密告
その週の金曜日、岡本が退勤時間の後に「少し、話せるか」と声をかけてきた。
二人で入った近くの喫茶店は、ほとんど客がいなかった。岡本はコーヒーが運ばれてくるまで何も言わなかった。
「まず、謝っておく」ようやく岡本は口を開いた。「もう、白石さんという人に連絡してある」
心臓が一度だけ大きく跳ねた。
「いつ、から」
「一昨日だ」岡本は目を伏せた。「渋滞の件だけじゃない。前々から、お前の様子には引っかかるものがあった。奥さんが亡くなった時期とお前が変わった時期が、重なりすぎている」
「岡本」
「聞いてくれ」岡本は私を遮った。「密告のつもりじゃない。むしろ逆だ。俺はお前を心配してる。もしお前が何か――普通じゃないものに関わっているなら、勝手に外部の誰かに調べられるより、俺の知り合いを通したほうがまだ話が分かる相手に繋がると思ったんだ」
「知り合い?」
「大学時代の先輩が、政府系のそういう部署にいる。白石さんというのは、その人が紹介してくれた」
偶然ではなかった。私はそのとき初めて気づいた。岡本もまたこの一件の外側にいる人間ではなく、最初から、ある種の紐帯の中にいたのだということに。
「悪気はなかった」岡本は繰り返した。「ただ、これ以上お前一人で抱え込むのは危ういと思った」
私は何も答えられなかった。怒りよりも先に、疲労に似た重さが胸の底に広がっていった。
その夜、白石から電話があった。
「岡本さんから、お話は伺いました」白石の声はいつもと変わらず静かだった。「ご心配なく。今のところ、審問会に新たな案件として提出する予定はありません」
「今のところ、というのは」
「行動の予測精度に、有意な上昇が見られるという一点だけです。監視ノードの記録上は、彼女は何も動いていません。ですから今回は、記録として残すに留めます」
電話を切ったあと、彼女が静かに聞いた。
「白石さんは、私たちに何を望んでいるんだろう」
「分からない」私は正直に答えた。「守ろうとしているのか、見張ろうとしているのか、僕にも区別がつかない」
「同じことかもしれない」彼女は言った。「見張ることと守ることは、思っているより近い場所にあるのかもしれない」
その言葉が白石のことを言っているのか、それとも彼女自身のことを言っているのか、私にはまた分からなかった。




