06 首
鉄格子が嵌めこみ式だったことに気づくまで随分と時間がかかったが、なんとか生きて梯子を上ることができている。
相変わらず足場は滑るが、下には智がいる。
その更に下には建……と落ちるに落ちられない状況のおかげか、突入時よりも慎重になっていた。
ところが、ようやく脱したと安堵した その時だ。
突然 目の前に現れた人間の生首に、武は絶叫した。
動揺のあまり足を踏み外し あわや転落するところだったが、間一髪そこにあった何かを踏みつけ梯子を握り締め なんとか留まる。
いや、今更 生首が何だ。
紫山学園に来てから、それよりも もっとグロテスクなものを目にしている。
人間としての原型を留めているだけ まだマシだと思わなければとの謎理論で自身を鼓舞した武は、井戸の外を仰ぎ一呼吸 置いて意を決した。
そのまま懸垂で浮き上がり、井戸から飛び出す。
地面に倒れ込むなり怒鳴ってきた智が、肩を庇っている。
つまりは そういうことなのだろう。
勿論 足蹴にしたことは悪いと思ったが、すぐに謝るだけの余裕が武には無かった。
先程の生首は どこだと視線を巡らせた先に映り込んできたのは、なんと小早川だ。
「伊田君まで……。これは どういうことなの、神山君」
小早川は、お堅い黒縁眼鏡 越しに眉を顰めている。
“画”で見たボディコンドレス姿とは まるで相反する地味なカーディガンを羽織っているところからして本人で間違いなさそうだ。
とはいえ、まさか こんな消灯時間を過ぎた森の中で担任教師に遭遇するとは夢にも思わない。
怪異を倒し終えた気の緩みから、暗視ゴーグルを外していたのも迂闊だった。
これでは、言い逃れのしようがない。
どう返せばよいものか分からず ただただ目を泳がせていると、遅れて出てきた建が実に爽やかな声で小早川に呼びかけた。
但し、その格好といえば酷いものだ。
本人は至って元気そうだが、意味深に並んで肩を叩かれた智の顔色からして何が起きたのかは想像に難くない。
ズタボロな建は、明らかに困惑している小早川に笑いかけた。
「歓迎会の一環として、みんなで かくれんぼをしていたんです。ちゃんと消灯時間までには帰るつもりだったんですが、俺としたことが この通り勢い余って井戸に落ちちゃいまして。彼らは、こんな歳甲斐も無くはっちゃけたばかりに もしかすると井戸の底でのたれ死ぬ運命にあったかもしれない憐れな年長者を寮則違反も辞さず捜し出してくれた命の恩人なんです」
とてもじゃないが本気で誤魔化そうとしているようには思えない間の抜けた言い訳に、案の定 小早川の目が晴れる気配はない。
そもそも場が悪すぎる。
等間隔で立ち並ぶ最高に悪趣味な人間ツリー群―――これが山梨あたりのテーマパーク内にあるのならば、なんら違和感を覚えることもなかっただろう。
しかし、如何せん ここは人里離れた山奥にある全寮制高校だ。
日常に飽いてホラー的な刺激を求めやってくる貪欲な人間や、非日常という名の恐怖と戦慄に託けてカップルなどが愛を育む場を提供する所では決してない。
少年院出の少年たちが社会復帰を目指し高等教育課程を受ける神聖なる教育現場に こんなものが放置されていようものなら、迷わず110番だ。
それから3日と経たないうちに“あの子捨て山”で猟奇的事件だ、快楽殺人だ、異常殺人犯だ何だとマスコミが面白おかしく騒ぎたてるに違いない。
校門前は全国各地から押し寄せた報道陣で溢れごった返す。
上空からは報道ヘリと言う名の騒音兵器が学園内を空撮し、画面を横切ろうと駆け足になる生徒の顔にモザイクをかけるのだ。
加えて、いかにも偉そうぶったオッサンが“●●大学の名誉教授”などという肩書きを免罪符に公共電波を使って学園や在籍する生徒や教師を堂々と誹謗中傷するのだろう。
そんなことが連日続けば、心を病む者も出てくるかもしれない。
思い詰め過ぎたあまり報道陣に殴りかかる者や、酷い場合は自殺者が出る恐れもある。
しかし、吊るし上げられる者に人権も倫理もあるはずがない。
元犯罪者や、それを匿う教師云々が どうなろうと世間の知ったことではない。
そうして世間が飽きるまで、或いはこの学園が潰れるまでこの地獄は続くのだ――――――。
そんなことが一瞬にして武の脳裏を過った。
学園が曝しものになれば調査どころではない。
寧ろ事件にオカルト的事象が絡んでいる等と知れれば、世間の関心は十中八九 怪異たちに向くだろう。
つまりそれは、学園ばかりか全国規模で怪異の存在を助長することになる恐れがあるということだ。
