第7話:パジャマ卒業クエスト(難易度:Easy)
この剣と魔法のファンタジー世界に来て初めて、ちゃんと“次”を持ったのかもしれなかった。
——そう思ったのも束の間。
「で、ぼーっとしてる暇ある?」
ミレイが言った。
「もうすぐ夜明けなんだけど」
「ごもっともです」
「なら動いて。まずその……服、を脱いで」
言われて、自分の服を見下ろす。
俺の現在の服装は、異世界生活一日目にしてすでに限界を迎えつつある、よれたパジャマである。
夜風に当たるたび寒いし、ところどころ泥と何かよくわからない汁で汚れているし、胸元からは刻印が薄く赤く透けて見える。控えめに言って終わっている。
ミレイは踵を返すと、洗い場の脇にある木造の建物へ向かった。
「こっち。工房の裏でやるよ」
◆
工房の裏手は、洗い場の印象とは違って静かだった。
吊るされた布、積み上がった木箱、干し草の匂い。
壁際には草木染めの原料らしき束が並んでいて、奥には織機みたいなものまである。
思っていたより、ちゃんと「仕事場」だった。
「そこ立って」
ミレイが言う。
「え、何?」
「では、採寸を始めます」
「あ、なるほど。早いな」
「夜明けまでに出ていくんでしょ? 悠長にやってる暇ないの」
そう言って、彼女は細い紐みたいなものを取り出した。
俺は思わず一歩下がる。
「……あの」
「何か?」
「その、採寸って、普通に?」
「普通じゃない採寸というのが、わからないかな」
「いや、なんかこう、魔法とかでふわっと」
「服を何だと思ってるの?」
……そう言われたらそうなんだけどさ、こう!
言いたい。
言いたいが言うわけにはいかない。
俺が異世界人というのは、どうも機密事項らしいからな。
システムのことも、地球のことも、言っていいのはアンジェリカだけだ。
それは、ここまでやってくれた彼女への義理立てでもある。
アンジェリカは壁際に寄りかかって、腕を組んでいた。
顔色はまだ少し悪いが、さっきよりは呼吸が整っている。
「さっさと済ませなさい。私はその間に手配を考える」
「手配?」
「荷馬車、武器、門の通過、道中の経路。あとあなたが死なない確率を少しでも上げるための、最低限の準備」
「最後が重いな」
「当然でしょう」
ミレイが俺の肩に紐を当てる。
———首、腕、胴、腰。動きはやけに手慣れていて、触れ方に無駄がない。
服のオーダーメイドなんて作ったことないし、もちろん採寸なんて受けたこともない。
そんな俺でもわかる。
プロだ。いや、ほんとに職人だったらしい。
この世界の職人は怖い。ハヤシ覚えた。
「……細いね」
「ありがとう」
「栄養状態が悪いって意味」
「あ、はい」
「あと姿勢が悪い」
「あっ、ハイ」
「胸張ってくれる?」
「あの、張ってます。実は」
「……なら張らないで。やれやれ、どこのお貴族様なのかな」
貴族とかもいるのか。
まあ王国っていうくらいだからな。
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【サブクエスト発生:ミレイの記憶に残れ!(難易度:Very Easy)】
【推奨行動:印象に残る】
【報酬:???】
【失敗時:印象の薄い不審者】
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なんだこれ。
今までも、この【報酬:】でまともなものが貰えたことはなかった。
けど、今回は【???】だそうだ。
もう意味がわからない。そもそもクエストっていうのか? これは。
印象に残ったからといって、どうなるんだ?
俺はこれから王都に行くっていうのに。
「——————」
「うわっ! 何! こわっ」
ふと気づくと、ミレイの目が、こちらの目を覗き込んでいた。
紫色に爛々と光る、両眼。
「今、何を見てた? 正直に言いな」
「え、別に、何も」
「嘘。何かを見てた。文字を読んで、変なことを考えてた。それだけは間違いない」
「な、何を根拠に! 仮にそうでも、アンタには関係ないだろ!」
「——」
「そこまでよ」
アンジェリカがこめかみを押さえていた。
「それ以上は重要機密。ミレイ、あなたは知ってはいけない情報よ」
「……ふぅん。ところで、この布は?」
「ダメよ。
預けない。置いていかない。質問にも答えない。
触っていいのは、今だけよ」
「徹底してるね」
「当然よ」
二人の女の間でバチバチと、火花が散っているように見えた。
———そうか。システムのことや地球の話だけじゃない。
パジャマの布や、スマホや、きっとお金だって、重要機密事項なのだ。
おそらく、俺自身も———。
となると、今こうして採寸しているのは、例外的に必要だから。
服や装備、武器のため。
俺のレベル上げのために、機密を危険に晒しているのが、今。
「そんな態度で———」
「これは、私とあなたの問題ではないわ。
それとも、敵に回したいの?」
何を、とはアンジェリカは言わなかった。
きっとこれが、アンジェリカの本来の温度なのだ、と思った。
怒っているとか、怖いとかじゃない。
線を引いて、絶対にその先を越えさせない冷徹な声音。
淡々と。慈悲も妥協もない。
ミレイは数秒だけ黙り、それから肩をすくめた。
「これだからお役所人間は———まあ、いいよ。さっき約束したしね。
好奇心は猫をも殺す。
私も大人になるべき、だね」
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【サブクエスト達成:ミレイの記憶に残れ!(難易度:Very Easy)】
【印象のイメージ:解剖出来なかった悔しさ】
【報酬獲得:???】
【備考:絶対に油断しないでください】
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……。
こいつ、全然諦めてないじゃん!
