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be.-存在-  作者: 藤沢あき
ACT03.Witch
19/21

05 なぞなぞ

 絶叫と共に飛び起きた(たける)は、目と鼻の先で建が微笑んでいることに再び絶叫した。

転がるようにしてなんとか鉄格子にしがみつく。

状況の変化に気づいたのは、それからだった。


 等間隔に配されたムーディーな照明が薄ぼんやりと照らす石造りの部屋にいる。

いや、実際には部屋の一角に埋め込まれた檻の中にいるのだが、どちらにせよ、当たり前だが見憶えのない場所だ。

まさか、ここが死後の世界というやつだろうか―――などと なさそうで ありそうなことを考えていると、(たつる)から爽やかな笑顔と共に否定された。


 建によると、ここは井戸の底だという。

もっとも、見ての通り最早 井戸として機能できる環境ではないので井戸と呼ぶのも どうかと思うが。

ともかく、先程のあれは夢だったことを確認した武はホッと胸を撫で下ろした。


「で、なんでオレたち捕まってんすか?」


「そうだねぇ……。多分、好みじゃなかったんだろうね」


 何の話だ と首を傾げた武に、建は檻の外を見るよう促した。

見ると、部屋の奥にあるキングサイズのベッドに誰かが横たわっている。

胸の上で手を組んだ状態で目を閉じている それは、なんと(さとし)だ。

まさか死んだのかと鉄格子に貼りついたが、眠らされているだけだという。


しかし、安堵することは できない。

ここが怪異の巣窟であることは明らかだ。

こうして井戸にやってきた生徒を次々と殺害した後 皮を剥ぎ、人間ツリーにして楽しんでいるのだ。

智は今まさにその一歩手前に瀕しているのではないかと推理し青ざめた武だったが、半分 正解で半分 不正解だと言う建に再び首を傾げる。


「樹に吊るされているのは、彼女の好みでなかったばかりに殺された“可哀想な子羊たち”だよ」


 つまりは檻に入れられた自分たちの末路だと楽しそうに笑う建に、武は一気に青ざめた。


冗談じゃない と懸命に鉄格子を揺するが、びくともしない。

そもそも簡単に脱出できてしまうような脆弱な檻なら入れられるはずもないのだが、入っているということは入口があるということだ。

ところが、それがどこにも見当たらないというのは一体どういうことだろうかと建を仰いだが、いかに寮長とはいえ こればかりは分からないという。


無駄に体力を消耗することはおすすめできない と落ち着くよう諭した建は、答えられなかった御詫びだとして この井戸に関連するという怪談を話し始めた。


「学園では“美人薄命”って(ことわざ)が教訓になっていてね。規則に忠実で肝の小さい醜男ほど長生きするって云われているんだよ。それというのも昔《生徒狩り》が行われる日になると必ず今でいうイケメンが1人 姿を消したらしいんだよね。それで、この話の面白いところが、次に失踪するのが誰なのかが他の生徒には明らかだったってところなんだよ。失踪者は、決まって その月に驚くほど羽振りが良くなる。学内で労働に応じて支払われる雀の涙ほどの給金とは比べ物にならない大金を一夜にして手にするっていうんだよ。それで1カ月 裕福な生活を楽しんだ後、その代償とばかりに命を奪われる……。まさに栄枯盛衰―――世の習わしだね」


 このなんとも教示的な昔話は【ダイヤの呪い】として生徒の間で語り継がれるようになり、現在もこうして顔に自信があり()つ億万長者を夢見る生徒に警鐘を打ち鳴らしているらしい。


