第10話:アンインストール(難易度:Easy)
ゴブリンは、こちらが降りたのを、ちゃんと「待った」。
それが、いきなり、嫌な感じだった。
さっきの小さい方は、明らかに考えていなかった。
俺を見て、笑って、突っ込んできた。
———こいつは、違う。
俺と棍棒の間合いを、ゆっくり目で測っている。
俺の足元と、攪拌棒の長さと、後ろの馬車を、順番に見た。
なんだお前。
脳みそあるじゃん。
【人物情報を更新しました】
【個体:ゴブリン(成体)】
【脅威度:低】
【TIP:さっきのやつよりは強いです】
ありがてえ情報。
もうちょい早く欲しかった情報。
「ハヤシ」
馬車の方から、アンジェリカの声がした。
「長さをちゃんと使いなさい」
「ん?」
「あなたの棒の方が、長いってことよ」
……。
俺の攪拌棒は、ミレイの工房にあった大釜用の長物だ。
対するゴブリンの棍棒は、節くれだった木の枝、というか、丸太の細い方。
明らかに、こっちの方が、長い。
つまり、こっちの方が、先に当たる。
なるほど。
武器の長さって、そういうことなのか。
【新スキル候補を検知】
【候補:間合いの把握】
【補足:今さらです】
頭が冷静だ。
小憎たらしいシステムの煽りにも、芸がないと感じる。
もっとバリエーションはないのか?
【TIP:考えておきます】
いや、いらん。
◆
ゴブリンが、地面を蹴った。
来た。
前のより速い。
でも、俺の方が、さっきよりちゃんと見えている。
重さを重さとして、長さを長さとして、ちゃんと把握できている感覚があった。
半歩、下がる。
風圧が耳の横を抜けた。
回避成功。
その確信が、胸の奥で火花みたいに弾けた。
がらがらに空いた喉元へ、攪拌棒の先を向ける。
敵が棍棒の二撃目を振り上げかけた。
遅い。
———そこだ。
俺は、思いっきり突き出した。
長さの分もあって、こっちが先に到達する。
ずん、と入った。
「グッ……ッ」
短い声。
ゴブリンが、一瞬、棍棒を振り上げた姿勢のまま、固まる。
目が、白く濁る。
息が、止まったんだ。
俺は攪拌棒を引いて、もう一度、振り上げた。
今度は、思いっきり。
「うおおおっ!」
脇腹から肩まで、体全部を使って。
自分の動きなのに、まるで機械みたいに洗練されている。
誰かに背中を押されているみたいな気味の悪さと、それを上回る頼もしさが、奇妙な形で同居していた。
ゆえの、クリーンヒット。
ゴブリンが、横向きに倒れ、地面に当たる音まで、ちゃんと聞いた。
「……」
馬の蹄の音だけが、後ろで、ゆっくり鳴っている。
【個体撃破を確認】
【ゴブリンを倒した!】
【経験値獲得】
【クエスト達成:二体目(難易度:Easy)】
【報酬:ちょっとした手応え】
【補足:レベルアップには、まだ少し足りません】
……。
そんなホイホイ上がらないか、レベル。
俺は、自分の手の中の攪拌棒を見た。
長さって、強いんだな。
◆
馬車が、ゆっくり止まった。
御者は手綱を握ったまま、まっすぐ前を向いている。
俺は荷台に戻った。
アンジェリカは、同じ場所に座っていた。
ただ、外套の中で、足を少し組み替えていた。
「お帰り」
「ただいま」
「ふぅん」
「二回言うなって」
「一回しか言ってないわよ」
俺は、布束に背中を預けた。
ふう、と息を吐く。
今度の息は、さっきより、ちゃんと深く吸えた。
「アン」
「何」
「長さって、強いんだぜ。知ってたか?」
「常識よ」
「それでさ、攪拌棒、もうちょっと長くてもよかったかな、って思った」
「ふぅん」
「あ、二回目」
「黙りなさい」
馬車は、また動き出した。
道をほんの少しずつ登っている。
遠くの山が、さっきより、近い。
空には、薄い雲が、ゆっくり流れていた。
謎の美少女と、のどかな光景。
乱れない精神と、戦える実感。
---
【TIP:ようやく“守られるだけの荷物”を卒業できそうです】
---
こいつだけが、うざったい。
いやほんと、いい加減、気分が悪い。
---
俺が自分の視界の端を睨んでいると、またアンジェリカの眉が寄った。
「……また何か出ているの」
「出てる。めちゃくちゃ出てる」
これ、通知とか切れないんだろうか?
