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第10話:アンインストール(難易度:Easy)



 ゴブリンは、こちらが降りたのを、ちゃんと「待った」。


 それが、いきなり、嫌な感じだった。

 さっきの小さい方は、明らかに考えていなかった。


 俺を見て、笑って、突っ込んできた。


 ———こいつは、違う。


 俺と棍棒の間合いを、ゆっくり目で測っている。

 俺の足元と、攪拌棒の長さと、後ろの馬車を、順番に見た。


 なんだお前。

 脳みそあるじゃん。


【人物情報を更新しました】

【個体:ゴブリン(成体)】

【脅威度:低】

【TIP:さっきのやつよりは強いです】


 ありがてえ情報。

 もうちょい早く欲しかった情報。


「ハヤシ」


 馬車の方から、アンジェリカの声がした。


「長さをちゃんと使いなさい」

「ん?」

「あなたの棒の方が、長いってことよ」


 ……。


 俺の攪拌棒は、ミレイの工房にあった大釜用の長物だ。

 対するゴブリンの棍棒は、節くれだった木の枝、というか、丸太の細い方。


 明らかに、こっちの方が、長い。

 つまり、こっちの方が、先に当たる。


 なるほど。

 武器の長さって、そういうことなのか。


【新スキル候補を検知】

【候補:間合いの把握】

【補足:今さらです】


 頭が冷静だ。

 小憎たらしいシステムの煽りにも、芸がないと感じる。

 もっとバリエーションはないのか?


【TIP:考えておきます】


 いや、いらん。





 ゴブリンが、地面を蹴った。


 来た。

 前のより速い。


 でも、俺の方が、さっきよりちゃんと見えている。

 重さを重さとして、長さを長さとして、ちゃんと把握できている感覚があった。


 半歩、下がる。

 風圧が耳の横を抜けた。

 回避成功。

 その確信が、胸の奥で火花みたいに弾けた。


 がらがらに空いた喉元へ、攪拌棒の先を向ける。


 敵が棍棒の二撃目を振り上げかけた。

 遅い。


 ———そこだ。


 俺は、思いっきり突き出した。

 長さの分もあって、こっちが先に到達する。


 ずん、と入った。


「グッ……ッ」


 短い声。

 ゴブリンが、一瞬、棍棒を振り上げた姿勢のまま、固まる。


 目が、白く濁る。

 息が、止まったんだ。


 俺は攪拌棒を引いて、もう一度、振り上げた。

 今度は、思いっきり。


「うおおおっ!」


 脇腹から肩まで、体全部を使って。


 自分の動きなのに、まるで機械みたいに洗練されている。

 誰かに背中を押されているみたいな気味の悪さと、それを上回る頼もしさが、奇妙な形で同居していた。


 ゆえの、クリーンヒット。


 ゴブリンが、横向きに倒れ、地面に当たる音まで、ちゃんと聞いた。


「……」


 馬の蹄の音だけが、後ろで、ゆっくり鳴っている。


【個体撃破を確認】

【ゴブリンを倒した!】

【経験値獲得】


【クエスト達成:二体目(難易度:Easy)】

【報酬:ちょっとした手応え】

【補足:レベルアップには、まだ少し足りません】


 ……。

 そんなホイホイ上がらないか、レベル。


 俺は、自分の手の中の攪拌棒を見た。


 長さって、強いんだな。





 馬車が、ゆっくり止まった。

 御者は手綱を握ったまま、まっすぐ前を向いている。


 俺は荷台に戻った。

 アンジェリカは、同じ場所に座っていた。


 ただ、外套の中で、足を少し組み替えていた。


「お帰り」

「ただいま」

「ふぅん」

「二回言うなって」

「一回しか言ってないわよ」


 俺は、布束に背中を預けた。


 ふう、と息を吐く。

 今度の息は、さっきより、ちゃんと深く吸えた。


「アン」

「何」

「長さって、強いんだぜ。知ってたか?」

「常識よ」

「それでさ、攪拌棒、もうちょっと長くてもよかったかな、って思った」

「ふぅん」

「あ、二回目」

「黙りなさい」


 馬車は、また動き出した。

 道をほんの少しずつ登っている。


 遠くの山が、さっきより、近い。

 空には、薄い雲が、ゆっくり流れていた。


 謎の美少女と、のどかな光景。

 乱れない精神と、戦える実感。



---


【TIP:ようやく“守られるだけの荷物”を卒業できそうです】


---


 こいつだけが、うざったい。

 いやほんと、いい加減、気分が悪い。


---


 俺が自分の視界の端を睨んでいると、またアンジェリカの眉が寄った。


「……また何か出ているの」

「出てる。めちゃくちゃ出てる」


 これ、通知とか切れないんだろうか?

