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第9話:荷馬車の会話(難易度:Easy)



 ゴブリンは、二体とも動かなくなった。

 アンジェリカが倒した方は、もう少し奥に転がっている。


 黒く焦げた跡が、地面に薄く残っているくらいで、本体はもうほとんど形がなかった。


 俺の方は、しっかり形が残っている。

 血の匂いは、思ったほど強くなかった。ゴブリンの体臭の方が全然つよい。


 ……あれ。

 わりと、平気だな。


 俺はそのことに、自分で少し驚いた。

 チンパンジーどころか動物さえ殺したことなんてないのに、思ったほど震えていない。



---


【現実感をあまり感じていないようです】

【もしかしたら後で来るかもしれません】


---



 あ、なるほど。

 じゃあ後で来るんだろうな、これ。


 なら今は、無視しておこう。

 俺はゆっくり攪拌棒を下ろし、息を吐いた。


 御者が、おそるおそる手綱の方から振り返る。


「あ、アンジェリカ様……」

「大事ないわ。出して」

「は、はい!」


 たったそれだけのやり取りで、馬車は再び動き出した。


 御者は俺の方を一度も見なかった。

 むしろ、見ないようにしていた、と言った方が近い気がする。


 ……まあ、いいや。

 俺もいま、自分の顔をあんまり人に見られたくない。





 荷台に戻る。

 布束の隙間に身を押し込むと、馬車の木枠が、また、がたっと鳴った。


 アンジェリカは元の場所———俺の向かいに、ぱさりと腰を下ろした。

 外套の裾を払う仕草に、ほんの少しだけ疲れが見えた。


 俺は攪拌棒を、膝の横に立てかける。


 馬車がゆっくり加速する。

 ぎし、ぎし、と荷が軋む。

 馬の蹄の音が、地面を一定のリズムで叩いていく。


 ……。


 ……生きてる。


「お見事って、言ってあげようかしら」


 不意に、アンジェリカが言った。


「お、頼む」

「やめておくわ」

「なんでだよ!」

「調子に乗られても困るから」


 アンジェリカは攪拌棒の先を、じっと見た。


「……ちゃんと当ててたわね」

「マジで?」

「素人にしては、ってことよ」


 なるほど。

 もう一度、自分の手を見る。

 まだ少し震えている。


 でも、握れる。

 ちゃんと、握れている。


【TIP:レベル3になって、握力が上がりました】


「……」

「何よ」

「いや」

「言いなさいよ」

「思ったより、平気なんだよな、俺」


 アンジェリカが、ちらりと俺を見た。


「ふぅん」

「うん」

「ふぅん」

「二回言うな」


 彼女は答えなかった。

 代わりに、外套の中で腕を組み直した。


「ゴブリンは人型の魔物よ。

 最初の一体で、おかしくならない人間には、二種類いるわ」


 しばらくして、低く言った。


「ひとつは、ちゃんと向き合えてないやつ」

「うん」

「もうひとつは、ちゃんと向き合った上で、それでも持ちこたえられるやつ」

「俺、どっち?」

「私が知るわけないでしょう」


 ですよね。

 俺も知らないし。


「ま、どっちにしろ、後で来るかもしれないわ」

「うん。たぶんそうだろうな」

「来た時は、ちゃんと来たって言いなさい」

「えっ」

「強がられるのが、一番、面倒だから」


 ……あ、はい。


【好感度:4 → 5】

【TIP:彼女なりの最大限です】


 あ、そうなんだ。

 なるほど。





 カッポカッポ。

 馬車は街道を進んでいく。

 朝靄はもう、半分ほど薄れている。


 道の両側は低い草地で、ところどころに灌木が固まって生えている。


 遠くに、青みがかった山の稜線。

 空はもう、ちゃんと水色だ。


 めっちゃ、普通に旅っぽい。

 胸の刻印がじりじりしているのと、隣に偉そうな女がいるのを除けば、本当に、ただの旅っぽい。


「アンジェリカ」

「何」

「次もいると思う? ゴブリン」

「いるかもね」

「即答じゃん」

「街道は長いもの」


 俺は、攪拌棒を握り直した。

 握り方が、さっきよりちょっとだけ、自然になっている気がする。


 気のせいかもしれないけど。


【補足:気のせいではありません】

【『棒術:F』が、握り方を補正しています】


 へえ、

 システム、ちゃんと仕事してるじゃん。


【TIP:いつも仕事してます。誰のせいでこの状況になったと?】


 2回目のYボタンを押したのはお前だな。少なくとも。





 その時だった。

 馬の足音のリズムが、ふっと崩れた。


 ぴくりと、アンジェリカの肩が動く。

 俺の視界の隅で、ウィンドウが、ぺこんと開いた。


---


【接近反応】

【個体数:1】

【脅威度:低】


---


「アン」

「ええ。気づいてる」


 荷台の隙間から、外を覗く。

 街道脇の灌木が、不自然に揺れている。


 風じゃない揺れ方だ。

 誰か———何かが———体重で押し分けてきている揺れ方。


 灌木の陰から、緑色の影が、ぬっと顔を出した。


 また、ゴブリンだ。

 今度は、一体だけ。


 しかし、さっきの「小さい方」より、もう少し背が高い。

 手にしているのは、刃物じゃなくて、棍棒。


 ミレイが言っていた、あれだ。


「……」


 馬車は、まだ気づいていない御者によって、そのまま進もうとしている。


 ゴブリンは、馬車を見て、にやりと笑った。

 獲物だ、と思った顔だ。


「ハヤシ、降りなさい」

「えっ、一人?」

「あなたのクエストでしょう?」


 メインクエストは「王都へ向かえ」、サブの方は「道中でレベル上げ」。


 相手は一体。


 俺は攪拌棒を握り直した。

 今度は、最初からちゃんと握れている。


「行ってくる」

「ええ」

「死んだら、その、ちょっとだけ悲しんでくれ」

「いやよ」


 冷たい返事だ。

 これじゃ死んでも死にきれねえ。


 俺は荷台から飛び降りた。

 着地、成功。


 棍棒を、ぐっと握り直す。


 俺は半歩、前に出た。







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