しかし、この怪談と井戸が どう関係しているというのだろうか。

すると、仰ぎ見た建は何やら得意げに口角を上げると、キングベッドに寝かされた智を指さした。


「ほら、イケメン」


 確かに……と頷きかけた武は、咄嗟に首を振った。

まさか、それだけの情報で関連づけたわけではないだろうと念を押してみたが、本当にそれだけだという。

それでは“イド”ではなく“イダ”に関連する怪談ではないか などと こんな状況に於いても笑いを求めてしまった武は、建が爆笑するなか床に手をつき項垂れた。


「ところで、君のバディは どうしたんだい? その様子だと、一緒じゃないみたいだね。ケンカでもした?」


 この期に及んで、なにを言っているのだろうか。

3週間前、武が孝臣(たかおみ)を殴った事は、教職員のみならず今や全生徒に知れ渡っている。

建が知らないはずがない。

そもそも、建が【ダイヤの呪い】に関する情報を孝臣に教えなければ、孝臣が単独で行動して怪異にやられる事態は避けられたのではないか。

起きてしまったものは どうしようもないが、ここまで白々しい態度を取られると責め立てずにはいられなかった。


ところが、少しは反省の色を示してくれると期待した建の表情は、思わずこちらが首を傾げてしまう程に ぽかあんと呆けている。

訊けば、惚けていたわけではなく、孝臣への情報提供は勿論、暴力事件なんてものがあった事すら知らなかったという。


というのも、武たちの歓迎会をした日の夕方、いつもの貧血で倒れたものと思われた大和(やまと)が実は風邪をひいてダウンしていた事が判明し、知らずに看病していた建も見事に感染。

ここ暫くの間、ルームメイト揃ってダウンしていたそうだ。


「俺の方が比較的 軽症だったみたいで1週間くらいで復帰したんだけど、みんな俺が滅多に休まないの知ってるからさ。変なウイルスに罹ったんじゃないかってチエちゃんまで心配するもんだから、大和と一緒に市内の病院に検査入院して、ようやく今朝 戻ってきたんだよ」


 言われてみれば、確かに ここ数日 建と大和の姿を見かけていなかった。

とはいえ武自身、暴力事件直後は1週間の自室謹慎をくらっていたのでその間 見かけなかったのは当然だが、復帰以降も情報提供どころか昼の誘いにすらなかったので気がかりではあったのだ。


まさか、大和共々 昨日まで入院していたとは。

事情を知らなったとはいえ、病み上がりのところに押しかけてしまった事を後悔する武。


 建は、入院中も試験勉強の傍ら怪異の根城について調べてくれていたらしい。

もっとも、学園の外にいるので大した情報は得られず、調査は捗らなかったという。

しかし、それなら何故 建は今 こんな所に囚われてしまっているのだろうか。


疑問をそのままぶつけてみると、建は申し訳なさそうに はにかんだ。


「買い物に出た帰り、こんな紙を拾ってね。好奇心に駆られて推理してるうちに、体育館裏の森で木に大量の死体が吊るされているのを発見しちゃったんだよね」


 そう建が見せてきたメモ用紙には、智が拾ったものと よく似た筆跡で“繁栄と幸運を(もたら)す魔法使いが住む家” “Don’t away with me.”と書かれている。

文章からして なぞなぞのようだが、何のことだか ちんぷんかんぷんだ。

英文に至っては、ディス イズ アッポー レベルの武には読めるわけがない。

そう素直に申告すると、だよねー と嫌味なく微笑まれた。


武の手から智が拾ったメモ用紙を摘み取った建は、なぞなぞが書かれた紙の横にそれを置いてみせる。


「Don’t away with me.―――“私を棄てないで”って英文は、前に俺が回収した【ダイヤの呪い】の被害者が持っていた金貨に刻まれた呪いの言葉だよ。つまり、君たちが見つけたのは、なぞなぞの答えだね」


 そういえば、寮の踊り場に落ちていた外国の金貨―――大和は あれを指して【ダイヤの呪い】だと言っていた。


あの後 智に聞いた話によると、あの金貨は、急な腹痛に襲われ早退した中間試験最終日に、ズボンのポケットに入っていることに気づいたのだという。

身に覚えがないのでゴミ捨て場に捨ててやったのだが、翌日になってポケットに違和感を覚え確かめてみると、なんと捨てたはずの金貨が入っていたというのだ。

以来、何度 念入りに処分しようとも翌日には必ず手元に戻ってきていたのだという。


打ち明けられた時は、明らかにおかしいだろ!相談しろよ! と思わず責めてしまったが、今思えば、【ダイヤの呪い】との指摘を受けていない状態で相談されたところで普段からドジっ子の智では武も真面目に取り合っていなかったかもしれない。


