60. 神獣たちの三日間遠征3
リネアたちと別れ、悠真たちはダンジョンの奥へと進んだ。
先ほどまでの戦闘の余韻もなく、通路は不気味なほど静かだった。
足音だけが、やけに響く。
「……静かすぎない?」
悠真が小声で言う。
スピカは周囲を警戒しながら、短く返した。
「ええ。いるわね」
“何かがいる”と、はっきり分かる静けさだった。
そのまましばらく進むと――
視界の先に、それは現れた。
巨大な扉。
石造りのそれは、天井近くまで届くほどの大きさで、古い紋様が刻まれている。
まるでこの先を拒むかのように、重々しく立ちはだかっていた。
スピカがその扉を見て、ぽつりと呟く。
「……ここね」
悠真は無言で頷いた。
胸の奥が、わずかにざわつく。
深く息を吸い――ゆっくり吐く。
「……よし」
気持ちを落ち着かせる。
そして小さく言った。
「進もうか」
一歩、扉へ近づく。
その瞬間――
ギィィィ……
重たい音を立てて、扉がひとりでに動き始めた。
「うわ、自動……?」
悠真が思わず呟く。
だがその声とは裏腹に、空気は一気に張り詰めた。
ゆっくりと、ゆっくりと。
扉が開いていく。
その隙間から、冷たい空気が流れ出してきた。
そして――
ノクスが一歩、前へ出る。
続くように、黒竜も悠真の前へ。
二体が、まるで壁のように立ちはだかる。
守るように。
「……頼むぞ」
悠真は小さく呟いた。
扉は、完全に開いた。
その先に広がるのは――
薄暗く、広大な空間。
そして、奥から感じる“異様な気配”。
ただの魔獣ではない。
そう本能が告げていた。
悠真は一歩、足を踏み入れる。
中は、異様なほどに静かだった。
広い空間。
だが、風も、魔物の気配もない。
「……あれ?」
悠真は思わず肩の力を抜く。
拍子抜けするほどの静寂。
だが――
スピカの耳は、ぴくりとも動いていた。
油断はしていない。
悠真はゆっくりと辺りを見渡す。
その時。
「……っ」
視界の端に、人影が映った。
部屋の隅。
壁際に、誰かが倒れている。
「人……?」
リネアたちの言っていた、はぐれた仲間かもしれない。
悠真は反射的に一歩踏み出す。
「待って」
鋭い声。
スピカだった。
その一言で、悠真の足が止まる。
「……罠ね」
低く、断言する。
次の瞬間。
――ぬるり。
倒れていた“それ”の横の壁が、溶けた。
石のはずの壁が、粘つくように歪み、
黒い液体のようなものが剥がれ落ちる。
「っ!?」
悠真が息を呑む。
人影の“腕”が、かすかに動いた。
だがそれは――人間の動きではない。
関節の向きが、おかしい。
壁から剥がれ落ちた“それ”は、ゆっくりと形を変えていく。
倒れていた人間の輪郭が崩れ、
内側から黒い塊が滲み出す。
やがて。
それは、口のように裂けた。
ずるり、と。
巨大な裂け目。
中には無数の牙のようなものが並び、粘液が糸を引く。
「……うわぁ」
悠真が素直に引いた。
スピカが小さく呟く。
「擬態喰らい……」
だが、すぐに違和感に気づく。
「でも、これは……」
ノクスが低く唸る。
黒竜の気配が一段重くなる。
アズールも羽を広げ、警戒する。
その魔獣は、完全に姿を現した。
壁と一体化するような黒い体。
不定形に蠢く肉塊。
ところどころに、人の顔のような“痕跡”。
まるで――
取り込んだものが、消えきっていないかのように。
「……歪んでる」
スピカがはっきり言った。
「普通の個体じゃないわ」
魔獣が、ぐにゃりと身体を揺らす。
そして――
複数の“人の声”が混ざったような音で、鳴いた。
ぞわり、と空気が震える。
悠真は一歩下がる。
「これ、完全にアウトなやつだよな……」
その瞬間。
魔獣の体が、弾けるように広がった。
床と壁を這い、
一瞬で悠真たちを包み込むように迫る。
「来るわよ!」
スピカの声。
同時に――
ノクスと黒竜が前へ出た。
戦闘が、始まる。
「悠真、下がってて!」
スピカの鋭い声が飛ぶ。
「え、あ、はい!」
反射的に悠真は後ろへ跳び退いた。
そのまま距離を取り、岩陰へと移動する。
直後――
魔獣が爆ぜるように広がった。
黒い肉塊が床と壁を這い、
無数の触手のようなものが一斉に襲いかかる。
「ピィッ!」
アズールが翼を大きく広げた。
次の瞬間、突風が巻き起こる。
暴風が触手をまとめて吹き飛ばし、壁に叩きつけた。
だが魔獣は崩れない。
潰れたはずの肉が、ぐにゃりと形を戻す。
そのまま別の方向から再び伸びてくる。
「ちっ、面倒ね」
スピカが低く呟く。
その足元に魔法陣が展開された。
次の瞬間――
無数の光の刃が放たれる。
ズドドドドッ!