こわ!
解剖とか、こっわ!!
◆
「服はこれ」
採寸を終えたミレイが持ってきたのは、深い紺色の上着と、灰色がかったズボン、それから革の留め具のついた短い外套だった。
どれも新品ではないが、仕立て直してあるのか妙にきれいだ。
袖を通すと、その軽さが心地よかった。
「特別な染料を入れてる。軽い汚れは目立たないし、水は弾く。毒酸でも溶けないし、虫食いもない。糸も補強してあるから、そんじょそこらの刃物は通らないよ」
「……悪く、ないわね」
……悪くないなんてもんじゃない。
刃物が通らない布? なにそのテクノロジー?
ドラゴンの皮か何か?
サイズはぴったりだった。すごいな本当に。
持ってこられた靴は、柔らかいブーツに近かった。
履くと、裸足で石を踏んでいた人生が少しだけ遠くなった気がした。
紺の上着を羽織り、外套をかける。
鏡らしいものはないが、壁に掛かった金属板に映る自分は、もう「ただの不審者」ではなくなっていた。
アンジェリカは俺を上から下まで見て、ほんの少しだけ頷いた。
「……まあ、さっきよりはマシね」
「褒めた?」
「事実を言っただけよ」
うん。
少なくとも、光るパジャマ男からは卒業できたと思う。
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【サブクエスト達成:パジャマ卒業】
【報酬:人権の回復(中)】
【追加報酬:見た目の不審者度 -18】
【備考:中身は据え置きです】
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俺が着替えてからも、ミレイはしばらく、俺のパジャマの縫い目をじっと見ていた。
眠そうだった目が、ほんの少しだけ細くなる。
「……欲しい」
「え」
「この変な布、解体したい」
「ダメ、よ」
「わかってる。盗らないよ。でも欲しい。この気持ちだけは表明させて」
「……」
「——なんてね、冗談よ。ふふ!」
【TIP: ちなみに嘘です。隙あらば盗もうとしています】
【TIP: 彼女の興味は服だけではないようです】
【あなたに同等の興味を持っている可能性: 92% (視線の動き、心拍数から算出した推定値)】
……怖い。
興味って、解体ですよね?
怖い。
◆
そのあと、武器の話になった。
「剣は無理」
アンジェリカが即答した。
「なんで?」
「振ったことないでしょう」
ぐぬぬ。
確かに、中身の詰まった金属製の棒を素早く振り回せるかと言われたら、厳しいかもしれない。
バットとかならともかく。
「槍も長物は無理。弓は論外。短剣は最悪、自分の足を刺す。さて、何がいいかしら?」
「信頼がないな」
「素人のあなたの武力を信頼する方が間違い」
ミレイが奥の方から、一本の長めの棒を持ってきた。
「これなら?」
「何これ」
「特殊な攪拌棒。小釜用だから取り回しもいいよ」
「武器じゃないじゃん」
「人を殴ると普通に痛いよ」
「急に治安悪いな」
アンジェリカが受け取り、軽く振る。
「……悪くないわね。重心が前にある。初心者でも当てれば効く」
……見た目はカッコ悪いけど。
たしかに、剣よりは現実味があるか。
俺はそれを受け取った。ずしりとした重み。
握ってみると、不思議とちゃんと武器感がある。
アンジェリカが地図らしい紙片を広げながら、ぽつりと言った。
「王都までの街道なら、明け方に出れば一日目は大人しい魔獣ばかりよ。馬車を見て襲ってくるようなのは、あまりいないかもしれないわ」
「———つまり?」
「つまり、途中でわざと街道を外れるかもしれないわ。少しだけね」
俺は目を瞬いた。
「相手は?」
「朱月の影響が薄い外縁なら、群れから外れた小型の魔獣か、下級の亜種。この辺りで理想的なのは———ゴブリン、ね」
アンジェリカの目が、いつになく冷静だった。
ごぶりん。
来た。
異世界ファンタジーの、あの定番が。
「ゴブリン」
「何よ、その顔」
「いや……来たなって」
「? 私たちが行くのよ?」
いやおま、わかってねえな。
だってゴブリンだぞ?