「でも、怪談の方には金貨なんて ひとことも出てきてないんすよね? なのに、なんで金貨を持ってるから【ダイヤの呪い】の被害者だって分かったんすか」


「簡単だよ。身をもって体験したからね!」


 一際 爽やかな笑顔で親指を立てた建に、武は これ以上ないほど得心した。


つまり建は、回収した遺体から金貨を持ち出した。

結果、珍しく風邪をひいて検査入院させられる等 不幸を被り、ああこれは怪異による呪いに違いない と認識したというわけだ。


「おかしいと思ったんだよねぇ。風邪でダウンするまでは、自販機で大当たりしたり、景気が良いからって時給100円アップしてもらったりとラッキーが続いてたからね。1ヶ月も裕福させてもらった憶えはないけど、そこは所詮 怪談話ってところなのかな」


 とはいえ、検査入院をしている時点では遺体から持ち出した金貨が【ダイヤの呪い】に直結する物であると紐付けることができなかった。

何故なら、病室に持ってきていたはずの金貨が、いつの間にか無くなっていたからだ。


もしかすると、【ダイヤの呪い】を知っていた大和が、建が金貨を持っていることに気づき処分したのかもしれない。

そう推測した武に、建は そうかもしれない と曖昧に頷いた。


と言うのも建は、武から話を聞くまで大和が【ダイヤの呪い】を認知していたことを知らなかったらしい。

そもそも、そんなオカルト話を好むような性格でないことは これまでの付き合いで解っていたので、話題にも上らなかった。

人を見る目には自信を持っていたという建は、大和が実はオカルト大好きっ子だったことを見抜けなかった と酷く悔やんでいる様子だが、本当に大好きっ子なのかどうかは怪しいところだ。