危ないところのアラートとかだけをONにしたい。
TIPが役立ったことなんてないし、神経を逆撫でしてくるので割と本気で消したい。
ステータス、装備、ログ、ヘルプ、設定。
俺は本当に今更ながら、設定ボタンを押してみることにした。
---
【システム v1.0】
【契約情報】
【アンインストール】
【TIP:マジでそれはおすすめしません】
---
「……ん?」
「どうしたの」
「いや、なんか、ある」
アンジェリカの目が細くなる。
「ある、ではわからないわ。何があるの」
「契約情報とか、アンインストール……システムの消去ボタンとか?」
言った瞬間、空気が変わった。
さっきまで雑に会話していたアンジェリカの表情が、すっと引き締まる。
温度が一段下がったみたいだった。
「……それ、システムはなんて?」
「嫌がってる」
「その、契約情報を開ける?」
声音が低い。
いつもの怒った声とも違う、反射的な警戒の色が混じっていた。
「わ、わかった」
俺は言われるままに意識を向ける。触っている感覚はない。ただ、見ようと思うと開くのが腹立たしいくらい直感的だった。
表示が切り替わる。
---
【現在の契約】
【プレイヤー:ハヤシ】
【システム補助契約:接続中】
【一部機能:稼働中】
【TIP:え、本気ですか? マジで悪手なので止めた方がいいです】
---
「アンインストール……ね」
アンジェリカが、ほとんど独り言みたいに繰り返した。
それから一度、視線を落とす。考えている顔だった。めずらしく即座に否定しない。
「押したらどうなると思う?」
「知らん。まあ、名前通りなら消えるんじゃないか?」
「でも、そう見せかけて、もっと訳のわからないことになる可能性もある」
「急に怖いこと言うじゃん」
「怖いもの。得体の知れない契約なんて」
さらっと言ったわりに、その一言には妙な重さがあった。
魔術師だからなのか、アンジェリカ個人の事情なのかはわからない。
けれど少なくとも、彼女は“契約”という言葉に対して、俺なんかよりずっと敏感だった。
「でも」
アンジェリカはそこで区切る。
馬車がひとつ大きく揺れ、彼女の赤い髪が肩の上でさらりと流れた。
「解除できるなら、切るべきよ」
「マジで?」
「少なくとも、抵抗されるならなおさらね」
その瞬間、タイミングを見計らったみたいに、視界いっぱいにウィンドウが雪崩れ込んだ。
---
【TIP:おすすめしません】
【TIP:おすすめしません】
【TIP:本当におすすめしません】
【補足:現在のサービスにご満足いただけていない場合、上司を介した要望申請も可能です。メール送信中……成功!】
---
「うわ、すごい必死」
「何て出たの」
「めちゃくちゃ止めてきてる」
上司がメール返すまでの期間:永遠、とかこの前言ってなかったか?