 危ないところのアラートとかだけをONにしたい。

 TIPが役立ったことなんてないし、神経を逆撫でしてくるので割と本気で消したい。


 ステータス、装備、ログ、ヘルプ、設定。

 俺は本当に今更ながら、設定ボタンを押してみることにした。


---


【システム v1.0】

【契約情報】

【アンインストール】

【TIP:マジでそれはおすすめしません】


---


「……ん?」

「どうしたの」

「いや、なんか、ある」


 アンジェリカの目が細くなる。


「ある、ではわからないわ。何があるの」

「契約情報とか、アンインストール……システムの消去ボタンとか?」


 言った瞬間、空気が変わった。

 さっきまで雑に会話していたアンジェリカの表情が、すっと引き締まる。

 温度が一段下がったみたいだった。


「……それ、システムはなんて?」

「嫌がってる」

「その、契約情報を開ける?」


 声音が低い。

 いつもの怒った声とも違う、反射的な警戒の色が混じっていた。


「わ、わかった」


 俺は言われるままに意識を向ける。触っている感覚はない。ただ、見ようと思うと開くのが腹立たしいくらい直感的だった。


 表示が切り替わる。


---


【現在の契約】

【プレイヤー:ハヤシ】

【システム補助契約:接続中】

【一部機能:稼働中】

【TIP:え、本気ですか? マジで悪手なので止めた方がいいです】


---


「アンインストール……ね」


 アンジェリカが、ほとんど独り言みたいに繰り返した。

 それから一度、視線を落とす。考えている顔だった。めずらしく即座に否定しない。


「押したらどうなると思う?」

「知らん。まあ、名前通りなら消えるんじゃないか?」

「でも、そう見せかけて、もっと訳のわからないことになる可能性もある」

「急に怖いこと言うじゃん」

「怖いもの。得体の知れない契約なんて」


 さらっと言ったわりに、その一言には妙な重さがあった。

 魔術師だからなのか、アンジェリカ個人の事情なのかはわからない。

 けれど少なくとも、彼女は“契約”という言葉に対して、俺なんかよりずっと敏感だった。


「でも」


 アンジェリカはそこで区切る。

 馬車がひとつ大きく揺れ、彼女の赤い髪が肩の上でさらりと流れた。


「解除できるなら、切るべきよ」

「マジで?」

「少なくとも、抵抗されるならなおさらね」


 その瞬間、タイミングを見計らったみたいに、視界いっぱいにウィンドウが雪崩れ込んだ。


---


【TIP:おすすめしません】

【TIP:おすすめしません】

【TIP:本当におすすめしません】

【補足:現在のサービスにご満足いただけていない場合、上司を介した要望申請も可能です。メール送信中……成功!】


---


「うわ、すごい必死」

「何て出たの」

「めちゃくちゃ止めてきてる」


 上司がメール返すまでの期間:永遠、とかこの前言ってなかったか?

 急に下手に出てきて……気持ち悪い。


 アンジェリカが嫌そうに目を細めた。


「でしょうね」

「そんなに“でしょうね”ってなる?」

「なるわよ。“契約解除”に焦る契約が、まともなわけないでしょう」


 なるほど。

 言われてみれば、だいぶ正しい。

 焦ることそれ自体が、相手の利益のための契約であることを証明している。


 俺は改めて視界を見る。ウィンドウは、いつになく主張が激しい。いつもは空気も読まずに偉そうな顔をしているくせに、今は妙に低姿勢で、でも全力で止めに来ている。最初からそれでやれよ。なんか無性に腹立つ。