そう思うのは、武だけだろうか。


 ここで、ふと疑問が湧いてくる。

仮に大和が、建が持っていた金貨を女性に頼むか何かして処分したとして、何故 智のポケットに金貨が入り込んだのだろうか。


いや、考えるまでもない。

智が言っていたことが本当ならば、捨てても戻って来るような代物だ。

今度は ちゃんとイケメンを呪ってやるのだと強く誓って、智のポケットに飛び込んだのかもしれない。

とはいえ、ただ顔が整っているからというだけで呪われたなど、あまりにも不憫すぎる。


 智を助ける方法はないのかと詰め寄ったが、建は今ひとつ真剣味に欠ける唸りを返すばかりだ。


「ただの寮長だからね。俺には智くんを救うことは出来ないよ。ゴメンね。でも、君ならできるんじゃないかな」


 そう言って建が取り出したのは輪ゴムだ。

これと自分とに どういう関係があるのかと訝しむ武だったが、建が指に輪ゴムを巻いて鉄砲のかたちをつくったところで閃いた。

これを上手く飛ばし、且つ智に命中させて起こせばここから逃がせるかもしれないと言うのだ。

それはそうだろうが、なんとも現実味がない。


そもそも、檻からベッドまでは4メートル以上 離れている。

経験から言って、まず届かないだろう。

そう頭ごなしに否定した武に対し何故か余裕綽々で立ち上がった建は、見本を見せると言って鉄格子の前に構えた。


「普通に鉄砲のかたちで撃つと、格好はいいけど あまり飛距離は出ないよね。しかも、発射時に指に当たっちゃったりして命中も悪い。そこで、シンプル イズ ベスト」


 言いながら左手の親指と右手の人差指で輪ゴムを引き伸ばす。

まさか そのまま撃つのかと思いきや、右手の中指を人差し指の少し上の方にゴムの下から添えた。

これにより、親指に輪ゴムが当たり方向が逸れるのを防げるばかりか、弾性をふんだんに活かせるので飛距離が増し、更には威力も大きくなるらしい。


物は試しだとして撃ち放たれた輪ゴムは速度を保ったまま真っ直ぐに飛び、見事ベッドの端に着地した。

智までは あと数センチといったところだ。


「ただの寮長じゃこんなものだけど、君ならもっといけるよね―――《クラウン》くん」


 そう自信たっぷりに輪ゴムの束を差し出してきたのだから堪らない。

しかし、確かに これならもしかすると いけるかもしれない。

頷き輪ゴムを受け取った武は、位置に着いた。


左手の親指で照準を合わせ、目一杯 引き伸ばす。

運命の第1弾―――は、驚異的な威力をもって武の額に ぶち当たった。

決して笑いを取りにいったわけではなかったのだが、建には、さすが《クラウン》だ とよく分からない理由でかなりウケている。


気を取り直しての第2弾―――今度は上手くいった。

一瞬、どこに飛んだのかが分からなくなったが、見ると、なんと智のすぐ傍に落ちている。


これはいけると再び構えたところで、顔を狙えだの日頃の恨みや妬み嫉みをぶつける感じでだのと横から要らぬ応援が入ってきた。

これに苛立ちながらも折角の集中力を切らせてはいけないと狙いを定める。


撃ち放った直後、智が跳ねた。


「まさか本当に顔面いくとはね……。いや~、僻みって恐ろしいねぇ」


「全然 僻んでねーし! たまたまだしっ!!」


 とはいえ、智が顔を押さえ のた打ち回っている これが現実だ。

まさか輪ゴム如きが これ程までの威力を発揮するとは。

自分で自分の指が恐ろしい……などと苦笑いしている場合ではない。


こちらに気づいた智に逃げるよう呼びかける。

まだ寝ぼけているのか智は(いぶか)しげに眉を(ひそ)めたが、呪いだと言うと さすがに通じたらしい。

すぐにベッドを降り駆けだした。


 智を壁の向こうに見送った武は、どこぞのハードボイルド系映画のラストシーンに状況を重ね合わせていた。

今どうしようもなく、オレの分まで生きてくれ! と叫びたい気分だ。

しかし、重ねられるものがあるうちが花なのだということを身に沁みて感じたのは、それから間もなくのことだった。


 感慨に耽っていた武が建に肩を叩かれた時には、既にそいつは目の前に立っていた。

それが何かは分からない。

とにかく驚き飛び退いた武は、駆け足で後ずさり激突した壁に貼りついて初めて そいつを目にした。


 一瞬、夢に出てきた小早川(こばやかわ)かと思ったが、違う。

鉄格子の向こうにいる そいつは、着ているドレスや身に着けている宝石、ハイヒールまで そっくりそのままだが顔が違う。

かなりの厚化粧で、赤い口紅をこれでもかと塗りたくった姿は まるで化け物だ。

すると、横から同じような感想が聞こえてきた。

思うのは自由だが、言葉にするのは失礼だろう と咎めたが、途端に建は嬉しそうに笑いだす。


「大丈夫だよ。彼女には何を言っても聞こえないから」


 その証拠に、あれだけ騒いでいたにも関わらず気づかれなかっただろう と言うのだが俄かには信じ難い。

何より、鉄格子を揺さぶる姿ひとつをとって見ても、すこぶる ご乱心であることは明らかだ。


恐怖した武は、壁に貼りつきながら建に謝罪するよう懇願した。

とはいえ、建のことだ。

また笑って受け流すのだろうと欠片 程も期待していなかったが、意外にも素直に女の前に出たので拍子抜けする。

ただ、要所要所で頭脳派を小出しにしている割に がっしりとした背中が やけに落ち着き払っているという点が気になる。


武の不安とは裏腹に、あれ程 殺気立っていた女は建と対峙するなり憑き物でも落ちたかのように静かになった。

手話か何かで謝罪したのだろうかと思ったが、どうやら違ったらしい。


急に眼光を鋭くした女の手が建の首を掴んだ。

華奢な片手ではその見るからに頑丈そうな首をへし折るどころか締め上げることもできないようだが、血を塗りつけたような赤が光る指先は尚も強い意思を持って喰らいついている。


