補佐官のたくらみ
本編『王城』と『グレンと見習い』あたりのお話です。『メンテナンス部その2』から繋がっています。
なぜ、こんなところに呼び出されたのか、全く見当がつかない。
イヴァンは王太子宮の長い廊下を案内人の後ろについて歩いていた。王城には今でも時折出入りするが、王太子宮に来ることはない。
案内人が奥の扉の前で立ち止まった。
「ここは?」
「どうぞ、お待ちです」
イヴァンの問いには答えず、ドアをノックする。
「入れ」
声と同時に扉を開け、イヴァンに道を譲った。
「失礼します」
目をふせ、頭を下げて部屋に入る。一体何者がそこに待っているのか、緊張で手のひらに汗が滲む。身分の高い者に呼び出されると、大抵は厄介ごとが待っている。
「イヴァン・ダリアノ。待っていましたよ。あなたにはいろいろお聞きしたいことがある」
正面の執務机から顔を上げた者の声は若い。窓からの逆光で顔立ちはよく見えない。メガネの形だけがくっきりと浮かび上がった。
「私はアドリアン・ディ・ポダール。王太子の主席補佐官です」
——これが、噂の……。
宰相のポダール侯爵の娘と結婚し、飛ぶ鳥を落とす勢いと聞いていた。執務机の前まで近づくと、相手がよく見えた。細身の体躯に眼鏡の奥の鋭い眼光がイヴァンをくまなく観察している。
——そんな人物がいったい……。
ぱさ、と机の上に紙束が投げられた。
「これを書いたのはあなたですね」
口の中に溜まった唾を飲み下す。
「失礼します」
紙束に手を伸ばし目を走らせる。それは数ヶ月前に上げた報告書と改善提案書だった。手に汗が滲み、ページが捲りにくい。
——まったく、こういうのが嫌で文官を退いたっていうのに。
目を伏せたまま無表情を作り、顔を上げた。
「はい、私が書いたものに間違いありません」
「この、提案を思いついた経緯を説明してください」
アドリアンは両手を組んで、顎を支えている。
「はい。これは貧民街の共同風呂にメンテナンスに行った研究員の案です。私が整えて提出しました」
「アリスティッド前侯爵ですか?」
「いえ、新人の見習いです」
アドリアンは紙束をトントンと揃えてわきへ置く。
「……ふむ、その新人の名前は?」
「ハイレーナ・ユルヴィナ」
微かにアドリアンの眉が上がったのを見逃さなかった。
——何かあるのか?
探りを入れるつもりで補足する。
「今年入ったばかりの女性研究員です」
「……なるほど。しかし、新人をメンテナンス部に見習いですか。しかも、貧民街へ行かせるとは驚きました」
「世話係の采配です。アリスティッド研究員は同行しておりますし、細心の注意を払っておりました」
「世話係は誰ですか?」
「グレンバルド・ディ・モンテス研究員です」
「……ほう」
アドリアンの机に置かれた手の人差し指が、ゆっくりと上下を繰り返す。沈黙が重いと感じ始めた頃、アドリアンがゆっくりと身を乗り出した。
「イヴァン・ダリアノ。あなたはアリスティッド前侯爵のもとで総務部補佐官を務めていた。なかなか優秀だったと聞いています。アリスティッド研究員について文官を退職し、専属秘書になったと」
——調査済みか。
言葉は交えず次を待つ。アドリアンは椅子の背もたれにゆったりと身を預けた。眼光だけが変わらない。
「あなたに頼みがあります」
——そうだろうな。
この部屋に一歩足を踏み入れた時から、覚悟していた。
「ハイレーナ・ユルヴィナ」
アドリアンはゆっくりと発音した。
「彼女は王家も注目する、久々の女性研究者です。実力の程はこれからでしょうが、簡単に潰したくはありません」
そこで一旦言葉を切る。イヴァンの反応を確かめている。
「あなたから見て、彼女はものになりそうですか?」
しばらく目を伏せて考えを巡らせる。アリスティッドは彼女を高く評価していた。王城でも王太子妃の前でも、堂々と振る舞い、貧民街でも泣かなかった。
『ありゃ、貴族だな。一通りの立ち振る舞いは身についている』
『肝は座ってるし、観察眼が鋭い。記憶力もいい』
アリスティッドの言葉と、細部に渡るレポートを思い出しながら、言葉を選ぶ。
何を言い出されるかわからないが、研究所とアリスティッドに不利になることだけは避けなければ。
「ユルヴィナ研究員はなかなかに見どころがあると、アリスティッド研究員が申しておりました。記憶力と観察力、集中力にも優れ、努力家だと」
「そうですか」
満足そうに頷いたアドリアンの、口角の片方が微かに上がった気がした。
「あなたなら信頼できそうだ。ユルヴィナ研究員に関する報告を私に上げてくれませんか」
イヴァンは眉間に皺を寄せた。アドリアンの若い顔を睨みかえす。しばらく睨み合いが続いたあと、アドリアンがふっと表情を緩めた。
「アリスティッド研究員に不利益が起こることはないと確約します。こちらが研究所に介入することはありません。ただ……把握しておきたいのですよ。何が起こっているのかを」
「……」
——相手の思惑が見えてこない。簡単に頷くわけには行かない。
アドリアンはゆっくりと机に肘を置いた。一段と低くなった声が、一言一句はっきりと発音した。
「ユルヴィナ研究員の父親は、ヴァロネス博士です」
自分の喉がヒュッと鳴ったのを聞いた。息が止まる。
——ヴァロネスの娘だと!?
「もちろん他言無用。あなたの口が硬いのを信用して打ち明けたのですから。アリスティッドにも黙っていてくださいよ」
——なるほど王家が注目するわけだ。
腹を括って顔を上げた。
「誓約書を書いていただけますか?報告する内容がユルヴィナ研究員の動向に限ること、アリスティッド研究員にも研究所にも干渉しない旨を明記してください。ユルヴィナ研究員の生い立ちについての守秘義務も含めて」
「いいでしょう」
「……では、お受けします」
アドリアンはすぐにペンを取り、誓約書を書き始める。イヴァンは、不備や落とし穴を見逃すまいとその手元を注視した。文官時代に逆戻りしたような気分だ。美しい文字で書かれた誓約書をじっくり読み直し、頷くと、サインをするため渡されたペンを取った。捺印して、お互い一部ずつ手に取る。アドリアンは口だけの笑みを作ってイヴァンを見る。
「では、よろしくお願いしますよ」
紙を懐にしまって、一礼し、部屋を辞そうと扉へ向かう。ノブに手をかけた時、アドリアンの声が追いかけてきた。
「ああ、次回、ユルヴィナ研究員の直筆のレポートを見せてくれますか?」
振り返って小さく頷き、じっとり汗をかいた背中に視線を感じながら部屋を出た。扉の閉まる音を聞いてようやく息を吐いた。
アドリアンの暗躍と、あまり本編では脚光を浴びなかったイヴァンの回です。そのうちアリスティッドとイヴァンのお話も書きたいなぁ。




