プロローグ
僕は中二にして非登校になった。
教室に行って馴染めないわけでもなかろうに。
むしろ、男子とは少し広めの友好を得ていたと自負している。
それに非登校になった直接的な原因もお分かりの通り、いじめだとか、壮絶な過去があったわけでもなく。
些細なきっかけだった。
───前々から兆しはあった。
親から逃げ惑って、皆が真面目に授業を受けていたであろう時間に川辺で寝っ転がった。
さらには親の宗教つてに知り合った婆ちゃんにカフェに連れて行ってもらった。
そんな僕が一週間、全力でサボってやろうと誓ったのが中二の前期。
だが今までにサボりすぎたのか、親には口先だけの注意しかされなかった。
ほとんどお咎め無し、先生に対して僕自身が連絡すればそれで終わり。
正直張り合いはなかったが、休めただけで上々だった。
だが、それが非登校への引き金となった。
一週間休んでからの月曜日、学校へと出向く足は今までのとは比にならない重力を感じた。
それでもその頃の僕は完全な非登校になる事を危機だと感じたのだろう。
無理やりその足を引きずって登校した。
だがそんな無理は長くは続かない。
僕は持ち前の先生に褒められて天狗になった地頭で、学校に行かない言い訳を教師に、そして親に伝えた。
中二の頃はまだ受験も無いし、急ぐような行事もない。
だからこそそれらの言い訳は許された。
学校に行かない日々を過ごす事を、その一年は許諾されていた。
そんな中二の十一月頃、久々に相談室とやらに出向いて教師と話した。
僕は言い訳や嘘はつけても、本音は喉に詰まって出ない。
「中三になったら、行きたい………です……」
その日、教師の話に合わせて、そう呟いてしまった。
無論、そんな口約束など守れるはずもなかった。
中三になってからも教師との約束は守れず、ついには相談室にまで行くのが嫌になっていた。
「不登校はなんかありふれてて嫌だ。だから、僕は“不”登校じゃない。“非”登校だ!!」
そう数少ない二人だけの親友に冗談半分で言っていた。
まだそう言える精神的な余裕があった。
だがそれに相反するように、飯すら満足いくまで食えない程度には家に経済的な余裕がなかった。
そのせいで僕の身長は約百六十センチ。
体重は実際にその場で測って三十九キロ。
平常時でこれだった。
体格指数(BMI)を計算したら、脅威の約十五・二。
まあ軽く触れるだけで肋骨をもろで感じ、手首に触れた友達から骨かと呼ばれるくらいに、外面の時点から雄弁に物語られていたが……
さらにはそれを証明するように酷い立ちくらみにも悩まされている。
だがそんな事はどうでもよかった。
僕の精神を最も削ったのは親の馬鹿さだった。
母は外国からの実習生で、永住権は得ているし十八年間は日本で過ごしているがまだ日本語は完璧どころか、正直言って下手だ。
父は純日本人で元社長であり、元バイクレーサーでもある。だが母と結婚した時点で年老いていて、今じゃ酒臭い年金生活の老人。
父は働けない、だから母が働くしかなかった。
家計を支えているのは、実質的に母だ。
だが同時に、最も家計を苦しめたのも母だった。
───そんな中三の五月頃、自室でダラダラと世界観だのキャラ設定だのをスマホのメモに打ち込む。
少しオリジナリティはあっても、よくよく見ればどこかで見たことあるような異世界ファンタジー。
だがそれを書くのが、僕の最も純粋なストレスの発散方法だった。
そんな時に喉が渇いて、わざわざリビングに降りて麦茶を手に取った。
スマホを右手の二の腕と前腕に挟み、空いた右手の手のひらに麦茶のボトルを、左手にコップを持ってテーブルまで歩む。
そしてそれらをゆっくりと置いたその時、視界の端に映った一枚の紙。
「…………何、これ?」
妙に目を引く圧のあった紙を手に取る。
通知書、母への。
僕の目の悪さは昔からそうだったが、この時ばかりは自身の視力がバグったのだとばかりに思った。
………いや、そう思いたかった。
約百六十五万円。
動悸が激しくなるのを感じた。
一度では理解できずに、眼前まで近づけた。
約百六十五万円。
変わることはなかった。
これが母が払わなければならない金額らしい。
勝手にリボ払いになっていて、それを数年放置……一年前からカードを使わなくなったとはいえ、リボ払いの仕様上は仕方がない金額だった。
未払い金と元金だけでも約百五十五万はある。
ただでさえご飯が食べられない日がある中で、その金額を返せる道理はない。
僕の人生は、このまま母の借金に潰されるのか?
高校にも行けまい、頑張って中卒でバイト漬けにでもなるしかないだろう。
それでも返せる見通しは立たないが……
「………僕の人生、ほんとクソだな」
こんな憂鬱な日には、もう一つの趣味である散歩にでも行こう。
そう無理やり気分を転換し、軽いジャージを着て外に繰り出した。
僕の散歩は友達から修行とすら称されるものだ。市を跨ぐのは普通、ウォーミングアップが五キロ。
キツい日には二十キロを越えることもある。
「気分転換に修行ってレベルの散歩……やっぱり正気じゃないな、僕は」
近くに他人が歩いていないからこそ、自嘲と冗談を交えたその言葉が喉を通って声に出た。
こんな人生、もうやめてやりたい。
僕が書いた異世界に、僕が書いたファンタジーに行きたい。
チート無双でもしてハーレム三昧でもいい。
美少女に転生して百合でもいい。
トラックに轢かれて、痛みを感じる間もなく即死して新たな人生を歩みたい。
目を瞑り、願望のままに妄想しながら道を歩いていた。
駅近く、車や周囲の喧騒が僕の耳を独占していた。
だからこそ、最も近くの脅威を感じ取れなかった。
「んぇ!?」
信号手前の段差に躓いて、前方に倒れ込むその瞬間。
まだ赤信号だった。
腑抜けた声が上がると同時に瞼も釣られてか開き、上がる。
その瞳が捉えたのは、眼前に迫り、視界を埋め尽くした白い壁だった。
───次の刹那、体が宙を舞った。
目まぐるしいほどに視界が渦を巻き、数秒経たずして生々しい破裂音と骨擦音が混じる。
何かが弾けるような感覚と同時に、巨大な万力に締め付けられているような重苦しさ。
全身が釣り上げられた魚のように痙攣する。
けれど不思議と肉体はただ重さを感じるのみで、痛みも熱も感じない。むしろ、少し冷たいくらいだった。
なーんだ、即死じゃなくても痛くねーじゃん。
そう思考した瞬間に、全てから解放されるような感覚に口元が弧を描いた。
続けて考えが纏まろうとしていたが、その頃には意識も絶え絶えで、結局最後に言葉にしようとしたものは形とならずに霧散した。
そうして中三にして絶賛創作にハマっていた非登校の十四歳男子は、朱に塗れ、鮮血の温かみすら感じられずにその肉体最後の視界を閉ざした。




