03 洗礼
寮に帰れば安全だと武は考えていたが、それは大きな間違いだった。
寮に着いた途端、チエに抱きつかれた智は防具をむしり取られ、顔面が真っ赤に塗り潰されるほどドギツイ洗礼を浴びた。
命からがら抜け出したものの、エレベータは事故に遭う危険性があるとして切り替えた階段で足を盛大に踏み外し、池田屋騒動を彷彿とさせる迫真の階段落ちでチエのもとへと舞い戻ってからは もう筆舌に尽くし難い。
ともかく悉く運に見放され、最早 物言わぬ抜け殻と化した智を引きずり帰宅したのは、校舎を出てから1時間後のことだった。
いくら離れているとはいえ、本来なら10分も かからない道のりを今日ほどに辛く感じたことはない。
時間も丁度いい。
智を部屋に残し、このまま風呂に行こうとした武だったが、視界の端で ふと気になるものを見つける。
テーブルの上に、孝臣の分の朝食と昼食を用意しておいたのだが、それが2皿とも何も手をつけられていない状態で置いてあるのだ。
あの1件の後も、こうして見えるところに出しておけば食べてくれていた。
まさか、出て行ったのではないか―――――。
不安に押され駆け入った部屋に孝臣の姿は無く、扉が開いていたうえに武器や防具一色が無くなっていた。
その瞬間、武は膝から崩折れた。
あの頃のままだ。
自分を認めない周りの人間が悪い、学校が悪い、社会が悪い、自分を生んだ母親が悪い……。
そうしてすべてを憎み恨むことで、暴力を振るうことに正当性を見出していた。
しかし、ろくに通った憶えのない中学校を卒業し、学生という身分を解かれてから、そうして憎み恨める対象があるということが どれほど幸せなことだったのかを思い知らされた。
そして同時に気づいたのだ。
誰も認めてくれないと思っていた“自分”―――それが、いかに空っぽであったのかを。
武が必死になって護ろうとしていたのは、個性や、そのうえに成り立つ自分らしさ等ではない。
人並みのことも まともに出来ないと絶望した空っぽの自分だった。
それから環境を変え、2年を費やして生まれ変わったつもりだったが、実際は何も変わっていなかった。
また、弱さを言い訳にして人を傷つけたのだ。
もっと早く面と向かって謝っていれば、状況はまた違ったかもしれない。
孝臣が赦してくれることはないかもしれないが、少なくとも あの頃とは違うのだと思えただろう。
孝臣が学園を去った以上、ミッションは続行不可能だ。
そもそも武器を盗まれた時点で続行も何もなかったが、ここにきてそれが明確なものになった。
武も、ここを去らなければならない。
本部から通告が来る前に荷物をまとめておこうと顔を上げかけた その時だ。
ふと目に入ってきた物に、武は目を疑った。
まさかと思いベッドの下から引っ張り出した それは、孝臣のボストンバッグだ。
重さもある。
いくらなんでも、これを置いて学園を去るはずがない。
ということは、まだここにいるということか。
ならば、何故 武器や防具が見当たらないのか―――考えられることは、ひとつしかなかった。
部屋を飛び出し向かった先は、寮の4階だ。
3年生のフロアなので これまで立ち入ったこともなかった。
しかし、1階以外は どのフロアも そう変わりない。
10枚の扉が向かい合って並ぶ廊下の最奥で、武は足を止めた。
310号室―――間違いない。この部屋だ。
連続してインターホンを鳴らしたが、出てくる気配はない。
駄目元でドアノブを掴んでみると、下ろしていないにも関わらず扉が開いた。
しかし、出てきたのは なんと大和だ。
そういえばルームメイトだと話していた。
すると、大和は武を見るなり舌打ちして扉を閉めようとしてきた。
武も必死で粘ったが、並大抵の力ではない。
閉じたばかりか、念入りに施錠までされてしまった。
こうなっては もうどうしようもない。
しかし、孝臣の手がかりが得られるとすれば ここより他にないのだ。
なんとしても食い下がるしかない。
そう扉が壊れんばかりに拳を叩きつけていると、遠くの方から悲鳴と共に何かが倒れたような音が聞こえてきた。
階段だ。
すぐさま駆けだした先で倒れていたのは、孝臣でも建でもなく智だった。
と、その腹の上ではクロネコが貼りついている。
武と孝臣が展望塔で怪異に襲われた時に飛び出してきた、あの勇敢なネコだ。
チエのもとに運んだ時点では瀕死に近い状態だったが、かつては そこそこ大きい病院で看護婦をしていたというチエの介抱の おかげで命を取り留めたのだ。
まだ前足や腹部には包帯が残っているが、今では この通り歩けるまでに回復し、寮の看板ネコとして人気を博している。
名前はタダクニ―――これは、後日 智がそう呼んだことに由来するが、名付け親であるにも関わらず どうやらネコが苦手らしい。
こうしてタダクニが じゃれてくると、必ずと言っていいほど青ざめた顔をして助けを求めてくる。
呆れながらタダクニを剥がした武の目が、ふと踊り場に落ちているコインを捉えた。
外国の金貨だろうか。
そう思った時にはタダクニを抱いたまま階段を下り、細かな彫刻が施された それに手を伸ばしていた。
しかし、指先に金貨が触れるか触れないかという時に後方から怒鳴られ驚いた武は、それ以上に驚いたタダクニに引っ掻かれるわ蹴られるわでバランスを崩し、顔から壁に突っ込んだ。
一瞬 潰れたかと思ったが、確認した限りでは大丈夫そうだ。
指の間から見上げた先に立っていたのは、大和だ。
走ってきたのか、肩で息をしている。
長い前髪から覗く顔が異様に青ざめていると分かった直後、顔を歪めた大和は壁伝いに膝を着いた。
「呪いだ。そいつに気に入られたが最後、死ぬまで付きまとわれるぞ」
そう言って大和が指したのは、金貨だ。
すると、突然 智が声を上げた。
逃げるように飛び込んできたタダクニをキャッチした武は、いきなりなんだと声を荒げた。
しかし、武のことなど眼中にないといった様子で、何故ここにあるのかと金貨を指して後ずさる。
全く状況が掴めない武は取り乱す智を宥め訊き出そうとしたが、先程よりも目に見えて ぐったりしている大和から、無駄だと止められた。
「寮母に処分させろ。女には無害だ」
それだけ呟くと、ふらつきながら立ち上がった大和は覚束ない足取りで部屋に戻ってしまった。
「ハッ……呪いか。つくづく くだらねぇ学園だな」
智が差し出してきたのは、メモ用紙だ。
受け取ってみると、そこには几帳面そうな細い文字で“体育館 西” “古井戸”、そして一際 大きく“【ダイヤの呪い】”と記されていた。




