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第7話:パジャマ卒業クエスト(難易度:Easy)



 この剣と魔法のファンタジー世界に来て初めて、ちゃんと“次”を持ったのかもしれなかった。


 ——そう思ったのも束の間。


「で、ぼーっとしてる暇ある?」


 ミレイが言った。


「もうすぐ夜明けなんだけど」

「ごもっともです」

「なら動いて。まずその……服、を脱いで」


 言われて、自分の服を見下ろす。

 俺の現在の服装は、異世界生活一日目にしてすでに限界を迎えつつある、よれたパジャマである。


 夜風に当たるたび寒いし、ところどころ泥と何かよくわからない汁で汚れているし、胸元からは刻印が薄く赤く透けて見える。控えめに言って終わっている。


 ミレイは踵を返すと、洗い場の脇にある木造の建物へ向かった。


「こっち。工房の裏でやるよ」





 工房の裏手は、洗い場の印象とは違って静かだった。


 吊るされた布、積み上がった木箱、干し草の匂い。

 壁際には草木染めの原料らしき束が並んでいて、奥には織機みたいなものまである。


 思っていたより、ちゃんと「仕事場」だった。


「そこ立って」


 ミレイが言う。


「え、何?」

「では、採寸を始めます」

「あ、なるほど。早いな」

「夜明けまでに出ていくんでしょ? 悠長にやってる暇ないの」


 そう言って、彼女は細い紐みたいなものを取り出した。


 俺は思わず一歩下がる。


「……あの」

「何か?」

「その、採寸って、普通に?」

「普通じゃない採寸というのが、わからないかな」

「いや、なんかこう、魔法とかでふわっと」

「服を何だと思ってるの?」


 ……そう言われたらそうなんだけどさ、こう!


 言いたい。

 言いたいが言うわけにはいかない。

 俺が異世界人というのは、どうも機密事項らしいからな。

 システムのことも、地球のことも、言っていいのはアンジェリカだけだ。

 それは、ここまでやってくれた彼女への義理立てでもある。


 アンジェリカは壁際に寄りかかって、腕を組んでいた。

 顔色はまだ少し悪いが、さっきよりは呼吸が整っている。


「さっさと済ませなさい。私はその間に手配を考える」

「手配?」

「荷馬車、武器、門の通過、道中の経路。あとあなたが死なない確率を少しでも上げるための、最低限の準備」

「最後が重いな」

「当然でしょう」


 ミレイが俺の肩に紐を当てる。

 ———首、腕、胴、腰。動きはやけに手慣れていて、触れ方に無駄がない。


 服のオーダーメイドなんて作ったことないし、もちろん採寸なんて受けたこともない。

 そんな俺でもわかる。


 プロだ。いや、ほんとに職人だったらしい。

 この世界の職人は怖い。ハヤシ覚えた。


「……細いね」

「ありがとう」

「栄養状態が悪いって意味」

「あ、はい」

「あと姿勢が悪い」

「あっ、ハイ」

「胸張ってくれる?」

「あの、張ってます。実は」

「……なら張らないで。やれやれ、どこのお貴族様なのかな」


 貴族とかもいるのか。

 まあ王国っていうくらいだからな。


---


【サブクエスト発生:ミレイの記憶に残れ!(難易度:Very Easy)】

【推奨行動:印象に残る】

【報酬:???】

【失敗時:印象の薄い不審者】


---


 なんだこれ。


 今までも、この【報酬:】でまともなものが貰えたことはなかった。

 けど、今回は【???】だそうだ。

 もう意味がわからない。そもそもクエストっていうのか? これは。


 印象に残ったからといって、どうなるんだ?

 俺はこれから王都に行くっていうのに。

 

