別荘の夏
学院時代の夏休みです。
毎年みんなで過ごしたオットーの別荘の風景。
「ほら、右、左、足をしっかり出して!」
「あっごめん、エステヴァン!」
ハナは思いっきり踏みつけたエステヴァンの足から、飛び退いた。
「……だい……じょうぶ……だ」
エステヴァンの端正な顔が痛みに歪んだのを見て、ハナは手を離した。
「ごめん……もうやだ!」
「ハナ、エステヴァン、休憩しよう。果実水をどうぞ。よく冷えてるよ」
オットーがメイドから飲み物を受け取って、ハナとエステヴァンに差し出した。
夏の日差しはシェードのおかげで柔らかい。バルコニーの下に広がる湖からも、爽やかな風が流れ込んでくる。
今年もポロダンの所有する別荘に来ていた。
寝椅子に横になっていたヴァレンスが体を起こし、アドリアンも書物から顔を上げる。ハナはヴァレンスの隣に勢いよく腰掛けながら、頬を膨らませた。
「もう!ステップが複雑すぎる!」
ヴァレンスが笑いを噛み殺してハナの頭に手をやった。ぽんぽんと宥めるように優しく叩く。
「俺たちの卒業式で、踊るんだろ?頑張れよ。上達してるぜ、それなりに」
「それなり!ひどい」
エステヴァンの笑い声が響く。アドリアンが本を伏せてテーブルに置き、果実水に手を伸ばした。
「しかし、ヴァレンスがダンス得意だとは意外でした」
「なんせ、運動神経はいいもんでね」
ヴァレンスがニヤリと笑う。
「アドリアンももう少し練習した方がいいぞ。ハナにも負けてる」
メイドがテーブルに氷のたくさん入った水差しを置いた。ブルーベリーとレモン、ミントの色合いが光に反射する。
「僕は……もう諦めました」
憮然とした表情のアドリアンと笑い転げるヴァレンスを横目で見て、ハナはため息をついた。
「ダンスもカーテンシーもうんざり。言葉遣いから立ち位置まで、細かい貴族の決まり事って、本当に面倒!」
「回りくどいからな。拳一発で話がつくのに、二十分も訳のわからんこと言っとる」
ヴァレンスが頷く。ハナはグラスを傾け、喉に滑り落ちる冷たい果実水を味わった。
「礼儀作法は必要ですよ。秩序を守るわけですから」
アドリアンがメガネの奥からハナとヴァレンスを嗜める。オットーは彼らの近くに椅子を引っ張って腰掛け、言った。
「貴族は国を動かす重い責任を負っているからね。そこが乱れると国が危うい」
エステヴァンが驚いた表情でオットーを見た。その視線には気づかずオットーがゆったりした口調で続けた。
「厳しい教育を受けて、国王陛下のもと国を収めるんだ。尊敬される人物でないと、誰も従おうなんて思わないでしょ?」
アドリアンがそれを引き取る。
「たとえばアメリア嬢。淑女の鏡と言われているけれど、立ち居振る舞いから言葉遣い、非の打ち所がないでしょう?ああいう貴婦人が領地を収めていたら、安心して任せようと思うではありませんか?」
ヴァレンスは果実水を飲み干して、ハナにウインクをしてみせた。メイドの持ってきた果物の鉢からミラベルを摘み上げて口に放り込む。
「俺はハナの方がいいけどな」
ハナは唇を曲げたまま、四人を見回した。エステヴァンが何かを考え込んでいる。
「そうだけど、みんな人間じゃない。生まれた時から身分が決まってるなんて、なんか不公平」
オットーは。夏の果実の盛られた鉢をハナとアドリアンの方へ差し出す。
「僕ら庶民は気楽で自由だから。それを十分に利用すれば、頭角を表すことはできるよ」
今度はアドリアンが目を向いてオットーを見た。オットーは照れくさそうに肩をすくめて笑った。
「父さんの受け売りだけどね。貴族にできないことができるのが平民。貴族には貴族にしかできないことがあるって」
言いながら立ち上がって、みんなのグラスにおかわりを注ぐ。
