五十にして天命を知る
わたしは実験が大好きです。検証も好きです。
だからいろいろなことを試しています。
もしかしたら私は変なのだろうかと思ったこともあります。
効率悪いなと思ったこともあります。でも、いいのです。夢中になれるので周囲からどう思われようとかまいません。
20代・30代のころは周りの目が気になった。
40代になると、半分気になるけれど、以前よりはそうでもない。
そして50代になった今、ほぼほぼ気にしていません。
創作活動をしていると、周りの声があっちこっちを経由して耳に入ってきます。第三者から「あの人がこんなことを言っていた」と言われることも多かった。ポジティブな声ならいいのですが、ネガティブな声は、まるでそれが全人類の声のように聞こえてくるものですし、何度も傷ついてきました。
反論しました。でも相手は、自分自身の正義があるからまた反論を始める。そんなことを繰り返している時間が、どうしようもなく「無駄」だと感じるようになりました。
もっと言えば、友人は多い方が良いとされていますが、「友人」というか「関係者」が多くなればなるほど、事態は複雑なものになるだけです。だから私は衝突を避けるためにたくさん知人を切りました。それが「捨てられた」と感じている方もいるようですが、違います。私と関わってしまったばかりに面倒事に巻き込まれてほしくないだけです。
そんな私を強いと言う人がいますが、違います。全然弱いです。弱いから自分の心を守る為に、界隈と距離を置いているだけです。
でも、そうすることで手にれた自由。束縛・干渉されない時間を、私は創作につぎ込むことができるし、本を読めるし、映画を観ることができる。それに感動を言葉にできるまで回復したのです。
創作以外に立ち寄れる場所が増えたことも、安定できている理由かもしれません。趣味のゴルフ、ペットのハムスター、そして日常を共にしている夫氏の存在が大きい。
めんどうくさいなと思ったら、その世界から距離を置き、違う世界へ遊びに行く感覚で出かけたらいい。そうしているうちに、気持ちが凪いでくるし、いろいろと整理もできます。そうやって駆け抜けた40代だったなと、振り返られるようになります。
向き合うのは、面と向かって対峙してきた相手とだけすればいいんですよ。悪者になりたくないから徒党を組んで仲間を増やし、その人ら共通の価値観を押しつける相手に、正面から向き合うのはおやめさない。時間と労力の無駄でしかない。
どうせ時間と労力を使うのなら、自分のために使いなさい。自分を支えてくれる相手に使いなさい。それでいいのですよ。
私たちは、自分が思っているほどたいしたことがない人間ですし、生きられる時間は本当に少ない。私は著作のなかで何度も言っています。いつ死ぬか誰にもわからないのだ、と。だから自分と自分を支えてくれる人に時間と労力を使った方が、人生は豊かなものになるはずです。
これが50年生きてきてわかったこと。
とってもシンプル。
もしも若い自分に伝えることがあるのなら、誰かと比較して疲れるよりも、自分がやりたいことをやったほうが楽しいよ、でしょうか。
遠回りこそ、実は糧。だから今日も私はタイパ・コスパをガン無視して
自分がやりたい実験を楽しもうと思う。




