第四幕:トラウマ
「何勝手なことしてるんだよ!アル!!」
「だってチャンスじゃないですか!」
「チャンスって……それはアルたちにとってだろ!?僕はもう演劇はやらないんだって!!!」
家に帰るや否や、僕はカバンを投げ捨ててアルを引っ掴む。イデがしでかしたことも最悪だったけど、まさかそれ以上に最悪の事態になるなんて、誰が想像しただろう。
「でも、あのジュリエット……朱里さんから直々の指名ですよ?」
「本当にね!朱里さんも朱里さんだ!なんだって僕に代役なんて……!!!」
これも訳がわからない。朱里さんも、一体何を考えてるんだ。僕はただの照明係だっていうのに!ロミオなんて、できるわけないじゃないか!
「あぁ、もう!テメェ、他の奴らがここまで作ってきたもんをぶち壊す気か!前にテメェが言ってたんだろ!!みんなでここまで作ってきたもんをぶち壊したくないって!」
「うるさい!それとこれとはまた違うでしょ!」
怒りがおさまらない。確かに、イデのいう通りだ。舞台をぶち壊しにするようなことはしたくない。でもそれは、僕が舞台に立つことを前提としていないんだ。あくまで僕は裏方として、みんなを支える。それで十分なのに……。それなのに、それなのに……!
そんな激しく言い合う僕らを、レテはただただ心配そうに見つめていた。
「ねえ、玲央……」
僕の方を見上げて、レテが優しく声をかける。
「玲央はなんで、役者になるのをやめちゃったの?」
「……」
「僕ね、昨日玲央が僕を演じてるのを見て、すごく嬉しかったんだ。玲央は演じることがとっても好きなんだってわかったから。……でも、だから知りたい。なんで、こんなに演じることが大好きなのに、玲央はやめちゃうの……?」
ゆっくり言葉を選びながら、レテが僕に問いかける。
……それは。すっと怒りが引いていく。そして僕はそっと、アルを床に下ろした。そう、だね。ここまできたら、みんなにはちゃんと話さないといけないよね。
「それは……僕が昔、みんなで作り上げたものを……ぶち壊しにしたからだよ」
ぽつりぽつりと、僕は話し始めた。
それを痛感したのは、僕が5歳の時だった。物心つく前から、すぐ近くに演劇がある生活を送っていて、自然と演劇が好きになった。だから、自分も役者になるものなのだと、そう思っていた。それは周囲も一緒で、『ハリウッド女優、瀧 彌生の息子』そんな肩書きのせいで、僕の知らないところで期待値がどんどん高くなっていた。それもあって、僕が5歳の時に映画の出演が決まったんだ。父が監督をしていた映画、そこに出てくる子役として、僕が抜擢されたんだ。抜擢といっても、二言三言セリフがある程度のちょっとの役だ。それでも、その時の自分は嬉しくて仕方なかった。
まだ字が読めなかったので、仕事の合間に母にセリフを教えてもらって、自分でもたくさん練習をした。本番で間違えないように、何度も何度も。僕ならできる。大丈夫。本番直前まで自分にそう言い聞かせた。
……全部、無駄だったんだけどね。
「スタート!」
「っ……!!?」
父の声がそう響いた瞬間、僕の頭は真っ白になった。周りには、たくさんの大人の眼。眼。眼。眼。そして、じっと……。ただまっすぐ僕を見つめる、無機質なカメラ。みんなが、僕を見ている。その恐怖が、今でも忘れられない。
「あっ……ッ!」
出かかった言葉が、音にならないで喉に溜まる。そのせいで、うまく空気が吸えない。喉がカラカラに乾く。胸も苦しい。何か言わなきゃ。何かっ……!!でも、言うって……何を?
「カット!!」
「ッ……!はぁ……はぁ……」
その声で、初めて自分が息を忘れていたことに気がついた。手は汗でびっしょりで、やたら体が寒かったのを覚えている。その後、休憩を挟みながら何回か撮影にチャレンジしたけれど、ダメだった。一度植え付けられた恐怖は離れることなく、むしろ一層、その強さを増していく。最終的にその日は別の撮影に切り替わった。また別日に撮影することになって、その日まで繰り返し練習をして……でも、やっぱりダメだった。本番になったら、声が全然出ない。結局、僕がする予定だった役は、別の子が代役で出ることになった。……それが、蘭くんだ。
僕はといえば、それから保育園の学芸会なんかに出る機会もあったけど、練習では上手くできるのに、本番のたびに固まってしまって使い物にならなかった。するとどうなると思う?期待が、一気に失望に変わるんだ。母はすぐに僕を見限って、それまでの拠点だった日本を離れてハリウッドへ行ったし、父もそれについて行った。周りも、すぐに僕のことを『瀧 彌生の息子』という目で見なくなって、世間からも忘れ去られた。だからもう、僕は舞台に立たない。立ちたくない。
いや、
「……立ちたくても、立てないんだよ……」
僕は、なんとか声を絞り出した。
できない。できないんだ。どうしても。こんなに好きなのに。怖くて、怖くてたまらない。
「……そうだったんだね。ありがとう、話してくれて」
そう言って、レテは僕の頭を撫でてくれた。ふわり。柔らかい。
「舞台で緊張するってのは、まぁあることだが……ここまで筋金入りとはなぁ」
「すみません。玲央、事情を知らずに……」
「僕も、もっと早くちゃんとみんなに話せばよかったね……ごめん」
頭を撫でるレテを、僕は抱きしめた。そしてそのまま、ぺしょんと耳をたらすアルの頭を撫でる。三匹の中で、一番撫で心地がいい。
「でもどうすんだ?もう玲央が出ることになっちまって……」
「それですが……本番は玲央の代わりに私が出ます。玲央には申し訳ないのですが…体を貸してください」
「……」
本音を言えば、体を貸して出ることもしたくない。でも、さっきイデが言った通り、みんなが一生懸命作ってきた舞台を、ぶち壊しにもしたくないという気持ちも本当だ。
「……わかったよ」
本当は、こんなことしたくないけれど。これが、最初で最後だ。そう、約束をして、僕はアルに体を貸すことにした。




