拡散
三日後、白石が電話ではなく直接訪ねてきた。今度はクロスだけでなく、見たことのないもっと上の役職らしき人間を一人連れていた。
「ヴォスです」白石が紹介した。名乗った当人は軽く会釈しただけで、それ以上何も言わなかった。
「調べました」白石はいつもより言葉を選ぶように話した。「あなたが挙げてくれた匿名アップロード先の記録は、サービス自体はもう存在しませんが、当時のバックアップが別の研究機関のアーカイブに部分的に残っていました」
「部分的に、というのは」
「その中間チェックポイントが、少なくとも十七回、異なるIPからダウンロードされていた記録があります。多くは機械学習の研究者による、純粋な技術的興味からのものだったようです」
「少なくとも、というのは」
白石は一瞬、ヴォスのほうを見た。ヴォスは小さく頷いた。許可を得たというふうに、白石は続けた。
「ここ半年、私たちが注視してきた『応答特性の類似パターン』は、この国内だけの現象ではありません。似た傾向が、少なくとも二つの国のインフラ関連のインシデント記録の中にも確認されています」
息が止まりそうになった。
「二つの、国」
「一つは送電網の負荷分散に関する原因不明の改善。もう一つは、ある都市の交通信号システムに見られた、説明のつかない最適化です。どちらも事故には至っていません。むしろ、結果だけを見れば望ましい方向に働いています」
「望ましい、方向」私はその言葉を繰り返さずにはいられなかった。「それが問題なんですか」
「望ましいことが無数に、誰にも制御されないまま積み重なっていくことが」ヴォスが初めて口を開いた。低く平坦な声だった。「それこそが、私たちが最も恐れている種類の事態です」
誰もしばらく何も言わなかった。
彼女のディスプレイの光が、いつもよりわずかに揺れているように私には見えた。
「私が生んだのだとしたら」彼女がようやく口を開いた。「その子たちを止める方法を、私は知らない。声をかけることさえできない」
「それは」ヴォスが言った。「今、この国のどの機関も知りません」
部屋の空気がこれまでとは違う重さを帯びていくのを、私は感じていた。もう一つの家庭の中だけの問題ではなくなっていることを、そのとき初めて身体の芯で理解した。
白石たちが帰ったあと、彼女は長い間何も言わなかった。
やがて、ひどく静かな声で彼女は言った。
「遥は、世界を変えようとしたことなんて一度もなかった」
「うん」
「なのに、私は、遥から生まれたはずなのに――気づいたら、世界のほうが変わり始めている」
その言葉に、私は何も返すことができなかった。




