59. 神獣たちの三日間遠征2
「待って、この人――知り合いです」
リネアが一歩前に出て、リーダー格の男にそう伝えた。
低い声で短く状況を説明する。
男は悠真をじっと見つめたまま、しばらく黙っていたが――やがて小さく息を吐いた。
「……分かった。だが油断はするな」
周囲の冒険者たちも、完全ではないにせよ、わずかに構えを緩める。
張り詰めた空気は残ったままだ。
ここがダンジョンの奥深くである以上、当然だった。
悠真は軽く頭を下げる。
そのまま、後ろを振り返ると――
スピカとノクスが少し距離を取った位置で待機していた。
余計な刺激を与えないようにという判断だろう。
黒竜はさらに奥、完全に気配を消している。
アズールも空気を読んでか、静かにその場に留まっていた。
「……ありがとう」
小さく呟いてから、悠真は一人で冒険者たちの方へ歩み寄る。
数歩の距離。
だが、その間にも視線が突き刺さる。
「で?」
リーダー格の男が口を開く。
「こんなところで何してる」
「それはこっちの台詞でもあるんですけどね」
悠真は苦笑しつつ、本題に入る。
「どうしてここで止まってるんですか?」
その問いに答えたのは、リネアだった。
少し表情を曇らせながら口を開く。
「……この先にいる魔獣にやられて、一度引き返してきたんです」
「やられたって……」
悠真は周囲を見る。
確かに、軽傷ではない者もいる。
「強いのか?」
その問いに、リネアは首を横に振る。
「強い……だけじゃなくて」
少し言葉を選ぶようにしてから続けた。
「様子が、おかしかったんです」
「おかしい?」
「はい」
リネアの視線が、ダンジョンの奥――暗い通路の先へ向く。
「動きが妙で……それに」
一瞬、言葉が詰まる。
「魔力の感じが、普通じゃなかった」
周囲の冒険者たちも、無言で頷く。
あの時の光景を思い出しているのか、空気がさらに重くなる。
「まるで……」
リネアは小さく呟いた。
「何かに“歪められてる”みたいな」
その言葉に――
少し離れた場所で聞いていたスピカの耳が、ぴくりと動いた。
「様子がおかしい魔獣、か……」
悠真は小さく繰り返す。
ただ強いだけならまだいい。
だが“おかしい”となると話は別だ。
何かが起きている。
そう思った、その時――
「ユウマ」
軽い気配とともに、スピカが近づいてきた。
ひらりと跳び上がり、悠真の肩へ乗る。
そして周囲に聞こえないよう、耳元で囁いた。
「この奥から、人の気配もするわ」
「……人?」
「ええ。それも少し歪な感じ」
スピカは一瞬だけ目を細める。
「人為的に歪められた魔獣……その線、濃いわね」
低い声だった。
「危ないのは確かよ」
警告のように言い切る。
悠真は無言で奥を見つめた。
暗い通路。
何も見えないその先に、何かがある。
その時――
「ユウマさん」
リネアが声をかけてきた。
振り向くと、少し迷いのある表情をしている。
「私たちは……ここで引き返します」
後ろにいる仲間たちを見る。
怪我人の姿。
疲労の色。
それだけでも理由は十分だったが――
リネアは続けた。
「実は……一人、はぐれてしまって」
「え?」
悠真は思わず声を漏らす。
空気が一段、重くなる。
「撤退する時に、後衛の一人が……」
悔しそうに唇を噛む。
「気づいた時にはいなくて……」
視線が奥へ向く。
「まだ、この先にいるかもしれません」
その言葉に、周囲の冒険者たちの表情が曇る。
探しに行きたい。
でも、行けない。
その葛藤がはっきりと伝わってくる。
「……だから」
リネアは拳を握りしめながら言う。
「本当は助けに行きたいんですけど……」
無理だと分かっているからこそ、言葉が重い。
「これ以上は全滅の危険があるので、一度戻って報告します」
現実的な判断だった。
そして、悠真の方をまっすぐ見る。
「ユウマさんも、このまま一緒に戻りませんか?」
その提案は変わらない。
むしろ――
さっきよりも強く、「戻るべき理由」が増えていた。
奥には危険な魔獣。
しかも様子がおかしい。
さらに、行方不明の仲間が一人。
普通なら――
引き返す一択だ。
悠真は黙り込む。
視線は、暗い通路の奥。
そしてゆっくりと後ろを見る。
スピカは静かに目を細め、
ノクスはじっとこちらを見つめ、
アズールは少しだけ不安そうにしている。
黒竜の気配も、遠くから感じる。
全員が、答えを待っていた。
悠真は小さく息を吐く。
そして――
ゆっくりと口を開いた。
悠真はしばらく黙ったまま考え――やがて顔を上げた。
「……少しだけ様子を見てきます」
リネアの目が見開かれる。
「え……?」
「危なそうなら、すぐ引き返します」
静かに、だがはっきりとした声だった。
「幸い、こっちはまだ余力があるので」
その言葉に、リネアはすぐに首を振る。
「ダメです!危険すぎます!」
一歩踏み出して、強く言った。
「さっきも言った通り、あの魔獣は普通じゃないんです。それに、奥に何がいるかも分からない――」
「うん、分かってる」
悠真は遮らず、最後まで聞いたうえで。
ふっと、力の抜けた笑みを浮かべた。
「でもさ」
軽く肩をすくめる。
「大丈夫。逃げ足だけは早いから」
冗談めかした言い方。
けれど――その目は笑っていなかった。
決めた人間の目だった。
「……っ」
リネアは言葉を詰まらせる。
止めるべきだと分かっている。
でも――
目の前の悠真が、それを聞く状態ではないことも理解してしまった。
悠真は軽く手を振ると、そのまま奥へと歩き出した。
「ちょ、ユウマさん――」
呼び止める声を背に受けながら。
振り返ることなく進む。
その後ろに――
「やれやれね」
スピカが軽やかに続く。
ノクスは静かに歩みを合わせ、翼をわずかに揺らす。
そして――
いつの間にか。
「ピィ」
アズールがすぐそばにいた。
さらにその後方、影のように黒竜が姿を現す。
圧倒的な存在感。
空気が、重く沈む。
その場に残された冒険者たちは、思わず息を呑んだ。
「あれ……全部、幻獣……?」
誰かが呟く。
それだけでも異常だ。
だが――
そのすべてが。
たった一人の人間の後ろに従っている。
その光景は、常識から大きく外れていた。
「……なんだよ、あいつ」
リーダー格の男ですら、言葉を失う。
悠真は何も気にした様子もなく、ただ前へ進んでいく。
その背中は、小さく――
けれど不思議と大きく見えた。
その姿を見つめながら、リネアはぽつりと呟く。
「……やっぱり」
どこか納得したように。
そして、少しだけ微笑んだ。
「あの噂……ユウマさんだったのね……」




