本音
母が死んだのは、もう二年前のこと。
死亡診断書には「直腸ガン」と書かれているが、
私が母を殺したのではないか、
あるいは死期を早めてしまったのではないかと考え続けて二年になる。
もしも「普通」の親子なら、良い距離感、例えばスープが冷めない距離で
親子関係を継続できたかもしれない、
それに夫氏との関係も違うものになっていたかもしれない。
答えが出ない問いかけは時間の無駄でしかない。
頭ではそうわかっていても、心はそうはいかない。
親を失ったことで、自分を支える芯がなくなったのだ。
支えを何本か失った真芯は、ぐらぐら揺れるばかりで、
私は平静を保つだけで精一杯になってしまった。
「結婚するなら次男坊」
「結婚するなら婿のほうがいい」
そんなことを言われ続けた28年間だった。
冗談まじりに言っていたものだが、
言われた私にとっては重荷でしかない。
だから私は結婚はしないと決めた。
一人で母の面倒を見るかどうかは別にして。
母のようにはなるまいと決めたのは、割と早かったと思う。
たしか二度目の再婚が壊れる間際だったと記憶している。
夫である義父に「愛とは何か教えてやる」と息巻いて
私の部屋にやってきて、国語辞典を手にした母。
そのときの母の形相は、それまで見たことがないほど険しかった。
「こんなふうにはなるまい」
幼心にそう思ったのを、そのときの記憶とともに
今でもはっきり覚えている。
かと言って、私が住んでいた青森では
女が一人で生きるにはあまりにも厳しい土地だ。
だから男に頼らず生きるため、弁護士になろうとしたが、
大学進学を諦めざるを得ない状況に陥った。
母が働いていた先が倒産。
一人で泣いている母の背中は震えていた。
その姿を目にし、どうして進学を主張できるだろう。
このとき、私の夢は絶たれた。
新しい道を探すしかなかった。
だから選んだ。公務員という立場。
だが、その職業を選んだことで、
私の将来に、親は勝手に夢を描いてしまったのだ。
「結婚するなら公務員」と。
冗談じゃない。公務員の男ほど、
長いものに巻かれろ的な考えを持つ男はいない。
実際自分の上司や先輩たちはそんなつまらない男ばかりだった。
しかも職場結婚は「逃げ場」がない。
そんなのまっぴらごめんだ。
それでまた私は選んだ。
国家的危機がない限り、仕事を失うことがない男。
それが夫氏だった。
ここまで書けば、恋愛感情がない
計算ずくの結婚かと思われる人が多いと思う。
たとえ安定した企業で働く男であっても、
相性的に合わなければNOだ。
なにせ一生一緒に歩き続ける相棒だ。
一緒にいてしんどくない相手だったのが一番で、
職はあくまでも付随した要素でしかない。
その夫氏は、今に至るまで苦労をしてきたと思う。
勝手なことを言い続ける義母と
自由がほしい私という妻を持ったばかりに
いらぬ苦労をしたはずだ。
特に私の母の最晩年に関しては
年を重ねて感情のセーブができなくなった母の
身勝手としか良いようがない主張に
よくぞ感情で返さずスルーしてくれたと思う。
この件に関しては、
言い返したかったろうにと今更ながら思う。
母が他界したあとから私は何も書けなくなった。
母への後悔と怒りが交互に襲ったことで
感情が不安定になっていたからだった。
だけど、私に「のろい」をかけ続けた母こそ
祖父母の「のろい」から逃げ出した人であり、
でもままならない状況に陥ったばかりに
祖父母と同じような言動をしていたのではないか。
昭和・平成・令和と時代は進んだが
青森という土地は、女が一人で生きて行くには厳しい土地柄だ。
52才になった自分自身でさえ、多少の進歩は感じるが
特に家庭に関しては、牛の歩みではないかと思う。
子育てに関しては、国や都市部に近づこうとしているのはわかる。
だが、介護に関しては、まだまだだ。
私自身、母を施設に入れる際、散々言われた。
一人娘なんだからあなたがやらなきゃどうするの?と。
「自分も耐えたんだから、お前も耐えろ」
親類たちの言葉はそんな風にしか聞こえなかった。
だから青森は嫌いだ。早く出たい。
うざい親類は元々付き合いがないからもう切り捨てたい。
今はそう思っている。