「おイタが過ぎるわよ。清掃員はゴミ処理だけやってなさい」


「ゴミの減量を促すのも清掃員の仕事なんです。残念ながら」


 切り返したものの聞こえていないことを思い出したらしい建は、それでも しっかり意思表示はしておきたいということで中指を突き立てる挑戦的な態度に取って出た。


この全く状況を顧みない場違いも甚だしいジェスチャーに平和的な展開がもたらされるとは思えなかったが、とはいえ たったこれだけのことで女の顔面に まるで地割れでも起きたかのような凄まじい皺を走らせるスイッチになるとは知る由もない。


一瞬にして厚化粧の老婆に変貌した女は、建の首を一気に引き寄せた。

武の目には建が全く抵抗する様子もなく鉄格子に顔をぶつけたように見えたので、何か策が あってのことなのかもしれないと思ったが、格子から突き出し現れたのは肉切り包丁だ。

口か足か―――迷うよりも先に武は輪ゴムを引き伸ばしていた。


発射したと同時に、鳴るはずのない銃声が聞こえた。

見ると、女が悲鳴と共に崩折れた先に智が立っている。

震える手から落ちたのは、間違いない―――武のハンドガンだ。

何故あれを智が持っているのかも気になるところだが、ともかく今は それどころではない。


 首を庇いつつ顔を上げた建が指摘した通り、()()()()()銃弾は女の細腕を赤く掠った程度だ。

肉切り包丁を手に取り今にも立ち上がろうとしている。

武は すぐに逃げろと叫んだが駄目だ。

すっかり畏縮してしまったらしい智は、立っているのも やっとなのだろう。

遂に対峙するかたちとなった女を凝視したまま固まっている。


焦った武は輪ゴムを構えたが、狙いを定めたところで建に肩を叩かれたので方向が狂ってしまった。

どこに飛んだのかは分からないが、智が悲鳴と共に忙しなく手足をバタつかせだしたので恐らくはそういうことだ。

しかし、どうやらヘビに睨まれたカエル状態からは脱したらしい。

ぎこちなくも機敏な動きでハンドガンを拾い上げると、女に銃口を向けた。

途端、女から優雅な失笑が漏れる。


「懐かしいわ。私を殺そうとした男は、あなたで ふたりめよ。もう何年前の事かしら。ひどく怯えてね……たまらなく可愛かった。でも、よしなさい。あなたに殺せっこないわ。あなた、人を殺したことなんてないのでしょう。あの子と同じ目をしているもの」


 構わず近づいてくる女に智は尚も銃を突き出すが、女が止まる気配はないと判断するや否や へっぴり腰のまま後退しだした。

今度こそはと武は第2撃を構えたが、建が再び肩を叩いてきたので またもや的を外してしまう。


隣に立った建をすかさず睨むと、いい機会だから彼らとの戦い方をレクチャーしてあげよう と笑顔で返された。

そんな暢気なことを言っている場合でないことは解っているが、建が言う“彼ら”とはまさか怪異のことを指しているのではないかとの直感が働いてしまい引くに引けない。

思えば、先程から聞いていれば あの女について やけに詳しそうだ。

これは“画”が伴った直感ではなかったが、建に確認したところ、どうやら本当にあの女は怪異だという。


「前にも言ったけど、怪異とは つまり幻なんだよ。彼女が存在しているのは、彼女が現実に存在すると信じている者と、実像を作り出す「鍵」があるからなんだ」


「だから、その「鍵」を壊して実像を作れないようにすればいいんすよね。それで、どこにあるのか分かったんすか」


 焦る武を慰撫するように笑顔で肩を叩いた建は、ふいに智に呼びかけた。

とはいえ、あれから何がどうなったのか、いつの間にかベッドに押し倒され今や貞操の危機が迫ろうとしている。


そんな状況下において場違いなほど楽しそうな建の声が届くとは到底 思えなかったが、分からないものだ。

向こうにプレミアムバンホがあるぞ との声で一瞬にして目の色を変えた智は、驚異的なスピードで飛び起きた。

―――そう。起きたのだ。

覆い被さっていた女を退けるでもなく すり抜けるでもなく、()()()()()