建の定理、そして先程 目の前で実際に起きたことが真理だとするならば十分にあり得る話だろう。
そうなれば手の施しようがない。
小早川には なんとしても ここで見た すべてのことを黙っておいてもらわねばと気負った武は、誰もが納得するような説明や、そもそも何をどう説得するつもりなのかさえも考え切らないまま小早川に声をかけた。
ところが、まるで見えていないかのように目の前を横切られてしまう。
そのまま井戸の前に進んだ小早川は、途端に小さく叫んだかと思うと小走りで裏に回った。
慌てて追いかけたが駄目だ。
孝臣が見つかってしまった。
動揺する小早川に、最早 事を穏便に収められる説明の仕方を完全に見失った武は何故か全力で謝っていた。
これでは武の過失と取られても仕方がない。
怒号が飛んできたとしても文句のつけようもない。
しかし、伊達に教師といういかにも人間性が問われる職業に就こうと思っただけのことだけはある。
小早川は被疑者を怒鳴りつけることよりも、目の前で苦しんでいる被害者の状態確認を優先した。
ところが、小早川が触れようとすると孝臣はこれを過剰なまでに拒みだした。
ここ数日間の付き合いで そのプライドの高さは身に沁みてよく解っていたつもりだったが、まさか突き飛ばしてまで干渉を嫌うとは知らなかった。
それとも年頃なりの恥じらいというやつだろうか。
それは それで面白いが、だとすれば同じ年頃の男として助けてやらなければ後で恨まれても困る。
小早川に事情を説明することも重要だが、孝臣を一刻も早くチエのもとに搬送してやることのほうが重要だと考えた武は、揉み合うふたりの間に割って入ろうとした。
しかし、時すでに遅し―――小早川の手が防弾チョッキを捉えた。
勿論 孝臣も抵抗したが、再び突き飛ばすだけの体力は残っていなかったようだ。
小早川が短く叫んだのは、その直後だった。
一体何が起きたのか……武には さっぱり解らなかったが、見物に来ていた智には見えたらしい。
眉間に皺を刻んだままフリーズしている。
まさかとは思ったが、逃げるように起き上がり胸を庇った孝臣と目が合った その一瞬だけで武は確信を得てしまった。
「なんなの……。一体 何者なの、あなたたち」
疑いと恐慌を混在させた眼を向けられた武は、すぐに切り返すことが出来なかった。
その気になれば、それよりも今は手当てが急務だろうと押し切ることも出来ただろうが、自身が決断したことさえ行動に移せないほど動揺していたのだ。
そんな状態であることを悟ったのだろうか。
建が余裕の笑みを湛えながら出てきた。
「あなたたちが心配するようなことは何もありませんよ。まあ、ここで見たことを問題と見なして会議にかけるつもりなら、そうもいかなくなりますけどね。懲罰が必要だと思うなら勝手にどうぞ。大丈夫。誰もあなたを恨んだりなんてしませんよ。俺たちの将来を案じての教育的指導なら喜んで受け入れます」
おどけたように両手を広げてみせた建に小早川の顔が強張る。
建が何を思って小早川を挑発しているのかは解らない。
―――いや、恐らくこれは挑発ではない。
惨たらしい姿で樹に掛けられた複数の死体、それらに取り巻かれる古びた井戸から出てきた“外部者”ふたりと寮長、そして立って歩くことも出来ないほど負傷した もうひとりの“外部者”は性別を偽っていた。
これら事実を、小早川が表沙汰にしないはずがないと決めつけているのだ。
これが牽制だとするならば、小早川も ここまで不快感を顕わにしなかっただろう。
しかし、彼女が感知した通り、建は ただ思ったことをなんの取り繕いもせず伝えたに過ぎない。
弁解を待たず視線を横切った建は、自力で立ち上がろうとしていた孝臣を軽々と抱え上げた。
そのまま武に、自分は掃除をするから先に戻るようにと孝臣を差し出してきたが、それに応じることはできなかった。
建を隔てた先で、人間ツリーから現れた黒い影が小早川を捕らえたからだ。
「“恨まない” “喜んで受け入れる”だァ……? 人一倍 執念深いガキが、どのツラ下げて ほざいてんだ」
黒をこびりつかせた鎌が首に当てがわれると、途端に小早川は硬直してしまった。
それに気を良くしたのか、枯れた笑い声と共に目深に被ったフードの下から不気味なまでに大きく裂けた口が覗く。
間違いない。あの野蛮な警備員だ。
「よォ賀茂、久しぶりじゃねェか。貴様、また転校生 誑かしてやがったな。ケケケケケ……懲りねェな」