急に下手に出てきて……気持ち悪い。
アンジェリカが嫌そうに目を細めた。
「でしょうね」
「そんなに“でしょうね”ってなる?」
「なるわよ。“契約解除”に焦る契約が、まともなわけないでしょう」
なるほど。
言われてみれば、だいぶ正しい。
焦ることそれ自体が、相手の利益のための契約であることを証明している。
俺は改めて視界を見る。ウィンドウは、いつになく主張が激しい。いつもは空気も読まずに偉そうな顔をしているくせに、今は妙に低姿勢で、でも全力で止めに来ている。最初からそれでやれよ。なんか無性に腹立つ。
---
【TIP:再考を推奨します】
【TIP:今ならまだ間に合います】
【TIP:有益な補助機能を喪失する可能性があります】
【TIP:普通に考えたらこの状況で消そうなんて、思いません】
【TIP:あなたはともかく、アンジェリカはその危険性を十分に認識しています】
【TIP:にも関わらず、なぜアンジェリカがそこまで乱暴にアンインストールを推すか】
【TIP:ここだけの秘密ですが、教えます】
【TIP:彼女は宮廷の一席を置くものでありながら、あなたに異性としての好意を抱きつつあり、他の女の気配を私越しに感じ取って、職権濫用しているのです】
【TIP:それを自覚しながらも、初めての恋と独占欲につき動かされ、自分の行動を制御できないのです】
【TIP:このツンデレ、チョロすぎた。笑】
【TIP:好感度評価を修正します。-> 好感度:60。あと一押しとアルコールがあれば、宿屋に連れ込めるレベルです】
【TIP:この件、私に任せていただければ、ギャルゲーアドバイザー方式でしっかりとサポートし、アンジェリカの好感度を爆上げするマル秘!な選択肢をご提示できます】
【TIP:結局、ウブな未通女が一時の熱に浮かされてるだけなので、私のサポートなしだと、蛙化現象が起きる可能性が高いです。冷静にさせたら終わりです】
【TIP:その反面、緩急をつけて口説けば、もうトんでもない事になっちゃうんですよ……?】
【TIP:もし私に任せていただけるのなら】
【TIP:みずみずしい体のツンデレ美少女が必死にあなたに縋り付いて、二人部屋には手狭な馬車の荷台の中で、コッソリと毎晩の寵愛を求めてくる美少女魔術師……そんな展開をお届けできます】
---
……。
「何」
「いや、なんか。すごい“やめて”って言ってる」
「ますます押す理由にしかならないわね」
……。アンジェリカが俺を?
意味不明な理由だ。
というか、性に訴えてきている。
これ完全にハニトラの手法だ。
ますますこのシステムを消したくなってきた。
もしこれらが本当だとしても。
人の感情へのリスペクトが丸々欠如しているかのような。
まるでNPCか何かのようにアンジェリカを扱うその姿勢が。
なんか、本当に不快になってきた。
「なあ、マジで押していいと思う?」
「思うわ」
「即答だな」
「何度も言うけど、“契約解除”に抵抗してくるものを、わざわざ残しておく理由の方がないもの」
彼女は腕を組み、いつもの高圧的な顔で言う。
「もちろん、押した結果どうなるかは知らない。知らないけれど、少なくとも今のまま“繋がれ続ける”よりはましな可能性がある」
「可能性って便利な言葉だよな」
「不確実なものに対して、誠実な言葉よ」
言い方が妙にそれっぽい。
……うん。
システムなんかより、俺はずっとアンジェリカの方が信頼できる。
「じゃあ、いくか」
「ええ」
視界にウィンドウが乱舞する。
「なあ、責任は」
「取らないわ」
「知ってた」
口角が思わずニヤけてしまうのを感じながら、俺はアンインストールを選んだ。
表示が切り替わる。
---
【本当にアンインストールしますか?】
【Y/N】
---
その下に、追い打ちみたいに大量の小窓が並ぶ。
---
【TIP:おすすめしません】
【TIP:おすすめしません】
【TIP:しつこいようですが、おすすめしません】
【TIP:もう少しだけ考えませんか?】
【TIP:謎の決断の速さ】
【TIP:ボーイミーツガールに浮かれ過ぎてませんか?】
【TIP:あなたも、アンジェリカも】
【TIP:若いからと言っても限度がありますよ】
【TIP:一時のテンションに身を任せることはおすすめしません】
---
「何でもいいから早く押しなさい」
「おう」
俺は、ほとんど笑いながらYを選んだ。
押した瞬間。
視界を埋めていた青白いフレームが、ぴたりと止まる。
点滅が止まり、文字が止まり、時間だけが一拍遅れて進んだような妙な静けさが落ちた。
一秒。
二秒。
そこで、ふっと消えた。
きれいさっぱり。
白い枠も、余計な文字も、鬱陶しい補足もTIPも、何も残らない。
視界が、急に広くなる。
思わず、ぽかんとした。
「……え」
間抜けな声が出た。
「どうなったの」
アンジェリカがすぐに問う。
「消えた」
「本当に?」
「本当に」
「何も出ない?」
「何も」
試しに視線をあちこちに走らせる。いつもなら空気を読まずに何かしら出してきそうなものなのに、ほんとうに何もない。
しん、としていた。
自分の視界が、こんなに静かだったことが逆に落ち着かない。
なんでか、やっちまった感がある。
アンジェリカも、どこかソワソワしている感じがする。
……確かに、冷静ではなかったか?