「——————」

「うわっ! 何! こわっ」


 ふと気づくと、ミレイの目が、こちらの目を覗き込んでいた。

 紫色に爛々と光る、両眼。


「今、何を見てた? 正直に言いな」

「え、別に、何も」

「嘘。何かを見てた。文字を読んで、変なことを考えてた。それだけは間違いない」

「な、何を根拠に! 仮にそうでも、アンタには関係ないだろ!」

「——」

「そこまでよ」


 アンジェリカがこめかみを押さえていた。


「それ以上は重要機密。ミレイ、あなたは知ってはいけない情報よ」

「……ふぅん。ところで、この布は?」

「ダメよ。

 預けない。置いていかない。質問にも答えない。

 触っていいのは、今だけよ」

「徹底してるね」

「当然よ」


 二人の女の間でバチバチと、火花が散っているように見えた。


 ———そうか。システムのことや地球の話だけじゃない。

 パジャマの布や、スマホや、きっとお金だって、重要機密事項なのだ。

 おそらく、俺自身も———。

 となると、今こうして採寸しているのは、例外的に必要だから。


 服や装備、武器のため。


 俺のレベル上げのために、機密を危険に晒しているのが、今。


「そんな態度で———」

「これは、私とあなたの問題ではないわ。

 それとも、敵に回したいの?」


 何を、とはアンジェリカは言わなかった。


 きっとこれが、アンジェリカの本来の温度なのだ、と思った。


 怒っているとか、怖いとかじゃない。

 線を引いて、絶対にその先を越えさせない冷徹な声音。


 淡々と。慈悲も妥協もない。

 ミレイは数秒だけ黙り、それから肩をすくめた。


「これだからお役所人間は———まあ、いいよ。さっき約束したしね。

 好奇心は猫をも殺す。

 私も大人になるべき、だね」


---


【サブクエスト達成:ミレイの記憶に残れ!(難易度:Very Easy)】

【印象のイメージ:解剖出来なかった悔しさ】

【報酬獲得:???】

【備考:絶対に油断しないでください】


---


 ……。

 こいつ、全然諦めてないじゃん!

 こわ!

 解剖とか、こっわ!!





「服はこれ」


 採寸を終えたミレイが持ってきたのは、深い紺色の上着と、灰色がかったズボン、それから革の留め具のついた短い外套だった。

 どれも新品ではないが、仕立て直してあるのか妙にきれいだ。

 袖を通すと、その軽さが心地よかった。


「特別な染料を入れてる。軽い汚れは目立たないし、水は弾く。毒酸でも溶けないし、虫食いもない。糸も補強してあるから、そんじょそこらの刃物は通らないよ」

「……悪く、ないわね」


 ……悪くないなんてもんじゃない。

 刃物が通らない布? なにそのテクノロジー?

 ドラゴンの皮か何か?


 サイズはぴったりだった。すごいな本当に。


 持ってこられた靴は、柔らかいブーツに近かった。

 履くと、裸足で石を踏んでいた人生が少しだけ遠くなった気がした。


 紺の上着を羽織り、外套をかける。

 鏡らしいものはないが、壁に掛かった金属板に映る自分は、もう「ただの不審者」ではなくなっていた。


 アンジェリカは俺を上から下まで見て、ほんの少しだけ頷いた。


「……まあ、さっきよりはマシね」

「褒めた?」

「事実を言っただけよ」


 うん。

 少なくとも、光るパジャマ男からは卒業できたと思う。



---


【サブクエスト達成:パジャマ卒業】

【報酬:人権の回復(中)】

【追加報酬:見た目の不審者度 -18】

【備考:中身は据え置きです】


---



 俺が着替えてからも、ミレイはしばらく、俺のパジャマの縫い目をじっと見ていた。

 眠そうだった目が、ほんの少しだけ細くなる。


「……欲しい」

「え」

「この変な布、解体したい」

「ダメ、よ」

「わかってる。盗らないよ。でも欲しい。この気持ちだけは表明させて」

「……」

「——なんてね、冗談よ。ふふ!」


【TIP: ちなみに嘘です。隙あらば盗もうとしています】

【TIP: 彼女の興味は服だけではないようです】

【あなたに同等の興味を持っている可能性: 92% (視線の動き、心拍数から算出した推定値)】


 ……怖い。

 興味って、解体ですよね?

 怖い。





 そのあと、武器の話になった。


「剣は無理」


 アンジェリカが即答した。


「なんで?」

「振ったことないでしょう」


 ぐぬぬ。

 確かに、中身の詰まった金属製の棒を素早く振り回せるかと言われたら、厳しいかもしれない。

 バットとかならともかく。


「槍も長物は無理。弓は論外。短剣は最悪、自分の足を刺す。さて、何がいいかしら?」

「信頼がないな」

「素人のあなたの武力を信頼する方が間違い」


 ミレイが奥の方から、一本の長めの棒を持ってきた。


「これなら?」

「何これ」

「特殊な攪拌棒。小釜用だから取り回しもいいよ」

「武器じゃないじゃん」

「人を殴ると普通に痛いよ」

「急に治安悪いな」


 アンジェリカが受け取り、軽く振る。


「……悪くないわね。重心が前にある。初心者でも当てれば効く」


 ……見た目はカッコ悪いけど。

 たしかに、剣よりは現実味があるか。


 俺はそれを受け取った。ずしりとした重み。

 握ってみると、不思議とちゃんと武器感がある。


 アンジェリカが地図らしい紙片を広げながら、ぽつりと言った。


「王都までの街道なら、明け方に出れば一日目は大人しい魔獣ばかりよ。馬車を見て襲ってくるようなのは、あまりいないかもしれないわ」

「———つまり?」

「つまり、途中でわざと街道を外れるかもしれないわ。少しだけね」


 俺は目を瞬いた。


「相手は?」

「朱月の影響が薄い外縁なら、群れから外れた小型の魔獣か、下級の亜種。この辺りで理想的なのは———ゴブリン、ね」


 アンジェリカの目が、いつになく冷静だった。


 ごぶりん。

 来た。


 異世界ファンタジーの、あの定番が。


「ゴブリン」

「何よ、その顔」

「いや……来たなって」

「? 私たちが行くのよ?」


 いやおま、わかってねえな。

 だってゴブリンだぞ?