「そうですね。それでも、オットーは礼儀もダンスも完璧ですよ」
アドリアンの視線に、ハナは食べ終わったアプリコットの種を捨てて、反論を試みる。
「でも、身分が高いお家に生まれたからって、偉いわけじゃない。ダンスや礼儀が苦手だからって、見下す理由にならない」
「……そうだな、見下す理由はないが」
「可愛い女の子、いや、素敵なパートナーと親密になれる機会だからね。踊れたら、楽しいよ」
「エステヴァンてば、下心が見え見え!」
バルコニーの笑い声が風に乗って、湖に響く。笑いが静まったあと、穏やかな空気を味わった。ハナのグラスの氷がカランと音を立てる。
「でも、私は身分じゃなく『その人』を見たいなぁ。みんな能力を活かせて幸せに生きられたらいいな」
アドリアンが思案した顔を上げて、眩しそうな目でハナを見る。
「とても……ハナらしい。確かに、僕のように生まれた家の身分は低くても、見出してもらえた人間もいますしね」
「オットーのように、平民でも機転が効いて、頭の回転の早い者もいる」
「無能な貴族もいやがるしな」
「それでも、今の社会を根本的に変えるのは無理でしょう」
アドリアンがグラスをテーブルに戻した。風に揺れる木々の音がハナの頬を撫でていく。
「それは、分かる。……でも、それなら、差別されず、才能のあるものが見出される社会になればいいな」
「もし、僕が政治を担うようになったら、そんな社会を目指しますよ」
アドリアンが果物に手を伸ばす。
「俺は、騎士がいい。自分の力に合ったところで生きていけりゃ、いいんじゃないか」
ヴァレンスは寝椅子に背を預けて目を閉じた。
「領主の役割か……」
エステヴァンがグラスを見つめて呟く。
「そういう、モテるとか、財産を溜め込むんじゃなくて」
ハナが珍しく真面目なエステヴァンに笑いかけた。
「みんなが安心して幸せに暮らせるようにするのが、エステヴァンのお仕事なんだよね、すごいよ」
「そう……だな」
「ところで、ウイレムはいつ頃着くんだ?」
ヴァレンスが目を閉じたまま話題を変える。
「夕方には。父が随行するそうです」
「おっポロダンの親父さん、俺、あの人怖えんだよ。剣を持たない人で、敵わないと思ったのはあの人だけだ」
ヴァレンスが目を開けて、みんなの方へ視線を向けた。
「アルバード一のやり手ですからね。うちの養父さえ一目置いてますよ」
「宰相閣下が?」
エステヴァンが目を丸くするのに、アドリアンが大きく頷きかえした。
「ヴァレンス、すみませんが父はウイレムがいる間は滞在するそうです」
「うへっ」
「それはしょうがない。だいたい王子殿下が来るだけでも大ごとなんだから」
「まさにポロダンの実力です。護衛も最小限で1週間も滞在を許されるなど、例外中の例外。オットー、お父上に諸国の話を聞かせてもらえるかな?」
「ええ、今夜の晩餐は父も同席するはずですから。帰ったばかりのラナスの話などどうでしょう」
「興味深い。ぜひ聞かせていただきたい」
ヴァレンスが立ち上がって、伸びをする。
「じゃ、ウイレムが到着するまで、馬でひとっ走りするか。肩っ苦しい夜の前に発散だ、発散。ハナもどうだ?」
「うん、行く!」
ハナはグラスを置いて立ち上がった。エステヴァンとアドリアンが身を乗り出す。
「ハナ、ダンスは?」
「勉強は?」
「あ・と・で!」
二人のため息を無視して、歩き出す。アドリアンは静かに本を手に取り、オットーとエステヴァンが何やら話し始める。先へゆくヴァレンスの長身を負って、開け放たれたガラスドアをくぐった。
本編では、攻略対象たちの交流は少ししか書けなかったので、楽しくなってしまいました。私もこんな、湖畔の別荘が欲しい!