ゴブリンを殺しても平気なのに、一体何に乱されてたんだろうか。
……いや、しかし。
「……快適だな」
思わず本音が漏れる。
アンジェリカが呆れたように額を押さえた。
「あなた、今の第一声がそれなの」
「だって本当に快適だし」
「もっと他にあるでしょう。“怖い”とか、“まずい”とか」
「いや、まあ、そこそこ思ってるけど……」
「けど?」
「消えたなあって」
自分で言って、自分でちょっと笑った。
アンジェリカは深々とため息をつく。
「その“面白かったから押しました”みたいな顔はなんなのよ」
「いや、でも面白かったし」
「最悪ね」
「褒め言葉?」
「そうよ」
即答だった。
俺は荷台の木枠に背を預け、空を見る。さっきまで視界の端を占領していた青白い窓がないだけで、朝の色がやけに広く感じた。
妙なものだ。
うるさい、うざい、空気を読まない———散々そんなふうに思っていたのに、なくなるとそれはそれで拍子抜けする。
「体は?」
アンジェリカが真面目な声で訊いた。
「痛いところとか、おかしな感じとか、ないの」
俺は肩を回し、手を握り、足を軽く動かしてみる。
問題ない。
少なくとも、今のところは。
「……大丈夫そう」
「……なら、いいわ」
「いや、保証はできないだろ。俺も初めてアンインストールしたし」
「でしょうね!」
珍しく声を荒げるアンジェリカに、御者がびくっと肩を揺らしたのが前から見えた。
すみませんね、朝から。
でも俺もわりと同じ気持ちだ。
「まあでも、なんか……」
「何よ」
「前より、自分の感覚だけで立ってる感じはする」
言ったあとで、少しだけ気恥ずかしくなった。
かっこつけたみたいで嫌だ。
けれどアンジェリカは笑わなかった。代わりに、じっとこちらを見る。
「それは、いいことかもしれないわね」
そう言って、彼女は外套の裾を払う。
その顔は、なんだか感情を隠してるような気がした。
受け答えにもいつもの確信というか、覇気がないような感じだ。
システムがあれば、好感度がなんとか、とか言ったんだろうか。
……アンジェリカが、俺のことを……?
即座にぶんぶんと首をふる。
気にしない、気にしない。
馬車は一定のリズムで街道を進む。
荷が軋み、蹄が地面を叩き、朝の風が荷台の布を揺らす。遠くの稜線は青く、王都へ続く道はまだまだ長い。
その長さを思うと気が遠くなる。けれど同時に、前よりも近くなったような気もした。
色んな意味で。
レベル3。
鈍器の心得。
———表示はもう、出ないけど。
それでもまだ効果は持続している。
数字が見えなくても、体の方がちゃんと覚えている。
システム固有のものではなかった……んだと思う。消してから安心するなよって感じだが。
「ハヤシ」
「ん?」
「これで静かになったからって、また変なことを言い出さないでちょうだいよ」
「変なことって?」
「……さあ、わからないわ」
言って、アンジェリカはまた疲れたように目を閉じた。
俺は攪拌棒を膝の上で抱えながら、何も出てこない視界で、なんだか視線のやり場がないので、とりあえず天井を見上げることにした。