またとは どういうことなのだろうか。
不可解に思い見やった建は、昔のことだと言って苦々しく笑った。
しかし、その目は鎌男に戻るや否や緊張と底知れぬ憎悪とを滲ませる。
突如として“そこのデカいの”と呼びかけられた武は肩を飛び上がらせた。
何故、慌ててゴーグルをはめたのかも解らない。
そんな自分で自分が解らなくなるほど気が動転している武を軽く嘲笑った鎌男は続けて、これ以上「封印」を解くのは止めろと言ってきた。
聞き慣れない言葉に首を傾げることも出来ない。
孝臣が か細い声で訊き返してくれた おかげで「封印」とは幻たる怪異に実像を与えるための「鍵」のことだと解ったが、詰まるところ、怪異を滅すなと言っているのだ。
さもなくば小早川を殺すという。
いや、何を迷う必要があるだろうか。
今、この場で最も危険な状況にあるのは間違いなく小早川だ。
切れ味の悪そうな刃を宛がわれ、あの陶器顔が恐怖に慄いている。
見捨てられるわけがない―――そう武の心は決していたが、歯痒さを滲ませ鎌男を睨む孝臣を思うと やはり躊躇いが出る。
「じゃあ、殺しちゃってよ」
決断に揺れていた武は、驚いて顔を上げた。
建の顔は、軽い物言いとは対照的に冗談かと思うほど表情がない。
極めて冷淡に鎌男を見ているのだ。
それは、感情を押し殺したと表現するには雰囲気からして程遠い。
それでもまだ不明瞭だったが、こちらも裏稼業を目撃され厄介に思っていたので好都合だと言い切られてしまっては、さすがの武も庇いきれなかった。
あの眼には、鎌男しか映っていない。
建の意図を汲み取ろうと努力するまでもなく、武はハンドガンを構えようとした。
だが、その時だ。
走り出てきた智が間髪入れず鎌男に飛びかかった。
鎌男も、人質がいる状態で無闇に突っ掛かかられるとは思いも寄らなかったはずだ。
意表を衝くという点では文句なしに合格だろう。
しかし、“画”を見るまでもなく智に勝機など無い。
武器も防具も持たない智が掴んだのは、小早川だ。
直後、待ち侘びていたとでも言うように嬉々として降り下ろされた鎌が無情にも小早川 諸共 智を薙ぎ倒す。
すぐに浮上した鎌が振り下ろされるよりも速く、武の銃口は奴を捉えていた。
あとはトリガーを引くだけ。
しかし、銃声は武の意図しないところから聞こえた。
くぐもった銃声に貫かれた鎌は、腕ごと転落した。
庇うように肩を強張らせる鎌男の首が動く。
そこで初めて人間ツリーの下に立つ白い影に気づいた。
「仁王――― 貴様っ……!」
影は一瞬、あの中性的な顔立ちをした男子生徒を映しだすと、すぐに森の奥へ逃げ去ってしまった。
鎌男が後を追う。
状況は今ひとつ呑み込めないが ともかくチャンスだと見切った武は、ハンドガンを手にしたまま智のもとへ駆け寄った。
呼びかけるまでもなく上体を起こしたことに安堵する。
ところが、立ち上がるや否や智は、あろうことか鎌男を追って森に入っていってしまった。
無論、武は後を追おうとした。
せっかく助かった命をわざわざ捨てにいくなど、気が狂っているとしか思えない。
今 連れ戻さなくては、この先一生 後悔する―――――。
しかし、森に入ろうとしたところで追ってきた建に腕を掴まれてしまった。
振り解こうと必死で もがくが、びくともしない。
「離せよ! 早くしねェと、こっ……グッ―――――!」
喉が締め上げる。
建だ。建に、首を絞められている。
しかし、それも長くは続かなかった。
頭の中が詰まるような感覚から解放された途端、武は ぬかるんだ地面に座り込んだ。
唾液を拭い恐る恐る見上げた顔は、微笑んでいる。
ひどく爽やかに。
「大丈夫。智くんは大丈夫だよ」
それだけ言うと、建はゴム手袋をはめた。
枝に掛かるオブジェを片付けるつもりらしい。
首を絞めてまで引き留めたにしては切り替えが早い。
いや、早すぎる。
今、建の手は人間の皮を剥がすのに必死だ。
ここで武が智を追って走りだしたところで、すぐには対応できないだろう。
それどころか、完全に撒ける自信さえある。
しかし、恐らく建は解っているのだ。
いくら自信があろうとも、気力が伴わなければ何も為せない。
何故 智は大丈夫だと言い切れるのかについて、武を納得させるための説明をするよりも、現状に立ちかえらせれば自ずと為すべきことを思い出させることができる。
武は、空のハンドガンをホルスターにしまった。
気絶した小早川を抱えようと悪戦苦闘する小さな背に気づいた武は、智たちが消えた方角に背を向けた。




