北の砦〜ヴァレンス
学院卒業後に北の砦に派遣されたヴァレンスのお話です。
カンカン、と訓練場に木剣を交える音が響く。ゼーゼーと肩で息をしながら、汗で滑りそうになる剣を握り直した。
「なんだ、もう終わりか?ヴァレンス、最初の勢いはどうした!」
半笑いで剣を肩に担ぎながら挑発するのは師団長。髭面の大男だ。盛り上がった腕が顔よりも太い。
北の砦に派遣されて一ヶ月。雪に閉ざされたこの場所で、王都にいた時よりもさらに激しい訓練をこなす毎日だった。初日に目をつけられたらしく、師団長に連日動けなくなるまで叩きのめされている。
「クソジジイ。今に見てろ!」
と、吠えると同時に跳躍した。
「おお、ジジイ呼ばわりとはいい度胸だな」
隙を狙ったはずの一撃は見事にいなされ、繰り出された剣が胴に食い込む。避けたつもりが間に合わない。
「百年早いわ!」
床に転がった。胃液が迫り上がって咳き込む。目の前に師団長の剣が突きつけられていた。
「遅い!力で押すばかりで隙だらけだ。相手をよく見ろ、頭を使え。この木偶の坊が!戦場じゃ、一瞬の隙が命取りだ、お前、何回死んだら気が済むんだ!」
「くそ!」
悪態をつきながら砦の廊下を持ち場に向かって歩いていた。訓練を終えて、午後からは城壁の見張りにつく。厚手のマントと毛皮の帽子をつけていた。交代の騎士と挨拶を交わし、持ち場に立つ。目の前に広がるのは見渡す限りの白。雪に塗り込められた平原だ。吹き荒む風がここまで入り込んでくる。分厚い手袋に包まれた手を後ろに組みボリステレスの方向を見る。
「ったく、どっからが敵国だか、わかりゃしねえ」
天候のせいで薄暗い。本当なら丘陵の彼方にボリステレスの砦があるはずなのだが、雪以外何も見えない。
「白が嫌いになりそうだぜ」
二時間も半屋外に立っていると、いくらウォード暖房で温めようが、体の芯から冷えてゆく。交代の時間が来て、屋内に戻るとほっと息を吐いた。日没が早いせいで、もう暗い。
「あーあ、なんでこんなとこに来ちまったんだか」
食堂へ入ると、騎士たちが大盛りの皿を前に豪快に飲んで食べていた。北出身の騎士は皆ヴァレンスと並ぶほどの大きさだ。そして何より厚みが違う。胸筋は盛り上がり、肩、腕、足とヴァレンスの二倍はある。
「おお、上品な王都の騎士様がお見えだぜ」
北の訛りが強い。粘りのある喋り方が耳につく。揶揄うような視線を無視して、王都から一緒に来た仲間達のテーブルに向かう。
「王都の騎士様たちは優雅で羨ましいねえ。さぞおモテになるんでしょうなぁ」
振り返って睨みつけながら、無言で腰を下ろす。顔に大きな傷跡のある男だった。
「剣より、ダンスの方が得意なんじゃねえのか?」
どっと笑い声が起こった。
「何を!」
王都の騎士の中でも若い男が立ち上がって怒鳴り返す。
「お前たち北の奴らは戦い方が汚い!掴む、足払いなど、騎士のやることじゃないだろう!」
さっきの男がフォークを突きつけた。
「バカ言ってんじゃねえ。こちとら命はってんだ。敵に『掴むな、騎士道精神に劣る』なんて言ってみろ。一発で首を落とされるわ」
嘲笑が起こる。
「これだから実戦経験のないおぼっちゃまたちはよ!」
「生き残りたかったら、鍛え直せ!」
あちこちから野次が飛ぶ。
王都の騎士達は何も言い返せず拳を握りしめるばかりだった。
その日から、全ての時間を体を鍛えることに使った。走り込み、腹筋、腕立て伏せ。鍛錬でも北の戦士達の動きを観察し、分析した。それなのに今でも、一度も勝てない。
「くそ!」
今朝も北出身の騎士にコテンパンにやられた。剣を振りかぶった懐に入られて、シャツを掴んで引っ張られ、バランスを崩した隙に膝蹴りが飛んできた。すんでのところで避けて体を捻り剣で払ったが、上着はビリビリに破けた。
「ヴァレンス、着替えてこい!」
師団長が顎をしゃくった。悔しさで眉間に皺を寄せながら、剣を置いて立ち上がった。
王都ではそこそこ強かったのに、北の奴らに全く歯が立たない。
「なんで、勝てねえんだ」
渡り廊下に吹き込んでいた雪を思いっきり蹴った。
宿舎は静かだった。ほとんどの騎士は持ち場か鍛錬に出ている。イライラと大股で歩きながら階段を登り、三階にたどり着くと片腕を袖から抜き、シャツを脱ぎながら扉を開けた。
「きゃっ」
「えっ?」
モップを持った小柄な女の子が目に入った。ぎゅっと目を閉じて突っ立っている。二度、目をパチパチさせてから、気がついた。
——掃除の娘か。
いつもは鍛錬中に終わっているから、気に留めたことがなかった。
「ああ、すまん」
脱いだシャツを娘の頭越しにベッドへ放り投げると、急いでクローゼットに駆け寄る。新しいシャツを出して頭から被った。
「目を開けていいぞ」
シャツをズボンの中へたくし込み、ボタンを留めながら声をかけると、少女が恐る恐るまぶたを開いた。緑色の瞳がのぞいた。
「すまんな、シャツが破れて、その……」
少女はモップを持ったままぺこりとお辞儀をした。しかしそのまま、床をじっと見つめている。
——なんだ、怖がらせたか?
少女の視線を追って床を見ると、入り口からクローゼットに向かって、くっきりと黒いブーツの足跡がついていた。
「ああ!すまん!せっかく掃除したのに、悪い!」
なんとかしようと、数歩踏み出して少女からモップを奪う。はたと気がついて動きを止めた。振り返ると今度は、クローゼットからベッド脇へ新たな足跡が増えていた。
「うっ」
くすくす。
鈴を転がすような声に少女を見下ろすと、俯いたまま肩を震わせて笑っている。
——なんだ、小動物みたいな……リスか?
少女の姿を見ているうちに、笑いが込み上げてくる。そのまま二人で声を上げて笑った。
「いや、本当にすまない」
ひとしきり笑って、目尻にたまった涙をふきながら謝る。笑顔の少女がこちらを見上げて言った。
「大丈夫です。お出になった後、綺麗にしておきますから」
——明るい声だな。
「そうか、すまない。よろしく頼む」
モップを返すと、これ以上汚さないよう、つま先立ちで足跡をなぞりながら扉に向かった。
さっきまでの苛立ちが綺麗に消えて、足取りが軽い。
扉を開けて振り返ると少女がニコニコしながらこちらを見ていた。
「……名は?」
彼女は一瞬緑の目をまん丸にして、頬を赤らめると、「ラナ」と小さく答えた。
「そうか。ラナ、ありがとう。俺はヴァレンス」
「またな」
と言って扉を閉めた。
ヴァレンスはお気に入りのキャラの一人です。スピンオフでヴァレンスの物語書きたい。




