第9話:荷馬車の会話(難易度:Easy)
ゴブリンは、二体とも動かなくなった。
アンジェリカが倒した方は、もう少し奥に転がっている。
黒く焦げた跡が、地面に薄く残っているくらいで、本体はもうほとんど形がなかった。
俺の方は、しっかり形が残っている。
血の匂いは、思ったほど強くなかった。ゴブリンの体臭の方が全然つよい。
……あれ。
わりと、平気だな。
俺はそのことに、自分で少し驚いた。
チンパンジーどころか動物さえ殺したことなんてないのに、思ったほど震えていない。
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【現実感をあまり感じていないようです】
【もしかしたら後で来るかもしれません】
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あ、なるほど。
じゃあ後で来るんだろうな、これ。
なら今は、無視しておこう。
俺はゆっくり攪拌棒を下ろし、息を吐いた。
御者が、おそるおそる手綱の方から振り返る。
「あ、アンジェリカ様……」
「大事ないわ。出して」
「は、はい!」
たったそれだけのやり取りで、馬車は再び動き出した。
御者は俺の方を一度も見なかった。
むしろ、見ないようにしていた、と言った方が近い気がする。
……まあ、いいや。
俺もいま、自分の顔をあんまり人に見られたくない。
◆
荷台に戻る。
布束の隙間に身を押し込むと、馬車の木枠が、また、がたっと鳴った。
アンジェリカは元の場所———俺の向かいに、ぱさりと腰を下ろした。
外套の裾を払う仕草に、ほんの少しだけ疲れが見えた。
俺は攪拌棒を、膝の横に立てかける。
馬車がゆっくり加速する。
ぎし、ぎし、と荷が軋む。
馬の蹄の音が、地面を一定のリズムで叩いていく。
……。
……生きてる。
「お見事って、言ってあげようかしら」
不意に、アンジェリカが言った。
「お、頼む」
「やめておくわ」
「なんでだよ!」
「調子に乗られても困るから」
アンジェリカは攪拌棒の先を、じっと見た。
「……ちゃんと当ててたわね」
「マジで?」
「素人にしては、ってことよ」
なるほど。
もう一度、自分の手を見る。
まだ少し震えている。
でも、握れる。
ちゃんと、握れている。
【TIP:レベル3になって、握力が上がりました】
「……」
「何よ」
「いや」
「言いなさいよ」
「思ったより、平気なんだよな、俺」
アンジェリカが、ちらりと俺を見た。
「ふぅん」
「うん」
「ふぅん」
「二回言うな」
彼女は答えなかった。
代わりに、外套の中で腕を組み直した。
「ゴブリンは人型の魔物よ。
最初の一体で、おかしくならない人間には、二種類いるわ」
しばらくして、低く言った。
「ひとつは、ちゃんと向き合えてないやつ」
「うん」
「もうひとつは、ちゃんと向き合った上で、それでも持ちこたえられるやつ」
「俺、どっち?」
「私が知るわけないでしょう」
ですよね。
俺も知らないし。
「ま、どっちにしろ、後で来るかもしれないわ」
「うん。たぶんそうだろうな」
「来た時は、ちゃんと来たって言いなさい」
「えっ」
「強がられるのが、一番、面倒だから」
……あ、はい。
【好感度:4 → 5】
【TIP:彼女なりの最大限です】
あ、そうなんだ。
なるほど。
◆
カッポカッポ。
馬車は街道を進んでいく。
朝靄はもう、半分ほど薄れている。
道の両側は低い草地で、ところどころに灌木が固まって生えている。
遠くに、青みがかった山の稜線。
空はもう、ちゃんと水色だ。
めっちゃ、普通に旅っぽい。
胸の刻印がじりじりしているのと、隣に偉そうな女がいるのを除けば、本当に、ただの旅っぽい。
「アンジェリカ」
「何」
「次もいると思う? ゴブリン」
「いるかもね」
「即答じゃん」
「街道は長いもの」
俺は、攪拌棒を握り直した。
握り方が、さっきよりちょっとだけ、自然になっている気がする。
気のせいかもしれないけど。
【補足:気のせいではありません】
【『棒術:F』が、握り方を補正しています】
へえ、
システム、ちゃんと仕事してるじゃん。
【TIP:いつも仕事してます。誰のせいでこの状況になったと?】
2回目のYボタンを押したのはお前だな。少なくとも。
◆
その時だった。
馬の足音のリズムが、ふっと崩れた。
ぴくりと、アンジェリカの肩が動く。
俺の視界の隅で、ウィンドウが、ぺこんと開いた。
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【接近反応】
【個体数:1】
【脅威度:低】
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「アン」
「ええ。気づいてる」
荷台の隙間から、外を覗く。
街道脇の灌木が、不自然に揺れている。
風じゃない揺れ方だ。
誰か———何かが———体重で押し分けてきている揺れ方。
灌木の陰から、緑色の影が、ぬっと顔を出した。
また、ゴブリンだ。
今度は、一体だけ。
しかし、さっきの「小さい方」より、もう少し背が高い。
手にしているのは、刃物じゃなくて、棍棒。
ミレイが言っていた、あれだ。
「……」
馬車は、まだ気づいていない御者によって、そのまま進もうとしている。
ゴブリンは、馬車を見て、にやりと笑った。
獲物だ、と思った顔だ。
「ハヤシ、降りなさい」
「えっ、一人?」
「あなたのクエストでしょう?」
メインクエストは「王都へ向かえ」、サブの方は「道中でレベル上げ」。
相手は一体。
俺は攪拌棒を握り直した。
今度は、最初からちゃんと握れている。
「行ってくる」
「ええ」
「死んだら、その、ちょっとだけ悲しんでくれ」
「いやよ」
冷たい返事だ。
これじゃ死んでも死にきれねえ。
俺は荷台から飛び降りた。
着地、成功。
棍棒を、ぐっと握り直す。
俺は半歩、前に出た。