 たぶんファンタジー世界の住民としては、珍しい存在でもないんだろう。

 ミレイがいる前で、喜ぶわけにはいかないが。


 でも、ゴブリンだぞ?

 すごいな、本当にいるんだな。


 俺の表情をみながら、ミレイがくつくつと笑った。


「ほんと変なの」





 外が少しずつ白み始めていた。

 工房の窓から見える空は、朱色ではなく、夜明け前の鈍い藍色だ。


 ミレイは荷の確認に出て、アンジェリカは最後の隠蔽をかけている。


 俺は新しい服と、攪拌棒と、自分の手を見た。


 昨日まで、ただの高校生だった。


 今日の俺は、異世界で。

 宮廷魔術師に運ばれ。

 職人街で服をもらい。

 攪拌棒を握って。


 これからゴブリンを狩るらしい。


 現実味はない。

 システムといい、経験値稼ぎといい、まだどこかゲーム気分でいる。


 たぶん、頭がおかしくなっているんだろう。

 これを現実として捉えると、気が狂ってしまうのかもしれない。

 あるいはもう、気はとっくに狂っているのかもしれない。


 でも、今の俺はワクワクしている。

 じゃあきっと、それでいいのだ。

 悲観してもやることは変わらないのだから、せっかくなら楽しんだほうがいい筈だ。


 その時、アンジェリカが言った。


「行くわよ」

「おう」


「勘違いしないで。これはあなたの要望を聞いたわけじゃないわ。もちろん、あなたを育てるためでもない」

「違うの?」

「死なれると困るから、最低限、死ににくくするだけ。あなたの意見は、それに沿っていただけよ」

「それ育ててない?」

「違うわ」


 そこへミレイが戻ってきた。


「荷台の一番後ろ、布束の陰。あんたたち二人分、空けてある」

「ありがとう」

「私は、ありがとう、とは言わないわよ」

「別にいらない」


 ミレイはそう言って、俺の胸元を一度だけ見た。

 刻印は、布の下でまだ熱を持っている。


「……ハヤシだっけ」

「お、おう」

「その服、ゴブリンにはあんまり効かないかも、かな。

 あいつら、刃物じゃなくて棍棒持ってくるからね」

「……棍棒に効く布はないの?」

「あるけど、高いんだよ」


 彼女は少しだけ笑った。


「ま、せいぜい死なないようにね」


 その笑い方は、相変わらず感じが悪かった。

 でも、最初よりほんの少しだけ、人間らしい感じがした。



 荷馬車は、夜明けと一緒に動き出した。

 染料樽、布束、木箱。俺とアンジェリカはその隙間に押し込まれる形で揺られる。


 馬車の木枠が鳴るたび、王都って単語が現実味を持ってくる。


「なあ」

「何」

「本当に行くんだな、王都」

「今さら?」

「いや、なんか急に」

「急なのはいつものことでしょ、あなたの人生」


 人生というか、まだ一日目なんですけどね。

 これからの人生は、もしかしたらそうなのかもしれない。


 荷の隙間から見える空は、だんだん明るくなっていく。

 街門を抜ける。


 辺境都市ヴァルムントが、少しずつ背後へ遠ざかる。

 その時だった。


 視界の中央に、金縁のウィンドウが開いた。


---


【新規クエスト発生:最初の一体を倒せ(難易度:Normal)】

【目的:道中でレベル3に到達する】

【推奨対象:単独行動の下級魔獣/ゴブリン等】

【報酬:レベルアップの可能性】

【失敗時:王都でもアンジェリカの足手まとい】


---


 俺は、じっとそれを見た。

 来た。

 とうとう来た。

 アンジェリカが俺の視線に気づく。


「……出たのね」

「ああ」

「何て?」

「最初の一体を倒せ、だって」


 アンジェリカはため息をついた。


「そう。やっぱりあの提案は、システムからだったのね」

「なあ」

「何」

「ゴブリンって、ほんとに出ると思う?」

「街道次第ね」

「もし出たら」

「もし出たら?」


 俺は攪拌棒を握り直した。


「……俺がやる」


 アンジェリカは一瞬、何も言わなかった。

 それから、ほんの少しだけ口元を動かして。


「そう。なら、せいぜい死なない程度に頑張りなさい。私が見といてあげるから」


 ミレイと似たようなことを言う。

 馬車が大きく揺れる。


 その拍子に、外から御者の怒鳴り声が聞こえた。


「止まれ!」


 同時に、馬がいななく。


 荷台の外、街道の前方で、何かが道を横切った気配。


 アンジェリカの目が細くなる。


「……早かったわね」

「え」


 次の瞬間、荷の隙間から見えた。


 朝靄の街道脇。


 背の低い影が、ふたつ。

 緑がかった皮膚。曲がった背。手には錆びた刃物。


 こっちを見て、にやりと笑った。


 俺の喉が、ごくりと鳴る。

 アンジェリカが小さく言った。


「……ゴブリンよ」



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