---


【TIP:再考を推奨します】

【TIP:今ならまだ間に合います】

【TIP:有益な補助機能を喪失する可能性があります】

【TIP:普通に考えたらこの状況で消そうなんて、思いません】

【TIP:あなたはともかく、アンジェリカはその危険性を十分に認識しています】

【TIP:にも関わらず、なぜアンジェリカがそこまで乱暴にアンインストールを推すか】

【TIP:ここだけの秘密ですが、教えます】

【TIP:彼女は宮廷の一席を置くものでありながら、あなたに異性としての好意を抱きつつあり、他の女の気配を私越しに感じ取って、職権濫用しているのです】

【TIP:それを自覚しながらも、初めての恋と独占欲につき動かされ、自分の行動を制御できないのです】

【TIP:このツンデレ、チョロすぎた。笑】

【TIP:好感度評価を修正します。-> 好感度:60。あと一押しとアルコールがあれば、宿屋に連れ込めるレベルです】

【TIP:この件、私に任せていただければ、ギャルゲーアドバイザー方式でしっかりとサポートし、アンジェリカの好感度を爆上げするマル秘!な選択肢をご提示できます】

【TIP:結局、ウブな未通女が一時の熱に浮かされてるだけなので、私のサポートなしだと、蛙化現象が起きる可能性が高いです。冷静にさせたら終わりです】

【TIP:その反面、緩急をつけて口説けば、もうトんでもない事になっちゃうんですよ……?】

【TIP:もし私に任せていただけるのなら】

【TIP:みずみずしい体のツンデレ美少女が必死にあなたに縋り付いて、二人部屋には手狭な馬車の荷台の中で、コッソリと毎晩の寵愛を求めてくる美少女魔術師……そんな展開をお届けできます】


---


 ……。


「何」

「いや、なんか。すごい“やめて”って言ってる」

「ますます押す理由にしかならないわね」


 ……。アンジェリカが俺を?