「情報の選り分けってやつだよ。人間に限らず多くの動物は、五感を通して入ってくる  膨大な情報の中から最も自分が必要とする情報だけを無意識のうちに選び取っているんだ。意識することによって、知覚による分別はより細分化される。特に視覚なんてものは最も操作しやすいから憶えておくといいよ」


 つまり、建の呼びかけにより智の意識がバンホに偏ったことで女が“いないもの”として処理されたということだろうか。

どうにも信じ難いことだが、実際に智は女のことなどすっかり忘れそのままベッドを降りてバンホ探しに躍起になっている。

(もっと)も、呼びかけ程度で これほどまでに周りが見えなくなる人間は稀だという。

集中力が並外れて高いか、若しくはバンホにマインドコントロールされているのだろうとの見解だが、人間の防衛本能を吹っ飛ばすほどの執着を喚起させるかもしれない怪しげな商品が校内で平然と販売されていることに恐怖を覚えるのは武だけだろうか。


 暫くして どこにもバンホがないことに不信感を抱いた智が檻に詰め寄ってきた。

すると、建は わざとらしく“後ろに女がいるよ”と言って指をさす。

そこで武も ようやく智の背後で女が肉切り包丁を手に立っていることに気づいた。


振り返るなり腰から崩折れた智に逃げろと叫ぶが、やはり全く聞こえていない。

肩を揺すろうとして出した手は、肩に触れた途端、外に腕ごと引っ張り出されてしまった。

腕の付け根を檻に強打した武は慌てて引き戻そうとしたが、痛いほどしがみつかれてはどうしようもない。

尋常ではないほど震える智を狂気に酔った皺まみれの顔で見下ろす女は、赤い唇で妖美に笑んだ。


「恨むなら、そこのふたりを恨みなさい。楽しい夢を見ている間に死んでいれば、こんな怖い思いはしなくて済んだのよ。その方が、お肉も柔らかいままで美味しくいただけたのに」


 伸びてきた手に動揺した智は女を蹴って退けようとしたが、抵抗 虚しく髪ごと頭を持ち上げられてしまう。


肉切り包丁を水平に構え微笑む姿に、首を切り落とすつもりだと直感した武は、咄嗟に出した もう一方の腕で智の首を覆った。

女は怪訝そうに眉を顰めたが、それも ほんの一瞬のことだ。


ならばとばかりに垂直に掲げられた刃は、間違いなく武をとらえている。

途端に這い上がってきた恐怖に歯を食いしばり、無理矢理 覚悟を決めようとしていた その時だった。

また建だ。


「諦めるのは、一矢報いてからでも遅くないと思うよ」


 建が何を言っているのかが すぐには分からなかった。

しかし、しがみつかれた手の先で智がすがるようにハンドガンを握っているのが見えた瞬間、意識が切り替わった。


「あー! ベッドの上にバンホが!」


 叫んだ途端、早速 智の意識が傾いた。

女を擦り抜けた智の手からハンドガンを奪い素早く鉄格子を蹴り離れた武は、後転から起き上がるや否やハンドガンを構えた。


肉切り包丁が鉄格子に沿って落ちるに引きずられ、女が体勢を崩す。

狙いを定め、一気にトリガーを引いた。


悲鳴と共に倒れた女は、両手で顔を覆いながら床を転がりだした。

すると、女が仰向けになった時だ。

めくれ上がった裾から顕わになった太腿に四角形の刺青があることに気づく。


建から呼びかけられるよりも先に、武は構えを取っていた。

女が甲高い断末魔に霧散した後には、中央を貫かれたカードが落ちていた。

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