表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

父と母、父の妻の話

私は、戸籍上「非嫡出子」。

家庭がある男と母が肉体関係を結んだ結果生まれた子供だ。

そして、私が生まれる前に男の子を死産している。


なんでこんな男と「そういう関係」になったのか。と

高校入学のお祝いとして、いわゆる「夢の国」に連れて行ってくれた生物学上の父親に感じた。

というのは、「世間の厳しさを知らないボンボン」としか思えなかったからだった。


この当時の私は、

母が起業していたこともあって常に「大人」たちが側にいた。


大人の世界は本当面倒くさい。

こんなふうになりたくないと思いながら作り笑いをし、

彼ら・彼女らの話を聞きながら思っていたのだった。

いわゆる「ませた子供」である。


母と父が出会ったのは、

1972年に開催された「あすなろ国体」だという。

よくわからない仕事をしていた父親が

ビジネスチャンスを狙いに来青していて、

接待で母の店に来たのが始まりだったらしい。


ええ、私の母、スナック経営をしていたんです、この頃。


何度も書きますが、

昭和の時代、地方都市は特に

何も持たない女が一人で生きるにはシビアな状況だった。

生活保護を受ければ楽だったと思うが、

そういった情報に疎いがゆえに、男に頼らないと生きていけなかったのだろうと思う。


どんな思惑があって男女の関係になったのかはわからない。

ただ、惚れた腫れたの類いではないということは

母と父のやりとりからわかっていた。


母の生き方は、決して褒められたものではない。

だけど、そうせざるを得ない状況だった。


父と別れたあと、数人の男性と「そんな仲」になり

経営していたスナックや、生活面で援助を受けていたのだから。


母と「そんな仲」になった男性たちのなかで

たった一人だけ覚えている人がいる。


秋の紅葉、公園、一緒に遊んでくれたこと。

そしてそういう日は、私はソファで寝ることになり、

その男性と母は一つの布団で眠っていた。

まあ、大人になった今だから、ただ眠っていただけではないとわかるけど。


母の経済状態が悪かった原因は、他にもある。

調停で決まった「養育費」を父が支払っていなかったからだ。


その父は、大人になって知ったことだが

行く先々で女を作っては子供を産ませていたらしい。


そして、大人になった私のもとに一通の手紙が届いた。

差出人は父の妻、そして一年だけ私を育ててくれた人だった。


公務員になり、働く省庁が決まると、

ほぼ例外なく4-5月の間に「初任者研修」がある。


東京で開催された研修に行ったついでに

私はその女性に会うことを決めた。

今まで支払ってもらえてなかった養育費を請求するために。


だが、無駄だった。

父は相変わらず、好き勝手やっているようだし、

私の兄にあたる二人を育てるために、父の妻は私の母と同じように

苦労してきた人だったからだ。


「本当に勝手な人だよね」


父の妻と私の意見は一致した。

そして一年だけその女性のもとで育った経緯を聞かされた。

父の妻の言い分だからそれが正しいのかはわからない。

母は「預けただけ」と言っていたが、父の妻は「養子に迎える」だったから。

結果として、母のもとへ帰りたいと私がぐずってしまったので「返した」と言っていた。


今となっては、どちらの母に育ててもらったほうが幸せだったのかはわからない。

ただ、何度も言う。「こんな親には絶対になるまい」と、20才の私は心に誓ったものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