正確に核を狙うように突き刺さり、魔獣の体を貫く。
「――ギャァァァ」
複数の声が混ざったような悲鳴。
その隙を逃さない。
ノクスが前へ出る。
翼を打ち鳴らし、霧を纏う。
「――――ッ!」
落雷。
轟音と共に、黒い閃光が魔獣を直撃した。
一瞬で焼き焦げ、黒い体が弾ける。
だが――まだ動く。
「しぶといわね」
スピカが舌打ちする。
その時。
影が、動いた。
黒竜だった。
音もなく前へ出ると、大きく口を開く。
次の瞬間――
闇が吐き出された。
光を呑み込むような黒い奔流。
それは逃げ場なく、魔獣の中心を直撃した。
「――――――ッ!!」
声にならない絶叫。
魔獣の体が、内側から崩れ始める。
そして――
最後に。
アズールが一歩、前に出た。
大きく息を吸い込む。
空気が、揺れる。
「……!」
悠真が息を呑む。
次の瞬間。
轟風。
圧縮された風が一直線に撃ち出される。
それは刃のように鋭く、
崩れかけた魔獣を真っ二つに切り裂いた。
――沈黙。
ぴたりと、すべてが止まる。
黒い肉塊は、そのまま崩れ落ち――
動かなくなった。
完全な沈黙が戻る。
スピカが軽く息を吐いた。
「……終わりね」
ノクスも翼を畳み、黒竜は静かに後ろへ下がる。
アズールはどこか満足げだった。
そして。
遠くの岩陰で――
悠真はぽつりと呟く。
「……これって、ボス戦であってる?」
誰にも届かない声だった。
しばらくして、もう一言。
「……弱くない?」
現実感のない顔で、そう付け加えた。
「いい運動になったわ」
何事もなかったかのように、スピカがこちらへ歩いてくる。
軽やかな足取り。
戦闘の余韻など一切感じさせない。
悠真は少しだけ間を置いてから、口を開いた。
「……お疲れ様、であってる?」
どこか釈然としない顔だ。
スピカは一瞬考えたあと、あっさりと答える。
「まだそこまで疲れてないわね」
「そうだよねぇ……」
悠真は遠い目をした。
あれだけのことをしておいて“軽い運動”扱いである。
その横で、アズールがぱたぱたと近づいてくる。
「たのしかったよ!」
満面の笑み――いや、表情は分からないが、声が完全にそれだった。
「風いっぱい使えた!」
「うん、そうだね……」
悠真は苦笑いを浮かべる。
完全にレジャー感覚だ。
ノクスは静かに首を振るい、翼を小さく震わせた。
戦闘の余熱を払うように。
その仕草ひとつで、場の空気が引き締まる。
やはり格が違う。
そして少し離れたところで、黒竜がじっと倒れた魔獣の残骸を見ていた。
「……」
低く唸る。
何かを感じ取っているようだった。
スピカもその様子に気づき、ちらりと視線を向ける。
「……ただの魔獣じゃなかったわね」
ぽつりと呟く。
悠真も、ようやく現実に引き戻される。
「……ああ」
視線を、黒く崩れた残骸へ向ける。
さっきまで動いていたそれは、今はただの“何か”に成り果てていた。
だが。
その奥――
さらに先へと続く通路からは、まだ微かに気配が流れてきている。
「……で」
悠真は小さく息を吐く。
「本番は、ここからってやつ?」
スピカはふっと口元を緩めた。




