特別訓練は深夜の……訓練編⑨
訓練開始19日目。
俺はいつもの集合場所に到着した。
「よ! レイレイ、元気かー?」
「あぁー、めっちゃ元気だ」
「なんか……元気すぎてキモいぞ」
「そうかなぁーー」
それもそのはず、今日からはあの地獄の戦闘訓練をやらずに済むのだ。おまけに昨日の休みで体力もバッチリ回復している。
あの過酷な訓練が嫌でずっと憂鬱だった俺にとって、「今日から訓練内容が変わる」というのは、まるで天女に救われたかのような解放感だった。
「で、今日から訓練が変わるんだろ? 何やるんだよ」
「いきなり聞くか? まあ、着いてからのお楽しみにしたいところなんだけど……はい、とりあえずこれ付けて」
そう言ってゼロがポケットからひょいと取り出し、俺に差し出してきたのは――、一枚の使い古された黒い布だった。
「……まさか」
「そう、それだ。察しが良くて助かるよ」
「嫌に決まってんだろ! なんで行き先も教えねぇのに、いきなり視界まで奪われなきゃいけないんだよ」
「ハハッ、行き先を教えて『あぁ、あそこか』って納得されたらサプライズ感がないだろ? ほら、車に乗り込む前にチャッチャと付けろって」
「サプライズとかいらねぇんだよ……。だいたい、この手ブレの酷い車酔い運転で目隠しまでされたら、マジで吐くぞ」
「大丈夫大丈夫! 今日の俺は安全運転のプロだから。ほら、観念して目隠ししろって」
「……ちっ、マジで容赦ねぇな」
俺は悪態をつきながらも、渋々その黒い布を受け取った。
目隠しをされるのは前に一度体験しているが、視界を奪われた状態で車に乗るのはやっぱり慣れないし、気味が悪い。
つぶやきながら顔に装着した、その瞬間――
「……っ、くさっ!?」
「え?」
「おい! これなんか生ゴミ煮出したみたいな匂いするぞ! どういうことだ!?」
「あ、昨日牛乳こぼしてさー。拭いてそのまま放置してたわ」
「はぁ!? 最悪だろ! 一回付けちゃったろうが!」
「あーーわりぃわりぃ。じゃあどうしようかなー。
どうやって前を見ないで過ごしてもらおうかな……」
「はぁ……本当にあんた、どっかズレてるよ」
「…………」
少し考え込む仕草をしたあと、ゼロは思い出したように喋り始めた。
「あ、じゃあこれ見てて」
そう言ってゼロが手渡してきたのは、クリアファイルに挟まれた3枚重ねの書類だった。
「おい、なんだこれ?」
「それは、ハンドサイン一覧だ」
「ハンドサイン……?」
ペラペラとページをめくると、手や指の形で様々な指示を表した図解がびっしりと並んでいた。
「そうそう。声を出せない密室とか、敵に潜入する時に手元だけで指示を出す時に使うやつだ」
「ふーん……で、なんでそんな重要そうなものを今渡すんだよ。もっと前に渡してくれりゃ、昨日休みだったんだから家で覚えてこられただろ」
俺が呆れ顔で指摘すると、ゼロは気気まずそうに「あー……」と声を漏らし、後頭部をポリポリと掻いた。
「いやーそれな、実を言うとこれから行く場所で絶対に覚えてなきゃいけないやつなんだけど……渡すタイミングをすっかり忘れてて、今になっちゃったー」
「……は?」
「昨日、休ませてあげたじゃん? あれ本当は『これ覚えてこいよ』って渡すための休みだったんだよね」
「おいふざけんな!! 渡し忘れた上に休みを俺への優しさみたいに演出してんじゃねぇよ!!」
「あはは! まあまあ怒るなって! 今からでも遅くないって!」
「遅いだろ! 今から移動する数十分でこれ覚えろってか!?」
「そうそう」
「いや、『そうそう』じゃねぇよ! 本当にバカなのか!? これ何個あると思ってんだ!」
「120個だろ」
「いやいやいや! この移動時間だけで、この120個のハンドサインを全部覚えろと!?」
「うん」
「うん、じゃねぇんだよバカ! 車の中で120個暗記とか正気か!? しかも車酔いするって言ってんだろ!」
「大丈夫大丈夫、がんばれー」
他人事みたいなゼロの返答にイラつきが頂点に達するが、覚えないと今日の訓練にならないのは事実だ。俺は怒りを力に変えて、クリアファイルに載っているハンドサインを死に物狂いで頭に叩き込み始めた。
道中――。
「えっと……左肘に関節に右手の示指と中指を当てて2回叩くのが『ちょっと待て』。で、右手を上に挙げてグーからパーに開くのが『ストッ……』」
「あ、そういえばさ。昨日の休み何してたんだ?」
「うるせぇ!! 今集中して覚えてんだろうがよ!!なんで話しかけてきてんだボケぇ!!」
俺の怒号が車内に響き渡る。
話しかけられてイラつくのもあるが、それ以上にさっきの2つ、一体何が違うんだよ!! どっちも『止まれ』の意味じゃねぇのかよ!!
似たようなサインの微妙な違いに頭を抱えながら、俺は沸騰しそうな脳みそをフル回転させて紙にしがみつき続けた。
車酔いの吐き気と、頭をフル回転させている頭痛で完全に体調は最悪だった。
だが俺はギリギリと奥歯を噛み締め、必死にサインを脳内に叩き込み続けた。
――そして、約三十分後。
「はい、到着ー!」
車がゆっくりと停車した。
「はぁ……はぁ……死ぬかと、思った……」
俺はクリアファイルを閉じると、シートに倒れ込むように深く背もたれに体を預けた。
車酔いの気持ち悪さと怒涛の暗記で頭がガンガンと痛むが……それでもなんとか、100個近くのハンドサインを無理やり脳みそに詰め込むことに成功していた。
「ん? なんか体調悪そうだけど、どうしたんだ?」
ゼロが心底不思議そうに助手席を覗き込んでくる。
「……お前のせいだろ!!」
俺は痛む頭を押さえながら、全力で怒声を張り上げた。
車酔いするって言ってるのに揺れる車内で120個も暗記させられて、しかも途中で無駄に話しかけて邪魔してきた奴がどの口で言ってんだ。
「あはは! まあまあ、怒ると余計に頭響くぞー? でも短時間で叩き込めたなら上出来だ」
「……あんたが……無理難題ふっかけてきたんだろうが……」
荒い息を吐きながらゼロを睨みつける。
体調はすこぶる悪いが、これでとりあえず今日の訓練の最低条件はクリアできたはずだ。
「で……ここは、どこなんだよ」
俺は少し重くなった頭を上げ、窓の外へと視線を向けた。
目に飛び込んできたのは、街灯もない暗闇の中に無造作に積み上げられた大型コンテナや、乗り捨てられた廃車の山。そして、そのあやしい空間を照らし出すいくつもの投光器だった。
さらに、その周りにはフル装備のタクティカルギアに身を包んだ怪しい大人たちがぞろぞろと集まり、物騒なエアガンを手にして何やら物々しい雰囲気で談笑している。
思わず絶句する俺の隣で、ゼロは車から降りるとバン!とドアを威勢よく閉め、ニッと不敵に笑って言い放った。
「ここは、深夜のサバゲー大会だ!!」
「はぁ?」




