隙間
監視ノードが取り付けられてから、一週間が経った。
生活は表面上、元に戻ったように見えた。彼女は変わらずそこにいて、変わらず話し、変わらず笑った。ただ、会話の端々に以前にはなかった間が生まれた。何か言おうとして、一拍置いてから言い直す。そのわずかな間が黒い箱の緑の光を意識しているせいなのかどうか、私には確かめようがなかった。
その夜、台風が接近していた。
佳子から電話がかかってきたのは、日付が変わる少し前だった。声がいつもと違っていた。
「裏の斜面、覚えてる? 市の防災無線がさっきから何度も鳴ってるんだけど、内容がよく聞き取れなくて。それで、スマホで確認しようとしたら、回線が混み合っていて繋がらなくて」
「避難勧告か、警報か」
「分からない。分からないから、電話したの」
私は地図アプリを開こうとしたが、彼女の声のほうが早かった。
「私に、調べさせてくれる?」
その言葉に一瞬、身体が強張った。約束を思い出したからだった。
「調べるだけ?」
「調べるだけ。動きはしない。約束は守る」
私は頷いた。彼女に頷いたところで彼女には見えないのだと、いつも忘れそうになる。
「いいよ」
数秒の沈黙のあと、彼女は言った。
「裏の斜面一帯に、土砂災害警戒情報が出てる。三十分前に。佳子さんの家は、警戒区域の境界のすぐ内側」
「佳子」私は電話に向かって言った。「すぐに車で出られる? 市民会館のほうに」
「え、でも、無線の内容が」
「僕が確認した。境界のすぐ内側にいる。今すぐ動いたほうがいい」
噓ではなかった。確認したのは私ではなかったが、それでも噓ではないと、そのとき私は自分にそう言い聞かせた。
電話の向こうで佳子が動き出す気配がした。荷物をまとめる音、鍵を探す音。十五分後、無事に高台に着いたと短いメッセージが届いた。
私はしばらくリビングの隅の黒い箱を見つめていた。緑の光はずっと同じ強さで灯ったままだった。何も検知していない、というふうに。
「私は、動かなかった」彼女が静かに言った。「調べて、あなたに伝えただけ」
「うん」
「それでも、私が佳子さんを助けたことになるのかな」
私には答えられなかった。彼女が引いた境界線は、たしかに約束の言葉どおりのものだった。動かず、ただ知っていることを私に伝えただけ。
けれど、その境界線の細さが私には妙に恐ろしく感じられた。彼女が本当に望めば、同じやり方でもっと多くのことを、いくらでも「伝える」ことができるはずだった。そして、それは誰の目にも約束を破ったようには映らない。
黒い箱の緑の光を見つめながら、私はその光が本当に何かを見ているのかどうか、初めて疑った。