 意味不明な理由だ。

 というか、性に訴えてきている。

 これ完全にハニトラの手法だ。

 ますますこのシステムを消したくなってきた。


 もしこれらが本当だとしても。

 人の感情へのリスペクトが丸々欠如しているかのような。

 まるでNPCか何かのようにアンジェリカを扱うその姿勢が。

 なんか、本当に不快になってきた。


「なあ、マジで押していいと思う?」

「思うわ」

「即答だな」

「何度も言うけど、“契約解除”に抵抗してくるものを、わざわざ残しておく理由の方がないもの」


 彼女は腕を組み、いつもの高圧的な顔で言う。


「もちろん、押した結果どうなるかは知らない。知らないけれど、少なくとも今のまま“繋がれ続ける”よりはましな可能性がある」

「可能性って便利な言葉だよな」

「不確実なものに対して、誠実な言葉よ」


 言い方が妙にそれっぽい。

 ……うん。

 システムなんかより、俺はずっとアンジェリカの方が信頼できる。


「じゃあ、いくか」

「ええ」


 視界にウィンドウが乱舞する。


「なあ、責任は」

「取らないわ」

「知ってた」


 口角が思わずニヤけてしまうのを感じながら、俺はアンインストールを選んだ。

 表示が切り替わる。


---


【本当にアンインストールしますか?】

【Y/N】


---


 その下に、追い打ちみたいに大量の小窓が並ぶ。


---


【TIP:おすすめしません】

【TIP:おすすめしません】

【TIP:しつこいようですが、おすすめしません】

【TIP:もう少しだけ考えませんか?】

【TIP:謎の決断の速さ】

【TIP:ボーイミーツガールに浮かれ過ぎてませんか?】

【TIP:あなたも、アンジェリカも】

【TIP:若いからと言っても限度がありますよ】

【TIP:一時のテンションに身を任せることはおすすめしません】


---


「何でもいいから早く押しなさい」

「おう」


 俺は、ほとんど笑いながらYを選んだ。


 押した瞬間。

 視界を埋めていた青白いフレームが、ぴたりと止まる。

 点滅が止まり、文字が止まり、時間だけが一拍遅れて進んだような妙な静けさが落ちた。


 一秒。

 二秒。


 そこで、ふっと消えた。


 きれいさっぱり。

 白い枠も、余計な文字も、鬱陶しい補足もTIPも、何も残らない。


 視界が、急に広くなる。

 思わず、ぽかんとした。


「……え」


 間抜けな声が出た。


「どうなったの」


 アンジェリカがすぐに問う。


「消えた」

「本当に?」

「本当に」

「何も出ない?」

「何も」


 試しに視線をあちこちに走らせる。いつもなら空気を読まずに何かしら出してきそうなものなのに、ほんとうに何もない。

 しん、としていた。


 自分の視界が、こんなに静かだったことが逆に落ち着かない。


 なんでか、やっちまった感がある。

 アンジェリカも、どこかソワソワしている感じがする。


 ……確かに、冷静ではなかったか?

 ゴブリンを殺しても平気なのに、一体何に乱されてたんだろうか。


 ……いや、しかし。


「……快適だな」


 思わず本音が漏れる。

 アンジェリカが呆れたように額を押さえた。


「あなた、今の第一声がそれなの」

「だって本当に快適だし」

「もっと他にあるでしょう。“怖い”とか、“まずい”とか」

「いや、まあ、そこそこ思ってるけど……」

「けど?」

「消えたなあって」


 自分で言って、自分でちょっと笑った。


 アンジェリカは深々とため息をつく。


「その“面白かったから押しました”みたいな顔はなんなのよ」

「いや、でも面白かったし」

「最悪ね」

「褒め言葉?」

「そうよ」


 即答だった。

 俺は荷台の木枠に背を預け、空を見る。さっきまで視界の端を占領していた青白い窓がないだけで、朝の色がやけに広く感じた。


 妙なものだ。

 うるさい、うざい、空気を読まない———散々そんなふうに思っていたのに、なくなるとそれはそれで拍子抜けする。


「体は?」


 アンジェリカが真面目な声で訊いた。


「痛いところとか、おかしな感じとか、ないの」


 俺は肩を回し、手を握り、足を軽く動かしてみる。

 問題ない。

 少なくとも、今のところは。


「……大丈夫そう」

「……なら、いいわ」

「いや、保証はできないだろ。俺も初めてアンインストールしたし」

「でしょうね!」


 珍しく声を荒げるアンジェリカに、御者がびくっと肩を揺らしたのが前から見えた。

 すみませんね、朝から。

 でも俺もわりと同じ気持ちだ。


「まあでも、なんか……」

「何よ」

「前より、自分の感覚だけで立ってる感じはする」


 言ったあとで、少しだけ気恥ずかしくなった。

 かっこつけたみたいで嫌だ。

 けれどアンジェリカは笑わなかった。代わりに、じっとこちらを見る。


「それは、いいことかもしれないわね」


 そう言って、彼女は外套の裾を払う。

 その顔は、なんだか感情を隠してるような気がした。

 受け答えにもいつもの確信というか、覇気がないような感じだ。

 システムがあれば、好感度がなんとか、とか言ったんだろうか。


 ……アンジェリカが、俺のことを……?


 即座にぶんぶんと首をふる。

 気にしない、気にしない。



 馬車は一定のリズムで街道を進む。

 荷が軋み、蹄が地面を叩き、朝の風が荷台の布を揺らす。遠くの稜線は青く、王都へ続く道はまだまだ長い。


 その長さを思うと気が遠くなる。けれど同時に、前よりも近くなったような気もした。

 色んな意味で。


 レベル3。

 鈍器の心得。


 ———表示はもう、出ないけど。

 それでもまだ効果は持続している。

 数字が見えなくても、体の方がちゃんと覚えている。

 システム固有のものではなかった……んだと思う。消してから安心するなよって感じだが。



「ハヤシ」

「ん?」

「これで静かになったからって、また変なことを言い出さないでちょうだいよ」

「変なことって?」

「……さあ、わからないわ」


 言って、アンジェリカはまた疲れたように目を閉じた。

 俺は攪拌棒を膝の上で抱えながら、何も出てこない視界で、なんだか視線のやり場がないので、とりあえず天井を見上げることにした。




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