たぶんファンタジー世界の住民としては、珍しい存在でもないんだろう。
ミレイがいる前で、喜ぶわけにはいかないが。
でも、ゴブリンだぞ?
すごいな、本当にいるんだな。
俺の表情をみながら、ミレイがくつくつと笑った。
「ほんと変なの」
◆
外が少しずつ白み始めていた。
工房の窓から見える空は、朱色ではなく、夜明け前の鈍い藍色だ。
ミレイは荷の確認に出て、アンジェリカは最後の隠蔽をかけている。
俺は新しい服と、攪拌棒と、自分の手を見た。
昨日まで、ただの高校生だった。
今日の俺は、異世界で。
宮廷魔術師に運ばれ。
職人街で服をもらい。
攪拌棒を握って。
これからゴブリンを狩るらしい。
現実味はない。
システムといい、経験値稼ぎといい、まだどこかゲーム気分でいる。
たぶん、頭がおかしくなっているんだろう。
これを現実として捉えると、気が狂ってしまうのかもしれない。
あるいはもう、気はとっくに狂っているのかもしれない。
でも、今の俺はワクワクしている。
じゃあきっと、それでいいのだ。
悲観してもやることは変わらないのだから、せっかくなら楽しんだほうがいい筈だ。
その時、アンジェリカが言った。
「行くわよ」
「おう」
「勘違いしないで。これはあなたの要望を聞いたわけじゃないわ。もちろん、あなたを育てるためでもない」
「違うの?」
「死なれると困るから、最低限、死ににくくするだけ。あなたの意見は、それに沿っていただけよ」
「それ育ててない?」
「違うわ」
そこへミレイが戻ってきた。
「荷台の一番後ろ、布束の陰。あんたたち二人分、空けてある」
「ありがとう」
「私は、ありがとう、とは言わないわよ」
「別にいらない」
ミレイはそう言って、俺の胸元を一度だけ見た。
刻印は、布の下でまだ熱を持っている。
「……ハヤシだっけ」
「お、おう」
「その服、ゴブリンにはあんまり効かないかも、かな。
あいつら、刃物じゃなくて棍棒持ってくるからね」
「……棍棒に効く布はないの?」
「あるけど、高いんだよ」
彼女は少しだけ笑った。
「ま、せいぜい死なないようにね」
その笑い方は、相変わらず感じが悪かった。
でも、最初よりほんの少しだけ、人間らしい感じがした。
◆
荷馬車は、夜明けと一緒に動き出した。
染料樽、布束、木箱。俺とアンジェリカはその隙間に押し込まれる形で揺られる。
馬車の木枠が鳴るたび、王都って単語が現実味を持ってくる。
「なあ」
「何」
「本当に行くんだな、王都」
「今さら?」
「いや、なんか急に」
「急なのはいつものことでしょ、あなたの人生」
人生というか、まだ一日目なんですけどね。
これからの人生は、もしかしたらそうなのかもしれない。
荷の隙間から見える空は、だんだん明るくなっていく。
街門を抜ける。
辺境都市ヴァルムントが、少しずつ背後へ遠ざかる。
その時だった。
視界の中央に、金縁のウィンドウが開いた。
---
【新規クエスト発生:最初の一体を倒せ(難易度:Normal)】
【目的:道中でレベル3に到達する】
【推奨対象:単独行動の下級魔獣/ゴブリン等】
【報酬:レベルアップの可能性】
【失敗時:王都でもアンジェリカの足手まとい】
---
俺は、じっとそれを見た。
来た。
とうとう来た。
アンジェリカが俺の視線に気づく。
「……出たのね」
「ああ」
「何て?」
「最初の一体を倒せ、だって」
アンジェリカはため息をついた。
「そう。やっぱりあの提案は、システムからだったのね」
「なあ」
「何」
「ゴブリンって、ほんとに出ると思う?」
「街道次第ね」
「もし出たら」
「もし出たら?」
俺は攪拌棒を握り直した。
「……俺がやる」
アンジェリカは一瞬、何も言わなかった。
それから、ほんの少しだけ口元を動かして。
「そう。なら、せいぜい死なない程度に頑張りなさい。私が見といてあげるから」
ミレイと似たようなことを言う。
馬車が大きく揺れる。
その拍子に、外から御者の怒鳴り声が聞こえた。
「止まれ!」
同時に、馬がいななく。
荷台の外、街道の前方で、何かが道を横切った気配。
アンジェリカの目が細くなる。
「……早かったわね」
「え」
次の瞬間、荷の隙間から見えた。
朝靄の街道脇。
背の低い影が、ふたつ。
緑がかった皮膚。曲がった背。手には錆びた刃物。
こっちを見て、にやりと笑った。
俺の喉が、ごくりと鳴る。
アンジェリカが小さく言った。
「……ゴブリンよ」




