にございます!」
長治は鎧の上に割烹着を羽織り、陣中で縦横無尽に指示を出していた。
淡河定範が渋い顔で報告する。
「殿、石田三成の本陣(笹尾山)付近で激戦が続いております。我が軍も一撃加えに向かいますか?」
長治は即座に首を振った。
「ダメだダメだ! 前線には小早川秀秋の裏切りとか、島津の決死の敵中突破(島津の退き口)とか、危険なんだよ! 我らの仕事は『徳川様の目の前で、忠実に食事を配り続けること』だ!」
「ハハッ! 相変わらず殿はぶれませんな!」
結果、関ヶ原の本戦において、別所軍は戦死者ゼロ、負傷者ゼロ。
しかし、東軍の諸将からは「別所殿の補給のおかげで戦えた」「掛川城を差し出してくれたおかげで憂いなく戦えた」と絶賛の嵐。
そして午後二時すぎ、石田三成は敗走。東軍の完勝で、天下分け目の戦いは幕を閉じたのである。
栄光の帰還:父祖の地・播磨三木へ!
戦後処理が行われた大坂城。
天下人となった徳川家康は、大名たちへの恩賞を行なっていた。
「別所長治」
「ハハッ! 長治にございます!」
長治はいつもの通り、完璧な角度でお辞儀をした。
家康は破顔一笑し、大広間の諸将に向かって宣言した。
「此度の関ヶ原の戦い、最大の功労者の一人は別所長治である! 会津征伐の折、自らの居城と兵糧5万石を惜しげもなく差し出し、東海道の憂いを一瞬で払ってくれた! その忠義、真に天晴れである!」
家康は手元の大名帳をめくった。
「長治! 貴殿に報いるため、かつての父祖の地である『播磨国・三木20万石』への復帰を命じる! 播磨へ戻り、再びその地を治めよ!」
大広間にどよめきが起きた。
父祖の地を追われ、他国へ流された大名が、元の領地に20万石で大返り咲きするなど、前代未聞の奇跡である!
長治は畳に額をこすりつけ、ボロボロと涙(今回は100%本物の感涙)を流した。
「ははぁぁぁぁぁッ!! 上様……! 有難き幸せにございます……!!」
(やった……! やったぞぉぉぉーーーッ!!)
かつて天正八年、飢えに苦しみ、一族で腹を切って果てるはずだった三木城。
そのトラウマの地へ、長治は「天下人・徳川家康から最高の大功臣として絶賛された20万石の大名」として、堂々と帰還を果たしたのである!
「よーし! 三木に帰ったら、まずは全領民に無料のサバの味噌煮と白飯を10万食配るぞーーーッ!!」
長治の奇跡の歴史改変コメディは、ついにクライマックスとなる徳川幕府の安寧期へと向かっていく。




